中国経済新論:中国の経済改革

要素移動と地域格差の縮小

樊綱
中国経済改革研究基金会国民経済研究所所長

地域格差の拡大は、中国経済の安定と発展を脅かす要因として内外から注目されており、当局にとっても解決すべき優先課題になっている。地域間格差を縮小して一人当たり所得の均等化を実現するには、体制改革、資本移動、人口移動の三つが欠かせない。市場メカニズムを通じて地域格差を縮小することは、つまり各種要素の流動性を高めることである。将来、中国の経済、社会、人口の構図の変化、地域格差の縮小は、まさに各種要素の移動によって初めて実現されるのである。

一、地域格差をもたらした原因

経済発展水準の決定要因は、地域格差を決定する要因でもある。歴史的な発展の違い、体制上の違い(市場メカニズム、政府の効率など)、教育水準、地理的位置付け、自然条件などが含まれる。

この中、体制上の違いが最も重要である。多くの沿海地域の発展は、中央の投資額によって左右されるのではなく、改革開放が先行したため体制面でほかの地域より優位になり、資金と人材が集中したことによる。このため、遅れた地域にとって、体制改革をどのように進めるかは根本的な課題で、中央政府に投資を求めるよりも、一歩進んだ改革政策をもらった方がよい。良い体制があれば、資金と人材がなくても入ってくる。そうでなければ、中央からの資金も別のルートでほかの地域に流れてしまい、完成したインフラ施設は使う人がなく、鉄筋とコンクリートだけが残る。

地理的な場所と自然条件も地域格差を大きく左右する。一次産業の発展にとって、自然条件は、疑いなく重要な要素である。農業時代には、水のある地域は比較的速く発展し、高原や沙漠は多くの人口を養うことができない。また鉱物資源は内陸の人々にとって収入増加につながる重要な要素である。しかし、工業化時代になると、輸送コストが重要な経済要素の一つになり、栽培業に適さない沿海・川沿い地域はむしろ地理的優位を発揮する。近代的通信技術の発達により情報伝達面の格差は縮小したが、情報伝達が迅速になっても物(最終消費と投資活動の実物を含める)の移動を代替することができない。

二、資本と労働力の移動

遅れた地域を発展させるために、投資を増やさなければならない。投資の目的は利益を上げることにある以上、これを可能にするソフトとハードの外部環境の整備が不可欠である。

ソフト面の環境とは、前述した体制と政策である。投資プロジェクトあるいは企業経営の「政府コスト」(政府と付き合うための人的・物的・金銭的な支出、政府の誤った政策による資源の無駄と非効率など)が高すぎると、良いプロジェクトでも利益が出なくなる。ソフト面の環境を改善するには、様々な体制改革を通じて「政府コスト」を下げる必要がある。

ハード面の環境は、主にインフラ施設を指す。内陸は、辺鄙なところであるため、ある程度の輸送施設がなければ投資対象となりにくい(輸送コストは二の次のことである)。ほかのインフラ施設についても同じことが言える。ハードの環境を改善するには投資しなければならない。西部地域は発展が遅れており資金も不足しているため、中央政府の西部へのインフラ投資を増やす必要がある。この点について、西部の投資回収率が東部より低いため投資を増やすことは間違いとの指摘がある。しかし、このような見方は、民間投資と政府支出の性質を混同している。民間投資はもちろん営利を目的としなければならないが、インフラ投資を含め政府支出は、社会の平等化、マクロ経済の安定化という役割をも果たさなければならない。なかでも、市場経済の進展に伴い、貧困の撲滅の重要性が増している。

