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no.13: Creative Commons-ユーザが積極的に「共有」するためのライセンス

澁川 修一
RIETI研究スタッフ/国際大学GLOCOM Research Associate/東京大学情報学環

インターネット時代に見合わない現行著作権法

インターネットの登場により、個人レベルでも著作物(独自性を持った創作物)をWebやその他のツールを使って積極的に外に発信することができるようになったことは皆さんもご存じの通り。さて、それでは、もしあなたがインターネットを使って実際に何らかの著作物を公開しようと思った場合、その二次利用の許諾(ライセンス)についてどのような選択肢があるだろうか。

例えば、まったくのフリーの状態にしてしまうというやり方がある一方で、著作物の二次利用を全く許さないという選択も出来るだろう。しかし、最もニーズが高い選択肢は、その中間あたりに存在するのではないか。つまり自分の制作した物だという証拠は残しておいてもらえば、あとは自由に使ってもらっても構わない、というようなものである。例えば、webの素材集などではこのようなケースがよく見られる。しかし、現行の著作権法では、そのような中間的なライセンスに関する規定は用意されていないのだ。

もちろん、そのような選択が全くだめということではなく、例えば素材集やフリーソフト等の場合、独自のライセンス(GPL等)や契約ベースでの許諾=ライセンスや使用規約の遵守という形で許諾を得て利用したり、改変などを施してよいということになっている。ただ、この場合も著作者人格権は譲渡されずに制作者に帰属するために厳密な意味でのパブリックドメイン、あるいは「自由にお使いください」ということにはならない。(そもそも、日本の著作権法にはパブリック・ドメインという概念がない)

さらにややこしいことに、著作権法上、ネットでの公開は「展示」に当たるので、著作者財産権に抵触することになり、原則として許諾が必要になってしまう。翻案や改変などのいわゆる「二次利用」に関しても「二次著作物」として、基本的に著作権の基本規定に準じるため、原著作権者に対して許諾が必要。(著作権法27条・28条) つまり、著作権法の規定を忠実に守ろうとすると、規定が硬直的なために最低限の縛りでいいと思っていても事実上最大限の縛りになってしまうという問題があるのだ。

Creative Commons:著作権を前提とした「共有」のためのライセンス

硬直的な著作権法が問題だといえばそれまでだが、しかしその一方で「誰かに自分の著作物を利用してほしい」あるいは「誰かの作品を参考に、一部改変して使いたい」というニーズは確実に存在しており、それに応えるためには従来の著作権法を補完するものが必要になってきている。
この問題は米国ではさらに顕著になってきていて、映画などの製作の際には「もしかして誰かの著作権を侵害していないか」と((;゚Д゚)ガクガクブルブルし、弁護士に高額な費用でチェックを依頼しなければならなくなるほど状況は深刻なのだという。さらに、本来認められているはずのフェア・ユースの権利等も侵害される恐れが強まってきていると言われ、著作権が創造性を逆に阻害する恐れが現実のものとなってきている。

そのような背景の下、RIETIでもお馴染みのローレンス・レッシグ スタンフォード大学教授が主宰するCreative Commons"が運営しているライセンスが登場し、静かに広がりを見せている。(日本語の情報はこちら) レッシグ教授は「CODE」や"「コモンズ」の著者として知られるが、Creative Commonsは、先ほど述べたような米国における厳しい状況を踏まえ、彼のコモンズ(共有地)理論を知的財産権の分野に適用し、知的な資産の共有を促進するためのライセンスを設定することで創造的な活動を支援することを目的としている。

Creative Commonsの最大の特徴は、既存の著作権制度を前提としたライセンスであることと、その上でネットワーク上での創作物の流通を促すために設計されたライセンスの表現方法にある。つまり、Creative Commonsは著作権を無視するものではなく、むしろ既存の制度と「共有」による創造性確保の両者の共存の道を探るために編み出されたものなのだ。 簡単な概要は以下のコミック版解説を見てほしい。

