1.IPOで資金調達する必要がない時代
米国の経済力の背景にはスタートアップのエコシステムがうまく機能していることは疑いない。数多くの研究が報告しているようにこれが可能になったのは、私募市場(非上場市場)における資金調達が容易になったことが大きい(注1)。
米国では、大型の粉飾事案であった2001年エンロン事件を契機に2002年SOX法が制定され、上場に伴う負担が大幅に重くなった。当時、証券取引委員会(SEC)は1社あたり9万ドル程度の費用がかかると予測していたようだが(注2)、実際にははるかに高額な費用がかかっている。Protivityレポートによれば(注3)、2022年、大型早期提出会社(注4)の平均で145万800ドルかかっており、さらに徐々に増加しているという。
こうしたこともあり、米国ではIPOが減っており、件数の長期的減少が見られる。公募市場の減退と並行して興隆してきたのが私募市場である。私募市場は、2012年以来JOBS法と呼ばれる一連の改革により使い勝手がかなりよくなった。
「私募(private offering)」か「公募(public offering)」かは、簡単にいえば大衆に向けた売り出しか否かで判断され(SEC v Ralston事件連邦最高裁判決は異なる見解が述べられており脚注参照(注5))、後者は連邦証券取引法の厳しい規制の下に置かれる(注6)。投資家が価値のない株式を売り付けられ損害を被る可能性があるからである。
証券取引は、結局、単なる「紙」の売買である。そのリスクから投資家を保護するため、証券取引法制は対象会社の「情報開示」を中心的な役割に位置付けてきた。大衆から資金を募る「公募」を行う場合には、SECに登録届出書(registration statement)を提出する義務が課されている。1933年証券取引法5条は、「いかなる者も、登録の効力発行前に州際通商に係るいかなる輸送や通信手段により目論見書等を用いて有価証券を売却した場合には違法とする」と定めている。
公募規制の例外として、同法4条(a)(2)は、「公募(public offering)を伴わない発行者による取引は5条の規程を適用しない」と定める。だが、条文だけからはどのような行為が「公募」でどのような行為が「私募」(公募でないもの)かが分からない。
この境界は、SECが数十年にわたり、連邦規則やノーアクションレターの積み上げなどによって明らかにしてきた世界である。大ざっぱにいえば、勧誘手法、発行上限額、投資者の質・数の観点から線引きが明らかにされてきた。
最高裁は、先のRalston事件判決で私募の世界を極めて狭く解釈しようとした。論理的には、1人への売り出しが公募に該当する可能性もある(注7)。これに対し、SECは「私募」を狭くしないよう連邦規則を定めてきた(この連邦規則は日本法でいう解釈通達のようなものである)。
まず、1974年に規則146を制定し、主要な要件として、①一般的な勧誘を行わないこと(general solicitation)、②購入者が35名を超えないこと、③転売防止措置が取られること、等を挙げた。
映画「ウルフ・オブ・ウォール・ストリート」では、ロングアイランドの在野のディーラー(レオナルド・ディカプリオが演じるジョーダン・ベルフォード)が無防備な一般投資家相手に電話でペニー株(超安価な株)を勧誘し、巧みに売り付けて大もうけしたシーンがある。この電話で複数者に勧誘した行為は、証券取引法上の禁止行為に該当していた可能性がある(1933年証券取引法5条、規則146)。見知らぬ人を相手に電話をかけまくっていたシーンは「私募」が禁止する行為を具体的にイメージするのによさそうだ(Cold Callingと呼ばれる手法(注8))。なお、ベルフォードは別の証券詐欺で有罪となっている。
非上場株式の売買は登録届出書が提出されておらず、情報開示は十分ではない。このため、投資家のリスクは非常に大きい。ペニー株売買は不正の温床になるため、1990年にはSECはペニー株の規制を強化したほどである。一方、ペニー株は安く、無限の成長可能性が魅力的な商品でもある。今から振り返るとばくち的要素のあるペニー株にこそスタートアップの素があったといえるかもしれない。
