本書は、経済産業省の現役官僚である黒田篤郎氏が1998~2001年の3年間、ジェトロ産業調査員として、香港に赴任していた際に、中国を中心とするアジア各国の企業を延べ300社訪問した経験を踏まえて書かれた現場報告である。その方法論はまさにこのコラムで訴える「実事求是」の精神にぴったり合致しており、その充実した内容は中国の産業の変貌を考える上で、非常に参考になる材料を我々に提供している。
本書において、著者は、中国の登場で、東アジアの経済発展を捉えてきたとされる、いわゆる「雁行モデル」は崩れ始めた、と主張している。これは2つの点で説明されている。一つは、中国は、「雁行モデル」が示唆するような、労働集約型産業から資本集約型産業へという通常の発展段階を飛び越し、ある程度ハイテク産業にも独自の強みを持っているということである。もう一つは、これまで日本を先頭に、NIEs→ASEAN諸国→中国、の順で進むと考えられてきた経済発展の段階を越えて、中国がASEAN諸国にとっては脅威になっているのではないか、という点である。
この背景には、第一に、産業の集積効果が増大している点が挙げられている。この産業の集積は、特に中国沿海部における3地域―電子産業の集積した珠江デルタ、ハイテク産業が集積した長江デルタ、中国のシリコンバレーといわれる北京中関村―で進んでいる。広東省の珠江デルタでは、物流・金融センターとしての香港との隣接性を活かし、80年代から外資系企業が労働集約的な輸出向け組立拠点を築いてきた。最近では、現地企業を中心に、部品産業も厚みを増しており、IT関連機器や電子部品の大量生産が行われている。上海市を含む長江デルタでは、国内市場を狙った外国企業の投資が増えており、半導体、ノートブックパソコン、携帯電話など、資本集約的な産業が伸びている。北京中関村では、北京大学、清華大学といった一流大学との産学連携を強め、ITを中心に発展を続けている。
この産業集積を加速しているのが、香港、台湾など華人系企業と現地系企業の成長である。この点は、ASEAN諸国における製造業の発展が日系企業を中心に見られてきたこととは対照的である。さらに人的資本についても、著者によると、中国人や華人は、激烈な競争社会で育ったことやお金に対する執着が強いため、よく働き、向上心も強く、技術習得にも熱心であるとしている。
こうした中国の急速な経済発展を受け、中国は外国投資の最大の受け入れ先として浮上してきただけではなく、中国製品は世界市場においてASEAN諸国の輸出品と競合し、そのシェアを侵食してきている。「雁行モデル」では、ASEANの次にくるはずだった中国が、現実にはASEAN諸国にとって最大の脅威となってきているというのが、著者の主張である。今後もさらに、WTO加盟などの好材料もあるため、中国の優位性は高まるだろうと予想されている。日本においても、国内生産拠点の中国への移転や、生産委託が進む中で、日本国内における産業の空洞化が急速に進むのではないかと警鐘を鳴らしている。その処方箋として、多くの業界団体がセーフガードなど政府の保護措置を求めているのに対して、著者は中国の一人勝ちを懸念しながらも、中国を含むアジアの活力を生かすべきだという前向きの姿勢を貫いている。
アジア通貨危機が勃発し、中国経済といえば、「人民元切り下げ観測」と「金融機関の債務不履行」といった新聞記事しか見かけなかった頃、この本の土台となった香港発の「黒田レポート」は、愛読者だった私から見てきわめて新鮮で迫力のあるものであった。確かに、中国で最も進んでいる地域と活力のある企業という中国の経済発展の「光」の面に焦点を当てるあまりに、中国経済の力を全体的に過大評価しているのではないかという批判もあろうが、行き過ぎた当時の中国悲観論を牽制し、日本企業が採った「チャイナ・パッシング(素通り)」政策の危険性を明らかにする意味は非常に大きかったと思う。しかし、悲観論が退潮し、楽観論が主流になった今、本書で描かれている一部の中国企業のダイナミックな展開が、著者の意図に反して、流行の「中国脅威論」を一層助長しないのか、多少気になるところである。
『メイド・イン・チャイナ』(東洋経済新報社、2001年、1700円)。著者の黒田篤郎氏は1960年生まれ、82年東京大学経済学部を卒業し、通産省に入省。現在経済産業省貿易経済協力局資金協力課長。
2001年11月2日掲載