企業の社会的責任と新たな資金の流れに関する研究会

第5回研究会

実施報告

  • 日時:2003年6月16日
  • 場所:独立行政法人経済産業研究所1121会議室
  • 参加者

議事録

[質疑応答]【熊野報告について】

中井:
日本の1990年代は、個人はとても賢くて、リスクを取らない個人が正解であったという印象がある。米国の1990年代とは投資の盛り上がりという点でまったく背景が違う。米国の90年代に関していえば、401kが大きな意味を持っていて、この年金資金が株式投資にまわったこと、個人の投資啓蒙をもたらしたことがあげられる。日本ではこれから401kが動こうとしているので、その意味で期待感はある。

贈与金融資産に株式含み損を通算するという提案があったが、それは相続時点の価格でという意味か。通算の意味について教えてほし。

熊野:
日本の90年代を見ると、リスクを取らない個人が正解だったのではないかという指摘については、資産運用という点ではそのとおりだと思う。しかしそこに問題が残されていて、損得ではなくて投資をすることに対して身に付くもの、またそれから得られる満足やその機会を失っているかもしれない。

米国の事例について401kが原因であるというご指摘もその通りだと思う。米国では401kを通して投資家教育が非常に進んだ。しかし残念ながら、わが国では401kというのは、なかなかそこまでいっていない。むしろ401kを通じた投資家教育にはあまり目が向いていないというところに、今後の日本の401kに少し不安がある。

「通算」の意味は、相続時よりむしろ、若い世代に高齢世代が生前贈与する時をイメージしている。若い人に金融資産を贈与する時に、株を若い人たちに移転するための1つの便法として、贈与しようという時にそこで確定して、含み損を資産に通算して移すと課税対象額が低くなるので、贈与税を軽減できるということを考えている。

水口:
事業法人が資金の取り手から脱しているという説明があったが、この解釈というのは、事業法人の側で事業機会がなくなっていく。事業の機会がなくなっているからお金が余って、それが国債などのほうに動いているようにも見えるのだが、そこの解釈についてどのように考えられているのか。

また、金融機関のバランスシートが改善すれば、個人マネーは銀行にお金を回して、そこから事業法人にお金が回るという従来型の流れを回復するという可能性が理論的には考えられるが、現実にはそういうことはありえないので、今後は国内の金融機関の役割はどんどん下がっていって、個人がリスクを取っていくべきだというふうに考えているのか。

熊野:
金融制約なのか投資機会がないのかという問題については、資金需要がないのかというと、必ずしもそうではなくて、必要なところにお金が回っていないということがある。仮にお金があったとしても、返済負担軽減のために返済にお金が向いているのではないか。

個人のリスクマネーを開拓しないといけないが、現実的にこれを開拓するのは、相当に腰を据えてやらないといけないので、短期的には難しいものと思う。株の形式にすると、投資先の情報の非対称性や先行きに対するリスクへの懸念があるので、むしろローンの形式で政府なりが元本保証する方法が短期的なやり方としては有望だと思う。

藤井:
専門家を信用できなくなっているというのが、この90年代の個人と金融機関、金融システムの関係ではないかと思う。これは日本的特殊性といえるかもしれないが、根本には素人はプロ以上にはリスクが取れない。そこで個人マネーも一定レベルは動くであろうが、基本は年金基金などの機関投資家のお金をいかに一定額、そういう方向に動かすか、そのための工夫がということが必要なのではないか。たとえば、新たにSRI投資を設定した都の教職員互助会の場合で、組合員にアンケートをすると、800億円くらいある資産のうちの中の20億くらいの一定額は、多少、利回りは下がっても社会にとって良いことに使ってほしいという声が上がり、それが投資拡大のインセンティブになっているという結果も出ている。

熊野:
専門家が取れないリスクを個人が取れるかという問題はそのとおりだと思う。ただ、専門家と一般個人の差が非常にあるかというと、そういうわけではない。問題があるとすれば「エージェンシー理論」でいわれるモラルハザードの発生だ。プリンシパルである個人はエージェントの投資家を選んで投資をしている。元本保証がある世界で、個人が投資家をあまりに信頼しすぎたために、投資家がリスキーな投資をやってしまった。つまり監視が届かなかった。

そこで、委託する個人の側も、自ら金融リテラシーなどのスキルを高めて、エージェントを厳しく監視する必要がある。預けたら預け放しではなくて、自分が預けたお金がきちんと有効に投資されているかどうか、そういうガバナンス機能を今後高めていかないといけないと思う。オリジネーション機能というのは、たぶんそういうことなのではないかと思う。高めた結果どういうことが起こるかというと、代理人の顔がもう少しはっきり見えてくるようになると思う。

その例として、「さわかみファンド」を挙げられるが、「さわかみファンド」は、26%がベンチマークで20%くらい負けているが、それでも人々はサワカミ・ファンドに投資する。これは委託する個人が「さわかみファンド」に対して監視能力がないからではなくて、「さわかみファンド」は時間軸で見てみると、ベンチマークに勝つ時はパフォーマンスを大きく上げる。だから投資家の方がスキルを高めて、「さわかみファンド」に預ければ、今は負けていても将来勝つということを知っているからだと思う。

