中国経済新論:中国の産業と企業

ハイテク集積地としての北京、上海、深圳の比較

中国経済改革研究基金会国民経済研究所

中国経済改革研究基金会国民経済研究所は経済改革、経済発展に関する研究活動を行っている非営利、非政府の研究機構である。大衆、企業、政府機構に研究成果と政策分析を提供することを目的としている。研究所では中国経済体制改革の促進に加え、経済研究体制そのものの改革にも取り組んでいる。なお、所長である樊綱氏はポスト文革世代をリードする経済学者の一人である。

現在、中国のニュー・エコノミー(新経済)の発展は北京、上海、深圳の3ヶ所が先頭である。ベンチャー投資もこの3ヵ所に集中している。ただ、地理、歴史、文化的要因により、この3ヵ所の新経済の発展に違いがある。以下では、北京、上海、深圳の3ヶ所の新経済の発展状況について比較してみる。

技術革新環境の比較

北京は、科学技術の基盤が強いため、科学技術成果の事業化に力を入れている。上海は、ハイテク・新技術の産業化と同時に、ハイテク・新技術で伝統産業を改造する発展戦略を採っている。深圳は科学技術の基盤が弱いため、企業を中心とした技術開発体制作りを強調する一方、区外の頭脳を借りたり、区外の大学や科学研究機関、企業、多国籍企業を誘致したりして研究開発基地を作り、ハイテク・新技術産業の発展を促進する。

北京の人材、大学、科学研究所、科学研究成果は全国で最も多く、知力の密集度が一位である。また、各種情報の量が膨大で、かつ伝達のスピードも速い。北京では北京大学、清華大学を始め高等教育学校が60校近くあり、また、中国科学院を始めとする国家級、市級の科学研究機関が413機関ある。このような密集度は世界でもめずらしい。1999年の1年間だけで、北京の科学成果は1万項目以上、獲得した国家級の賞は全国の30%を占める。科学技術成果の事業化においては、北京の各種ハイテク・新技術企業は大学、研究機関と連携している。一部の企業は大学や科学研究機関が設立したもので、北大方正、北大青鳥、清華紫光、連想などがある。また、一部は大学と科学研究機関の戦略的パートナーである。このため、企業が大学と科学研究院を外の頭脳として、大学と科学研究院は企業を研究開発の基地とする「梱包式」の科学技術成果の事業化モデルができている。このように大学、科学研究機関と企業の直接的な接触のほか、北京市政府は、北京の大学と科学研究機関の研究成果の事業化を促進させようと、大学と科学研究機関の北京での中間実験基地の設立を奨励している。清華密雲工業研究院などがこれに該当する。北京市の科学研究成果の事業化促進の3つ目の措置は、技術交易センターを利用し、中国最大の技術取引市場にすることである。1999年、北京技術取引市場の技術契約取引金額は92.19億元にのぼり、北京に流入した分は42.65億元に達した。このほか、23社の多国籍企業の研究開発機関が設立されており、北京の技術環境の改善にとっては錦上に花を添えている。

上海は、科学技術の実力面において全国2位であり、かつ膨大な経済規模を有しているため、技術革新の環境改善において、中央と地方の優位を発揮し、科学技術と経済の結合に重点を置いている。上海は、世界のハイテク・新技術の発展動向に注目、追随しつつ、経済発展に大きな影響力を持つ分野を選んで力を集中して投入を増やす。一方、上海の産業構造調整に合わせて、科学研究と技術開発の結びつきを強化し、産業高度化のために技術を蓄積し、新産業の開拓に革新の源泉を提供する。国家科学技術部、中国科学院の支援の下、上海は比較優位のある分野に対し重点的に投資してきた。1995年以降、年間1000万元、1998年に3000万元を投資し、上海生命科学研究センター、上海応用物理研究センター、上海新素材科学研究センター、上海先進製造技術センターなど科学研究センターと工程技術研究センターが設立された。また、17の国家級の企業技術開発センター、23の市級技術開発センターが設立された。これらは上海の革新能力の向上のために技術を蓄積した。このほか、企業と大学、科学研究所が共同で設立した研究機関や、多国籍企業の独立した研究機関、中外合弁の研究機関も、上海の科学技術成果の事業化において大きな役割を果たしている。

深圳には有名な大学は一つもない。国家級の研究機関もない。しかし、深圳自身の経済面での優位性と良好な革新環境により、科学技術成果の事業化の「深圳モデル」を作りだした。深圳は、3つの側面から企業のために良好な技術革新と技術発展の環境を作った。一つ目は、企業と市場に対し、科学技術の資源を配分し、企業を技術活動と経済活動の主体にする。深圳は、企業を主体とする技術開発体制作りを目標としており、市場メカニズムを利用して、互いに独立した科学技術資源と経済資源を企業の経営目標に統合した。2000年の第2回中国国際ハイテク・新技術成果交易会で、深圳代表の取引が成立したハイテク・新技術項目が189項に達し、契約額が24.22億ドルで、全体の28.4%を占める。二つ目は、地域的な研究開発センター作りの環境整備である。これを通じて産業の総合的な技術革新能力を向上させる。国内外の大学と科学研究機関が深圳で研究機関を設立できるように積極的に環境を整備する。1999年、深圳市政府、北京大学、香港科学技術大学の3者が提携して、深湾のほとりに深港産学研究基地を作った。三者ともに、この基地を、高次元の、総合的、開放的な産学結合の実体、かつ国際的な競争力をもつハイテク・新技術人材の育成基地、科学技術革新と事業化の基地にすることを目指す。この基地は、すでに17項目の科学技術成果を導入し、約1億元のベンチャー資本を投入し、13項目のハイテク・新技術人材育成プロジェクトを作った。三つ目は、市場原理に基づいて、企業を主体とする技術開発体制を構築することである。1999年、深圳の121社の大中型工業企業は技術開発機関を93社設立し、技術開発費用の総額が22.19億元に達した。