その後、規則146すら厳しすぎるという声があり、1974年、規則146は1982年Regulation D Rule 506(b)(注9)によって置き換えられることになる。これにより、私募とみなされるものは、①一般的勧誘は行わないこと、②発行上限額無制限、③購入者は35名以下であること(認定投資家はカウントしない(注10))、といった要件に置き換えられた。認定投資家とは自衛力がある投資家のことであり、その定義自体も議論がある。とはいえ、購入者35名要件のカウント外に認定投資家が置かれることによって私募の世界が大幅に拡充されたといえよう。
ただ、一般的勧誘規制は残り続けた。この規制はSNSを活用する現代社会とは密接な規制である。対象となる行為を見てみよう。(1)「新聞、雑誌、または同様の媒体に掲載されたまたはテレビ、ラジオで放送された広告、記事、通知、その他のコミュニケーション」、(2)「一般的な勧誘や一般的な広告によって参加者が招待されたセミナーや会議」が対象である(先ほどの電話攻勢(cold call)も対象となる)。
この規制の下ではSNSやネットの利用はできない。そこで、ノーアクションレターが順次蓄積されおり、今では「C&DI」といわれるSECとの問答がネットでも公開されている。パスワード付きのウェブサイトでの掲載は許されるとするが、パスワードの配布状況次第では許されない場合もあるとするなど、かなり細かい。
私募領域を緩和しようとする動きはさらに加速し、2012年JOBs法は、問題の「一般的勧誘」を全面的に緩和する方向を採用した。同法は、1933年証券取引法に基づくSEC規則506条を、より成長産業への資金供給が可能となるよう改革すべきと指示するものであった。先の506(b)はRegulation D と呼ばれる項目の一部であるところ、SECは、これにさらに506(c)を追加することになったのである(注11)。506(c)は、認定投資家に限定して彼らからの調達資金額を無制限としつつ、勧誘行為を公に対して行うことを可能とする規制緩和を行った。要するに投資家の対象を限定する代わりに広告規制を撤廃したのである。
これにより、新聞、テレビといった伝統的な媒体のみならず、SNSやウェビナーを使った勧誘行為が可能となり(注12)、2018年時点で、規則506(c)による証券発行実績は約2110億ドルに達するに至った(注13)。私募が許される506(b)と506(c)の活用事例を合わせると2019年には1兆5580億ドルを上回り、この金額は同じ年に上場会社等が公募によって調達した資金額を上回ったようである(注14)。
一連の改革で巨大な私募市場が形成されたことが分かる。506(b)の広告規制は既存の実質的関係がある場合に許されてきたが、506(c)は広く公募が可能となり、しかも、富裕層の個人も認定投資家として認める余地があることが大幅な資金調達を可能にしたきっかけだったと思う。私募の広告規制緩和は画期的な政策であったといえるだろう。
今から振り返ればこそだが、映画「ウルフ・オブ・ウォールストリート」で描かれた悪質な商法の中にスタートアップの揺籃となる現代的な資本市場の萌芽があったのではないかと思われるのである。
2.私募の世界はリスクと隣り合わせ
だが、私募の世界の拡張はリスクと隣り合わせである。先述のベルフォードの例に見るようにペニー株投資は不正の温床であり、非常にリスクの高い世界である。
証券取引法が整備された背景には社会問題がある。大戦間の1929年の株式大暴落がそれである。企業の情報開示が十分でなく実質的な根拠があるわけではないのにブローカーは大もうけを約束し、投資家は投機の熱狂につられ、そして大暴落を経験した。証券取引は、規制を誤ると大きな社会問題に発展する。その前から、証券業者は放っておくと空まで区画に分けて売り付けてしまうといわれており、これを規制するため各州では「ブルースカイ法」と呼ばれる州法が制定されていた(注15)。
米国証券取引法の厳しい「広告規制・勧誘規制」と重い「情報開示規制」は、歴史的な重みがあるものである。だが、今日のスタートアップの育成は、これを緩和したことで実現した。
もちろん、現代のベンチャーやスタートアップ企業の株式売買も抱えている問題は変わらない。SPAC企業はペニーストック規制との関係が問題となっているし、大手資産運用会社ブラックロックも非登録株式を誤って売却したことが報じられている(注16)。
筆者がベンチャー・キャピタル等から個人的に聞いたところによれば、シリコンバレーでは、どうやら意図的に虚偽の情報を吹聴していると思われる者も実際には存在し、最後はその者が逮捕されるに至るだろうと思いつつも、それに相乗りすることがある、というものもあった。また、シリコンバレーでは特に法務が重要、という話も聞いた。やるかやられるかの西部劇的世界が広がっており、単に技術力だけでは生き抜けない粗暴な業界であるような印象を受ける。