すこし細かく見ていくと、ライセンスは

  1. 共有ライセンスの一覧表と解説文書(Commons Deed)
  2. 米国著作権法に基づいた厳密なライセンス文書(Legal Code)
  3. XML技術を用いて、コンピュータ(サーチエンジン等)がライセンスを認識できるようにしたRDF(Resource Description Framework)形式のメタデータ(Digital Code)
の3つで構成される。特に(3)のXML技術(RDFに関しては神崎正英氏のページを参照)を用いてコンピュータが認識可能なライセンスになっている点が興味深い。将来的にはサーチエンジンなどにCreative Commonsのライセンスが組み入れられていくようになるのであろう。

Creative Commonsの共有ライセンスは11種類あり、一覧は下にあるとおりだが、基本的に「帰属」(Attribution)「非商用」(Noncommercial)「派生作品の禁止」(No Derivative Wokrs)「同様に共有」(Share Alike)という四種の条件を組み合わせたものになっている。具体的には帰属(Attribution)というのは制作者が誰であるかをきちんと表示せよという条件。非商用(Noncommercial)というのは「非商用なら使用して構わない」という条件。派生作品の禁止(No Derivative Works)は元の著作物を改変してはならない、という条件。同様に共有(Share Alike)というのは、改変した・翻案した派生物を配布するときには元の著作物と同じライセンスで配布せよ、という条件である。どれにも当てはまらない場合、パブリック・ドメインとなる。

Creative Commons共有ライセンスの一覧

もし上記のライセンスを気に入って、あなたの著作物にCreative Commonsライセンスを使いたいと思った場合は簡単だ。Creative Commonsのライセンス選択ページに行けば、自分が望むライセンスに沿ってバナーとRDFスキーマを生成してくれる。*1また現在はCreative Commonsのページは英語のみであるが、このライセンスや選択ページを公式に日本語化するプロジェクトが進行中である他、既にいくつかのweblogやクリエイター達が既にCreative Commonsライセンスを導入している。今後、知名度が上がるに従い、ネット上で浸透が進んでいくものと思われる。

ただし、留意しなければならないポイントもある。例えば、Creative Commonsはソフトウェアのライセンスには関与をしない方針といわれる。ソフトウェアの世界にはGNU/GPLのような有効に機能しているライセンスが既に存在しているため、無理にCreative Commonsを利用する必要はないかもしれない。また、当然の事ながら我が国の著作権法体系との整合性のチェックも必要になってくるだろう。

Creative Commonsを使うことによって、最初に述べた、自分の作った創作物を皆で共有したいが、ある程度の権利保護は欲しい。かといって従来の著作権法のようなガチガチの権利保護は要らない、という細かいニーズを満たすことができる。また、かなり込み入った場合にも適用できるよう、たくさんの場合に応じたライセンス群が提供されている。少なくとも現状のところ、ネット上の創作物に関するライセンスとしては最も適切なものだろう。*2

このような多様な選択肢の設定というところが、技術革新が急激に進んでいるこの分野においてはもっとも適切な政策手段と考えられる。わが国でも文化庁が「自由利用マーク」というものを制定しており、自由な利用を望む人たちに使ってもらいたい、という方針のようだが、解説ページを見ても、マークの利用については一見してわからないことも多く、素人がすぐに使いこなせるとは思えない。個人的な意見だが、文化庁はCreative Commonsを採用してしまったほうがよほどわかりやすく、自由な利用と著作権保護の両立が図れるのではないかと思うのだが、どうだろうか。

※追記[2003-06-12]:
筆者も所属する国際大学GLOCOMクリエイティブ・コモンズ・ジャパンをホストすることとなった。今後、CCライセンスの正式ローカライズや、我が国の著作権法制とのコーディネーション等の課題に取り組むので、併せて紹介しておく。

「共有」することでさらに倍加する創造性

さて、ライセンスの話ではないが、ここで、レッシグ教授が強調する「コモンズによる創造性の確保」のみならず、共有することで、より創造性が倍加している興味深い事例をいくつか紹介したい。