革新経済の発展の位付けの比較

新中国が誕生して以来、北京は科学技術と人材面で比較優位をもっている。改革開放以降、革新力を持つ多くの科学研究者は別の角度から科学研究の問題および科学技術と社会との関連といった問題を思考するようになった。科学技術者が科学技術企業を設立し、科学研究成果の事業化を実現することにより、北京の革新経済発展の幕が開けた。

1988年に北京新技術産業開発実験区が設立された後、北京の革新経済の発展は新たなブームを迎えた。北京、特に中関村は、科学技術者、ハイテク企業、各種仲介サービス機関、外国多国籍企業の研究機関の第一候補地となり、中国の「ゴールド・ラッシュの地」となった。特に1999年に、国務院が中関村科学技術園区の設立を認可した後、北京のベンチャー活動が空前の活気を見せ、北京の新経済の発展は世界の注目を集めた。アジア太平洋地域のナレッジ・エコノミー・センターと革新センターという構図が浮き出た。

上海は、良好な工業基盤を有し、中国経済の発展において中心的な地位を占めてきた。改革開放以降、上海で新経済を発展させる考えが出始めた。1978年に開催された上海科学技術大会では、「上海を世界の先進レベルの科学技術基地にする」という努力目標が打ち出され、10項目の重点発展のハイテク分野を定めた。20世紀80年代半ば、上海は外資系企業を誘致し、上海の新経済の発展に新たな活力を注いだ。1992年の鄧小平の南巡講和の後、上海の新経済の発展は空前の活発ぶりを見せた。上海は、アジア太平洋地域の貨物輸送センター、貿易センター、金融センター、中国の科学技術成果の転化センター、多国籍企業のアジアのヘッドクォーターになりつつある。

深圳は、改革開放の産物であり、20世紀80年代に中国の対外の重要な窓口となった。1980年に経済特区が設立された後、深圳は改革と革新を自らの責務と認識している。深圳の新経済の発展は現地の経済の繁栄だけでなく、珠江デルタ地域の経済発展をもたらした。ここ数年、産業構造の高度化を通じて、深圳のハイテク産業は急速に発展している。深圳は、世界的な情報通信産業の製造センターおよび、中国ハイテク・新技術成果の取引センターとなりつつある(図1)。

図1 北京、上海、深圳の発展の特徴の比較
図1 北京、上海、深圳の発展の特徴の比較

革新経済の発展における政府の役割の比較

新経済の発展における政府の役割からみて、北京は首都革新サービス・システムの構築に重点を置き、上海は、成果の転化という点に取り組み、深圳は体制革新の優位を発揮して企業の発展のために障害を取り除くということになる。

首都革新サービス・システムの構築は、(1)科学技術企業孵化器を設立し、科学技術者の成果転化と創業に多くのサービスと支援を提供する。(2)科学技術情報サービスネットワークや首都共通情報プラットホームを作って情報交換を促進する。(3)科学機材と設備のサービスネットワークを作って、在北京の大学と科学研究機関のもつ大型、精密、特殊機材・設備、高品質の実験チームを結集して、科学技術企業の革新と創業を支える。(4)研修・教育サービスのネットワークを作って、科学技術者と管理者に異なる時間帯の在職研修サービスを提供する。(5)ベンチャー投資、信用保証資金、銀行の専門貸出資金を主とする資金調達のネットワークを作る。(6)弁護士事務所、会計事務所、監査事務所、特許事務所、コンサルティング、技術交流、人材サービスなど各種仲介サービス機関の設立を奨励し、各種要素の配分を促進する。

上海は、成果転化の際の手順の煩雑さ、低効率、インセンティブの不足といった問題点を解決するため、18項目の政策を制定した。また、17の部門のサービスを集中し、「ワン・ストップ」のサービスセンターを設立して、プロジェクトの認定、工商登記、政策コンサルティング、融資担保、エクィティー投資、融資の利子補助などのサービスを提供する。これらは、科学技術企業の発展に新たな環境を作った。18項目の政策の重要な内容の一つは、インセンティブ・メカニズムを強化することである。知識の貢献に対する収益の配分を正常化し、成果の主要完成者と転化の実施者の創造的労働は株式を取得できるという規定により、科学技術者の成果転化の積極性を高める。さらに、技術移転を促進するため、上海は技術取引所、技術マネジャー事務所、特許事務所、無形資産評価事務所など科学技術仲介サービス機関を積極的に設立している。

体制革新は、深圳の比較優位である。1980年に特別区が設立されて以来、深圳は体制革新について絶えず模索してきた。まず、全体の科学技術投入システムの構築の推進がある。これにより、政府が牽引役、企業が主体、銀行が後ろ盾となる、多次元・多ルートの科学技術投入システムができつつある。次に、人材管理システムの改革の推進である。公平な競争に基づいて優秀な人材を採用できる開放的な人材マーケットができている。三つ目は、政府が橋渡しの役割を果たしている点だ。科学技術研究と産業界の交流を積極的に推し進めることにより、深圳のハイテク・新技術企業にとって国内の大学と科学研究機関が技術面の強い後ろ盾となっている。また、一貫した技術仲介サービス・システムを作ることにより、深圳の企業とほかの地域の企業・大学と結びつけた。

本文は中国経済改革研究基金会国民経済研究所と経済産業研究所の共同研究プロジェクト「中国の『新経済』:機会と挑戦」の一部に基づいて作成したものである。

2002年5月20日掲載

2002年5月20日掲載

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