Special Report

「安心社会」から「信頼社会」へ―山岸俊男氏(1948-2018)の死を悼んで

山口 一男 客員研究員

社会心理学者で文化功労者の山岸俊男氏がお亡くなりになった。彼が久々に連絡してきたのは数カ月前のことである。北海道に戻る直前だ。不治の病で残る日々は少ないと告げられた。筆者は真のインテレクチュアルである彼と学問の世界で個人的に出会え、同時代を共に生きられたことは心からの喜びであったことを告げた。山岸氏が真のインテレクチュアルなのは、単に深い知識や見識があるという意味の知識人ではなく、自らの研究を通して新たな知を生み出し、さらにはそれを思想にまで高めた数少ない知の巨人だからである。山岸氏は私の言葉を率直に喜び、実際にそうであるかはわからないがそうありたいと思って学者として生きてきたと語ってくれた。長寿化した現代社会で彼の死は早すぎるが、山岸氏は学者としてやり残したことはほとんどなく、悔いはないとのことであった。そのように言い切れる人生を歩みたいものである。

山岸氏は筆者とほぼ同世代であるだけでなく、米国においてほぼ同時に知られるようになった数少ない日本人社会学者であった。英語で発音するとYamagishiとYamaguchiは似ており、類似の名前は米国では希少であるため、若いころはお互いによく混同された。最初は明らかに研究領域が異なっていたが、筆者が恩師であり後同僚にもなったジェームス・コールマン教授の影響もあって初期のマクロな社会階層化の研究から、より個々人の社会的選択を基礎に社会学理論を組み立てる研究へと移ったため、その分野では遥かに先を行っていた山岸氏と一層混同されやすくなった。しかし山岸氏は社会心理実験、筆者は数理モデルと社会調査データ分析に基づく検証と、方法論はまったく違っていたので、時と共に混同されることはなくなった。しかし、そのような経緯もあって常にお互いを意識し、日本人社会学者として米国でそれぞれ独自の道を開こうとする上で互いの存在が励みであったことは間違いがない。筆者には彼の死が未だ信じ難いが、彼の学問・思想の一部を私なりの言葉で多くの人に伝えることで、彼への冥福の祈りに代えたい。

日本社会の特質に関する山岸氏の理論は、英文論文におけるカレン・クックなどとの優れた共同研究とは別に、山岸氏独自の深い考察に満ちている。その中心に「安心社会と信頼社会」の理論がある。

近代経済学の祖と見なされるアダム・スミスが『国富論』において「神の見えざる手」という表現を用いて、個々人が自分の経済的利益を追求すれば効率的な社会的分業など社会にとって望ましい結果が自然に生まれると主張したのはよく知られている。その後経済学はアダム・スミスの理論はおおむね正しいものの、それが成り立たない場合も多いことを明らかにしてきた。例えば公共財の提供、独占、公害などの外部不経済の発生などである。これらの「市場の失敗」を生むメカニズムの多くは、例えば政府の課税により公共財を提供したり、独占を法的に禁止したり、公害を法的に規制したりと何らかの解決の道があり、実際多くの国ではそれを実現してきた。

だが、解決の道が未だ不明な問題の代表格が「囚人のジレンマ」と呼ばれる状況の普遍的存在である。それは二者関係で、共に協力する選択をすることが、共に協力しない選択をすることに比べ双方に望ましい結果が得られるにも関わらず、各人が短期的利益を合理的に追求すると共に非協力という選択がなされる状況をいう。これまでに数多くの学術研究がこの問題の解決のためにされてきた。

山岸氏の理論は、この囚人のジレンマの問題を人々の選択によって実現されるマクロな社会の秩序問題としてとらえ、進化ゲーム理論と呼ばれる人々の合理的社会適応を重視する理論にその土台を置くところに特徴がある。具体的には囚人のジレンマ問題を解決するにはそれぞれ「安心社会」と「信頼社会」と山岸氏が名付けた2つの社会秩序の在り方があり、現在の日本がその一方の秩序の実現の典型とした。その意味で山岸氏の理論は、独自の日本社会論ともなっている。

山岸氏によると「安心社会」というのは、市場取引について長期的に利害関係を共有する社会関係に基礎を置くことで、囚人のジレンマ問題を解決し、その結果人に騙されることの少ない社会のことをいい、セーフティーネットの発達した安心な社会のことではない。長期的な関係の中では、他人に損害を及ぼしても短期的な利益を追求する者がいれば容易にそれが判明するので、彼らがそのような行動をとれば「村八分」を受ける(取引関係から排除される)という慣行を作ることで、囚人のジレンマの発生を抑制することができ、その意味で安心できる社会となるのである。日本は「終身雇用」制度に見られるような長期雇用の下で雇い主と雇用者の長期的相互依存をもたらす「内部労働市場」や親会社・子会社間や系列会社間の長期的関係や株の持合などの商品市場における長期の相互依存により「安心社会」を生み出す制度を発達させた。「安心社会」のもう1つの特徴は内部のルールやコミュニケーション手段の均質化である。つまり「長期的関係」、「内部市場化」そして「均質化」が「安心社会」の特徴である。

