小林慶一郎(経済産業研究所)研究員との対談
日本経済の現状の認識
飯尾:
日本の経済政策をめぐる要素で重要だと思われること、たとえば、デフレとか、不良債権など、それらの要素を幾つぐらい挙げればいいのかということをお伺いしたいと思います。また、それらの相互の関係についてもお話いただけますでしょうか。
小林:
考えなければいけない論点としては、やはり、デフレと不良債権です。これは不良債権という言葉がいいのか、もしくは、私が最近使おうとしているのは、銀行の過小資本の問題です。デフレとこの銀行の過小資本の関係は、一種の悪循環のようなもので、セットになっていると認識しています。要するに、銀行が過小資本だから、資産の投げ売りのような状態になって、デフレが進行する。それによって、より債務の負担が大きくなって、資本が過小になってくる、こういうメカニズムです。
この点は民間部門の話で、公的部門の話として、第3の点、財政の問題があります。財政が非常に悪くなっているという要素があります。そして、第4の点として、社会的な問題、人口学的な問題として少子高齢化が進んでいるということがありますね。
一番深刻なのは、人の問題で、100人が仕事をしたいというときに、90人分しか仕事がない状態なわけさらに、もう1つ、別の要素と考えるべきなのかどうかあまり確信が持てないのですが、第5に、生産性の低下、潜在成長率の低下という問題があります。ただこれは、私自身は、不良債権という銀行の問題とデフレの悪循環の中で実体経済が悪くなるということの結果として起こっているのではないかなと思っております。
これら5つぐらいの問題点があって、それを巡ってどうするかということが、経済政策の中身としては必要になってくるだろうと思っています。
飯尾:
経済政策の議論でよく使われる概念の吟味をしているのですが、それぞれの要素についての位置づけというのが異なり、結論が異なってくるのではないかと感じてきております。そこで、たとえば構造改革というのは、考え方としては長期的な生産性が向上しないこと、そういう状態を変えようという政策をいうのか、もっと広い範囲をとるのかという点では、大体どのような使い方として考えておられますか。
小林:
それは人によってものすごく開きがあります。ただ、今、小泉政権が進めようとしている構造改革というものは、内容的には2つに分けなければいけないと思っています。1つは、財政の緊縮だとか、特殊法人の改革などの行政改革によって、さまざまな無駄を省き、財政規律の確立と向上を目指していくということです。無駄を省くことで、生産性も上げていくということだと認識しています。
もう1つは、先ほどのデフレと不良債権の問題を解消していくために、特に金融庁などで行われているような、銀行の資産査定を厳しくし、必要があれば公的資金も使い、銀行の資本を増強していくという一連の政策があります。これは構造改革というのか、いわないのか、これも人によって異なります。
飯尾:
後のものは、金融業の再生ということでしょうか。
小林:
金融再生ということです。金融再生とそれから債務者も含めて考えると産業再生ということにもなります。金融再生、産業再生を一体的に考えるということです。
飯尾:
それは、生産性をどうこうするとかいう話とは異なるタイプの話ですか。
小林:
ええ、経済が通常の状態で生産性を上げていくとか、規制緩和やさまざまな無駄を省くことによって、生産性を上げていこうということとは、少し違う話ですね。そういう意味では、過小資本に陥っているという現状を直して、それから、それを通じて進行しているデフレを解消させるという政策ですから、それをやる、やらないのと独立に生産性を上げるための規制緩和とかいうことは、また別途あるし、それはそれで独立にやっていけばいいと考えています。結局、小泉政権はそれらの全部をまとめて構造改革と呼んでいるように思います。
デフレについて
飯尾:
それでは、順番にお伺いしたいと思います。デフレというのは、定義としてどのようにお考えですか。
小林:
2種類のデフレがあり、資産価格のデフレと一般物価のデフレというものがあります。どちらを問題視するかということについても、やはり人によって異なりますが、銀行の過小資本との絡みでいえば、どちらかといえば、資産価格のデフレが非常に悪循環を構成しているということだと思います。資産価格のデフレを通じて、企業活動とか消費者の消費が抑えられることによって波及的に一般物価も下がってきている、このような構造になっているのではないでしょうか。
飯尾:
それでは、資産デフレについてお伺いしますが、これも少し難しくて、学者の方によって、資産デフレということを定義上言及なされない方もいるので、少し不思議だなと思っていました。資産デフレが一般物価のデフレも引き起こしていると、こういう順番だと考えておられるということでしょうか。
小林:
ええ。私はそのように考えています。
飯尾:
このことと、通常いわれる、デフレというのは「貨幣的な現象」ということから、相対価格と絶対価格を区別しなければいけないということを経済学者の方はおっしゃっていますが、このことはどのように考えればよろしいのでしょうか。
