5月14日に上海で開催されたAPECワークショップ In-Depth Study on Digital Trade Provisions of FTAs/RTAsにモデレーターとして参加した。
これはAPECの貿易投資委員会のイベントとして、日本外務省がプロジェクト監督者となり、APEC事務局からの調査委託を受けた西村あさひ法律事務所・外国法共同事業および株式会社野村総合研究所の調査をもとに企画、組織されたワークショップで、現地およびオンラインで約60名のAPEC各エコノミー等の政府、民間の貿易実務家、アカデミア関係者が参加した。
その目的は、一般にはなじみにくいデジタル貿易(電子商取引)に関する規定がさまざまな貿易協定において多岐にわたっており、また時代の変化とともに進化すべき面があるため、将来的なアジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)を目指してデジタル貿易の望ましいルール等について議論を深めることであった。それは 信頼性のある自由なデータ流通(DFFT)を提唱して主導している日本として関係エコノミーの実務家のキャパシティビルディングを図ることもねらいとしていた。
以下に今回のワークショップから筆者が学んだこと、思いをいたしたことについて記してみたい。
状況概観
まずはじめに、西村あさひと野村総研の報告をもとに、デジタル貿易およびそれに関する協定(規定)をめぐる現状について以下整理しておきたい。
そもそもデジタル貿易(電子商取引)とは、デジタル手段により受発注をする貿易およびデジタル手段によりサービス(音楽受配信等)の提供が行われる貿易をさす。いずれにせよデジタル手段によりデータ(情報)が国境を越えてやりとりされる(データの越境移転)ことが中心的な経済行動となる。
企業・産業活動としてのデジタル貿易(データの越境移転)の実態はどのような状況にあるか見てみよう。
各種調査によると、日本企業の多くが海外とのデータのやりとりをしている。その態様としては、①経営・コーポレート統合(本国本社と海外子会社等の業績・人事情報等の集約・管理)、②商流・サプライチェーン連携(海外子会社、取引先等との受発注、物流管理等)、③マーケティング、サービス提供(顧客分析・広告配信・決済等用の海外クラウドサービス)、④開発・データ利活用(クラウド環境を用いた開発・分析等のサービス)、⑤IOT機器の遠隔監視・操作(海外IOT機器のリアルタイムモニタリング等)等がある。
このように、企業・産業としてはデータの越境移転は企業活動の効率化、高付加価値化には欠かせないものなので、それにはなるべく制約がない(少ない)こと、可能な限り世界でのルールがハーモナイズされ、または(相違があるにしても)相互運用可能(interoperable)であることが望ましい。
デジタル貿易に関するルール規定としては、全般的な(自由)貿易協定の中の部分的な章、条文として位置付けられているものと、デジタル貿易に関する独立の協定とがある。前者には各エコノミーの自由貿易協定(FTA)/経済連携協定(EPA)がある。日本に関して言えば、多くのFTA/EPAに電子商取引章が設けられている。日EU EPAでは「データの自由な流通」に関する条文が(2019年のEPA 発効に遅れて)2024年に発効している。後者の例としては、日米デジタル貿易協定、DEPA(シンガポール、ニュージーランド、チリ、韓国によるデジタル経済パートナーシップ協定)等がある。
その中心となる規定の一つはデータの自由な越境移転を確保するものであるが、個人情報に関してはプライバシー保護の観点から越境移転のための条件として国内制度構築・維持の義務をかけているものが多い。また自由な越境移転の例外、制限についての規定の仕方にはバリエーションがある。
2018年に合意された 環太平洋パートナーシップに関する包括的および先進的な協定(CPTPP)においては、その後のデジタル貿易協定のテンプレートともなる、①データの越境移転の自由に加えて、②コンピュータ関連設備(情報処理、保存のためのサーバー等を指す。)のローカライズ(国内設置)要求の禁止、③ソースコードの開示要求の禁止といういわゆるデジタル貿易3原則が規定されている。これは自由貿易的性格の強い規定である。
テークアウェイ・所感
以上の状況概観を踏まえたうえで、次に、今回のワークショップでの議論の結果の筆者なりのテークアウェイと所感を以下に記したい。
第一に、デジタル貿易のルール作りは、それを取り巻く環境の変化に応じて適切にグローバルおよび/またはリージョナルな取組の進化が求められている。
環境変化の大きな要素は技術であり、それに応じたビジネスモデルである。今後AI等の技術の導入で経済活動には日進月歩の進化が見込まれ、このような経済のデジタル化の中でデジタル貿易はますます重要となり、またその態様も変化するため、それに適切に対応したルール作りが必要である。