東部沿海地域では、投資回収率が高く市場の資源は自ずと東部地域に流れるため、インフラ建設の融資が良い循環に入っており、政府投資を必要としなくなっている。東西部を比較してみると、東部はすでに富者になっているため、中央政府は東部への資金供給をやめ、資金の少ない遅れた地域を支援すべきである。遅れた地域の投資回収率が低いのは、インフラ不足によるところが大きい。インフラ建設への政府投資が増えれば、投資環境も改善してくる。経済における政府支出の割合は大きくなりすぎてはならないが、政府に資金があれば、遅れた地域に使うべきであり、豊かな地域に使うべきではない。これは政府行為の原則である。遠く離れた地域ではインフラ投資の低い回収率という状況は今後もかなり長い期間にわたって続くかもしれない。しかし、国として、そうした地域におけるインフラ投資は早かれ遅かれ行わなければならないものであり、地域格差の縮小のために早めに投資しても間違いとは言えないだろう。

政府にとって本当に守らなければならない原則は、政府支出はインフラなど公共財に使うべきであって企業への投資ではないことである。中央政府の資金にしても地方政府の資金にしても国有企業を作ってはならない。政府投資により投資環境が改善された後、どの位の民間資金が西部に流れるかは市場が決め、民間投資家が利潤最大化の原則に基づいて決めるものであり、政府が決めるような政治行為であってはならない。「三線」開発のようなことを繰り返してはならない。この意味から、将来西部はどのぐらいの投資を惹きつけるか、どのように開発されるかは、最終的に市場と経済の原理によって決まるのであり、政府あるいは現在の人々の予想で決まるものではない。

地域格差の縮小を議論するとき、まず概念と目標を明確にしておかなければならない。多様な地理的・自然的環境をもつ国では、国内の各地域の発展水準(工業化の水準、都市化の水準、科学技術発展の水準など)を同じレベルにすることは不可能であり、せいぜい「一人当たり収入」を均等化するだけである。さらに、「一人当たり所得」の概念もより広い意味が必要である。例えば、大都会に住む人々は、貨幣収入が高いが、都市部の過密さや騒音を耐えなければならないため、一部の人は貨幣収入が少ない代わりに閑静な小さな町あるいは農村での生活を享受することを選択する。ある程度において、これは「総合収入」(トータル・インカム)の均等化である。

収入の均等化は、「遅れた地域に資金を流入させること」を通じてその地域の総収入(一人当たり収入の計算式の分子)を高めることで実現することができるほか、「遅れた地域から人口を流出させること」を通じて「一人当たり収入」の分母を小さくすることで実現することができる。実際、このことはこれまでの20年間にすでに発生したし、今後も続くだろう。その理由は、(1)一部の地域の地理的・自然的環境は変えられない(変えるコストが高すぎる)、(2)一部の地域は農業に適し多くの人口を養っていたが、工業や他の産業の発展には地理的制約によりコストが高すぎ収入の増加が抑制される、などである。このため、地域格差を解消する基本的な方法は、人口移動すなわち経済発展が速く収入が高いところに人口を移動させることにより地域間の収入の均等化を実現することである。

米国では中西部やロッキー山脈地域など農業すら発展しにくい地域を抱えているが、地域格差問題は存在していない。その背景は、低所得地域の人口が高所得地域に移動することにより所得が均等化していることがある(貨幣所得の差はほかの要因によって補われる)。中西部地域では工業は発達していないが、人口が少ないため一人当たり収入は低くない。実際、どの大国でも経済の近代化は人口分布の大きな変化を意味する。また人口移動は、社会に残された伝統的な慣習を打破し、新しい考え方や新しい体制の生成と発展を促進する役割をもっている。

三、取り除くべき労働移動の障害

しかし、中国の人口移動は依然多くの障害がある。人口移動を促進するには関連制度の改革が必要である。まず、憲法を改正して地域間の自由移動の権利を国民に与える。次に、状況に応じて、戸籍制度、教育制度、社会保障制度などの改革を実施する。農村土地制度改革は最後に行うべきである。この制度は、速すぎる人口移動を防ぎ、農民の基本的な生活保障ひいては社会の安定を維持する一種の社会保障なのである。

