ITイノベーションと日本経済:残された成長ポテンシャル

元橋 一之
ファカルティフェロー

日本経済は一進一退の動きをしている。「失われた10年」、「IMDの国際競争力ランキングの低迷」、「産業空洞化の進展」、「中国経済の台頭と脅威論」などといった2、3年前に広まった悲観論は鳴りを潜めたものの、中長期的な日本経済に対する見方は相変わらず明るくない。確かに日本の経済成長率が長期的に低迷しており、特にバブル崩壊前の4%を越える力強い成長は今後望めないのは事実である。しかし筆者は日本経済の成長ポテンシャルは比較的高いと見ている。10年タームで見た日本経済の成長率低下は、主に労働投入の低下によるもので、ITイノベーションに支えられた生産性は90年代後半から上昇しているからである。

ITを用いた生産性の成長ポテンシャルが十分残っている日本

供給サイドから見た経済成長率は、資本や労働などの生産要素の投入の増加による部分とTFP(全要素生産性)の上昇分に分解することができる。それぞれのコンポーネントの将来的な動向は中長期的な経済成長のポテンシャルを示す。たとえば労働投入は人口構成からある程度外生的に決まってくる。高齢化社会が進み日本の労働力人口は減少していくことから今後労働投入はマイナスになることが予想される。従って、今後、80年代までに経験した高い成長率が今後望めないのは事実である。また、資本投入は経済活動に応じて内生的に決まってくるものであり、経済成長の牽引役にはならない。

しかし、その一方でTFPの伸びについては今後とも期待できる要因は多い。90年代におけるTFPの加速度的な上昇は、驚異的なスピードで技術革新を続けるIT産業が経済全体に占めるシェアを拡大したことの影響が大きい。IT投資のGDPに占める割合は2000年時点で5%程度とまだ小さいので、今後ともマクロ経済の生産性の上昇を引っ張っていくことが期待できる。その一方でITユーザー産業のTFP伸び率は緩やかなものに留まっている。筆者の企業レベルデータを用いた分析によると、米国企業と比較して日本企業は総じてITシステムの可能性を十分に活かしきっていないことが分かっている。逆にいうと、今後ITを用いた生産性の成長ポテンシャルが十分残っているということである。

しかし、このポテンシャルは現実のものになるのであろうか? ひとつの明るい話題としては、ITによってビジネスプロセスを刷新して高いパフォーマンスを上げている企業が日本においても現れていることである。マッキンゼーの分析結果によると、米国小売業の生産性上昇はウォルマートにおける先端的なIT活用事例が他社にも広がったことによる。日本企業におけるITを活用したビジネスイノベーションに対する取組みはまだまだ遅れている。従って、今後、先端的事例が広がることによって経済全体の生産性を押し上げ効果をもつことが期待できる。

始まったばかりのITイノベーションによる日本経済の変革

ITイノベーションの進展は経済の外部取引化を促進し、これまで日本経済の「強み」とされてきた安定的な労使慣行やサプライヤーネットワークを損なうことになるのではないかという議論もある。確かに、筆者の分析によると労働市場の硬直性が企業における組織改革の足かせになって企業がITの効果を十分に発揮できない原因の1つになっている。しかし、ITネットワークの導入によってむしろ取引先との連携を強化する企業が多いことも分かっている。これは米国における分析結果においても見られており、IT化=外部経済取引という図式はかならずしも成り立っていない。サプライヤーとの緊密はネットワークの上になりたっているトヨタ式生産方式も情報通信技術をフルに活用してその効率化が行われてきている。ITの特性を生かした緊密な企業間ネットワークを構築することは日本企業にとって得意なはずである。

ITイノベーションの進展とその経済的インプリケーションについては、まだまだ研究途上の課題も多いが、ここで述べた筆者の分析結果は、『ITイノベーションの実証分析』(東洋経済新報社・RIETI経済政策分析シリーズ)としてまとめたところである。ITイノベーションの源泉ともいえる半導体集積回路に関するムーアの法則は、あと10年は続くといわれている。そのアプリケーションまで含めたITイノベーションによる日本経済の変革はまだ始まったばかりである。今後、この分野における研究成果が蓄積され、ITイノベーションが日本経済の活性化につなげていくための議論につながっていくことに期待したい。

2005年3月22日

2005年3月22日掲載

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