Special Report

増産契約の罠と経済的強迫の法理(下)

吉岡 正嗣
コンサルティングフェロー

増産契約の罠と経済的強迫の法理(中)」では、簡単な契約理論を紹介し、法的拘束力がなく、かつ、調達数量が明記されていない契約に入り、関係特殊的投資を先行するとホールドアップを受ける可能性があることを紹介した。このため、契約に入らないという選択肢自体が、合理的な行動ともみられることを紹介した。

本稿では、契約の罠ともいえる「ホールドアップ問題」を米国法がどうとらえてきたのか、日本法ではどうとらえているのか、を紹介する。

4.米国の判例(Alaska Packers’事件判決(注1))

ホールドアップ問題は、日本の商慣行では「足元を見る」という言葉で表されている。足元を見るとは、街道筋や宿場などで、駕籠(かご)かきや馬方(うまかた)が、旅人の足元を見て疲れ具合を見抜き、その疲れ具合につけ込んで、高い値段を要求していたことを語源とするといわれている(注2)。

次に紹介するAlaska Packers’事件判決も、一方当事者の窮迫に乗じて高い値段をふっかけた事案であり、ホールドアップ問題が典型的に現れている古典的な事件として知られている。

個人漁師たちは、漁業を営む会社とサンフランシスコでチャーターされた漁船に船員として乗船し、アラスカで漁期中に漁をして働くことに同意した。契約では、シーズン中に各員に50ドルずつ支払い、紅鮭1匹につき2セントを支払う約束となっていた。現地の港につき、被告人は缶詰工場を整備するため15万ドルの投資を行った。

その数日後、個人漁師たちは、契約で定められた金額の増額を要求、50ドルではなく100ドルの支払いを求め、これに応じなければ作業を停止してサンフランシスコに戻ると主張した。会社としては、現地で他の者を雇用することができず、要求をのまざるを得なかった。50ドルではなく100ドルの支払いを了承し、海運委員の前で海運契約に署名した。

漁期終了後、サンフランシスコに戻り、漁師たちは会社に支払いを請求したが、会社は変更契約の無効を主張した。第9巡回区裁判所は、変更契約は、約因によって支えられておらず、執行可能ではない、と判断した。会社の足元を見た漁師が敗訴したということである。

「約因」とは英国法に特有の法理の1つである。合意があっても約因がなければ契約として強制執行の対象とならない。大陸法系に属する日本法には存在しない概念であるが(注3)、ここでは当面、反対給付がない有償契約は強制執行可能性がないというルール(注4)と理解しておけばよい。要するに、判旨は、実質的な理由ではなく形式的な理由で請求を退けたということである。

契約法学者のCorbin教授は、本判決は、経済的強迫(economic duress)に正当化の根拠があると指摘し、判旨を支持する、としている(注5)。Posner判事は、この判決を、契約に入ること自体が「罠」になり得るという予想が一般化してしまうことを防ぎ、これによって人々が効率的な資源のやり取りを促進する契約に入ることを促すことができる、と述べている(注6)。

少し立ち入って説明しよう。この当時、契約変更の場合には追加的な反対給付が必要だとする既存義務ルール(pre-existing duty rule(注7))というものが存在していた。先にみたように英米法は、契約はその対価の定めがなければ法的な拘束力が付与されない。そして、この法理は、契約変更の場合にも妥当するとされる。すなわち、契約時に書いた対価の定めを援用して、変更後の契約も約因はあるのだと主張しても、変更部分に対応する追加的な対価の定めがなければ、そのような主張は、退けられてしまう。Alaska Packers’事件判決は、漁師の一方的な主張で支払額をつり上げたにすぎないという事情をとらえ、この法理を形式的に適用することによって、変更契約は法的拘束力を有しない、と判断したのである。

当時は、要件を満たしていないという形式的な判断で処理することも許されたが、その後の判例法理の展開の中で、既存義務ルールは維持が難しくなった。今では、不当な契約変更をAlaska Packers’事件判決と同様の理屈で形式的に退けることは難しくなっている。