小林:
その点について、正直申し上げて私もよくわからないんです。高名な先生方がそういうことをおっしゃられていますが、絶対価格と相対価格の絶対価格といったときに、まずそれは、資産価格を外した一般物価のことをいっていると私は理解しています。その一般物価の中に、さまざまな商品やサービスがあり、その間の相対的な価格のことを相対価格と呼んでいるのだろうと理解しています。
飯尾:
人々がモノを購入するときに、一般的な財を買うこともあれば、資産を購入することもありますよね。その間に選択関係があるということは、相対的な関係が成立するのに、絶対価格を考える際には、その一部のものを排除して絶対価格ということは可能なのだろうかと疑問に思ってしまうのですが。
小林:
これは、教科書的な純粋な新古典派経済学の世界では、資産というのはサービスのフローを供給しています。つまり、資産から何か商品が生み出されていて、それが、毎年あるいは毎月売られている。たとえば、資産が土地だと考えれば、土地から農産物が生まれてそこから地代が支払われる。ビルであれば、そこから家賃収入が入ってくるということです。家賃収入というのは、結局はフローとして一般物価の構成物ということになります。
このような収益還元法によって見れば、資産価格ということを考える必要はありません。家賃などのフローの価格から自動的に資産価格というものが決定されます。結局、サービスのフローの価格がこれから将来、どのように変動していくかということによって資産価格は自動的に決まってしまうので、改めて考える必要はないということになります。
ただ、資産価格と一般のフローの間の関係式というのは、今述べた教科書の中の世界で考えたような収益還元以外の関係式というのは理論化されていません。だから、現実には全くバラバラに動いているわけですが、それをうまく説明できる理論というのは、現在あまり存在しません。もちろん、ファイナンスの理論なんかでも、アセットプライスセオリーというのがあって、複雑な数式を使って、こういう計算式に資産価格が従うはずだというモデルは、いろいろと提案されております。そのため、株価とか債券価格を説明する理論というのは、さまざまにあります。しかし、結局、現実のマーケットの動きをそれほどうまくは説明しきれないというのが現状です。
飯尾:
そういう点からいうと、そこに1つ問題があって、経済のモデルの適用の仕方に、少しひずみが起こっているかなと思うのです。資産価格が合理的だとすると、収益を予測して、きちんとした資産価格が出てくるはずですよね。それができないのは、どういう理屈なのだろうかと思いまして。
小林:
それは多分、流動性の需要が高まっていることによって資産価格が収益還元で計算される値より低くなっているということによるのだろうと思います。
飯尾:
そういうことは、今の経済理論の中では織り込み済みなのでしょうか。
小林:
いや、むしろ、そういう流動性に対する需要が増えるのはどういう場合なのかとか、あるいは、そういう需要が増えた場合に資産価格がどう影響を受けるかという現象を、今、さまざまな経済学者が理論化しようとしているというところでしょう。
飯尾:
ただ、そこの部分の理論が確立していないかというと、先ほどの資産価格も、収益還元で確定するのだからデフレということについても一般物価に代表させたらよいという理論は、必ずしも完全だとはいえないという結論になりますね。
小林:
確かにそう思います。流動性需要、つまり現金に対する需要が高まってしまった場合に、資産価格と一般物価の間には相当歪みが生じるでしょう。
金融政策について
飯尾:
だからこそ、デフレが深まっているのに、それを前提としない理論を用いてそれを解決しようというのは難しいかなという気がするのですが。
小林:
ただ、そういう流動性の制約を受けて資産価格と一般物価の関係に歪みが生じていても、一般物価の中の相対価格が仮にどう動いたとしても、紙幣を大量に供給しさえすれば必ずインフレになるというのは確かにステートメントとしては正しいと思います。しかし、その際に生じる実体経済への副作用や弊害もきちんと評価する必要があるということなのではないでしょうか。
飯尾:
たとえば、日銀は十分な緩和をしているといい、それを批判している人は全然緩和していないではないかというというのは、これは何を増やした、努力をしたということになるということの定義が違っているからなのでしょうか。
小林:
何をというより、相手先ですね。誰に対してかということです。日銀が供給するものとしては現金、紙幣ですね。これを供給するということに、意見の相違はないと思いますが、今のところ、日銀が行っていることは、民間の銀行に対して貸し付ける形での現金の供給です。これ以上のことはあまりしません。もっとインフレを起こすべきだという人は、対銀行ではなくてもいいではないか、他の通常の一般企業、一般家計を相手に資産を日銀が買うとか、あるいは資産を担保に貸し付けるとかいうことをやればいいのではないかと言っています。
飯尾:
