Special Report

欧州イノベーション・エコシステムに学べ

田辺 靖雄
コンサルティングフェロー

9月4日に日欧産業協力センターの政策セミナー「欧州のイノベーション・エコシステムに学ぶ--日本にとってのインプリケーションと教訓」が開催された。登壇者は、市岡利康理化学研究所欧州事務所長、海老原史明新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)欧州事務所長、由良英雄日本貿易振興機構(JETRO)ロンドン事務所長であり、筆者はモデレーターを務めた。

世界の先進国において生産性を高め持続的成長を実現するためにイノベーション・エコシステム(産官学や金融界が相互に協働することでイノベーションを誘発するシステム)が重要との認識が強まっている。この分野について、従来日本においては、シリコンバレーに代表される米国のシステムへの関心が強くあったが、近年、欧州のシステムへの注目が高まっている。歴史・文化的背景、経済・産業構造において日本に類似する面も多く、また多様性も高い欧州のイノベーション・エコシステムについての理解を深め、協働を促進することは、日本のエコシステム活性化や競争力強化にも資すると思われる。
折しも、EUの研究イノベーションプログラムであるホライゾン・ヨーロッパ(2021-2027年、955億ユーロのEUプログラム)に日本が準参加するための政府間交渉も行われている。日本とEUの間でイノベーションに関してパートナーシップをより強化する環境が整いつつあると言える。

このような中で、今回の政策セミナーは、欧州に身を置き、欧州のイノベーション動向をウオッチする3人の有識者から欧州イノベーション・エコシステムの最新動向がレポートされ、また日本にとってのインプリケーション、教訓について議論された。
セミナーでの発表資料、録画ビデオは以下にあり、日欧産業協力センターの賛助会員は閲覧可能なので、ご関心のある方は(賛助会員に加入のうえ)ご覧いただきたい。

欧州のイノベーション・エコシステムに学ぶ ― 日本にとってのインプリケーションと教訓 | EU-Japan
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本稿では、本セミナーから筆者が学んだこと(セミナー外の情報も含めて)、感じたことについて紹介してみたい。

まず、イノベーションのステージの上流にある科学・技術研究の段階でEUの特徴的な取組は、フレームワークプログラムと呼ばれるEUとしての複数年次にわたるプログラムである。日本で言えば、政府の科学技術・イノベーション基本計画や科学技術振興機構(JST)、NEDO、日本医療研究開発機構(AMED)等の助成機関の事業を合わせたものに当たる。EU加盟国にも科学技術研究のプログラムがあるが、EUとしてのプログラムは単独の加盟国では解決できない課題、EUとして取り組んだ方が効果の高い課題を主に扱う。もともと本プログラムは、1970年代に欧州が日本や米国に研究開発の面で遅れをとっているとの危機意識からスタートした。現在のEUは2021-2027年資金規模955億ユーロのホライゾン・ヨーロッパというプログラムが進行中であり、さらに最近、2028~2034年の新ホライゾン・ヨーロッパ案が欧州委員会から提案され、EUシステムの中で議論が始まっている。

欧州の研究イノベーション・エコシステムの特徴としては、公的支援が手厚いこと、多様性が存在すること、近年ではスタートアップが充実していると言えるが、スケールアップは課題とされている。さらに近年の傾向として社会課題への対応取組が重視されるようになっている。そしてさらに最近は、市場創出型のイノベーションにおいて世界のフロントランナーとなるべく、欧州イノベーション会議(EIC)や欧州イノベーション技術機構(EIT)といった支援メカニズムとしてインセンティブ資金も含めて提供するようになっている。

以上のような近年の傾向は日本とも共通する部分が多いが、大きな違いは多様性(ダイバーシティ)の重視という点であろう。ダイバーシティがイノベーションの能力を高め、企業や組織の生産性を高めることはさまざまな実証研究でも示されているところであり、この点は日本のシステムに改革が必要なところであろう。