こういった「安心社会」の特徴は日本国内の組織だけでなく日本社会全体にも当てはまる。国内労働市場は外国人労働者や移民労働者に依存する割合が小さくほぼ内部労働市場である。商品市場では製造業は異なるが、サービス業は国外からの観光客に対するものを除けばほぼ国内需要向けの内部商品市場である。島国である日本は、言語も文化も比較的均質で、例えば米国のように州により法律が変わるなどということもない。

これらの「安心社会」の特徴は、単に囚人のジレンマが社会コストを生む状況の回避に役立つだけでなく、経済における取引費用を大きく削減するというベネフィットをもたらす。例えば労働の流動性が高い場合に比べ「終身雇用」は、雇用者の訓練費用も採用費用も大きく減少させる。長期的関係があれば、将来の不測の事態に短期利益を追求する取引相手の行為によって損害が生じることを防ぐために米国などで発達した複雑なビジネス契約の締結も必要がない。多様な言語や文化を持つ取引相手や労働者に対処するための柔軟な経営方法を企業が身につける必要もない。

だが歴史的には「安心社会」は存続が難しく、後述する「信頼社会」が支配的になったと山岸氏は指摘する。それは「安心社会」には上記のベネフィットだけでなく、大きなコストが生じるからである。そのコストとは取引を内部市場や長期的関係に頼るために、外部市場や短期的関係に基づく取引機会を失うという大きな機会費用を払うことである。機会費用は「均質性」からも発生する。例えば経験の類似する内部昇進者のみエリートとなる組織は、外部の世界が変化しているときに変化に適切に対応できる情報力も判断力も持たず、ましてやそういう不確実性の高い状況で「リスクをチャンスに変える」力もない。また共有の均質な言語や内部者にのみ有効なコミュニケーションスタイルへの依存は、他国語や内部と異なるコミュニケーションスタイルの習熟が「外部市場」での機会には必要なので、大きな障害となる。

山岸氏は中世ヨーロッパにおける「マグリブ」と「ジェノヴァ」の比較に関するアブナー・グライフの研究(アブナー・グライフ『比較歴史制度分析』)などを紹介しながら、機会費用が大きくなるほど「安心社会」は、後述する「信頼社会」にくらべ、コストがベネフィットを上回ることになり、日本のような「安心社会」は相対的に競争力を失っていくと警告する。

山岸俊男氏の理論の貢献は、安心社会に代わって囚人のジレンマ状況から生じる社会的コストを克服する異なる秩序の在り方として「信頼社会」の特質を明らかにしたことである。一般に短期的な関係では、相手に損害を与えても利益を追求する人間が抑制されないので、関係構築の是非について不確実性が増す。山岸氏はそのような状況では短期的取引関係でも、相手に損害を与えてまで自己利益を追求しない信頼のできる取引相手か否かを与えられた情報から正しく見分ける力である「社会的知性」を身に着けることが信頼関係を作り上げるのに重要となることを示した。また既にそのような「信頼社会」の社会的知性を獲得した者が平均的には多い米国では、日本に比べ「他人」に対し情報がない場合での信頼性が遥かに高いことも示した。つまり他人を「まず信じてみて誤っていたら訂正する」という姿勢がアメリカ人に多く、他人を「まず疑ってかかる」姿勢が日本人に多い。「信頼社会」とは短期的関係の「他人」でも、その信頼性を見極める知性を持つので、他人と信頼関係を積極的に結ぶことのできる者が多い社会である。このような信頼社会では、囚人のジレンマ状況で非協力的な人間は取引相手を次第に失い、進化ゲームの理論では最終的には淘汰されると考えられている。

また「信頼社会」は「安心社会」とほとんど真逆の特質を持つ。それは「信頼社会」は取引費用を増やしても、機会費用を最小化することに目的を置く社会だからである(注1)。そして、「安心社会」が「長期的関係」「内部市場化」「均質化」を伴うのに対し、「信頼社会」は「短期的取引関係での信頼関係の確立」「外部市場化」「異質性の肯定的評価と活用」を特徴とする。

山岸氏は日本人の集団外部の他人に対する信頼度が低いことを示したが、他人への不信だけが日本において「安心社会」に代わる「信頼社会」への移行を難しくしているわけではない。多言語・多文化社会での経験のある者が少ないばかりか、そのような経験があっても同質志向の日本社会では、組織の意思決定に関わる中心的役割を担わされず、多くは外部との関わりについて橋渡しの役にしか就けないので、外部者との信頼関係の確立には貢献できない状況がある。さらには「信頼社会」には重要な信頼基準の指標が未だ確立され尊重されていない。

