中国経済新論:実事求是

人民元切り上げと日本経済
― SARSに類似する影響 ―

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

SARSの流行とそれにまつわる騒動もようやく収まり、中国経済への関心は人民元の行方に戻りつつある。人民元の切り上げと中国におけるSARSの蔓延と同様、いずれも中国経済の減速という「所得効果」と世界市場における中国製品の価格高騰という「価格効果」を通じて、日本経済にマイナスの影響を与えると考えられる。

まず、所得効果について考えてみよう。人民元が強くなれば、中国製品の国際市場における競争力が低下し、輸出を中心に、中国経済が減速するだろう。中国は加工貿易のウェートが高いため、これを受けて、日本の対中輸出も鈍化せざるを得ない。日本にとっても、中国への輸出依存度が高まっており、機械産業を中心にその打撃を受けるだろう。

次に、価格効果に目を転じると、中国の輸出価格の上昇は、日本の各産業の投入価格と産出価格に同時に上昇圧力をかけるが、どちらへの影響が大きいかによって、各業種間の明暗が分かれる。一般的に、中国と産出の面において競合している業種では、産出価格への影響が強く、利潤と生産がともに増えることになる。つまり、人民元の切り上げの恩恵を受けるのは、日本がもはや比較優位を持たない労働集約型産業に限られる。これに対して、投入の面において中国と補完関係にある業種では、産出価格よりも投入価格の上昇幅が大きく、利潤と産出が低下することになる。個別の日本企業の立場に立つと、自社の製品が国内外の市場において中国と競合関係にある企業にとって、人民元の切り上げは、自らの競争力の向上を意味するが、中国から中間財を調達する企業は、生産コストの上昇を通じて、マイナスの影響を受けることになる。

価格効果を中心に「元高」の日本の産業全体への影響を考えると、中国と競合する業種のウェートが高ければ、そのメリットが大きいが、逆に中国と補完する業種のウェートが高い場合、むしろそのデメリットが目立つ。日中間では、汎用製品の生産など労働集約的な部分を中国で、精密機器の生産など技術集約的な部分を日本で行う分業体制が確立されており、両国は補完関係にあることが明らかである。前述したマイナスの所得効果を合わせて考えれば、全体的に見て、日本の産業にとって、人民元切り上げのプラスの影響より、そのマイナスの影響のほうが大きいと見られる。一方、日本の消費者にとっては、中国製品が高くなることは、実質所得の低下を意味する。

人民元の切り上げの影響を、需要と供給の枠組みに整理すれば、中国におけるSARS蔓延の影響との類似点が、一層明らかになる(図)。まず、人民元切り上げの場合は、中国製品の競争力の低下が起こり、またSARSの場合、中国での工場の操業停止により、中国における生産が減少する。その分が日本での増産で補われることになれば、日本の景気を支えることになるだろう。しかし、日中両国の製品があまり競合していないことを考えれば、その効果は限られるだろう(需要曲線が右へシフトするが、その幅は小さい)。これに対して、中国経済が人民元の切り上げまたはSARSの影響で減速すれば、日本の対中輸出も鈍化せざるを得ない(需要曲線が大きく左へシフトする)。その上、供給側から見れば、中国経済が人民元の切り上げまたはSARSの影響を反映して中国からの輸入価格が高くなることは、日本企業にとって、生産コストの上昇を意味し、生産を抑える要因となる(供給曲線が大きく左へシフトする)。このように、全体的に見て、人民元の切り上げも、中国発のSARSも、日本の生産を抑えることになる。

それでも、日本では、人民元の切り上げを求める声が一向に収まらないのはなぜだろうか。日中関係が強い競合関係にあると思い込み、本気で人民元の切り上げによる景気浮上効果を期待する人もいるだろう。その一方で、単に全体の利益を代弁することを装って、自分たちの利益にしがみつこうとする政治家も大勢いるのではないだろうか。

図 SARSおよび人民元の切り上げが日本経済にもたらす影響
図 SARSおよび人民元の切り上げが日本経済にもたらす影響

2003年7月11日掲載

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