中国経済新論:中国経済学

中国経済学の新潮流
台頭する新制度学派による市場移行の分析

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

新制度学派が台頭する背景

中国では、多くの経済学者が70年代末以来進行している改革開放という壮大な実験に惹かれ、理論と実証の両面からその経験を総括しようとしている。彼らが最も熱心に取り込み、また成果を上げている分野は、当然ながら、計画経済から市場経済に移行する過程に関する研究である。これに当たって、これまで中国の経済学において支配的な地位を占めてきたマルクス主義の「政治経済学」が急速に退潮する代わりに、人間の合理性を前提とする「近代経済学」(中国語では「西方経済学」)の影響が次第に大きくなりつつある。特に、制度とその変化を明示的に取り扱う「新制度経済学派」が脚光を浴びている。

この市場移行の経済学をリードしている学者たちの大半は、1950年代に生まれ、文化大革命が終わった70年代後半以降に大学を出た若い世代に属する。彼らの多くは文化大革命の時代に農村に「下放」され、虚しい青春時代を過ごした苦い経験を持っており、経済学を志した背景には、世界を変革するという明確な意識があった。直接欧米の大学に留学した「洋博士」(林毅夫、張維迎)のみならず、国内で高等教育を受けた「土博士」(樊綱、盛洪、張軍)たちの活躍も目立つ。その活動の中心は中国社会科学院や北京大学中国研究センター、それに近年設立されたいくつかの民間の研究機関(天則経済研究所、中国経済改革研究基金会国民経済研究所)であり、色々な論壇や雑誌を通じて活発な議論が交わされている。

近代経済学の中国への導入は、70年代末から改革開放への転換と同時に始まった。80年代に入ると欧米の経済学の古典や教科書が相次いで翻訳され、各大学においても近代経済学が広くカリキュラムに編入されるようになった。その中心は西側の学界の主流である「新古典派経済学」であった。しかし、新古典派経済学は、主に市場経済における資源配分を研究の対象としており、市場経済が未熟である中国にそのまま応用するにはやはり無理がある。その上、制度そのものが外生的かつ安定的であるという暗黙の前提のもとに成り立つのでは、中国経済の最も緊急課題である制度移行の分析にほとんど役に立たなかった。

こうした新古典派の限界が明らかになるにつれて、80年代後半以降、新古典派に代わる新たな分析の枠組みへの模索が始まった。試行錯誤の末、コース(1991年ノーベル賞)の取引費用の理論やノース(1993年ノーベル賞)の新経済史の理論、ブキャナン(1986年ノーベル賞)の公共選択の理論などから構成された新制度学派が注目されるようになった。90年代の半ばには、その本格的研究として、当時の代表的論文をまとめた『中国の移行経済学』(盛洪編、1994)や、『中国の奇跡』(林毅夫ら、1994)、『漸進改革の政治経済学分析』(樊綱、1996)などが、相次いで発表されるに至った。このように、新制度学派のアプローチは中国経済の分析に広く応用されるようになり、「市場移行の経済学」を構築するときの共通のパラダイムとして定着している。

90年代に入ってから市場移行の経済学が盛んになった背景として、その理論と政策提言に対する「需要面」と「供給面」における次の要因が挙げられる。

まず需要面では、78年以降の中国の改革開放が大きい成果を挙げながらも色々な歪みを生じさせており、特に89年に起こった天安門事件が経済改革に伴う経済主体間の利益衝突とそのコストを再認識させるきっかけとなった。ソ連とベルリンの壁の崩壊も反面教師となって、中国に自らの体制のあり方を考えさせる要因となった。中国は改革の一層の深化を迫られ、成長と安定を両立できる最適な改革プログラムとはなにか、改革の速度と順序を含めて、より具体的政策提案が求められるようになった。さらに、1992年以降、「社会主義市場経済」が経済体制改革の目指す目標として打ち出されたことを契機に、経済研究も「改革開放」を超えて、「市場経済への移行」が中心の課題となってきた。

一方、供給面では、欧米に留学した一部の若手学者の帰国に伴い、新制度学派と新政治経済派の経済学が導入され、移行期の中国経済を分析する有効な方法論を与えている。また、過去十数年間の経済改革の経験と豊富なデータが仮説を検証する絶好の材料を提供していることに加え、90年以降ロシアと東欧諸国の急進的改革の展開によりクロス・セクションの比較も可能になってきた。さらに、改革開放が進展するにつれて、所有権(国有企業の民営化を含む)や官僚の不正(賄賂、コネ)など従来タブー視された課題についても自由に議論されるようになった。

