中国経済新論:経世済民

なぜ「賞」が必要なのか
―「悪書が良書を駆逐する」ことを防ぐために ―

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

ありがたいことに、昨年翻訳した樊綱先生の著書『中国 未完の経済改革』が第16回アジア・太平洋賞の特別賞をいただくことになった。八年前には、私の学位論文をベースにまとめた『円圏の経済学』も同賞を受賞したこともあって、今回は二回目の受賞のような気分となった。「賞」と言えば、出版界では文学の直木賞や芥川賞が有名であるが、ほかにも多くの分野においていろいろな賞が設けられている。本来、著者はすでに印税で報われているにもかかわらず、なぜ別に「賞」が必要になるのだろうか。

市場では、企業は消費者の好みに合わせて生産を行い、自社の製品またはサービスが広く受け入れられれば、大きな利潤を上げることができる。しかし、売れるからといって何を作ってもいいわけではない。麻薬など社会全体にとって有害なものは販売を制限されたり、禁止されたりするのが一般的である。逆に、教育のように、市場に任せておいては採算が取れなくとも、社会全体にとって有益であるものは、政府が自らその生産に乗り出したり、補助金を出すこともある。このように、市場経済といえども、「市場の失敗」に対しては、それを回避するための工夫がなされたり、政府による是正措置が採られたりするのである。

出版業では、大衆に迎合する本が売れる一方で、文化の向上に貢献する優れた著作は逆に敬遠されがちである。「悪書が良書を駆逐する」(いわゆる「グレシャムの法則」)とも言うべきこのような現象は、「市場の失敗」の一種であると見なすことができる。商品の「使用価値」と「交換価値」の乖離に加え、出版業における市場の失敗のもう一つの原因は、「情報の非対称性」にある。一冊、一冊の本の内容がそれぞれ違うため、読者から見て、読む価値があるかどうかを簡単に判断できない。確かに、新聞や雑誌、専門誌などに掲載される書評は読者に対する情報を与える一つの手段となっているが、日本においては、著者の友人や関係者が書くことが多く、その中立性に問題のあるケースが多々存在する。

このような状況を改めるために、多くの工夫がなされているが、「賞」もその一つであると考えられる。専門家の審査に基づく賞は、特定分野を対象に権威ある評価を下すため、読者に格付けに相当する情報を提供するのである。さらに、良書の著者に賞金と名誉を与える「賞」は生産者の(期待)収益を上げる役割も果たしている。「アジア・太平洋賞」の場合、毎日新聞社、アジア調査会が主催しているが、外務省、文部科学省および経済産業省の後援を得ており、また賞金に対する所得税が免税される。これは政府による「市場への介入」と言えなくもない。

「賞」は市場の失敗を補う性質を持つため、すでに市場で十分に評価されるベストセラーは対象とならない場合も多い。実のところ、こういった受賞作品は売れないものが大半であり、私が関わった二冊も例外ではない。本を書いて金儲けするつもりは毛頭ないが、出版したという自己満足だけに終わることなく、受賞による宣伝効果によって、更に多くの方々に読んでいただけることを祈りたい。

2004年11月26日掲載

2004年11月26日掲載