日本でも出資価値があると勧誘して有価証券を売り付ける行為は、昔からあった。高配当を保証して、新聞、雑誌、ラジオ等で大々的な宣伝を行い、農民、戦争未亡人等から出資を募った「保全経済会事件」がそれである。これをきっかけに日本では出資法が制定されたが、その本質は「あたかも出資金が返ってくるかのような誤解を招く手法」についての誇大広告規制であった。被害者は泣き寝入りを余儀なくされ、大きな社会問題になったという。
出資法だけでなく金融商品取引法も「私募」の範囲を狭く捉えて規制している(注17)。金商法は、「多数の者」向け(50名以上)の「売付け勧誘」かどうかというところからスタートする(金商法2条3項1号)。取得勧誘先の要件は緩和され、適格機関投資家私募(22号イ)、特定投資家私募(2号ロ)の例外が設けられているが、特定投資家の候補になりえる者はネットで新株発行の有無を確認できない。投資型クラウドファンディングはネット広告を利用できるが発行総額上限が設けられている。
海外のベンチャー・キャピタルがスタートアップの唾を付けると称して訪日する事案をみるに、まずは、ネット規制を緩和して閲覧者を増やすところから入り、そして、特定投資家でない者が軽々に株式を取得できないような規制を(罰則強化を含めて)講じる方向で検討するのが良いのではないか。
この分野は、適度な規制でなければ大きな社会問題が発生しかねない分野であり、同時に過度に規制しがちな分野ともいえる。それをどこまで克服し、現代的な課題に対応できるかは、投資家保護との関係で規制のチャレンジとなる。それは、今後のスタートアップ育成策の重要な鍵を握るだろう。
3.公募市場単独主義の終焉
最近の成長産業と私募市場の関係を見てみよう。GAFA等旧世代のテック企業は公開市場に依存してきたが、最近のユニコーン企業は私募市場を活用して成長してきたといわれている。私募市場で十分な資金調達が可能というのである。
2020年12月にナスダック市場でIPOを果たし、時価総額が約10兆円に達したことで注目を浴びたAirbnbの創業者Brian Cheskyは、2020年1月、CNBCのインタビューで興味深いことを述べている(注18)。「株式公開を急ぐ人の多くは資金が必要だからだ。私達は資金を集める必要がないので急いでいない。」今の優良なスタートアップは、公募市場で資金調達を行う必要はもはやなくなったようですらある。
公募市場はもはやスタートアップには不要なのか。それは、なぜUberやAirbnb, Spotifyがあえて上場したのかを考えることになる。
SpotifyやSlackは「直接上場」(Direct Listing)という手法を用いた(Airbnbも直接上場を目指していたといわれている)。これは通常のIPOと異なり、新株発行を伴わず、既存の株式を上場市場で流通させるに過ぎない。私募市場(非上場市場)で資金調達に困難を感じない、キャッシュ・リッチなスタートアップがわざわざ重い内部監査コストを覚悟してまで上場する理由は一体なにか。
いくつか理由が考えられるが、自社株対価M&Aが可能になること、従業員保有のストックオプション株の価値向上が期待できることにある(注19)。スタートアップの世界は、超競争環境にあり、弱肉強食の世界である。積極的なM&A戦略を取るためにも自社株TOB等のM&A手法を確保しておくことは大きな意味がある。また、私募市場における資金調達は、公募に必要な開示書類を提示しなくてよい代わりに、発行された株式の転売規制がかかっている。直接上場によって株主は保有株を売却できるようになり、ストックオプション株の価値引上げにつながる。私募で発行した株式は転売できないという規制が効いている。
このように見てくると、(優良な)スタートアップの目線からは、成長段階の資金調達は私募市場(非上場市場)で十分であり、上場市場は流通先確保のための役割で十分ということなのだろう。
戦後の経済は、上場市場が中心的で私募市場(非上場市場)は例外的という位置付けであった。しかし、デジタル時代における産業育成としては、両者を並列させ、むしろ私募市場を中心的なものと扱っていく大胆さが必要になるかもしれない。「貯蓄から投資へ」の政策も上場株式への投資促進より非上場株式への投資促進の方が重要かもしれない。その場合には「非」上場という呼び習わしも変更した方が良いだろう。
4.禁止された取引の解禁と人類の進歩