イノベーションの次なるステージのスタートアップ、起業という点では、欧州の傾向として、科学技術研究にもとづく「ディープテック・スタートアップ」(DTSU)企業が多いことがあげられる。海老原氏の報告によれば、DTSU企業数で見ると欧州と米国はほぼ同数であり、日本のDTSU企業数の約5倍存在する。ユニコーン企業数も増加傾向にある。これらの領域としては、宇宙、エネルギー、量子、生成AI等の領域が多い。

また、欧州では大学発のスタートアップが多いことも特徴である。これは、大学が教育として起業家志向を重視したり、TTO(技術移転機関)等を通して起業を促進する活動を強化していることが影響していよう。この点では、英国のオックスフォード大、ケンブリッジ大、ロンドン大が実績を上げておりつとに有名であるが、近年では独、仏のみならず北欧や東欧の大学でもこのような起業家志向が重視され、その支援活動が強化されている。

このように伸長著しい欧州DTSUであるが、課題は米国に比べて投資金額が低いことである。そこで、これらのDTSUを支援する公的機関として上記EUのEICやEITがあり、またフランスやドイツにも同様の公的支援機関がある。これらの公的支援機関の特徴としては、企業のスタートアップから国際展開までを包括して支援する枠組みを構えていることであり、これは日本や米国のイノベーション支援機関ではあまり見られないことである。

欧州のDTSUに特徴的なこととしては、国際連携志向が強いことがあげられる。そもそも科学技術研究段階から国際共同研究が促進されており、ホライゾン・ヨーロッパのようにそれが公募の際の条件にされていることもある。この点は自前主義志向の強い日本のシステムとは異なるところである。資金調達面でも、海老原氏の報告によれば、欧州のDTSU は海外資金調達比率が全シリーズ平均で約5割あるのに対して、日本でのそれは約1割である。この辺は日本のエコシステムとして大いに改善の余地があろう。

そして欧州のスタートアップの多くが国際市場展開を図っていることも特徴的である。これは欧州各国はもともと自国市場が大きくなく、EUを通して市場統合が進んでいるために自然と自国外、さらにはその延長で欧州外の市場を意識する傾向があるからであろう。世界的に有名な例としては、B2C分野ではあるが、音楽配信のSpotify(スウェーデン)、フードデリバリーのWolt(フィンランド)等がある。ディープテック産業分野で著名なのは、バイオ製薬のBioNTech(ドイツ)、AI分野でマイクロソフト社と提携したMistral AI(フランス)等の事例がある。

DTSUの領域として欧州で特徴的なのはいわゆるClimate Tech(エネルギー等)の領域が多くて強いことがあげられる。具体的には、再エネ、水素、バッテリー、資源循環、炭素市場、CCUS等のサブセクターである。Global Cleantech 100(米Cleantech Groupが毎年発表する気候変動対策に資する世界の有望スタートアップ100社)のうち欧州のスタートアップは55社ある。代表事例としてはスウェーデンのStegra社(水素還元製鉄)、フランスのVerker社(バッテリー)等があげられる。もちろん、大規模な資金調達をしながら破綻してしまったスウェーデンのNorthvolt社のような失敗事例もある。

これら欧州のクリーンテック企業の伸長はEUの気候変動政策に起因する面も強く、今後の政策との関連が注目されるところであるが、筆者の見るところ、EUとしての気候変動対応へのコミットメントは揺るがないものと見られ、むしろそれに関連する産業の競争力強化が重要課題となっているため、この領域では引き続き欧州の強みが発揮されることになると思われる。その点で、これからも官民のGX投資へのコミットメントが強い日本との連携、協働は大いに意味のあることであろう。

欧州のイノベーション・エコシステムと日本はどのように協業すべきであろうか。

もともと日本の多くの大企業は欧州、中でも英国、ドイツ、オランダ等に技術探索拠点をおいている。これら在欧州日系企業はこれまでEUのホライゾン・ヨーロッパ研究事業にも(欧州企業として)参加している事例がある(ソニー、富士通、三菱電機、味の素等)。これらは、主に日本の大企業として欧州のシーズとのコラボレーションを図ろうとの取組である。上記のように、欧州では特徴的なスタートアップ特にDTSUが多く存在、伸長してきており、これまで自前主義であった日本の大企業がこのような形でオープンイノベーションを進めようとすることは理にかなっている。
日本企業がCorporate Venture Capital(CVC)を強化している事例も増えている。例えば、日立製作所のように、CVCを強化し、同社にとっての新領域を開拓するスタートアップ企業への投資を増加させる運用をドイツ発で行っている事例がある。
日本の大企業は大いにこのようなオープンイノベーションに積極的に取り組むべきであり、その際欧州スタートアップは優良なパートナーとなるポテンシャルは高いと言えよう。

