Special Report

再び医科大学・医学部の入試差別問題について―異質な問題は区別して考えるべきである

山口 一男
客員研究員

東京医科大学に続き順天堂大学でも医学部入学に関し女性を減点している事実が明らかになった。また北里大学も補欠者の繰り上げ入学において男性優先をしていたという。これらの大学に加え、昭和大学、福岡大学、金沢医科大学も2浪生以上の差別や、類似の年齢差別を行っていたという。一方神戸大学や岩手医科大学では地域振興や地域重視など理由により一部に加点など優遇措置があったという。これらの医学部入試における差別問題について、現在政府や行政においても、ジャーナリズムの報道でも、異なる種類の物があたかも同じ種類の問題であるかのように語られることで、問題の所在が一方で曖昧になり、他方で政府がこの問題を正すことに積極的な姿勢を未だ示していないことに結びついているように感じるので、その点を議論したい。

女性差別の問題

まず第一に筆者の関連する前コラム(https://www.rieti.go.jp/jp/special/special_report/098.html)で述べたが、女性差別は憲法14条及び教育基本法4条に反する行為である。一般にそれらの2法で共通の表現である

「人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地」

によって、人は「教育上(教育基本法第4条)」、および「政治的、経済的または社会的関係において(憲法14条)」差別されない、と法で明記されている。またこれらの基準での差別行為は、応募要項に示されているなら認められる、などというものでは全くない。「人種、性別、社会的身分、経済的地位または門地」というのは生まれで決まる属性で、「人は生まれによる属性により差別されてはならない」という基本的人権を示したものである。また「信条」は、生まれによる属性ではないが、「信仰の自由」などの社会的自由の権利同様、社会において信仰・信条が社会的対立を生みだし、少数派への社会的弾圧を生み出してきたことへの歴史的反省から、民主主義国家で社会的生まれの属性同様の扱いを受けてきた経緯による。最近ではLGBTなどの性的指向・自認についても、米国など多くの国で同様の扱いになってきている。

文部科学省は女性差別の疑いのある大学に対し、自主的な調査と、その結果不正があれば公表することを要請し、その結果前記の様に順天堂大、北里大においても男性優遇があったことが判明する結果となった。しかし筆者の計算によると、男女の受験生の能力の分布が同じである場合に女性差別をしていないで生じる確率が1000分の1にも満たないほど女性合格率が男性に比べて低い聖マリアンナ大学を始め、統計的に有意に女性の合格率が男性合格率を下回る大学は多い。昭和大学も女性合格率が低く、はたして「浪人生差別のみ」であるのかどうか疑わしい。東京医科大学や順天堂大学が氷山の一角である可能性は高いと考える。文部科学省は疑いのあるすべての大学について、女性差別の有無に関し、当事者の自主調査ではなく、第3者委員会が調査できるようにすべきである。そうでないと、自主調査が公正か否かで是正が行われるか否かが決まるという不公正を生む。政府は女性差別の事実を明らかにする義務のみでなく、法に背いた医科大学・医学部に対し罰を課し、被害者救済をする責任がある。さもなければ法治国家ではないというのが筆者の意見である。

「浪人生差別」の問題

一方「浪人生差別」や後述する神戸大学のケースは、これら憲法や教育基本法における基本的人権問題では全くない。従って同様のレベルの問題と考えるのは誤りであり、これらはそれぞれ個別の問題として考えるべきである。では、まず「浪人生差別」問題はどう考えるべきか? 筆者はまず、この問題を「浪人」問題ととらえる意識自体、時代にそぐわなくなっていると思う。

そのことを説明することに関し、図は2016年OECD教育統計における大学入学者の平均年齢をOECD諸国のうち、この統計が得られるすべての国に対し、大きい順に示したものである。図を見て明らかなように、各国の大学入学者平均年齢は日本よりはるかに高い。これは平均値であるが、中央値でみてもほぼ同様であり日本は最低である。また年齢のばらつきも日本が最低で、日本では大学入学者の若いほうから20%分位は18歳、80%分位も18歳とほぼ均一である。一方例えば平均が2位のスウェーデンでは20%分位は19歳、80%分位は27歳と8歳も違い、ばらつきが非常に大きくなっている。新入生といっても多様なのである。OECD平均では20%分位が18歳で、80%分位は23歳である。比較的教育制度の優れている北欧諸国で大学入学平均年齢が高く、ばらつきも大きいことも注目に値する。この点日本は世界で極めて例外的に高校卒業後即大学入学する学生が圧倒的多数の特異な国になっている。

図:大学入学平均年齢:OECD諸国2016年統計
図:大学入学平均年齢:OECD諸国2016年統計

日本と韓国を除く国々で大学入学平均年齢が高いのは、「浪人」期間が長いからでは全くない。高校卒業後に数年就業し、大学に入学する人々が多いからである。また一般に日本や韓国以外では大学教育であれ、大学院教育であれ、就業を通じて社会経験を積むことも、また多様な社会経験のある学生が共に学ぶことも、高等教育上でプラスに考えられているという社会的背景がある。