制度的要因に加え、人々の考え方も、労働力の移動を妨げている。内陸部の人たちは自分たちの故郷の発展を望んでいるが、沿海部の人たちは、沿海部の人口は過密で外からの人口を排除しようとしている。これは国際関係の問題と同じで、異なる地域、異なる利益集団の利益衝突という利益関係にかかわる。我々は同じ国の市民であり、一つの利益共同体である。もし同じ国の中に異なる地域の人口が互いに移動することができなければ、この国の地域間の「東西問題」は国際間の「南北問題」に変わる。すなわち貧困国と富国の関係のように、こま結びになって長らく解決できない。しかし、もし制度的かつ政策的に人口の自由移動が保証されれば、各地域の自然条件、地理的位置、人文環境などの格差が大きくても、最終的には一人当たり所得が均等化し、本当の意味の社会平等が実現する。

現在、外来労働者を減らそうとしている米国は、その昔、州は他の州からの人口流入あるいは雇用面での平等を拒むことは違法で厳しい制裁を受けると、憲法によって定められていた。このお陰で、米国は中国と同じ位の広大な土地をもち、各地域の地理的条件、交通整備などの面で格差が大きくても(ロッキー山脈や中西部地域は中国の西部よりも貧弱)、地域格差という苦情があまり聞こえない。連邦政府の支援と適切な特別政策(ネバダ州でカジノの認可など)はもちろん役割を果たしたが、人口の自由移動が認められることの方が重要である。所得が比較的低い地域(これは常に変化する概念)の人口が収入の比較的高い地域に流入すれば、最終的には市場が均衡し、一人当たり所得が均等になる。これこそ、問題を解決する抜本的な方法である。

現在、懸念しているのは、比較的発達した地域特に一部の都市は、様々な「反流動人口」の政策を打ち出し、外からの人口流入を妨げ、あるいは外来人口の生活や就職、子供の教育などで障害を設け外来人口を追い出そうとしている動きである。なぜこのようなことをするのか。それは地元の者の利益を守るためである。地元の者の職を守り、生活をより「快適」にするためである。地元政府は地元市民の支持を得る必要があるからである。私は、ほかの人のように、自分たちのことを考える地元の人達のロジックを変えさせるつもりはない。ただ、自分のために考えるとき、次の2点も一緒に考えてもいいのではないか、と提起したいだけである。

ひとつは、「社会の平等」は、一国の全国民にとって「公共財」である。すなわち、「社会の平等」は、みんなに影響力をもつ(「消費」の非排他性)。所得格差が拡大し社会の緊張度が高まっている国はみんなにとって良いことではない。場合によっては社会の動乱で経済成長が中断されることさえ起こり得る。たとえ社会動乱まで起こらなくても、各方面からの政治的圧力で中央政府が比較的強制的な措置をとり、所得と富の再配分を行い、社会の不平等の趨勢を解消しようとすれば、先進地域の一層の発展に悪影響を与える。

もうひとつは、我々は発展途上国である。途上国経済にとって、人口移動、労働力の移動を認めず、遅れた地域の農業労働力を都市・工業に移転させず、先進国のように貧困国からの労働力流入を阻止して自分の労働力市場を保護するとなれば、発達地域は労働コストが急速に上昇し、製品の競争力を失い、先進国のように「経済の空洞化」が生じてしまう。中国の一部の沿海地域では、賃金、福祉、住宅、都市建設費用などを含めた「労働のトータル・コスト」が日増しに上昇しているため(都市部の土地価格の上昇もトータル・コストの上昇の要因である)、製品は国際市場だけでなく国内市場においても競争力を失いつつあり、失業(稼働率の不足、操業停止)も深刻になっている。これは、閉鎖的な労働力市場や、安価な外来労働者の排除といった誤った政策と切っても切れない関係がある。この意味から、比較的発達した地域は、自分自身の利益のため、自分自身の経済が持続的に発展できるようにするため、労働力市場をもっと開放すべきである。

2003年4月7日掲載

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