加とう:
金融機関、特に銀行がリスクマネーを出しにくい理由としては、金融庁から行政指導される引当金と税効果会計の影響で本業をまともにできていないという状況とBIS基準にあると思う。現在、BIS基準の計算上で緩和されるというのが少し出はじめていると思うが、それについてリスクマネーの行き渡り方がどのくらい変わると考えられているか。

熊野:
銀行側の自己資本が少なすぎるということが問題だろう。BIS基準が1988年に導入されたが、この時は株の含み益が潤沢にあった。ところが株が下がってしまうと、含み益を使えなくなって過少資本になってしまった。それで何が起こるかというと、不良債権の3割部分が仮に毀損していたりすると、自己資本の部分にその損害が直撃する。すると、ますます自己資本が過少になってしまうので、本当は自己資本を潤沢に持っていなければいけないという趣旨でBIS規制が導入されたのだが、結果としては自己資本を増やす術がない銀行は、持久戦になってしまったということになる。

自己資本があったとしても、その自己資本だけに甘んじてしまうので、ビジネスモデル自体を変えないといけない。特に現在の日本は土地が下がっているので、地価が下がっている中で土地担保をやると、地価が下がると融資も下がってしまう。そこで、土地担保以外のところに価値を見出して、その価値が保全されるような形の融資をしないといけない。この問題は、SRIにも関わってきて、BIS基準の規制を一時的に外して、SRIのような融資をするということを考えるということも、1つの手だと思う。

新BIS基準については、中小企業が優遇されるかというと、貸出のリスク自体にリスク・ウエイトを乗じるので、どちらかというと不採算の分野の中小企業には融資が回りにくくなるのだろう。新BIS基準はむしろ、苦しくなることはあっても、楽になることはないというのが大きな流れなのではないか。

[質疑応答]【植杉報告について】

多賀:
CSR以外の社会的責任を果たす動きというより、本業自体が社会的な役割を果たす、社会的な課題を解決しようとする主体と言った方がイメージを持ちやすい。

田中:
通常、リスクマネーをどのように発達させるかというと、リスクがあるからにはリターンがあるから、リスクマネーが発達する。つまり、これは金利選好を促すという方向に進まざるを得なくなってしまう。それをSRI的に考えた時のリスクマネーを発達させるためには何があるかというと、リターンがあること、すなわち、社会貢献しているとか、正の方向での評価が受けられるというふうなことがあることがまず前提にならないと、リスクマネーがSRIの分野で発達してくるということが起こらなくなってしまう。

SRIを進めていく時には、リターンの部分がひとつのメルクマールとなってくると思う。そして、そのリターンというのは結局、自分自身がそれをやることによって評価されるなり、長期的な貢献があるなりという満足感であるだろう。そこに向けて進めていくためには、むしろ公的なセクターとしては、それが現実に評価されるということの側面的なバックアップをしてもらえると一番いいのかなという気がする。

自治体への寄付についての話では、私の利益、公の利益、共同の利益の3つで考えていくと、共益分野のお金があちこちで実は浮いてしまう。地域でリサイクルして利益が出た、自分たちで使うのはどうも気が引ける。そういう時にどうするかというと、自治体に寄付する。そこで、浮いている共益セクターの部分のお金を受け取れるような仕組みを作っていくこともSRIにつながっていく1つの手法になりうるのではないか。

水口:
田中さんに質問なのだが、その「評価される」というのは誰が誰を評価するのか。自分がよいことをしたということで自分が満足感を得ているとするならば、それ以外に何か評価が必要という意味なのか。

田中:
たとえば日本の場合は、京都議定書を結んでいるから、二酸化炭素の排出量を減らすのは良いことのはずである。ところが、まだオーソライズされていない。オーソライズされていたとすれば、炭素税が入るなり、仕組みの上できちんとしたものが入っていなければいけない。ところが今は公的な観点で言うと、そこまでオーソライズされていないから、あくまで共益的な観念で、「私たちはこれがよいことだと思ってやっています」というアピールとしてやっているに過ぎない。そういう意味でいえば、共同の利益ではなく、地球温暖化を防止するということが公的な観点でも大事なのだというところまでグレードアップさせることができたとしたら、もっと進められるだろうということである。

村田:
CSRもしくはSRIは、投資に偏ってもいいのだろうか。熊野さんの話を聞いていると、リスクマネーと言われているのは、別に消費でもいいのではないかと思えてきた。問題なのは、その消費のリターンが何かということがある。仮にリターンが何が社会的なよいものかとして、マネーフローという観点で見ることが必要なのではないか。また、研究会の方向性としては、現状追認型で、工夫の余地のところで議論するのか、もしくはもう少し大きな話をするのかということについて、ある程度明確化したほうが良いと思う。

植杉:
大きな話をすることを考えている。一方、年金法の改正などを言うことは簡単だが、それで実際に世の中が動くかという問題がある。経済産業省としては、それができればいいとは思って提言するが、できないものは当然できないわけで、できる範囲で政策をやっていこうというのが私たちのとりあえず今のところのスタンスだ。