以上のように見てくると、悪質な「ウルフ・オブ・ウォールストリート」の状況が羨望の眼でみられるスタートアップの私募市場に化けたようにも見える。この状況は、トマス・アクィナス(1225‐1274)の「神学大全」を思い起こす。
中世欧州では「商取引」は私利私欲を満たすためのものとして非難の対象であった。商人は神を喜ばさない、のである。だが、合理主義者アキナスは、神学大全で馬や牛の売買など必要な物資の売買は罪ではない、と述べた(ただ、私利私欲に走るのは罪であるとも述べる。)。「取引」を神の財の移転として位置付け、正当化したのである。弁証法による問答には(注20)、瑕疵がある場合には売主は事後的に填補する義務があるとし、得た代金が多かったことが判明したら買主はこれを返済すべきだという道徳的な取引である。今の「瑕疵担保責任」につながる萌芽が中世欧州にすでに見られたことには感動すら覚える。
アウトローの放浪商人が行う行為を肯定的にとらえ、正当化することで商取引が発展し、文明が発達していく。このような歴史を見ると、一律に行為を禁止するルールはこれを見直し、肯定的にとらえなおすことは、その時代の人類の使命であるかのようにすら思う。情報通信技術の画期的な発展の中で、一律な禁止ルールは大胆な見直しが必要に思う。
5.私募市場の形成に向けて
上記のような理解を前提に、視線をぐっと下げて具体的な2つの政策的対応を述べてみたい。
(1)株主投資契約の解釈論の深化
まず、制度的対応としての株主投資契約の解釈論の深化の必要性である。
発行企業と投資家の間では構造的な情報の非対称性がある。著名なアカロフのレモン市場の理論は、情報を隠すことができる市場では、優良な品質の売り手が市場から退出し、悪質な品質の売り手のみが市場に残り、深刻な機能不全を起こすことを示している(注21)。
すなわち、私募市場は、金融商品取引法の規制が予定されない領域であるため、投資家は投資に当たり自衛する必要があるし、情報を引き出すことができなければ、レモン市場のメカニズムが働く結果、その市場は維持できないことになる。
米国証券法では「自衛力認定投資家(accredited investor)」という概念があり、銀行、保険会社、富裕層等のプロ投資家がこれに当たるものとされ、非上場市場で株式を買うことができる。彼らは、自らデュー・ディリジェンスを行い(注22)、契約上の自衛措置を講じることができる者であるとの前提に立っている。
このような世界における株式投資は、対象会社と投資家の間で個別交渉が行われるか、PPM(Private Placement Memorandum)と呼ばれる検討資料を信頼して行われる。
交渉を経て個別に株式投資契約が締結される場合のモデル条項は、NVCA(National Venture Capital Association)が素案を公開しており、日本でも宍戸善一教授の編による『スタートアップ投資契約モデル契約と解説』(注23)において紹介されている。この場合には、契約解釈論の深化が制度面からの重要な課題となっていくだろう。特に表明保証は、このドラフトの提示が交渉過程で情報を集める機能を持つことが実感されており、金商法のない領域における情報開示規制の代替として機能し得る。これが適切に機能するよう解釈論を提示することは、制度上の課題として政策的に重要である。これまでも商法学の世界で議論が積み重ねられてきたが今後も裁判例の動向を注視していくことが必要だろう(注24)。
PPMについての日本法における対応はより深化を要する。NY州ではPPMに重要な不記載があった事案で被告の情報開示義務を認めた判決がある。投資家保護と債権者保護は、限界的な企業の場合、トレードオフの関係に立つ。1860年代の英国では、会社設立ブームが起こり、そして暴落が続いた。その時期、投資家保護が手厚いと会社財産が流出し、債権者保護に欠けることが問題となった(注25)。このため、投資家保護法制の役割を果たしていた不実表示責任の法理が制限的に解されていた時期がある。日本でいう説明義務違反の法理をどこまで厳格にするかは、債権者保護との関係でさじ加減が難問となる。
(2)投資のインセンティブ
近時、バイオや宇宙など、質的に高度な研究開発を伴うディープテック・スタートアップの裾野が拡大しているといわれている(注26)。IT・ネット系のスタートアップに比べ、必要な資金量が多く、事業化まで長期間を要するという特徴がある。