  • 加速+1

    ある意味でわが国最大の情報集積である2ちゃんねるから生まれたのが「加速+1」だ。PCなどを使って作曲を行うDTMユーザーが集うDTM板の名物スレ「*99の指定した曲を*00が作ってみるスレ」で作られた曲の中から優れたものを集めているのがこのサイトであるが、レベルは驚くほど高く、選りすぐりの曲を集めた自主制作CDは先日のDTM系のイベント"M3"においてたったの30分で完売した。DTMというジャンル故に一般に知られることはあまりないが、その筋の人々の間では必ず知られている有名サイトである。

    加速+1(DTM板)においては、サンプリングのマスター音源などに関する著作権の取り扱いは極めて共有的であり、以前の作品に敬意を表してグルーヴを引用したりすることはよく行われている。2ちゃんねるという場の性格はあるが、自分の作品の著作権をあまりガミガミ言う人は見かけない。

    ※追記 [2003-6-12]:
    これについて、加速+1の中心人物のひとりである"charlie"鈴木謙介氏から次のような指摘を頂いた。

    補足するなら、2ちゃんねるのクリエイター全般に言えることですが、実際には著作権意識がすごく高いというか、規制の著作物の権利を侵害することには敏感な人が多いです。
    絶対に守らないとダメ!というほど強い主張ではないですが、著作権に問題のある作品(いわゆる「クロ」)とそうでない作品には明確に線が引かれます。
    それが曲なども含めて「シロ」い素材になる自作のコンテンツが2ちゃんで重宝されている理由なのではないかと。

  • muzie

    加速+1も楽曲配布コーナーを持っているが、そのようなインディーズ・アマチュア(セミプロ)音楽を取り扱い共有し互いにratingを行うコミュニティサイトとして興味深いのが"Muzie"である。これは営利企業が事業として行っているものであるが、そのコミュニティには4万曲近いアマチュアの楽曲がmp3形式でアップされている。ここにおける著作権の扱いは基本的には著作権法に則っており、楽曲制作者に権利は帰属するものとしている。ただし、もし楽曲を使用したいということがあるのなら、muzie事務局が間に入って許諾の橋渡しをしてくれるサービスが提供されている。

  • ワンダーフェスティバル当日版権システム

    さて、上記の加速+1やmuzieの事例のように、同人系の「みんなで寄り集まって作品を作り出す」的なイベントは日本では非常に盛んであり、有名なコミケ(コミックマーケット)等から生み出される商業的インパクトは無視し得ないものである。またそこから育つクリエイターも最近は非常に多くなってきている。ただしその中での著作権の扱いは、コミケの同人誌を見れば一目瞭然だが、無法地帯といっても差し支えないのが現状だ。

    そのような状況の中、イベントの場、そしてそこから生み出される創造性の維持と版権元の利益を両立させようとする試みが行われており、一定の成功を収めている。(株)海洋堂が主催する造形系アート・模型の展示・即売会である「ワンダーフェスティバル(ワンフェス)」のライセンス「当日版権」システムがそれだ。本来著作権を侵害する個人制作の造形物であっても、ワンフェスの開催期間中、会場内でのみ販売が可能になるというもので、出展者の事前の登録を受けて、ワンフェス実行委員会と各キャラクターの版権元との間が行う交渉により成立しているものである。*3
    これはネット上でもないし、音楽のためのものでもないが、先ほどの加速+1やmuzieのような場と既存の音楽産業をつなぐ際にも参考になるのではないだろうか(おそらく実際の導入にはDRM類似の仕組みが必要になると思われるが)。

「共有」は本当に害悪か?

