今回の世界経済危機は、金融システムの安定性がマクロ経済の安定や成長ときわめて密接に関係していることを示している。
6月のG20財務相会議では、景気が底を打ったのではないかという期待が表明されたが、資産価格の下落が続いていることや不良資産処理が進んでいない現状をかんがみれば、世界の景気回復が早期に始まるとは考えにくい。
現在の危機を正しく分析し、必要な政策の処方箋を打ち出すためには、マクロ経済の動向という問題と、金融システムの安定性という問題を関連づけて統一的に考察する思考の枠組みを、新しいマクロ経済学の一分野として、経済学の中に作り上げる必要があるのではないか。そうした枠組みで考えれば、世界経済の回復のために必要な政策は、各国の協調による財政出動や金融緩和(Monetary Easing)だけではなく、それらの政策で総需要を下支えしている間に、金融システムの安定性を取り戻す政策アクションを迅速に実施することだと考えられる。具体的には、市場に蔓延した不確実性や不信感や不安を一掃するために、金融監督当局(Financial regulators)が極端なくらい厳格な資産査定を何度も繰り返して実施し、資本不足に陥った主要金融機関を一時的に国有化し、公的資金(Taxpayer money)を十分に使って、金融システムをRecapitalizeし、さらに公的な不良資産管理機関を設立して不良資産の処理をシステマティックに進めることが求められている。
マクロ経済学の課題
現在、多くの経済学者は、世界経済の景気回復という問題と、金融システムの安定化という問題を、断絶した別個の領域の問題として捉えているらしい。標準的な見解としては、「景気回復のためにはケインズ政策(財政政策、金融政策(Monetary Policy))で対応するしかない。金融システムの安定化には不良資産処理や資本注入などが必要だが、それはマクロの景気回復とは直接関係しない。むしろ、財政金融政策によって景気回復が実現すれば、不良資産が減るので金融システムの安定化のために外科的な政策は必要なくなるかもしれない」というようなものである。
しかし、日本の90年代の歴史は、こうした期待が間違いであったことを示しているように思われる。また、日本と同時期にバブル崩壊を経験し、外科的な銀行国有化によって短期間で景気回復を実現したスウェーデンの例も、また、こういう考え方が間違いであることの証拠であるように思われる。
現在、景気回復の兆候が見え始め、世界経済に対する危機感は薄れているが、その結果、米国政府や欧州諸国政府の不良資産処理への政策対応が遅れるならば、再び、金融危機が欧米の金融システムを襲うことになるだろう。
いまでは金融システム問題が景気回復の前提条件であるという認識を持つ人々は日本にも欧米にもいるが、あくまでそれは経験則として認識されていることであり、経済学の理論体系の構造は、マクロ経済のパフォーマンスと金融システム安定を統一的に考察することができるようになっていない。
たとえば、よく知られているように、標準的な新古典経済成長モデルでも、New Keynesianモデルでも、銀行セクターは経済活動の中心的な役割を果たす存在とは考えられていない。また不良資産問題については、もっぱら銀行業に関するミクロ経済学的な問題という捉え方が一般的である。
むしろ、現実の危機が、マクロ経済学の理論体系の変更を要請しているのではないか。金融仲介をモデルの中心に据えたマクロ経済学が、現在の危機の分析には必要である。特に、金融システムの決済仲介(Payment intermediation)がどのような条件で機能不全に陥るか、という問題に焦点を当てて研究をする必要がある。Ricardo LagosとRandall Wrightの貨幣理論(Monetary Theory)の枠組みを発展させることによって、そのようなマクロモデルを作ることができるのではないか、と考えている。また、新しいマクロ経済学に要請されることは、財政政策と金融政策(Monetary Policy)と金融システム安定化の3つの政策のコストと有効性を統一的に比較考量できるような思考の枠組みを提供することである。なぜなら、金融システムの不安定性(Fragility of financial system)の問題は、次のようなマクロ経済学的な大きな影響を世界経済に与えるからである。
不良資産問題が生み出すマクロ経済的な悪循環
金融システムの不安定化あるいは不良資産の大量蓄積という問題は、マクロ経済に短期的にも、また、長期的にも大きな影響を及ぼす。
短期的には、リーマンショックで過去数カ月に経験したような、信認の危機(Confidence Crisis)が経済を急激に悪化させる。これまで決済手段として通用するとみなされてきたリスキーな資産が、急に決済手段としての信頼を喪失し、その結果、国債や現預金のような流動資産への需要が急激に増加する。その結果、市場では流動性が枯渇し、実物的な取引が阻害され、総需要が急激に収縮することになる。総需要の収縮は資産価格の下落と金融機関のバランスシートの悪化をもたらし、信認の危機をさらに深刻化させてゆく。
