私は民間企業で4年間働いた後、2017年に経済産業省に経験者(中途)採用で入省した。当時は、経済産業省の経験者(中途)採用は始まったばかりで、2017年度の経験者採用者(注1)は2名だった。比較して、新卒採用者(注2)は85名で、わずか2%だった。しかし、2022年度の経験者採用者は22名となり、約21%と急上昇している。経済産業省は「2030年までに、年間採用者のうち、経験者採用の水準を3割程度確保する」というKPI(注3)を掲げており、今後も経験者採用者は増えていく。その背景として、政策課題の複雑化・高度化に加え、民間を含む労働市場の流動化があり、経済産業省だけでなく、他省庁においても経験者採用は一層増えていくものと考えられる。
霞が関における経験者採用の本格化は単なる人員の増加にとどまらず、各省庁に新しい風をもたらし、経験者採用をきっかけに「多様な人材が新しい社会を創り出す霞が関」へと変わる可能性を秘めている。そこで、近年本格化する「霞が関の経験者採用の本格化の意義」について考察したい。
(1)CIAは画一性によって9.11事件の予兆を見逃した
2001年に起きた9.11事件(米国同時多発テロ事件)を未然に防ぐことができなかった理由として、CIA(米中央情報局)の人材の多様性の低さがあると、英タイムズ誌のコラムニストであるマシュー・サイド氏は指摘している。
1996年2月、オサマ・ビンラディンがアフガニスタン東部のトラボラ洞窟から米国に宣戦布告した動画を見て、CIAは「洞窟に住む、現代社会から離れた時代錯誤な連中」と認識し、潜在的な脅威とは考えなかった。しかし、イスラム教徒から見ると、洞窟で演説するビンラディンは預言者ムハンマドの姿と重なり、熱心な信者をテロ攻撃へかき立てた。問題は、当時のCIAの多くが白人の中流階級出身のリベラルアーツ・カレッジ卒業生ばかりで、似た視点しか持っておらず、イスラム教徒の視点を持っていなかったことだった。
画一的な組織は、個々人の能力が高くとも、お互いに知識も視点も似ているため、集団では知識や視点が偏り、盲点が生まれてしまう。逆に、多様性のある組織はお互いに足りない知識や視点をカバーできるため、仮に個々人の能力がそこそこでも組織の集合知は高くなる。CIAでも多様性の議論はあったが、「CIA職員は能力主義で選び抜かれた最高の人材であるべき。国家防衛という最重要な職務では、能力より多様性を優先すべきではない。」という愛国心が足かせとなっていた。
女性活躍推進への批判で見られるように、日本でも「多様性を考慮せず、実力によって評価すべきだ」という論調がある(注4)。しかし、「組織における質の高い意思決定は能力の高い個人を集めればできるというわけではないこと」をCIAの事例は示している。
(2)組織が多様性を生かすための前提条件
ハーバード・ビジネス・レビューで、モアハウス・カレッジのデイビッド・A・トーマス学長とハーバード・ビジネス・スクールのロビン・J・イーリー教授は、「組織の多様性の活用の歴史」について以下のように説明している。
つまり、組織が多様性を生かすための前提条件は、①多様な個人を雇用すること、②多様な個人に合った仕事をしてもらうこと、では不十分であり、③多様な個人の視点から学んで、組織自身が変わろうとすること、が求められる。
また、ハーバード・ビジネス・レビューで、アシュリッジ・ビジネススクールのアリソン・レイノルズ氏と、ロンドン・ビジネススクールのデイビッド・ルイス氏は、組織が高い適応力を持つためには「“認知的多様性を高めること”だけでは不十分で、“心理的安全性を高めること”も必要である」と述べている(注5)。
つまり、組織が多様性を生かすための前提条件は“心理的安全性の確立”も重要であり、組織には「個人の認知的多様性を他のメンバーに気兼ねなく共有できるような環境作り」が求められる。
(3)経験者採用は多様性を高める“手段”であり、“きっかけ”である
近年、霞が関において“経験者採用の本格化”が始まっている。2021年8月の人事院勧告・報告の総裁談話でも「新規学卒者を採用して計画的に育成するだけでなく、民間での経験や国際的な知見を有する者など、官民の垣根を越えて時代環境に適応できる能力を有する人材を誘致することが不可欠です」と述べられている(注6)。また、農林水産省では総合職だけで約60名の経験者採用者がいて、2022年度には初の指定職(民間企業の役員相当)が生まれた(注7)。他の省庁もすでに数名の経験者採用者を採用したり、“経験者採用の本格化”に向けた検討が始まっている。また、2022年5月に、霞が関の経験者採用者を中心とした有志からなる「ソトナカプロジェクト」が川本人事院総裁に提言を手交し、約100名の霞が関の経験者採用者へのアンケート分析も掲載されている(注8)。
重要なのは「経験者採用は、“目的”や“目標”でなく、“手段”である」という認識である。まず「何のために“経験者採用の本格化”をするのか?」を問わなければならない。各省庁でさまざまな答えがあると思うが、1つの意義は「多様性を高めて、組織の意思決定の質を高めること」と私は考えている。現在の日本が抱える社会課題はどれも“賢い個人”や“画一的な集団”で解決できるものではない。だからこそ、異なる知識や視点を持つ経験者採用者が求められている。
さらに言えば「経験者採用者の本格化は組織全体のパフォーマンスを底上げする“きっかけ”に過ぎない」と考えている。経験者採用者だけが多様性を生み出すのではなく、当然、新卒採用者もさまざまな経験をしており、多様な知識や視点を持っている。霞が関にとって“異質感”のある経験者採用者が入ることをきっかけに、彼らの異なる知識や視点を引き出す組織になることは、新卒採用者が持っている異なる知識や視点を引き出すことにもつながる。
次回以降、霞が関における中途採用の意義について、イノベーションと危機対応を例に具体的に考察したい。