「科学技術創造立国に向けて」私論

元橋 一之
ファカルティフェロー

昨年末の総合科学技術会議で平成18年度から5年間の科学技術政策の基本的方向性を示す第3期計画の骨格がまとまった。「科学技術創造立国に向けて」と題された答申においては、5年間で25兆円の政府研究開発投資の目標額が掲げられると同時に、この投資効果を最大限引き出すための戦略的重点化や科学技術システム改革の強化が盛り込まれている。

政府研究開発投資は増額すべきなのか?

5年間で25兆円程度という目標額の設定は、第3期基本計画の目玉というべきものである。しかしながら、厳しい財政状況が続く中で、研究開発に対する政府支出を増額させることに対しては否定的な声も多い。また、これまでの基本計画において盛り込まれてきた研究開発に対する予算の重点的配分が、研究現場における研究費バブルを招いており、十分な成果が挙がっていないという批判も存在する。第1期、第2期に続いて、第3期においても目標額を盛り込んだことは妥当な判断といえるのであろうか?

『科学技術研究調査』(総務省)によると平成16年度の国・地方公共団体の研究開発費負担額は約3.4兆円(民間負担も含めた総額16.9兆円の約2割)となっており、そのほとんどの額が大学や公的試験研究機関などのいわゆるサイエンスセクターに流れている。つまり、政府研究開発投資額を増額することの是非は、サイエンスセクターに対する資金負担を国全体としてどう考えるかという問題に他ならない。国民1人1人にとって、大学や公的研究機関の負担をどう考えるべきか、より充実したものとすべきなのか、あるいは合理化をして負担を減らすことが適当なのか、といった広い視野に立って考えることがまず必要である。

第3期基本計画答申における基本理念の1つは、「社会・国民に支持され、成果を還元する科学技術」とされている。国民にとって、サイエンスセクターの成果とは何だろうか? 科学技術の進展は国全体としてのイノベーションの活性化につながることが期待される。このような経済的なメリットは重要であるが、同時に国民の1人としては、国際的に競争力のあるサイエンスセクターを持つことのナショナルプライドといった側面が大きいのではないだろうか? 第2期基本計画に盛り込まれたノーベル賞受賞者数の目標(50年間で30人程度)は、実態的に意味のある指標とはいえないが、このところのノーベル賞受賞者の増加は我々国民1人1人に計り知れない影響を与えていると考えられる。そういった意味において、世界的に優れた基盤的研究を行っている研究者にしっかりと予算をつけていくことは重要であると考える。

イノベーションにおけるサイエンスの重要性の高まり

企業のイノベーションプロセスにおいてサイエンスの重要性が高まっていることを認識することも重要である。韓国や中国などの追い上げや欧米企業との国際競争が激化する中、日本企業のイノベーションプロセスが変化してきている。2004年に行ったRIETIの調査によると、これまで自前主義が特徴といわれた日本のイノベーションシステムもネットワーク型への変貌の兆しが見える。(注1)イノベーション競争が厳しくなる中、企業としては「出口」の見える研究開発にフォーカスして、市場化との関係が希薄な研究テーマを減らす動きをしている。ただし、これは基礎研究を行わず応用や開発研究に特化するということではない。大競争時代を勝ち抜く上で必要となるイノベーティブな商品を開発するためには新たな技術シーズに基づく独創的な研究開発が必要となる。そのための技術シーズを大学や公的研究機関に求める動きが進んでいる。

大学における研究テーマであった遺伝子工学によって、医薬品のイノベーションプロセスは大きな影響を受けている。(注2)また、エレクトロニクス分野においては、画期的な製品開発につながりうる物理学の知見に対して多くの企業が期待を寄せている。(注3)ただし、このようなアカデミックレベルの研究成果は、医薬品や電子部品などの商品化用途が前提にあって生まれたものではない。また、科学的な知見は、製品の性能や企業のイノベーションプロセスを抜本的に向上させる可能性は秘めているが、それ自体が商品化されるものでもない。公的資金を投入して推進するサイエンスセクターにおける研究は、科学的フロンティアを追及することを目的としたものであり、その成果は論文等で公開され、幅広く活用されるべきものである。また、そのような研究だからこそ、国としてもきちっと予算の手当てをして長期的な研究を進められる環境を整えることが重要である。

科学技術システムの改革は進んでいるか?

このように、しっかりとしたサイエンスセクターを維持するために政府研究開発投資を長期的にコミットすることは意義が高い。その一方で科学技術システムに対して本質的な変革を求めることは当然である。2001年の国立試験研究機関の独立法人化、2004年の国立大学の法人化と形式的な改革は進んでいるが、実態的にそう大きく変わっていないのではないだろうか?

たとえば国立大学法人については、基盤的経費に当てられる運営費交付金が削減され、その一方で競争的資金を増やすということで大学間の競争を促す方針が採られている。競争的資金をとることができる競争力のある研究機関が生き残ることでマクロレベルの生産性が高まることが期待される。これは理論的には正しい。しかし、実際に理論どおりにいっているのかどうかは疑問が大きい。大学は研究室や教官1人1人といった非常に小さなグループで運営されている組織である。従って、競争的なメカニズムの導入に対するトランザクションコストは非常に大きくなる。また、競争的資金は当然のことながら使用期間や使途が限定されており、非常に硬直性が高い。複数年度にまたがるものでも年度間の繰り越しができないのが通常なので、「使い切る」ためにかなりの無駄が生じる。このような問題を解決するために各府省に存在する競争的資金を整理・統合して、弾力的な運用が行えるよう制度的な手当てができれば、サイエンスセクターの生産性は画期的に上昇すると思われる。

また、国としてきちっとしたサイエンスセンターに対する予算的手当てが行われる一方で、成果に対する公正な評価が下されるシステムにしていく必要がある。評価は行うだけでなく、その結果が研究者の処遇に反映させられなければならない。そのためには研究者の流動性に対応した人事システムが必要になってくる。しかしながら、基盤的資金から競争的資金という予算面での変化に対応した人事システムの改革は遅々として進んでいないのが現状である。一般的な国立大学法人には2種類の教授が存在する。運営費交付金による終身雇用教授と競争的資金による任期付特任教授である。任期付教授はプロジェクト単位で雇われているため、任期が終わる前に次のポストを探す必要がある。研究者人材の流動性はサイエンスセクターの雇用システム全体にかかる問題であり、個々の研究機関で解決することは難しい。運営費交付金の査定基準にテニュア制の導入など先端的な人事制度の導入を加えるなど、国としても抜本的な対策に乗り出すことが必要と考える。大学や公的研究機関の人事制度が変わることによって、はじめて本質的な科学技術システム改革が動き出したといえる。

2006年1月24日
脚注
  • (注1) 『研究開発外部連携実態調査報告書』、経済産業研究所(2004年3月)
  • (注2) The Changing Autarky Pharmaceutical R&D Process: Causes and Consequences of Growing R&D Collaboration in Japanese Firms, Kazuyuki Motohashi, forthcoming Journal of International Technology Management
  • (注3) 「研究開発 物理に還る」『日経エレクトロニクス』、2006年1月2日号

2006年1月24日掲載

この著者の記事