長期的には、筆者が90年代の日本の経験からBalance sheet Trapと名づけた現象がある(www.voxeu.org/index.php?q=node/2483)。不良資産が増加し、金融機関のバランスシートの健全性が長期的に低下すると、あらゆる経済主体の間で、信用取引が停滞し、その結果、企業間の供給ネットワークが長期的に萎縮してしまう、という現象である。金融機関のバランスシートの悪化のために、支払の履行を巡る企業間の相互不信が高まり、結果的に企業間分業の進展が阻害されることになる。分業の進展は生産性上昇の主要な源泉であるから、このバランスシートの罠によって経済全体で生産性の上昇が阻害され、資産価格が下落し、さらにバランスシートが悪化することになるのである。
このように、Confidence CrisisやBalance Sheet Trapのメカニズムで金融システムの不安定化がマクロ経済のパフォーマンスに大きな悪影響を及ぼす場合には、財政政策や金融緩和などのマクロ経済政策は、景気回復をもたらすというよりも、基本的に時間稼ぎと痛み止めの役割に終始する。財政出動は、一時的に雇用を維持し、激変緩和と時間稼ぎをするが、問題の根本解決にはつながりにくい。また、金融緩和政策は、流動性の不足をおぎない、景気の落ち込みを緩和するが、不良資産問題や銀行の資本不足を解消するわけではないので、市場の不安を払拭できない。世界経済に、「偽りの夜明け」ではなく真の夜明けをもたらすためには、厳格な資産処理や銀行の一時国有化による金融システムの安定化が必要なのである。
必要な政策パッケージ
官民出資のファンドで不良資産を金融機関から買い取ろうとするガイトナープランは、おそらくうまくはいかないだろう。90年代の半ばに、日本でも銀行業界の資金で同様のファンドを作り、不良債権の買い取りを進めようとしたが、遅々として処理は進まなかった。根本的な問題は、不良資産を抱えた銀行側には、不良資産をファンドに低価格で売るインセンティブがない、ということである。官民ファンドは、税金を使って不良資産を買い取るため、適正な価格(簿価よりも相当に低い価格)で買おうとする。売り手の銀行は、低価格で売って損失を確定するよりも、将来の景気回復まで不良資産を保有し続け、奇跡的に不良資産が優良資産に変わるのを待つ方が合理的である。これはGamble for resurrectionと呼ばれる現象である(Diamond and Rajan, 2009)。これは、日本の90年代から2000年代半ばまでの15年間に不良債権処理が進まなかった主要な理由でもある。
この膠着状態を打破するためには、不良資産を抱える金融機関に対して、厳格な資産査定などの手段で、不良資産を売り払うように政府が非常に強い政治的圧力をかけるしかないと考えられる。そのための政策パッケージについては、日本の経験からいくつかの実践的な教訓がある。
まず、金融システム再生の政策責任者は、金融業界のインサイダー(財務省、FRB関係者を含む)ではなく、アウトサイダーであるべきだ、という点である。日本の金融再生は、金融界と関係が薄い経済学者だった竹中平蔵氏が金融担当大臣になってから進捗した。また、不良資産処理を実際に進めた整理回収機構の初代社長は、検察官出身だった。産業再生機構のトップも、銀行業界や財務省とは無縁の経営コンサルタントだった。米国でも、ウォールストリートの出身者ではなく、大学の経済学者や、司法関係者、捜査機関の関係者、あるいは、軍の関係者などから、金融再生の政策トップを選任し、ウォールストリートからの政治的な圧力に対抗できる体制を作るべきではないだろうか。
次に必要なことは、金融業界から高い独立性を保った当局が、金融機関の資産査定を、行き過ぎと思われるほど厳格に反復継続して実施することである。厳格な資産査定によって、金融機関がGamble for resurrectionの誘惑を感じない状況を作り出し、不良資産をバランスシートから吐き出させるべきである。
さらに、厳格な資産査定によって、巨大金融機関が資本不足に陥った場合に、必要な金額をすぐに資本注入できるような体制を準備しておく必要がある。つまり、十分な金額の公的資金の枠(おそらく新しく1兆ドル程度)を政府が確保し、政府の判断でいつでも使えるようにしておく必要がある。おそらく、この公的資金の確保が、いまの米国の政治状況では最も困難な課題であろう。日本でも、90年代の半ばに、公的資金による銀行救済は政治的タブーとなり、政府は銀行問題への介入を3年間も躊躇した。しかし、その間に不良債権問題は手がつけられないほどに深刻化し、日本経済は金融パニックに陥り、結局、90年代半ばに必要だった金額よりももっと多額の公的資金を銀行に投入せざるを得なくなったのである。こうした日本の経験や他国の金融危機の経験を踏まえ、米国の政策当局や政治家は、米国の国民を説得し、公的資金の追加枠を早急に準備する必要があるのではないか。