これに対して、日本の大企業と欧州スタートアップとのオープンイノベーションという流れとは逆に、日本発のスタートアップの対欧州市場進出、欧州企業との協業がもっとあってしかるべきである。このような事例はこれまでまだ数少ないように思われる。その理由は、筆者の関係者との意見交換による見立てとしては、そもそも欧州志向の日本のスタートアップが少ないこと、そして、スタートアップの対欧州進出、欧州連携には資金が必要なところ、スポンサーが少ないことに起因しているようである。しかし、この解決は鶏と卵の関係であり、ボトルネックあるところポテンシャルはあると見るべきである。

おそらく筆者の知るところ、日本発のスタートアップとして欧州でスケールアップして成功している企業の代表例はSpiber社であろう。同社は、山形県鶴岡市発のバイオベンチャーであり、同社の開発したバイオプロテイン繊維は欧州のファッション業界でサステナブルな繊維として定評を勝ち得ている。企業価値としてもユニコーンレベルと見られている。同社のように欧州で成功する日本発スタートアップがもっと増えることが期待される。

この面でも先に述べたEUの機関であるEICやEITとの連携は有益と考えられる。折しも、欧州委員会のステファン・セジュルネ上級副委員長が来日した9月16日に武藤 容治経産大臣との間で、日EU競争力アライアンスの第一弾事業としてEITのプログラムであるイノエナジーが日本で脱炭素スタートアップへの投資をめざすことが合意された。

このようなEU機関との連携によるスタートアップ支援をJETROとともに日欧産業協力センターとしても強化したいと考えているところである。

このようにして日本発のスタートアップによる欧州を含む海外展開が活発化することが大いに期待される。

以上述べてきた筆者の学び、テークアウェイを以下にまとめてみよう。

第一に、欧州ではEUとしてまた各国として、政府主導によりイノベーション・エコシステムを強化しようとする取組が積極的に進められている。その狙いは自国・地域の産業競争力を強め、同時に気候変動等の社会課題を解決しようとしていることと言える。この点は日本の近年の取組と共通であるが、欧州システムの際立った特徴として、多国間・国際連携、国際市場重視という姿勢があげられる。この点はイノベーションに関して自国主義・自前主義、国内市場志向の傾向が強い日本として大いに見習うべき点である。

第二に、欧州ではディープテックとも呼ばれる研究開発型イノベーションの事例が見られ、またユニコーンと呼ばれる新興企業も増えている。これは米国や中国にも引けを取らない近年の傾向と言える。この背景には教育(欧州では大学においてディープテックの研究とスタートアップ人材の育成が一体で進められている事例が多い)や公的支援機関の影響もあるであろうし、社会課題解決志向の若年層のモチベーションもあるものと思われる。歴史的・文化的・社会的背景、産業・経済構造の面で類似する日本としても欧州のこの流れの刺激を受けてこの傾向は助長すべきでありそれは可能であると思われる。

第三に、このような欧州のイノベーション・エコシステムと日本が連携、協業することは日本、欧州双方にとってさらに世界的な課題解決に向けた便益をもたらす相乗効果があるだろう。日EU関係においては、これまで日EUグリーンアライアンス、日EUデジタルパートナーシップ等が進められてきており、本年7月の日EU定期首脳協議では日EU競争力アライアンスが合意された。イノベーションは競争力のかなめである。この面で日本・EUは相互補完関係にありそのパートナーシップはシナジー効果が期待される。そして社会課題解決志向の強い日本とEUが組むことは世界の課題解決にも寄与するであろう。

2025年10月1日掲載