結果、窮迫につけ込まれた者を救済するための受け皿となる法理が別途必要となっているのである。その法理として用いられたのが「強迫(duress)」概念である。本来「畏怖」をその要素とするはずの強迫概念を観念的に拡大させることにより受け皿として利用しようという実際上の必要性が強くなっているのである。

5.日本法

日本では、Akaska Packers’事件判決にみられる「経済的強迫」の事案に対して、どう処理してきたのだろうか。

大審院昭和9年5月1日判決(民集13巻875頁)は、暴利行為の一般的な定式を確立したリーディングケースである。

原告Xである貸金業者は被告Yである農夫に対して500円を貸付け、その担保として、保険証書の交付を受けた。その際、債務の弁済がなされなかった場合には、保険証書の解約返戻金が貸金に比して過不足があっても清算は行わないとの特約があった。解約返戻金は980円であった。Yが期日までに弁済しなかったため、Xは解約返戻金の残余である480円の支払いを請求した。大審院は次のように述べて原告の請求を棄却している。

曰く、「他人の窮迫軽率若しくは無経験を利用し著しく過当なる利益の獲得を目的とする法律行為は、善良の風俗に反する事項を目的とするものにして、無効なりと言わざるべからず」。

本判決は「窮迫」等を利用して「過当なる利益の獲得」を目的とした法律行為は、90条違反であり無効であると判断したものである。米国の経済的強迫のような場面は、民法90条の公序良俗違反の中で暴利行為論として理解されてきたのである。

暴利行為論の中には、さまざまな類型が混在している。構造的な情報弱者である消費者保護の類型が典型的な1つである。それに対しては、消費者関係立法(消費者契約法8条以下)や不当条項規制(民法第548条の2第2項)などの制定とそれらの活躍の中で、包括的な受け皿としての暴利行為論はスリム化されていく(注8)。

経済的強迫のような場面は、優越的地位の濫用の法理などの独禁法違反を構成する可能性がある(注9)。そして、独禁法違反の私法上の効力については古くから議論があり、現在の到達点は、独禁法違反が直ちに民法90条(公序良俗)違反になるわけではないというものである(最判昭和52年6月20日民集31巻4号449頁)。独禁法は取締法規であるので、これに違反しても私法上無効とはいえず、私法上無効というには追加的な要素が必要であるとする考え方である(「付加要件説」といわれる)。

この議論は、近時、契約法学において関心を呼んでいる(注10)。伝統的な契約法学は、当事者の私権侵害、私的利益侵害を契約自由の外在的な制約とみてきた。昨今、実はそうではなく、市場における競争秩序もまた私権の秩序として考えられる、との見解が現れる(注11)。山本顕治教授は、この点を正面から論じ、私法上の無効を導く経済的公序違反の論理を経済的な分析を用いて示した。

このような議論の展開は、「公序良俗」という正義や公正に係る概念の中に、経済的公序という市場法としての理解を持ち込むものであり、民法を政策法としてとらえる重要な契機である。まだこうした議論は発展途上であり、今の通説的な見方は、独禁法違反イコール公序良俗違反という定式が常に成り立つとはみていない、というものである(注12)。

ホールドアップを抑止する法理が十分に用意されているとはいえない世界では、契約にポズナー判事のいう「罠」が伏在する疑念を惹起させるものがあるだろう。特に関係特殊的投資を要する契約にこのような弊害がみられることになる。そのような関係に入るのは回避しようとすることが合理的だということになる。

ホールドアップ問題について、米国法は強迫概念の拡大の中で、日本法は公序良俗の範囲内で処理してきたのである。強迫概念の拡張を用いるか、公序良俗の中で処理するか、いずれであったとしても、不当な取引を無効とし、不利益を被った者を救済する公平・正義の法概念として機能しているのであれば、いずれが妥当かという議論にはならない。

ただ、米国法の「経済的強迫」という枠組みは、関係特殊的投資を行ってしまった者は、相手方から足元を見られる(ホールドアップされる)可能性がある、ということを意識的に理解することに適した枠組みであるということはいえよう。