また別の観点から影響を与える重要な環境変化としては、いわゆる地政学的な情勢の変化がある。世界各地で国家間のコンフリクトや戦争が起こる情勢となっており、各国とも安全保障意識が強くなっている。すると、そのようなセキュリティの観点からデータの自由な越境移転に制約をかける傾向が強くなる。この正当性は認めつつも、過度に抑制的な対応をしては経済の発展にマイナスとなることも意識すべきである。
デジタル貿易に関する協定条文の変遷を顧みると、2000年代の貿易協定の電子商取引章は、主に電子的手段により取引される物品、限定的なサービス(音楽配信等)を想定しており、デジタルコンテンツ等への関税不賦課が中心的規定であった。しかし、2010年代以降は経済実態としてクラウドサービスの要素が強くなり、さらに近年ではAIの浸透によりその普及が加速度的に増加している状況がある。このため、サーバーの設置やソースコードの扱いがルール化される傾向がある。
技術・ビジネスモデルの進化に対してルール化が遅れるために、内容的に促進的要素(自由貿易的)と規制的・抑制的要素(自由貿易例外的)とのバランスが変化したり、さらにさまざまな協定において異なる内容が盛り込まれるために、世界的にルールが錯綜した、いわゆるスパゲッティボウル的様相が見られる。
促進的(自由貿易的)内容とは「データの越境移転は自由であるべき」ということであり、規制的・抑制的(自由貿易例外的)とは「安全保障に関することは自由貿易の例外である」という立場や「正当な公共政策目的(LPPO)のために自由貿易は制限されうる」という立場である。この両要素間の適切なバランスが求められる。
自由貿易的協定の代表はCPTPPである。そこでは①データの越境移転の自由、②コンピュータ設備のローカライズ(国内設置)要求の禁止、③ソースコードの開示要求の禁止といういわゆるデジタル貿易3原則が規定されている。CPTPPよりも後に締結された日米デジタル貿易協定および米国・メキシコ・カナダ協定(USMCA)も、この立場をさらに推し進めるものと位置付けられよう。
もちろん、各エコノミーや地域の事情はまちまちであり、ルール作りにおいてOne size fits allをめざすことは困難であるが、技術や時代の変化に応じたルールの進化が求められ、また特にビジネスの観点からは、世界においてなるべくinteroperable(相互運用可能な)事業環境があることが望ましい。
このような状況の中で、時代に合った望ましいルール作りに向けて、ビルディングブロックを堅実にかつ遅滞なく積み上げていく作業、プロセスが重要である。
第二に、デジタル貿易のルール作りでの主要なアクターとして米国、EU、中国、ASEANを想定すると、橋渡し・仲介・指導役としての日本の役割が大きいと感じる。特に、DFFTを実現すべく世界貿易機関(WTO)の有志国約80国で始まった電子商取引に関する共同声明イニシアチブ(Joint Statement Initiative)の議論、交渉に困難な様相もあるところ、APECの場を中心に日本がリードする形でのルール作りが有効ではないか。
米国は、しばらく前まではテック企業の利益を反映して自由貿易の立場(上記デジタル貿易3原則)であったが、2023年以来、テック企業からの消費者保護、国家安全保障等の観点から防御的立場へと転換した。このように、米国は(政権交代の影響もあり)政策変更の振れ幅が大きいことが特徴である。
EUはAPECの域外であるが、日本にとっては自由貿易、法の支配、多国間主義といった価値観を共有するパートナーである。しかし、GDPR(EU一般データ保護規則)に見られるようにプライバシー保護を基本的人権として防御的ルールを世界展開する影響力が強く、無視することができない。
中国は共産党国家なので当然に(国内的・国際的)安全保障観点が強く、上記CPTPPとは対照的な立場にある。地域的な包括的経済連携(RCEP)において、デジタル貿易3原則の①、②には安全保障、公共政策例外が付され、かつそれらは紛争解決の対象にならず、③は規定されていない。これは主に中国の立場を反映していると思われる。
ASEANは、シンガポールを除けば発展途上国の集合体であり、デジタル自由貿易に向けては中国に類似して漸進的な立場と言える。しかし、日本産業にとっては重要なサプライチェーン下にあり、その立場には一定の配慮が必要である。この中で、シンガポールはデジタル貿易促進の立場、ルール作りの主導国として日本にとっては重要な同志国と言えよう。
このような国・地域情勢の中で、日本としては、EUとの関係も意識しつつ、ASEAN特にシンガポールと連携しつつ、APECを中心に、将来のFTAAPを想定したデジタル貿易のルール作りを主導すべきではないか。そしてその際、個人情報の扱いに関しては、APECのツールである越境プライバシールール(CBPR)およびそれを発展させたGlobal CBPRを活用した実態的仕組みを日本は大いにプロモートすべきである。