「信頼社会」は長期的利害関係の一致に代わって信頼関係を築く土台は、個人や組織がどのように行動するかに関する信頼できる指標の発達とその利用である。例えば企業であれば、その企業が市場に提供する財やサービスの品質の高さに関する名声がその代表例である。高度成長期には日本の家電メーカーや自動車メーカーは、その製品の価格に比べ、遥かに品質の高い製品を市場に提供することで、「外」の世界である海外市場で信頼を得て大きく販売実績を伸ばすことができた。

一方個人に関する信頼性の指標は、集団の内外に共通な普遍主義的基準での人の評価に関する名声が考えられるが、欧米ではそれは主に職業能力や職業倫理、特に専門職倫理や管理職倫理、に関する評判である。専門職者や管理職者として、与えられた役割をこなせる能力があり、またその役割を誠実に果たす人との評判である。またこれは経済学者のロバート・フランクの理論だが、経営者が株主の無知を悪用して自己利益を追求する選択をせず、株主の利益を代表するような誠実なエージェントであるとの評判があれば、むしろ結果として機会も報酬も増えるというようなしくみも同時に発達させることにより、誠実な職業人が得をするので増えていく社会的メカニズムも「信頼社会」は持つ。

一方日本はどうか、最近財務省の公文書改竄問題に関して、近畿財務局は「本省の命令があれば逆らえない」といったという。法の遵守という基本中の基本の公務員の職業倫理よりも「上司の命令に従う」という組織規律を優先したのである。山岸氏はこのような日本人とアメリカ人の行動の違い一般について例えば「集団主義」対「個人主義」というような価値観の違いという解釈を否定する。山岸氏は著書『心でっかちな日本人』で、日本人とアメリカ人の行動の違いは、異なる行動がそれぞれその社会環境で適応行動になっているから起こると主張し、その根拠を数多くの心理実験で示した。上記の例で言えばアメリカ人が職業倫理に忠実なのは、「信頼社会」では職業倫理の順守が信頼の尺度である上に、例え上司の命令でも職業倫理に反する行為は決して許されないからである。また、日本人が公務員倫理などの職業倫理より上司の命令を優先するのは、「安心社会」の長期的雇用の下では、将来的にも継続する組織内の上下関係の和を保つことが下僚にとって順調な昇進・昇給の保障の手段となっていることに加え、上司の命令でしたことなら職業倫理に反しても許されやすいので、「上司の命令に従う」という保身の利益が、「上司に逆らっても法に従う」利益より大きいからである。

一般に企業であれ、個人であれ、その信頼性の指標である名声の獲得は「信頼社会」にとっては、極めて重要な社会関係資本となるのだが、最近名だたる日本企業による、消費者を欺く不祥事が日本で相次いでいる。これは消費者に損害を与えても短期的利益を得ようとした結果で、まさに囚人のジレンマを抑制する秩序が日本社会に失われていることを示す一方、信頼社会にとって有用な名声の価値が未だ深く認識されていない結果と思える。

企業や個人の行為の質に関する名声というのは、獲得のための投資時間が多くかかるが、信頼を裏切る行為で失うのは一瞬である。企業が信頼社会においての名声の保持の重要性について認識せず消費者を裏切る短期的な利益追求をしたり、個人が職業倫理よりも組織内の規律や和を優先する行動をとったりしてしまうことが多いという事実は、未だ日本では信頼社会の行動規範を持つ企業や個人を増やす社会環境がなく、外部世界での信頼獲得にははなはだ心もとない状況にあるといえよう。

このように、山岸俊男氏が日本社会の今後に投げかけた問題は大きく、そして解決の道筋も見えにくい。だが、自給自足の閉鎖社会に戻ろうとでも言うのでない限り、「安心社会」に戻ろうとし、そのために国や組織の管理規律を強めようとする現状は、さらなる混迷に導くことは明らかだと筆者に思える。自由な開かれた社会の実現により、人びとがより自主的に活躍できる状況を実現するとともに、「安心社会」の土台が崩れ社会的不信が一層増す中で、どのように日本人ひとりひとりが、また日本国民が全体として、「他人」との信頼関係の構築に基づく機会の増大を生かしていける社会を作り上げることができるのかが、今問われている。

なお、上記の議論に関係する山岸氏の主な文献は以下である。
『信頼の構造――こころと社会の進化ゲーム』(東京大学出版会、1998年)
『安心社会から信頼社会へ――日本型システムの行方』(中央公論新社、1999年)
『心でっかちな日本人―集団主義という幻想』(日本経済新聞社、2002年)
『日本の「安心」はなぜ、消えたのか――社会心理学から見た現代日本の問題点』(集英社、2008年)

脚注
  1. ^ 山岸理論を離れるが、一般に「取引費用」と「機会費用」は常にトレードオフの関係にあるわけではない。「ユーロ圏」、NAFTA、TPPなどはいずれも国を超えて「内部市場」を作ろうとすることでブロック内の取引費用も機会費用も共に減らそうとする試みである。その試みの評価は筆者の専門を超えるので控える。

2018年6月4日掲載