村田:
資金の出し手を機能別に議論するということであれば、もう少し具体的なところでの議論をかなり詰める必要があって、そこでマクロで工夫の余地はないか、ミクロで工夫の余地はないのかという議論が必要と思う。たとえばマクロで見るなら、投資ではなく消費という観点で、消費をもう少しうまく工夫できないかという問題があると思う。

山崎:
定義をしっかりと詰めないといけないと思う。この研究会で言われているCSR、SRIの定義がつかみにくい。また、機関投資家と金融機関も違う。こうした定義をしっかりしておかないと、全体的に散漫となってしまうのではないか。

植杉:
今回の叩き台を作る時に、「社会的に必要とされているものを実施する」という言葉に相当するものは何が一番適切なのかということでいろいろ悩んだが、新しい言葉を使うと理解してくれないかもしれないので、とりあえずCSR、SRIという言葉を使った。もし良い言葉があったら教えてほしい。

水口:
まず、どのくらい縦割りが続くのかという疑問がある。経済産業省の施策としてできること、政府としてやること。たとえば、省庁横断的に検討すべきこと、財務省や厚生労働省などとも合わせて研究すべきようなテーマとかも出てきてもしかるべきではないか。

また、SRIを利用していかにリスクマネーを流すかとか、経済を活性化するかという方向に議論が向いているが、SRIにとっては社会的な効果が重要なので、SRIというものが導入されることによって、社会がどう良くなるかという社会的な効果に触れていただきたい。

最後に、株式投資だけではないということでコミュニティ投資の紹介もあったが、米国ではSRIの分野として株主提案とか、議決権行使がある。たとえば、受託者責任とは何かというような議論があってもいいのではないか。

植杉:
議決権行使については、取り扱わないということではなく、今後、考察をしていきたいと考えている。また、省庁の縦割りという問題については、できることはできることとしてやりたいと考えているし、言うだけで終わりそうなことであっても、それが私たちの勉強の成果として必要だということであれば、報告書の中に盛り込みたいと思っている。

福永:
なぜこの研究会を経済産業研究所でやっているのかというと、経済産業省でやっても縦割りとかそういうことはないが、堅苦しい議論になってしまうかなという思いがあった。そこで、より広い参加者の方に参画してもらって、その実態を踏まえたような自由な議論をしていただきたいという思いがある。その中で、忌憚のないご意見をいただけることこそが、この研究会にとってはたぶん良いことだと思う。

CSRと言っても、それをどのように具体的にこの国の経済にとって、あるいは社会にとって落としていくのかという、これまで見えなかった方向性を、議論していただきたいと思っていたという意味では、忌憚のないご意見をたくさん頂いたので、良かったと思う。

これからオーガナイズする過程では、しかるべき議論を踏まえてオーガナイズし、政策に落としていくという点で、経済産業省のスタッフからも提案していくことになるのではないか。

また、熊野さんのお話へのコメントだが、熊野さんが引いていない内閣府のアンケートを見てみると、株式と国債や投資信託などをいろいろと比べてみると、その中では株式をやりたいと言う人が一番多い。少なくとも1割の人は、将来的には株式をやりたいと書いている。国債を買いたいと言う人は、2、3%しかいない。むしろそこはグッドサイドを見るべきかもしれないが、そこに何があるのか、ということも興味深い。

川村:
言葉の定義、言葉遣いをしっかりとしないといけない。現在の研究のテーマでは、エコファンドやSRIファンドのような狭い意味のCSRなりSRIは入ってくるかもしれないが、基本的には従来型のSRIはここには来ていないと思う。

田中:
この研究会のテーマは、経済活性化の新たな方策ということが中心なのかなと思う。その方向性の1つとして、SRIなどの方向性をにらんでいるのかなという形での受け止め方で、これまで参加してきている。そうであったとしても、私たちの側からすると差し支えない。なぜならば、私たちはそこに1つの経済活性化のモデルがありうると思っているからだ。

植杉:
皆さんから頂いているコメントのかなりの部分は、リターンを上げられるかという話と、社会的に必要だということのバランスの議論だと思う。その点に関してはできるだけ具体的な議論に落としていって、それぞれの事業はリターンが上がるからいいのか、それとも社会的に必要だからいいのかというような整理ができればいいのかなと考えている。

横山:
いろいろな主体を整理してみると、企業だけではなく、各主体がどのような行動をとっているのかについて考えていくことも重要だろうということで、広がりが出てきたのだろうと思う。

私は、各主体の情報制約みたいなものについて興味を持っている。情報の非対称性ということを考えたとき、公共選択論で言われているような「合理的無知」つまり情報を獲得するインセンティブを持たない主体がいる一方で、意識的に情報を持つようなモチベーションを持った主体もいる。この辺りの区別も重要なのではないか。

この研究会が経済の活性化のための研究会という位置付けなのかどうかということについては、私はそうではないのではないかと思っている。もう少し骨太の考えが元々あったのではないかと思っているので、その辺りも含めて事務局が整理してくださるのではないかと期待している。