一方日本においては、一刻も早く大学に入り、また卒業したら、一生を託す勤め先を早く決めて1年でも長くそこに勤めることに未だ大きな価値がおかれている。高度成長時代に広く定着した正規雇用の「終身雇用制度」において、企業内の年功序列的階層制度が確立したためである。またこの結果、学生の社会経験には多様性がなく、また人的資本を高める可能性のある大学院教育も労働市場での優位をもたらさず、大卒女性の数が増えてもその人材活用が進まないという様々な不合理を生んでいる。また、このような大学や雇用のありかたは自社の外の世界の就業経験を持たない同質的な生え抜きエリートが企業の意思決定者となる仕組みを生みだし、市場の成功モデルに不確定性が高まり多様な知識経験を持つ人材が意思決定にかかわることが求められる現在、日本企業のパフォーマンスの低迷を生んでいると筆者は考えている。

さて「浪人生差別」に戻って、受験には運もあり、セカンドチャンスなどを公平に与えるべきであるなどの議論とは別に、この問題は入試での差別問題を超えて、今後の日本の大学の在り方に深く関わっていると筆者は考える。「浪人生」とひとくくりにいうが、家庭や個人の事情で大学進学を遅らせざるを得ない者もおり、また第一志望の大学に入れず「浪人」した者であっても予備校に通って受験勉強をする者のみでなく、アルバイトや家業の手伝いをしながら受験勉強を続ける者もいる。将来的には欧米のようにフルタイムの就業経験などを経てから進学したいと望む者も多くなるであろう。

筆者が米国大学で教えていて気づくのは、大学が学びの場であるのは、単に授業において講師から学ぶ場であるからではなく、多様な背景や経験や考えを持つ学生たちと共に、インタラクティブに学ぶ場でもあるという視点である。後者の学びから得るものも多い。一方日本の大学生は経験の多様性に欠け年齢的に均質なため、大学が学びの場というよりは単にその後の就職への通過点となっている。最近の企業の「就活ルール」の廃止が学生の行動に与える影響などの議論にも、大学が企業の人材選定に資する機関などではなく、人的資本や知識と思考力の育成機関である、という根本事実が忘れられていると筆者には思える。このような中で、入試における「現役・1浪」の優遇は、将来的にも大学生に様々な社会経験を積んだ後に大学で学ぶというような多様性が生まれる可能性を排除し、大学を単なる就職への通過点と位置付ける視点を強化することになる。

もちろん、以上の観点はどのような社会が望ましいかに関する価値観に依存し、筆者のように多様性を価値あるものと見る見方が未だ日本社会で共有されているわけではない。しかし、高等教育機関である大学が、間接的ではあれ人々の多様性を否定する入学基準を用いることは、それが直接的に憲法や教育基本法に反しない基準であれ、あってはならないことだと筆者は考える。従って今後とも、応募要項で明示しようとも、現役・1浪を重視する大学は、その公平基準のみならず、大学が社会で果たす役割との関係でその方針に対する説明責任を求められるであろう。

別基準の特別枠はAO入試の方が望ましい

さて、神戸大学の例だが、推薦入試の地域特別枠で公的医療機関が少ない地域の出身者に加点していたという。もし「地域特別枠」に関して地域振興重視の観点からの一定の基準で合理的に判断した(例えばその地域出身の医師が、その地域の医療に従事する確率が高いことが知られているなど)のであれば、応募基準における透明性の欠如の問題であり、不正の問題ではない。一般に学生個人に特別な業績がある場合や地域振興など大学の正当な特殊目的に合わせて少数の入学者を別枠で受け入れることは不正では全くない。だが筆者は推薦入試であれもし入学試験に加点するならば問題があり、そのような特別枠は別途AO入試の基準で扱うのが望ましいと考える。その理由は、一般に少数の「特別枠での入学許可」は、それらの特別枠の基準が全応募者の評価基準にはなりえないという意味で「大多数の応募者と競合的ではない基準」であり、他の多数の応募者に対する機会の均等に反しない、というのが、機会の平等原則との両立に必要な特別枠適用ルールと筆者は考えるからである。しかし一般入試に「加点」するなら「大多数と競合的でない基準」とは言えなくなる。

以上で明らかなように、現在さまざまな異なる基準での入学者調整問題が同列に語られることが、問題の本質を曖昧にしている。「浪人生差別」問題も、これからの日本の大学の在り方を左右する重要問題といえるが、女性差別に関しては何より社会的機会の平等に関する法の順守の問題である。この点、政府が女性差別をしていた疑いのある大学について自主調査に任せていわば放置し、東京医科大学や順天堂大学などごく少数の大学のみの問題に終わらせようとしているとも思える曖昧な態度をとり続けていることは、女性の活躍推進を法でも政策でも唱えている政府として、言行不一致と国の内外からそしられても、仕方がないと考える。今からでも遅くはない、この問題に対し政府が法に則し、国民に納得のいく厳正な解決をすることを強く要望する。それには、東京医科大学や順天堂大学以外にも女性差別を行った医科大学・医学部があるのかないのか、あるとすればどの大学がどのように行ったのかをまず明らかにすることから進めるべきである。

2018年12月11日掲載