中国経済新論:経世済民

中国経済を考える座標軸となった最後の忠告

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

(本文は2004年12月26日に御逝去された鮫島敬治さんへの追悼文として、『追想 鮫島敬治』に収録されたものである。HPでの掲載に当たり、ご遺族の許可をいただいている。)

日本経済研究センター主催の中国研究会では、大変鮫島さんのお世話になった。鮫島さんの努力により、同研究会はすで5冊の単行本を世に送っており、同シリーズは日本における中国研究を代表するものとして注目されている。短期間でこれだけ高い評価が得られたことは、鮫島さんの人柄と日中友好に注ぐ熱意に惹かれて、中国出身者を含む多くの「同志」が集まっていたからであろう。幸運にも、私はその一人として、2000年から同研究会のレギュラー・メンバーに加えて頂き、鮫島さんから直接ご教示をいただくことができた。

研究会は、毎年春から始まり、会合を重ね、年末まで初稿をまとめるというスケジュールになっていた。鮫島さんは、毎年お正月に研究会の原稿を読むことを楽しみにしていたと伺っているが、年明けに研究会が再開され、鮫島さんのまとめと各章に対するコメントを聞くことは、メンバーにとっての楽しみでもあった。修正を経て3月に最終報告書が完成すると、公開シンポジウムが開催され、また単行本として出版される。この数年間、私は野村総合研究所から経済産業研究所へ、さらに野村資本市場研究所に職場を移ってきたが、鮫島研究会関連の活動だけは恒例の行事としてしっかり定着している。

鮫島さんは、中国の近年の急速な経済発展をわが子の成長のように喜んでいたが、中国が抱えている深刻な課題を決して見逃していなかった。所得格差や官僚の腐敗をはじめ、中国が直面している多くの問題点を早い段階から的確に指摘し、効率一辺倒から公平をも重視する政策への転換を訴えた。中でも、地域格差の問題に高い関心を寄せており、西部大開発や東北振興の意味について語る鮫島さんの熱弁は非常に印象的であった。2002年度のテーマである『中国リスク 高成長の落とし穴』に象徴されるように、鮫島さんの指導の下で、研究会の重点も常にリスクを回避するための政策提言に置かれていた。

鮫島さんは、中国研究会の座長としてまとめた最後の一冊となった『資本主義へ疾走する中国』の中で、中国がすでに「もはや社会主義ではない」という段階に来ており、その行き着くところは「成熟した資本主義」に違いないという認識を示した。その帰結として、政治改革や、経済発展の果実を広く国民に行渡らせる工夫が必要性であると主張した。鮫島さんが中国に送ったこの最後の忠告は、私が中国経済を考えるときの座標軸にもなった。

鮫島さんがなくなられてからも、日経センターの中国研究会は続いており、朱建栄教授(東洋学園大学)と私が共同座長を務めるようになった。今年度は、中国の清華大学国情センターの協力を得て、「中国経済の持続的成長への課題」というテーマを取り上げている。現在、日中関係は国交回復以来最悪の状況にあり、この研究会の日中間の橋渡しとしての真価が問われている。微力ではあるが、是非、鮫島さんが築いた基盤の上に立ち、この研究会の更なる発展に努めていきたい。

2005年12月14日掲載

2005年12月14日掲載