この点では、USMCAにおいて、APECをプライバシー保護と越境データ移転を両立する枠組と位置付けていることが評価される。
第三に、データの越境移転の際に注意を払うべきは個人データのみならず、非個人データ特に産業データが特に産業の立場からは重要であり、この点を重視したルール作りを日本は主導すべきである。
今回のワークショップでも、産業界からこの点についての問題提起があり、また法律家からも具体的な条文の提案がなされた。
企業活動の実態としては、データを国外に移転する際に個人データであれ産業データであれ、そのテクニカルなあるいは手続き的な扱いは同様であり、個人データのルールに則った扱いに習熟した企業にとっては、現下の課題として、産業データの越境移転が規制されないか、それに不自由がないかという点に関心が強い。
産業データは往々にして個人データと合体的に扱われることもあり、その場合、個人データの扱いとして産業データにも越境移転に制限がかかる。また、クリティカルインフラの運用として機微データすなわちセキュリティに関するデータとして越境移転に制限がかかることもありうる。
また、EUのデジタルプロダクツパスポート(DPP)、バッテリーパスポートのように、その表示(カーボンフットプリントの計測結果等)がなければEU市場に参入できない、あるいはCBAMのように(カーボンフットプリント)データの表示次第で関税(相当)額が変わるというような場合には、データの越境移転がクリティカルになるところ、それが確実にかつ企業にとって過重な負担なく行われるような仕組が必要である。
企業・産業の観点からの、産業データの越境移転は、個人データの移転に比べて原則自由であるべきであり、安全保障等の観点から例外的に制限、あるいは一定の要件がかかる上記のような場合は、それが限定的・明確にルール化され、また、国別・地域別に異なるルールがあったとしても、その間の相互運用性(interoperability)がなるべく確保され、対応のための企業負担が過重にならないようにするべきである。
日本としては、特に、ASEANを中心に張り巡らされた企業・産業のサプライチェーン管理、バリューチェーンの高付加価値化が円滑に行われるためのルール作りを意識すべきであろう。
第四に、以上のような観点からのルール作りを進めるために、世界・地域において官民対話・協業が必要であり、中心であるべき日本の官民対話・協業をさらに強化する必要があると感じる。
今回のワークショップはそのような官民対話の場として有効であった。産業界から、日本のJEITA、世界的なソフトウェア産業団体であるBusiness Software Alliance、ABACの関係者も参加して、産業界の観点からのインプットがなされ、各エコノミーの政府関係者の関心を惹いていた。また、国内的にも、準備プロセスにおいて、官民関係者は外務省のアレンジのもとに緊密に打合せを重ねて意見のすり合わせもなされ、意識も高まった。
APECに限らずその他いろいろなフォーラムの関係で官民対話の機会もあるし、もともとどの政府であっても民間の意見にはオープンであるし、そもそも日進月歩のデジタル技術やそのビジネスモデルに各政府は追いつけていないのが実態である。また、どの国・地域であれ、国際的なルール作りによって自国産業の国際競争力が弱まることには敏感である。
興味深いのは最近のEUの状況である。EUでは、これまで環境、安全、プライバシー等の規制強化政策が多かったが、2025年末に発足したフォン・デア・ライエン欧州委員長の第2次政権においては、産業界との対話をもとに産業界の利益を反映した「規制簡素化」政策が多く打ち出されている。GDPRについても、2025年5月に公表された第4次オムニバス・パッケージにおいて産業界(特に中小企業やテック企業)の過剰な事務負担を軽減するため、義務を部分的に合理化する改正提案がなされている。EUにおける官民対話の有効事例と言えよう。
日本においては、そもそも経済のデジタル化が遅れていると言われる。それでもフィジカルAIの重要性に注目が集まるように実物に強い日本産業の特徴はデジタル化の中でも十分に生きると思われる。また、遅れをキャッチアップするプロセスは、ルール作りにおいても実態的取組においてもインクルーシブな取組の世界にとってのモデルにもなりうる。
経済や貿易のデジタル化が進み、その分野での競争力を持たなければ各国の経済地位は低下することになる。したがって、日本としてもデジタル競争力を高めるためにも国内での官民連携をより強化する必要があり、また世界的なルール作りを主導し、それに貢献するためにも日本の官民が世界の官民と連携プレーをする機会に積極的に取り組むべきである。
今回のワークショップは筆者にとっても学ぶことの多い機会であった。このような機会を提供された外務省、西村あさひ、野村総研ほかの関係者に敬意と感謝の意を表明したい。