そうすると、日銀の国債引き受けは、どういう意味があるのでしょうか。日銀が引き受けるといっても、もうやっているのだという人と、いや、そうともいえないという人がいたのですが、どのようにお考えですか。
小林:
これは、どうですかね。かなりの程度、日銀は国債の保有量を増やしていますね。レポオペ(国債借入オペ)とかで、買い戻し契約つきというのもありますが。日銀の買い切り、つまり、国債の満期まで買ってもう売り戻さないという形での保有量も、相当、増えているはずです。それをもっと倍にしろとか、3倍にしろとかいってしまえば、それはそれである話だとは思いますが。今、日銀は80兆とかそのぐらいの国債を保有していますよね。発行残高自体は三百何十兆、400兆ぐらいありますから、それを増やす気になれば、幾らでも増やすことはできるでしょう。200兆でも、300兆でも、日銀が買うことはできますね。そうすれば、現金がどんどん出ていくということになりますので、いずれは効果は出てくるでしょう。
飯尾:
基本的には、日銀のそういう通常のオペレーションで、デフレというのは止められるわけですか。
小林:
いや、そこは、どのぐらいの現金を供給するかによるのではないかと思いますが、民間銀行システムに問題がおきないだろうか、と考えています。予想がつきませんね。
普通の国民からして、今、銀行預金よりも現金を保有したいという現金に対する需要が増えています。恐らく、これはゼロ金利のもとで生じていることです。
現金を増やすことで、それが経済全体でどのぐらい預金通貨を増やしていくかということを考えると、今、この2000年から現在まで、日銀の現金供給は相当増えていますが、それを打ち消すように、M2+CDなんかは、どんどん減少する傾向にあり、信用乗数は小さくなっていく傾向にあります。日銀が現金供給する効果がほとんどあらわれないという現状があります。ですから、これを、現金供給を2倍にすれば、M2+CDも増えるのかどうかということについては疑問が残ります。まあ、増えるかもしれないし、あるいは信用乗数がもっと落ちてしまうかもしれません。
信用乗数は確か、ピークが約13で、今は7とか8ぐらいです。日銀が現金を1単位供給すれば、7単位ぐらいのM2+CDになるということです。信用乗数は、どんなに下がっても、1以下にはなりません。ですから、信用乗数が1に下がったとしても、負けずに、どんどん現金を供給し続ければ、最終的には、貨幣の量はそれに応じて増えていきます。それは、要するに、世の中の誰も銀行預金を持たずに、全ての人、企業は現金によって決済している世界になるわけですが、そこまですればインフレにできないことはないでしょう。
飯尾:
しかし、信用乗数は上下するもので、これ以上現金の供給を増やしても貨幣が必ずしもそれほど増加しないというのはどういうことでしょう。結局、供給すればするほど信用乗数は減るという経験的なもしくは理論的な関係があるのでしょうか。
小林:
しっかりとした理論はまだできていないと思いますが、要するに、民間の銀行が過小資本によって貸し出しができないということです。それから、民間銀行に対して、預金という形で資産を預けておこうという企業や個人が、今、もちろん預けていますけれども、昔に比べれば減ってきている。だから、たんす預金で1000万とか2000万持っている人が結構増えています。高齢者の家計などで、増えていますし、あるいは企業でも、現金を金庫に入れて銀行に預けずに置いておくという企業も増えておりますから。統計上見ても、そのようなことが観察されます。
日銀が現金、マネタリーベースというものを、90年代以降、増やしてきているわけですが、民間の銀行部門に滞留している現金の量というのは減ってきています。だから、この差額の分というのは、恐らく、企業かあるいは家計に蓄積されているという傾向が強まっていることによると思います。健在な経済であれば、企業も家計も、それほどたくさん貨幣というか紙幣を常に持ち歩くということは危険ですから、大体銀行に預けるのですが、今はそうはなっていないということです。
飯尾:
そこの部分が、やはり問題として一番大きいわけですか。
小林:
デフレの要因としてはそうです。ゼロ金利のもとでデフレが続けば、現金を持っていることは、銀行へ預けるのと変わらず、機会コストがありません。ですから、現金で持っていることが合理的だということになります。そういう意味では、銀行の活動がもっと活発になるような健全な資本を再建するということの方が、デフレと過小資本の悪循環を脱するにはいいのではないでしょうか。
飯尾:
しばしば日銀が通貨供給を増やし過ぎるのはハイパーインフレーションを招くという人がいますが、この根拠がよく分からなかったのですが、信用乗数というのは下がっていくけれども、逆に、反転することもあり、反転した時にはその上昇を上回る速度で通貨を回収することは難しいということを意味しているのですか。
小林:
直感的にはそういうことですね。もし、みんながインフレ期待を急に持つようになれば、信用乗数がバッと上昇するわけです。