いったん、事業化に成功すれば、その後、関連産業の興隆や雇用などさまざまな国民経済的利益が生まれる可能性もある。だが、目線を国から投資家に移し、その事業単体への投資と短期的な収益の回収という視点で見ると、投資価値がない場合も多く存在すると思われる。
その場合、こうした事業への適正な支援の仕方を検討するため思考実験を行う。
(A)自然体のケース
今、ベンチャー・キャピタルが、ディープテック・スタートアップに10の投資を行うとする。失敗する確率50%、成功する確率50%(そのうち、大成功する確率0.01%)とし、次のような利得が生じるものとする。
出資がゼロになる場合には資産がゼロになるものとして損が−10発生するものとする。
この場合の期待損益は次のように計算される。
−10×50%+10×49.9%+100×0.1%=0.09
投資額10に対して利得が0.09であるので利回りは0.9%となる。一般に株式投資の利回りは2%程度といわれているので、この投資は魅力的ではない。
(B)補助金で支援するケース
そこで、ディープテック・スタートアップに対して投資額の半分である5を補助するとする。そうすると利得表は次のように変化する。
この場合の期待損益は次のように計算される。
−5×50%+10×49.9%+100×0.1%=2.59
投資額5に対して利得が2.59であるので利回りは51.8%となる。
以上の計算で明らかな通り、利回りに爆発的な増が見られる(57.6倍。0.9%→51.8%)
ここでは、事業が失敗しても株主の損失は限定的であり、当たると大きいというディープテック・スタートアップの特質が効いている。利益が大きく上振れする可能性があるため株主のインセンティブが意図的に歪められ、ハイリスク・ハイリターンな事業が選択されるよう誘導されている。経済学でいう「資産代替」の問題が狙い通りの方向に生じる(注27)。投資補助は非常に有効な政策と考えられるのである。
(C)極端なケース
上記の結論をより観察するため、極端な例をおいて検討してみよう。ベンチャー・キャピタルは10を投資し、次のようなハイリスク・ハイリターンな案件に投資するかを検討しているものとする。
補助がない場合の期待利得は0.1であり利回りは1%である。補助がなければ魅力的な投資案件ではない。一方、補助がある場合の期待利得は5.05となり、利回りは101%となる。補助が損失の下振れを抑えることで高い利回りを持つ投資案件に修正することが可能となったことが確認できる。
(D)政府の協調出資で支援するケース
仮にこれを政府の協調出資という形で支援するとどうなるか念のため見てみよう。民間(ベンチャーキャピタル)、政府はそれぞれ5を出資し、利益は民間と政府で折半する。
−5×50%+5×49.9%+50×0.1%=0.09
当たり前の結果が表れる。通常の出資と利回りは同じになり、ベンチャー・キャピタルにとって魅力的な投資とならない。投資補助がいかに有効かを物語っているように思われる。
(E)結論
スタートアップ段階の補助事業はインセンティブの修正を通じてハイリスク・ハイリターンの投資案件はローリスク・ハイリターンな事業に変わる。日本の私募市場が投資家のリスク回避的傾向という問題を抱えているとするならば、このような政策は有効に機能するものと思われる。
4.最後に
情報通信技術の発達により会社の資金調達の在り方は一変した。かつて存在した株主総会の招集地規制(本店所在地又は隣接地で行うことを要する、商法233条)も会社法制定時に撤廃されたことを想起されたい。株主が通常の交通手段を使って議決権行使を行うことを担保するための規定だったと思われるが、交通手段の発達によって不要になったのである。
インターネットの時代、世界に情報を発信できる。そうなると、世界中のどこかには投資を望みリスクを取れる富裕層がいるのである。資金調達は、これまで「既存の実質的な関係」(SECが一般的勧誘ではないものの基礎として扱う原則がこれである)が存在する範囲内を超えて、広く集めることが可能となった。
これからの時代は「公募」と「私募」は原則と例外を逆転させるくらいの改革が必要なのかもしれないと思う次第である。その場合には、「私募」の世界のルールがあまりにも未熟すぎる。「ジャンク債」「ジャンク株」が大量に発行され、誰も正確な情報を得ないまま買われる世界は「レモン市場化」して市場として機能しなくなる。「私募」の世界を拡充するにはルール整備に同時並行して取り組む必要があり、その1つが株主投資契約の深化と説明義務違反の法理の適用関係の明確化だと考えているのである。