中国移行期経済学の特徴

新制度学派の精神に従い、多くの中国の経済学者は市場経済への移行を制度変化のプロセスとして捉える。ここでいう制度とは社会におけるゲームのルール(法律のようなフォーマルなものと商慣行のようなインフォーマルなものを含む)であり、改革はこうしたルールの変更を意味する。制度自体が非排他的という公共財の性格を持っており、制度の選択と変革は個人、企業、官僚、政治家などの主体間における利害関係の衝突と調整を反映した公共選択の過程でもある。

中国の市場移行の経済学は近代経済学の理論を摂取しながらも、色濃い自らの特色を持つ。

まず、分析の焦点は移行の「過程」であり、目的地の市場経済が出発点の計画経済より優れていることを前提とし、議論の重点はそれぞれの優劣には置かない。移行期を取り上げている西方の研究者の多くは基本的には新古典経済学の概念に基づき、移行を単に「転換」と理解したため、従来の体制から新しい体制までの過程を無視する傾向が見られる。これに対して、中国の移行期経済研究は現存の制度と各経済主体間の利害関係を出発点として、いかに改革を推進するか、そしてどのタイミングで改革をするか、言い換えれば改革の過程そのものを研究対象としているのである。

第二に、改革に伴う利益と費用を明示化させることによって、新古典派経済学の標準的手法である「効用極大化原理」が活かされている。改革の収益は従来の制度の代わりに新しい制度が導入されることによってもたらされた資源配分と効率の改善である。一方、改革のコストは新しい制度を確立するためにかかる実施コストと利益衝突に伴う摩擦コストによって構成される。この「収益-費用分析」に基づくアプローチは、制度分析の方法を中国経済研究に取り入たパイオニアである香港大学の張五常(Steven Cheung)教授によって初めて提示された。『中国は資本主義になるか』(Cheung, 1982)という論文の中で、張氏は取引費用の理論を使って、当時の中国経済における制度変遷の必然性を論じた。

第三に、改革コストの中で、各経済主体間の利益衝突に伴う摩擦が最も強調され、多くの研究において、移行期における所得などの利益分配が詳細に分析されている。パレート最適の概念を活かしながらも、それが満たされない場合についても十分に考慮する。その一例として、新しい世代の経済学者の代表的人物である樊綱が、その著書『漸進改革の政治経済学分析』(樊綱、1996)の中で、新制度派理論と公共選択理論に基づいて、中国の経済改革は中国社会各階層が利益衝突を経て得られた公共選択の結果であることを論じている。改革の成否は結局、被害者に対する補償をはじめ、いかに損害を被る人を最小限にし、利益を得る人を最大限にするかにかかっていると結論している。

最後に、経済現象の事後的説明という実証的(positive)側面にとどまらず、進行中の経済改革の要請から価値判断に基づく政策提言を含む規範的(normative)側面も研究の対象となる。中国の市場経済への移行期という千載一遇のチャンスに恵まれている中国の経済学者たちは、政策提言や世論形成を通じてこれに直接的または間接的に参加でき、自らの使命が経済学の発展にとどまらず、中国経済そのものの発展であると自負している。彼らにとって、経済学は象牙の塔の中における空理空論ではなく、まさしく12億人の運命を左右する経世済民の学問である。実際、中国の改革開放のプロセスを通して、経済学者たちは常に政府より一歩先に、いろいろな改革案を提示し、政策形成にも大きな役割を果たしてきた。

2001年7月30日掲載

文献
  • 盛洪編(1994)『中国的過渡経済学』、上海三聯書店・上海人民出版社
  • 樊綱(1996)『漸進改革的政治経済学分析』、上海遠東出版社
  • 林毅夫、蔡昉、李周(1994)『中国的奇跡:発展戦略与経済改革』(渡辺利夫監訳、杜進訳、『中国の経済発展』、日本評論社、1997)
  • Steven N.S. Cheung (1982) "Will China Go Capitalist," Hobart Paper94, The Institute of Economic Affairs.

2001年7月30日掲載