ただ、回収するのが難しいかどうかは分かりません。回収する時には、銀行に対して国債を売らなければならないわけです。あるいは、日銀が操作できる短期金利を上げるということです。短期金利を上げることで、貨幣が信用創造されていくのを止めるという方法です。それから銀行は準備預金を置いておかなければならないわけですが、その準備預金の準備率を上げてしまうと、貸したくても貸せなくなります。だから、そういう方法によって、貨幣を収縮させることは可能だとは思います。
したがって、ハイパーインフレを止めることは可能かもしれませんが、そのときに、恐らく、信用創造のスピードにブレーキをかけるためには、金利を相当上げないといけなくなります。一挙に、5%、10%ぐらいに金利を上げなくてはいけません。とすると、それは企業の貸し出し金利にはね返ってきて、インフレが進む中で金利もバッと上がっていきます。そのような状況では、普通の中小企業なんかは破綻してしまうでしょう。
だから、そういう形でハイパーインフレを止めたとすると、企業破綻を激増させてしまう。そうすると、政治的にはもたないから、ハイパーインフレを止めるなという話になります。そうなれば、ハイパーインフレは止まらなくなる。止める手だてはあるけれども、あまりにも中小企業とかにとって負担が大きいものとなります。ハイパーインフレは一度起こしてしまうと、止められるとしてもものすごくコストがかかってしまうのです。
飯尾:
今、貨幣を大量に供給するとハイパーインフレが起こるという可能性はあると思われますか。
小林:
それもはっきりわかりませんが、まあ、なくはないと思います。やはり、人々の予想が急に反転すれば考えられるでしょう。
そういう意味では、2%、3%、安定したインフレを持続させるのは相当難しいのではないかという気はします。急に人々の期待が変化してしまってハイパーインフレになるかもしれない。その時にインフレを抑えるためには、先ほど申し上げたように、ものすごく金利を上げなければなりません。インフレ率を操作はできるかもしれないけれど、その間、金利がものすごく変動したりして、企業の経済活動が大きな破綻だとか、そういうコストを被ることになるという気がします。そういう意味で、日銀の金融政策だけでインフレ率を何とかしようというのは、難しいのではないでしょうか。
飯尾:
一橋大学の齊藤誠先生に話を伺ったときに、彼が仮説だけれどもと提案していらっしゃったのは、通貨供給量を増やしながら0.5%程度、わずかに利率を上げることによって、現金を持っているコスト意識のようなものをつくってやれば、デフレは解消の方向に向かうのではないかということなのですが、この方法については、どのようにお考えになりますか。
小林:
それには比較的賛同します。デフレがなぜ起きているのかという原因として、ゼロ金利が相当効いているのだという気はしています。ただ、何でゼロ金利を今やっているかといえば、それは結局、銀行が過小資本だからであり、金利を上げてしまうと、銀行とか、あるいは銀行からお金を借りている貸出先がもたないからというわけです。だから、無理をしてゼロ金利にしているわけです。
飯尾:
では、齊藤案を実現するためには、過小資本解消のための政策とセットでないと成り立たないだろうと。
小林:
そうでないと、銀行が大変苦しくなってしまうと思います。つまり、ゼロ金利というのは、銀行に対する貸し出しの金利がゼロということですから。今、企業向けの金利を結構高く取っていて、その差額でかなり儲けているわけですが。それでも、不良債権処理で苦しくて、銀行は赤字をどんどん出しています。だから、銀行の資金調達の部分の金利を上げてしまうということは、その前に銀行が耐えられるだけの体力をつけさせないともたないのではないかと思います。
銀行への公的資本の注入について
飯尾:
それでは、デフレを解決するためには、基本的には、金融システム正常化によって、銀行の貸し出し機能を高めなければいけない。そのためには、銀行の資本強化をしなければいけないということですよね。具体的には、それはどのように実行すべきことなのでしょうか。
小林:
資本の増強は、理想的にはマーケットで増資をするということなのですが、2つの障害があります。1つは、今、投資をするということがマイナスの現在価値になっているのではないかという懸念です。そのため、投資家が増資には応じないということがあります。それから、もう1つは、仮に銀行の企業価値がまだマイナスではないにしても、銀行の持っている資産は企業向けの貸し出しですから、その価値がどのぐらいあるか、その銀行に投資しようという投資家からは分かりようがないわけです。したがって、その銀行の価値が本当はプラスであったとしても、投資家は疑心暗鬼に駆られてしまいます。経済状況が非常によければ、仮によく分からなくても投資をするということはあり得ますが、現在はそういう状態ではありません。
そういう意味で、銀行が独力で、自己努力で資本を増強するのは相当難しいということも考えると、銀行の資産査定を厳格化して、税効果会計についても算定の年限なんかをもう少し厳し目に見るということによって、税効果会計を減らし、結果的に、政府が出資をする形で資本増強するというのが、一番素直なやり方ではないかなと思います。
飯尾:
