第19回

アジアの経済統合における日本の役割とは?

深尾 京司
ファカルティフェロー

21世紀に入り、米国の経常収支赤字が大きくふくらむ一方、東アジアの経常収支黒字は増すという、新しいパターンの世界的経常収支不均衡がおこっている。RIETIでは貿易・金融のグローバリゼーション下におけるアジアの経済統合の深化と両立する為替、マクロ経済政策、構造の設計を今年度の主要政策研究課題としてとらえ、研究、政策提言を行っていく。いわばそのキックオフとして6月17日、18日に経団連会館(東京都千代田区)でRIETI政策シンポジウム「新たな世界的不均衡とアジアの経済統合」を開催し、このような世界的不均衡の性格や持続可能性を分析し、予想される不均衡の調整過程のシナリオについて話し合う予定である。開催に際しシンポジウムの参加者である深尾京司ファカルティフェローに不均衡の背景や経済統合との関連についてお話を伺った。

RIETI編集部:
経常収支の「新しい世界的不均衡」の何が問題なのでしょうか。

深尾:
米国の巨大な経常収支赤字の持続可能性の問題、また日本の経常収支黒字もかつてないほど大きくなっていますので貿易摩擦がおこる危険性があります。そしてオーバーヒート気味の中国の景気が1970年代前半の日本のようなインフレを引き起こさないか、というマクロ的な問題の火種が見られます。
ヨーロッパと比較して東アジアの貿易パターンは特異な性格を持っています。つまり、電気機器・事務用機器・精密機械などの(自動車以外の)機械産業に限っては垂直的な分業が進んでいます。これは日系企業を含んだ多国籍企業の活動が垂直的分業を押し進めた結果であり、産業内貿易もさかんです。また中国の経済が拡大し、自国では生産できない特殊な鋼板、化学製品、基幹部品といった高級な中間財、工場の機械設備のような資本財を需要し、日本や韓国といった先進的な国がその供給者となっています。ドイツ・フランス間の貿易で最も取引の多い品目は自動車ですが、日韓の間では半導体です。アジアでは自動車を除く機械産業では非常に精密な分業パターンができあがっており、その高い効率性を背景に世界への供給基地として生産を急速に拡大するなど、大きな利益をもたらしていますが、見方を変えると、ヨーロッパと比べて他の産業での貿易の深化、自由化が非常に遅れていることを意味します。自動車にせよ加工食品にせよ、さまざまな規制が残存し、貿易を難しくしています。いろんな国がバラエティに富んだものを生産して貿易するという産業内貿易の拡大が進んでいません。電気・精密機器産業以外での高い貿易障壁、分業の遅れという問題は、見方を変えれば、潜在的には貿易拡大の大きな可能性があるのだといえます。貿易を緊密化させることで生産の効率が高まり、また消費者の厚生が向上するなど、大きな利益が得られる可能性があります。

RIETI編集部:
アジアは貿易パターンが特異ということですが、アジアにおける経済統合についてはどうお考えですか?

深尾:
5-10年前まで、基本的に東アジアは開かれた地域主義を標榜していました。自由貿易協定(FTA)のような二国間や地域内の閉鎖的な貿易拡大ではなく、全世界に対して多角的に貿易を自由化しようという機運がありました。この背景には、先にも述べたように日本を含む東アジアがその効率的な生産システムを活用して、機械類について全世界の供給基地としての役割を果たすようになった事実があると思います。しかしながら世界貿易機構(WTO)の新ラウンド交渉がシアトル、カンクンと相次いで行き詰まり、他方、世界中でFTAが締結されるようになると、他地域のFTAに乗り遅れまい、という雰囲気になってきました。たとえば日本とメキシコの場合ですと、日墨FTAが締結されないと日系企業が欧米企業と比べて著しく不利益を被るといって日本の産業界が挙って政府に注文をつけました。政府は他国もやっているから仕方がない、という受け身な対応でFTAを推進しようとしていますが、先に述べたような世界の供給基地としての東アジアの特性や、世界経済に占める東アジアの重要度の高まりを考えると、本来なら日本はWTOでの交渉においてもリーダシップを取るべきでしょう。

FTAには原産地規則(rules of origin)の問題があります。自由貿易協定により二国間だけで貿易障壁をなくしますと、第三国からの調達品を売るという抜け道を防ぐために原産地であることを証明する必要が生じます。証明書を作るとなると取引費用は企業にとって負担になります。

また、GATT・WTOの下では、ほとんど全ての品目について貿易障壁を撤廃するようなFTAのみが許されることになっています(GATT24条)。しかし、実際には完全な自由化とはいえない「質の悪いFTA」が横行しています。たとえば日本とメキシコの場合、豚肉等農産物については、特恵輸入枠の設定などによりメキシコからの輸入を優遇することにしただけです。他の多くの国が次々にFTAを結び、日本が取り残されるという事態はぜひ避けるべきです。しかし、前述の原産地規則の問題もありますので、日本も含めて質の悪いFTAが次々に結ばれていくという現在の状況は、世界経済全体の視点から見ると決して望ましいことではない、と多くの国際経済学者は考えています。

RIETI編集部:
アジア経済の中で日本はどんな役割を担うべきだとお考えでしょうか。

深尾:
FTA締結の利益とそれにともなうコストをきちんと分析すべきだと思います。たとえば日本とシンガポール間の協定にしてもその利益とコストに関するフォローアップがされていません。関税同盟や自由貿易協定といった排他的な地域主義の「先進国」であるEUでは関税・非関税障壁がEU域外の貿易相手国毎に大きく異なるなど、貿易障壁がとても複雑になっています。フランスの政府系研究機関であるCEPII(center d'etudes prospectives et d'informations internationals) では相手国の関税・非関税障壁について、かなり詳細に調査しています。日本ではそのような調査を行う機関がほとんどありません。研究者の立場からいいますと、GTAPのようなモデルで大まかな産業別データーベースに基づいて計算するだけではなく、長期的な国益を考え、RIETIのような政府系研究機関がもっと詳細な産業別の生産性比較や非関税障壁を調査することが大切だと思います。そんなに簡単にはできないといわれそうですが(笑)。
政府ではこれまでWTO担当だった人材の多くが今ではFTAを担当しています。しかし新ラウンドの進展が行き詰まっている原因、どうすれば打破できるのかをきちんと分析するべきです。国益を考えると日本はFTAに乗り遅れるわけにはいかないでしょうが、WTOの新ラウンドを推進していくべきでしょう。

また、インド、ブラジル、中国などの国々は交渉力をもった新しいグループとして台頭し、これまでの多国間協議のやり方に意義を唱えています。新しく台頭してきた国々が満足できる形で貿易交渉を進めるにはどうしたらいいのか、日本が積極的に働きかけていくことも大切だと思います。

取材・文/RIETIウェブ編集部 熊谷晶子 2004年5月24日

2004年5月24日掲載

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