暴利行為の憂き目にあうことがあり得る者は、消費者等の社会的弱者に限らない。だがやはり公序良俗や暴利行為といった言葉のニュアンスには、社会的弱者を保護する仕組みという発想が働きがちになるだろう。社会的には弱者とはみられなくとも、インセンティブの歪みを利用した取引から正当な当事者を守る枠組みとしても機能しなければならない。

日本法における公序良俗を経済的公序にまで拡充する理解の仕方は、このような新たな発展の基盤となるものと思われる。そして、米国で議論されているように、ホールドアップ類型であっても、社会にとって望ましい契約は存在しており、有効としつつも一部修正するなど工夫した適用もあり得る、といった議論にも発展し得るだろう(注13)。

具体的な検討はここではできないが、契約の罠ともいうべき経済的強迫の問題については、今後も市場法、政策法としての契約法理の進化が期待される。

最後に、契約理論の持つ政策的な含意についても指摘しておきたい。米国の国防生産法は、粉ミルクなどの生活に直結する物資にも適用が図られようとしている。交通・輸送網の発展とともに、半世紀前ぐらいであれば救えなかった家庭も供給体制を構築すれば救える時代にある。このような法制度の下でネックとなるのが、政府の緊急増産の要請に対して事業者が呼応できるか、という点である。粉ミルクのようなものであれば単年度で緊急の発注は完了するかもしれないが、複数年度にわたって緊急増産をするような物資がある場合、単年度主義の観点から、全体の調達数量を契約書の中で(要するに法的拘束力を受忍する形で)示すことができないということもあるだろう。中期計画として閣議決定したとしても契約に書けなければ強制力がないのはいうまでもない。そのような場合、事業者側の初年度の投資は全体を見据えた最適投資にはならず、過少投資になってしまう。すなわち、緊急にある物資が必要になったとして、そのニーズを充足させるには、平時からの備蓄、輸入による充足、企業への緊急増産要請といった選択肢が考えられるところ、最後の増産要請については、企業は、ラインマックスまでは応じるが、それ以上の緊急増産できる体制をとることはしない、と応答してくる可能性があるだろう。このような場合にどうするか。契約理論から得られる示唆は、長期契約としてコミットする枠組みを創設すること、国防生産法のように製造設備の所有権を発注者側に帰属させること、といったものとなる。

脚注
  1. ^ Alaska Packers’ Association v. Domenico(117 F.99 [9th Cir.1902])
  2. ^ ウェブ上の「語源由来辞典」を参照した。
  3. ^ そうはいっても、日本法は、主にフランス法をならったが、フランス法におけるコーズ(富井政章博士はコーズを「契約の原因」と訳している)も日本に導入していない。
  4. ^ 約因の意義自体、英国法学者の間で意見の対立がある(Atiyah教授は、裁判所が強制執行を可能とする「合理性」がある合意と割り切るよりないと理解し、Treitel教授は、この見解を否定し、伝統的には利益・不利益が債務者又は債権者に付与されるという基準の適用でよいと主張する。そして、約因は当事者の契約に拘束されることを肯定する意思だと理解する。)
  5. ^ IA A. Corbin, Corbin on Contracts ss184, at 148-49., D.A.Graham and E.R. Peirce, Contract Modification: An Economic Analaysis of the hold-up game, Law and Contemporary Problems, vol 52, No.1, p9, p13 note 26.
  6. ^ Selmer Co. v. Blakeslee-Midwest Co., 704 F.2d 924, 927 (7th Cir. 1983).
  7. ^ 樋口範雄『アメリカ契約法』100頁。
  8. ^ 民法判例百選Ⅰ[第8版]15事件暴利行為[武田直大]参照。
  9. ^ 要件が厳しいため、具体的な類型にあてはまらないかもしれない。
  10. ^ 山本顕治「競争秩序と契約法:「厚生対権利」の一局面」神戸法學雑誌56(3):142-272,269頁
  11. ^ 山本前掲・235頁、森田修教授の説
  12. ^ 経済法判例・審決百選[第2版]122事件[磯村保]
  13. ^ S Shavell, Contractual Holdup and Legal Intervention, 36 J. Legal Stud. 325 (2007).

2022年6月9日掲載

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