基本的なことで大変申しわけありませんが、公的に資本注入するということは、投資家がしっかりと出資していれば、銀行業も立ち直ってよいのだけれども、これは銀行業の特殊性によって、個別の銀行に投資するというインセンティブは働かないので、日本全体の銀行業、金融業が立ち直るためには、誰かが出資しなければいけない。そのためには、国のお金を用いることがいい。しかも、それが成功した暁にはもちろん銀行の価値は上がる。そうすれば、儲かるわけだから、資金を出しっぱなしというものでもないし、マクロ状況の管理さえできれば、結果として、デフレを止めて、銀行業が儲かる状況をつくり出せれば、国は損することはない。しかも、そのコントロール権は国にあればこれはできることだと、この政策の正当化としてはこのように解釈するわけですか。
小林:
それは、正当化する議論の1つですね。民間の銀行業全体として、その価値がマイナスになっていない状態ではそういう議論が成り立ちます。しかし、もう1つの問題として、ひょっとしたら、銀行業全体としての価値はマイナスかもしれません。そうすると、その場合にどういう理屈になるかといえば、結局、今銀行に対して、出資している株主か預金者が損失を被らないと、つじつまが合わない状況になっているということです。
日本政府の政策としては、預金者に損失は被らせないということが、これは経済学としてではなく、政治的判断としてあるわけです。それを前提にすれば、銀行の株主価値がゼロまでなったとしても、それでもまだ価値がマイナスだという時には、国がその分を被るしかないという理屈になってくるわけです。それは返ってくるお金ではないわけですが、これは国の政策判断として、預金者に預金カットの形で直接損失を負わせないという判断をしているのであれば、納税者がかわりに損失を被る形でやるしかないという考え方です。
いずれにしても、銀行がネガティブな価値であるにしても、ポジティブな価値であるにしても、そういう2つの議論で、公的資金による増資というのが正当化できるのではないかと思っています。
飯尾:
ただ後の考え方の場合には、政策的には実は不良債権は不良預金だといって、預金者にコストを負担させるか、納税者にコストを負担させるかというのは、政策的な選択肢としては潜在的にはあるはずだと思いますが。
小林:
経済学的には、必ずしも国が負担しなければいけないという理屈は全くありませんから、預金者に負担してもらった方が良いのではないかという議論は、当然あり得ますし、戦後の日本もそうしたわけです。アルゼンチンなんかも、そうしてきました。
実は、その結果として経済全体がパニックに陥るような、何かものすごいネガティブな効果があったかというと、そうではなかったわけです。だから、預金者に直接負担を負わせることによって預金者は損をしましたが、それ以上のネガティブな効果が波及していくことはなかったわけで、そういう意味からすると、別に、今の日本でも預金者に直接損してもらうというのはあり得る選択肢ですね。
ただ、当然、コストの負担者は変わってきます。もちろん、マクロ的には日本人が持つということは変わりませんが、どの世帯にその負担が行くかということは異なってきます。預金カットであれば、労働者、ブルーカラーよりは、どっちかというと裕福な層が被ることになります。
飯尾:
裕福な層と、恐らく年齢が高い層が負担を持つ。国債を発行した場合には、将来の租税に転嫁されて、若い世代に負担がいくわけですよね。消費税を上げるという方法も、かなり幅広く負担を負ってもらうということから、選択肢としては、ある程度、現実的ではないかと考えたりもします。
小林:
どの政策がいいかということについては、本当は、分配政策の観点から議論した方がいい議論になるのではないかと思います。
飯尾:
負担の議論に関連して、しばしば、調整インフレ論のようなものもありますよね。デフレを止める以上に、もっと上に持っていこうという方もいらっしゃいます。恐らく、インフレという形で、そのようなコストを吸収しようということだと考えてよろしいですか。
小林:
日本の政治家なんかに人気がある議論というのは、そういうことですね。しかし、インフレは、どちらかというと債務を背負った人に所得移転をしていくということです。要するに、政府部門と企業部門に家計部門から所得移転をしてもらうという政策ですね。これは、国会の了承を得ないでやれるという非常に魅力的なやり方だと。
飯尾:
ただ、ある人にいわせれば、デフレというのは、今はもう止められない状況になっているということをおっしゃります。たとえば、中国ファクターなどによって、国外要因が国内化することは止められないという説ですが、そういうお考えというのは、いかがでしょうか。
小林:
それはどうでしょうか。70年代以降は、一応、金本位制のようなことから外れているわけですから、貨幣を幾らでも増やすことはできます。各国の政府が一斉に貨幣をどんどん増やせば、たとえ中国がどんなに供給力を増やしたとしても、名目の価格を上げるということはできるような気がします。だから、そういう意味では、世界経済のグローバルな競争の結果とか、あるいは中国が出てきたからということだけで、デフレは不可避だとはいえませんが、ただ、そういう影響をうまく中立化するような貨幣政策とか、為替管理が今できていないというのは、その通りであり、それでデフレは続いているということだと思います。