これまで見てきたように、Creative Commonsのように著作権を前提として「共有」を促すことで創造性を担保するという仕組みが登場し、上記の加速+1やmuzie、ワンフェスの例のように「共有」は無法地帯をもたらす害悪ではなく、むしろ創造性を涵養し、さらなる才能を生み出す源泉となることが証明されてきている。コンテンツの共有が無法地帯となるか、そうならないかは(情報通信政策や電波の問題と同じく)制度設計によるのであり、それをうまく行うことができれば、両者は決して対立することなくwin-winの関係を維持したまま、市場全体の拡大を図ることもできるのだ。

このことを考える際にはワンフェスの成功がヒントになるだろう。クリエイターによる自由な創造的活動を黙認してあげることで、逆に市場の裾野を広げ、当該商品の市場をさらに拡大する、つまりある程度の著作権侵害を認めることで、逆に自分たちが持っている著作物の商業的価値を(結果的に)上げることができるのだ。これは著作権保持者、それを利用したい人双方にとって利益があるものといえよう。

もちろん、ワンフェスで主に取り扱われるアニメ等のキャラクターがファンに支えられている側面が非常に強いコンテンツであることや、加速+1のDTMという音楽ジャンルがサンプリング+プログラミングで成り立つリミックスという作業であることは考慮に入れなければならないし、Creative Commonsがいくら優れたライセンスといっても、わが国の制度や状況に最適化されているというわけではない。例えばCreative Commonsが著作権を前提として議論を進めている背景には、米国における著作権者側(特に音楽・映画業界)からの厳しい攻勢があることは指摘しておくべきであろう。僅かでも権利を侵害すれば、即訴訟沙汰になってしまう危険性がある中では、しっかりと権利を明確化して表示するという必要性があるということだ。

ただ、わが国の場合、最近では著作権強化の傾向が非常に強くなってきているが(参考:RIETIコラム「羅生門は誰のものか」)、意外にも著作物に関して強硬に所有権を主張せず、作者への敬意が払われるのであれば、ある程度の共有を認める傾向があるようだ。これはレッシグ教授も来日の折、褒めていた部分であり、アニメやマンガ等のポップカルチャーの担い手達は多かれ少なかれ、その道を通ってメジャーになってきたと指摘する議論もある。

それでもなお、共有する際にはある種の「権利を侵害しているかもしれない」という後ろめたさがつきまとうものだ。このような阻害要因を排除し、積極的に共有を推進して、さらなる創造性を確保するためには、Creative Commonsというのは極めて有益な選択肢となりうるのではないだろうか。

2003年5月21日

参考url

脚注

  • *1 Creative Commons License
    This work is licensed under a Creative Commons License.
    ※このコラムに関するCreative Commonsライセンスを選択してみた。Attribution-NoDerivsライセンスである。
  • *2 例えば、Creative Commonsを使うことで今まで権利があいまいなまま行われてきたネット上での集団的創作行為に対して、適切なライセンシングと再利用のための約束が設定できるのかもしれない。このような問題意識の下、筆者は角川書店の雑誌「新現実 vol.2」に「「ネットの創作物は誰のものか」~匿名掲示板とタカラ「ギコ猫」商標登録騒動から考える~」という論文を寄稿した。ここでは、2chのAAをCreative Commonsライセンスを適用することで改変や共有を自由に行うことを可能にし、なおかつ商業上の利用ニーズにも応えることができるのではないか、という主張を行っている。

    ※ただし、この論文には深刻な誤りがある。Creative Commonsは当該著作物に対しての所有権を前提としているため、所有権が未確定な状況のAAにCreative Commonsを適用することはできないのだ。つまり、もしAAをCreative Commonsの下で共有したい場合は、いったんAAの所有権を2ch(ひろゆき君)に移転して所有権を確定させ、その上でひろゆき君がCreative Commonsに則って共有ライセンスの設定を行う、という手順が必要となる。(それでも元になったAAの翻案権侵害(著作権法27/28条)になるおそれがある)詳しくは「ギコ猫論文ver2を巡る言い訳」を参照。

  • *3 当日版権システムにも抜け穴がある。皮肉なことにインターネットだ。(インターネットは何にしても破壊的なツールである)容易に想像できると思うのだが、ワンフェスで買った当日版権商品を、後日ヤフオク等で転売してしまうのだ。この行為はルール違反なのだが、実際には後を絶たないので、海洋堂は「当日版権システムを危機に陥れており、ワンフェスの存続が危ぶまれる」としてユーザの意識向上を訴え続けている。

This work is licensed under a Creative Commons License.

2003年5月21日掲載

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