確かに、中国だとか旧共産圏の供給量が増えて、それが商品の価格を下げているといえばそうなのですが、ただ、商品の価格が下がっても、各国の政府が現金を供給する量をどんどん増やし、各国の金融システムがうまく信用創造をしていれば、回り回って、中国やインドが生産できない国内の他の財の価格が高くなり、結果的に、物価水準全体は、上がるというようになるはずだとは思います。
飯尾:
それは、何か増やせない理由があるからなのでしょうか。あるいは、どこかで吸収されてしまっているというところがあるのでしょうか。
小林:
1つの可能性としては、国債のような、一般物価と関係のない変な資産の市場にマネーが吸収されてしまうという傾向が止められずに、一般物価が上がらないという可能性があります。何となくその方が、もっともらしい感じがします。ただ、その点は、まだ経済理論としてうまく理論化はできていない世界です。
飯尾:
それでは、今、過小資本を解消するために資本を注入したときに、銀行は立ち直るのでしょうか。注入された資本が、国債のような妙な資産に変わるだけという心配はないのでしょうか。
小林:
その可能性はかなりあると思います。ですから、銀行のオペレーションを、ある程度変えていかないといけません。
ただ、そこは非常に難しい問題だと思います。どういうふうにしたらいいのかというのは、ちょっとまだわかりません。ただ、日本の銀行の収益の源泉としては、恐らく、中小企業向けとか、あるいはベンチャー向けの貸し出しから収益を得ていくしかないはずだろうと思っています。大企業は、エクイティーでファイナンスできてしまうわけですから、銀行は、まず貸し出しを中小企業やベンチャーに対して行えるようにする。その貸し出した後の貸出債権を、どうやってリスク管理するかというところに、さまざまな証券化の手法とかいうのを使って管理することをやっていかなくてはいけないだろうと思います。
そうすると、今までの銀行業というよりは、むしろ、何かシリコンバレーのベンチャーキャピタルに近いようなものとかになります。
飯尾:
国の政策としては、本当は、銀行を分解したら助けてあげますという政策をとらなければいけないということですか。
小林:
分解するだけではなくて、その組織のオペレーションも、しっかりとやらなければいけないと思います。私は、地銀などをどんどん合併させるということについては疑問を感じます。個々の企業に対するモニターということを考えても、やはり、特に中小企業向けとか、ベンチャー向けというのは、人手が要るわけです。だから、合併して支店の数を減らすとか、人員を減らすというのは、逆になってしまうのだと思います。
飯尾:
しかし、合併して人の数を減らさないとリストラもできないから、収益が上がらないという、矛盾した構造になりますね。
小林:
合併をさせることの1つの目的として、資本注入をするための口実として、合併させて、リストラをさせたのだから、資本注入してやろうということになっています。しかし、それはどうなのかなという気がします。資本注入するならするで、あるいは破綻処理するならするで、さっさとやってしまって、むしろ、小さな地域の金融機関をもっとたくさん作っていくという方が、おそらく将来性があると思います。
飯尾:
そうすると、お金さえ入れてやれば解決というほど単純なものではないということですね。もう少し具体的な話をお聞きしますが、この注入をするということは、基本的には国有化ということを意味するわけでしょうか。これは、発表する前に実行しないと駄目になるタイプの政策ですよね。これは政治学者にとってはつらいのです。どこに正当性をつけて実行させてやるかということを少し考えないといけませんから、そこに知恵を絞りたいと思っています。
資本注入するためには、資本注入先のねらった銀行は逃げられないようにしなくてはいけないということについては賛成ですか。
小林:
銀行に対する検査などを厳しくして資本注入の申請に追い込んでいくか、強制注入でないと駄目だろうという気がしています。時間が長引くと銀行は悪あがきをしてしまうわけです。幾らでも時間を引き延ばして悪あがきをする。その分、経済のダメージは大きくなります。
銀行の株主価値が、もうほとんどマイナスかゼロになっており、株主あるいは現経営陣というのは預金者の負担のもとにギャンブルをせざるを得ない状況になっているとすると、無理なことをして、成功すれば現経営陣あるいは現状の株主の利益が生まれるかもしれないし、失敗しても預金者が負担するだけと、こういう構図になってしまいます。まさに、教科書にあるような典型的なモラルハザードになるわけです。
飯尾:
預金保護で保証をつけているということは、税金の裏づけがあるわけだから、それを預金保証していることを担保というか、根拠に、強制的に注入して、その状況を一挙に介入してしまうということでしょうね。
預金保護をなくすか、銀行に強制注入するか、どちらか選んでくれというと、恐らく、普通の預金者たちは、保護を外してくれとはいわないから、強制注入に賛成するというので正当性を担保するのが、一番よろしいのではないでしょうか。
小林:
おそらくそうかもしれませんね。
飯尾:
私の考えからいうと、どちらがよいか分からないことは、民主主義ですから、選挙で決めるということになりますね。これは時間もかかるし、実は大変ですが、どっちでもいいことは、選挙で決めなさいと、私は主張しているわけです。
ただ、今伺っているのは、どっちでもいいことではなくて、必然的に、結論が与えられるという根拠がないと、一挙にパンとやるということはできないだろうと思い、そのことの区別が十分でない中で金融改革をなさろうとしているので、どうも思い切ったことができていないのではないかと考えています。
そこで、多くの方に、「デフレは悪ですか」とか、いろいろ聞いているわけです。悪だと決まれば、それを止めるために必要だということ、確立された手段については、選挙で真意を問わなくても、超党派的な合意を取りつけてやるべきだと私自身は考えておりまして、それを党派対立のものに持ち込んでみたり、いろんなことをすることによって、問題解決から遠くなっていくと考えています。
小林:
金融の問題というのは、確かに、党派の対立に使われると結構失敗するというのは、各国で起こっていることです。スウェーデンなんかでは、超党派のある種合意ができたがために、かなり早く動きが出てきたということですから、そういう意味で難しいのは、超党派で合意するためには、情報として、銀行が過小資本で、もうほとんど資本の価値はゼロなのかということを、ある程度当局が知った上で、政治家も含めて合意しなければいけないのですが、今のところ、何かもたもたしていて、そこがなかなか分からないということですよね。
飯尾:
ただ、枠組みとして、過小であることが分かったときには、これをとり得るということは、あらかじめ、皆、合意しておいて、ある人にその判断権を与えて、独立性のあるところに任せる。そういうことになったら、無条件でそれが発動されるという2段構えにしておけば、この難しさは、かなりの程度、緩和されますよね。
小林:
そうですね。あと、よくいわれるような、そういう当局の誰かの判断で、銀行の株主権であるとか、あるいは財産権なんかを侵害することはどうなんだという議論があるわけですが、それについてのロジックをつくっておく必要があると思います。
飯尾:
金融業は特別だというロジックを展開するよりほかないですよね。
小林:
金融業は公共財だというロジックで、やはり、関係者の財産権というのは制約され得るという議論を、もっと精密にというか、ある程度大きな声でいっておかないといけないと思います。
ですから、その辺の銀行の株主や経営者や、あるいはその関係者の財産権をどういう場合には制限できるのかというのは、本当は、ある程度、相場観みたいなものが存在していれば、こんなに政策について遅れはなかったとは思うのですが、とにかく、そういう相場観そのものがないものですから、何でもかんでも反対する理屈をつけるわけですね。これは憲法違反ではないのかとか。そういうところを何とかしておく必要があります。
日銀の独立性について
飯尾:
そこで、もう1つ、このことと関連して伺っておきたいことに、金融政策をとる場合に、日銀の独立ということが必要なものかどうかということなんです。通常、まず、日銀の独立性が必要だということになっているのですが、何を根拠に、これが必要だということになっているのでしょうか。しかも、行政機関の中で、金融行政を担う別の機関として金融庁というのがある。国際金融というのは財務省が担っていたり。このようにばらばらと分かれていて、日銀の部分だけが独立していることが、意味があるのかどうか。
小林:
それはそうですね。デフレ克服のためのインフレターゲットでやれというなら、それは日銀の独立性を認めていないということになります。ただ、経済の状況に応じて、やはり、戦時と平時でどう、組織の独立性がどのぐらい認められるのかという、その違いはあると思います。今の状況を経済的な非常時だと思えば、ある程度独立性は制限していくこともいいではないかという議論はあり得ると思います。
ただ、そもそも、なぜ独立性が必要だとされているかということについては、日銀が貨幣供給を自由にできる立場であって、そこで政府のいいなりになっていると、インフレを起こしてしまうとか、あるいは不安定な物価水準を安定させられないなどの危険性があります。政府のファイナンスを引き受けることによってそうなってしまうから独立性が必要なんだと、多分、こういうロジックですね。今、そういう状況なのかといわれたら、そこはちょっと難しいと思いますが。
飯尾:
これが難しくて。つまり、通貨の安定というのは、2、3%のインフレがよいならいいのですが、1%のデフレというのは安定していないものか、安定しておるものか。これは、どのように考えたらよいのでしょうか。
小林:
こういうことは全て、私の個人的な意見ですが、最終的に、政府も日銀も、安定した経済成長というものを経済政策としては目指しており、その中であまりにインフレが進むとか、あまりにデフレが進むというのは、これは安定した経済成長になりませんから、ある程度、通貨価値を安定させるということが、日銀に与えられたミッションとしてあるわけです。同時に、政府のほうは、財政政策を通じて経済を安定させるという責務を負っていているわけですが、日銀と政府が独立しないと何が困るかというと、政府がファイナンスしやすい手段として、日銀に国債引き受けをさせて、日銀券を政府が無尽蔵に得てしまう。
こういう関係ができてしまうと、結局、政府が必要な政策をやるにしても、結果としてインフレが起こってしまったり、デフレが起こってしまったりして、経済成長という目的が達成できません。だから独立させましょうという話なのですが、現状は、そもそも、経済成長自体が相当落ちていて、デフレギャップが出ている状況ですね。そういう中では、政府の財政支出のファイナンスを日銀がやって、デフレをインフレ的な方向に変えていくことは、別に、経済成長を阻害しないということですから、政府と日銀が独立していなくてはいけない根拠は、現状においては失われているのではないかという気がします。
飯尾:
たとえば、日銀の独立性を条件つきにして、デフレがちょっとでも生じてしまったら、その権限を回収するとか、そういう権限の与え方ができる。
小林:
もし、コンティンジェント(状態依存的)なそういう権限の与え方ができるなら、その方が、経済の安定化にとってはいいのかもしれませんね。
デフレ脱却の道筋
飯尾:
それでは、基本的にデフレということから脱却していく道筋というのを、お話しいただきたいんです。
小林:
正直申し上げて、デフレから本当に脱却できるかどうか、よくわかりません。
飯尾:
やはり、できるかどうかわからないと思っておられますか。過小資本を解消したとしても。
小林:
過小資本を解消したとしても、先ほどのお話にあったように、銀行のオペレーションがちゃんとしないと、また、どこか変な資産にバブルが発生してきます。今は国債に行っておりますが、国債ではなくても、また別のものに行ってしまったりとか、そういう可能性は、なくはないですね。だから、銀行の資本が強化された上で、しかも、中小企業とかに対する貸し出しが行われて、その貸し出しのリスク管理もちゃんとやれるという状況にならなければならないのではないでしょうか。
それにまた、1つの貸出債権を証券化して、マーケットに売るような形で、リスクをなるべく分散化していくとか、そういうことを銀行のオペレーションがやれるようになれば、デフレ脱却へと向かうでしょう。
飯尾:
しかし、逆にいうと、国債が、今、有利だということになると、そんな貸出債権を買う人は、あまりいないのではないでしょうか。
小林:
通常、その場合は、収益率が高いはずなんですね。中小企業向けの貸出しについては、利率が高いはずだから、国債の利回りよりも、多分、相当高い利回りが得られるような、そういう貸出債権の証券化ができるはずです。
飯尾:
十分に分散化して、ポートフォリオが構成されているから、普通の人がしても、平均利回りとしてはリターンがなければいけないわけですね。そうならないのは、どこに問題がありますか。
小林:
それは、現在の産業の部門、中小企業などの部門で、十分な資金需要がないというか、十分なプロジェクトが行われない環境の中で資金需要が出てこないということが、結局、企業向け貸し出しの収益率が平均的に高まらないという状況を生んでしまっているのだと思います。
これは、30年代のアメリカなんかでも起きていたことで、やはり、デフレが進んでいくと、別に現金持っていればいいと、みんな思うわけですから、みんな現金を保有してしまうわけです。金を借りてまで、さまざまな企業を立ち上げて、事業を興そうなんていう人が、あまり出てこないわけです。そうすると、銀行から金を借りる人はいなくなって、銀行は国債をどんどん買う。企業向けの貸し出しをやっても、平均的な収益は全然、国債に比べてよくない。
そこで、逆転を起こすきっかけとして、資本の増強と、あと、オペレーションか何かを改善するとか、経営者の首をかえるとか、あるいは組織を分割するとか、そういう形で銀行のオペレーションが大分変わっていくというのが1つのやり方なんだろうなと思います。
2004年3月17日掲載
総括
小林研究員との対談では、既存の経済学で何がわかり、何がわからないのかということを確認しながら議論が進行した。そのため慎重な表現ではあるが、デフレ現象には未解明の部分が残っているものの、不良債権問題を考慮すれば、金融問題との関連が深いテーマが多いことが論じられた。
またマクロの貨幣的現象とミクロの経済実態をつなぐ金融業を時代に適応した形で再生しなければ、日本経済の活性化も望めないことが指摘された。そのうえで不良債権処理法が検討され、選択肢が絞られた。
またデフレを克服した後に不良債権処理に手をつけるというのではなく、金融改革がデフレ克服にも重要な意味を持っており、さらに生産性の向上とも連関することが示された。新鮮な指摘が、慎重な論調から生まれることに強い印象を持った。