本稿は、『日本の企業統治:その再設計と競争力の回復に向けて』第6章「多角化・グローバル化・グループ化の進展と事業組織のガバナンス」のエッセンスを紹介しています。
重要性を増した事業組織のガバナンス
問題の出発点は、日本企業の事業ポートフォリオの複雑化とグループ組織の巨大化によって、事業組織のガバナンスの重要性が増大したことにある。
伝統的な日本企業は、本業中心、あるいは多角化した場合も、本業と関連の深い事業を営むことが一般的であった。組織構造も、この事業特性に対応して、職能別組織、あるいは事業部制を採用する場合も、事業部に対する戦略的意思決定の分権度は低いことが普通であった。しかし1990年代以降、事業ポートフォリオは大きく変容した。多角化とグローバル化が進展し、事業の内容や地理的範囲が拡大した。たとえば、連結総資産上位200社平均でみると、多角化の程度を表す代表的指標であるエントロピー指数は1991年の0.75から2005年の0.87まで(図1参照)、海外売上高比率は2000年の29.3%から2005年の37.7%まで上昇している。同時に組織の面でも、社内カンパニー制や純粋持株会社の採用など、事業ユニットへの権限委譲が進められるとともに、90年代には分社が、2000年以降はM&Aが積極的に行われた。その結果、連結子会社数が増加し、グループ組織の巨大化が進展した(図2参照)。つまり、日本企業は従来に比べて、より複雑な事業構造と、より多くの事業組織(事業部や子会社などの事業ユニット)をグループ内部に抱えるようになったのである。このため、経営陣と事業ユニット間の情報の非対称性が拡大し、経営陣が事業ユニットの状況を的確に把握することがより困難になった。統括部門による傘下事業の適切なコントロール、すなわち事業ガバナンスの重要性が増大したのである。
以上の現象は、企業統治の視点からすると、企業が株主と経営者間の伝統的なエージェンシー問題だけでなく、経営者と事業部門長、あるいは親会社とグループ子会社間のエージェンシー関係という二層のエージェンシー問題に直面することになったことを意味する。
課題とアプローチ方法
それでは、日本の大企業の経営陣は、傘下の事業ユニットをいかにしてガバナンスしているのだろうか。我々は、事業単位に対する権限の配分とモニタリングの在り方という視点から事業ガバナンスの実態にアプローチした。組織面では社内カンパニー制など分権的な形態の採用が進んでいるが、事業単位に対する実際の分権度はどの程度か。また、分権度とモニタリングの関係はどうか。すなわち、分権度が高ければそれに応じて問われる結果責任も大きくなると考えられるが、実際に分権度に応じて事業単位に対するモニタリングも強くなるという関係が確認できるのだろうか。
なお、次の2点に留意して分析を進めた。第1は、親会社内部の事業単位(事業部や社内カンパニー)と、親会社とは別の会社組織ではあるが連結ベースでみれば同じグループ内の事業単位である完全子会社との違いである。両者の差異を確認することは、日本企業が近年、分社を通じてグループ化を進めてきた事実を解釈する上で重要である。
第2は、二層のエージェンシー関係、すなわち、企業のガバナンス特性と事業ガバナンスの関係を解明することである。1997年の銀行危機以降の日本企業は、"もの言う"外国人株主や機関投資家の増大、執行役員制度や社外取締役の導入などの取締役会改革の進展など、企業統治面で大きな変化を経験したが、これらは事業ガバナンスを強化する方向に作用したのだろうか。
以上の課題を検討するために、『日本の企業統治』第6章では、東京証券取引所一部上場企業(金融・保険業を除く)を対象にして2007年4月に経済産業研究所(コーポレート・ガバナンス研究チーム)が実施したアンケート「企業の多様化と統治に関する調査」の結果を利用して、事業単位に対する分権度やモニタリングを数値化し、これを用いて事業ガバナンスの実態を分析した。
主な分析結果
第1に、完全子会社の分権度は、戦略的意思決定と人事の意思決定の面で、親会社内部の事業単位よりも高かった。したがって、分社には、経営責任の明確化によるインセンティブの向上、市場への迅速な対応、人事制度・賃金体系の柔軟な活用などの戦略的意図があった。
第2に、事業単位に対する戦略的な意思決定の分権化は、事業の多角化に伴って進展していた。ただし、より重要な点は、分権化された事業単位に対するガバナンスのあり方が、親会社の内部組織と子会社とでは明確に異なっていたことである。
親会社内部の事業単位に対するガバナンスでは、分権度が高いほどモニタリングが厳格であるという意味で、分権化とモニタリングの補完関係が明確に確認できたのに対して、子会社ガバナンスではこの関係が確認できなかった。子会社のガバナンスにおいては、戦略的意思決定の分権化に応じたモニタリングの強化がいまだ不十分である可能性が高い。
最後に、二層のエージェンシー関係では、基本的に、取締役会改革に積極的な企業、そして資本市場の圧力に晒されている企業ほど事業単位に対するモニタリングが強いという意味で、企業ガバナンスと事業ガバナンスの間には補完的な関係が確認された。日本企業による取締役会改革、すなわち執行役や社外取締役の導入による経営と執行の分離、評価の独立性担保によるモニタリング強化を狙った改革は、実際に事業ガバナンスの強化に寄与していた。また、外国人や機関投資家の存在は、確実に事業ガバナンスを強化する方向に作用していた。
インプリケーション
分析結果からは、適切な分権度の決定問題や子会社ガバナンスに関する示唆が得られる。第1は、過度の分権化が事業の再組織化を妨げる可能性である。多角化が進展している企業ほど事業単位への分権度が高いことが確認されたが、分権化は本質的に統括部門のコントロール力を弱める。このガバナンス機能の弱体化が事業の更なる多角化や重複を招き、必要な「選択と集中」を遅らせた可能性もある。多角化の際に、本部の統制力を維持しながらいかに分権化を図るかという、分権化と集権化のバランスが重要である。
第2は、グローバル化に分権化が追いついていない可能性である。分析では、予想に反して、グローバル化が進展している企業ほど子会社に対する戦略的意思決定の分権度が低かった。これは、日本親会社の海外子会社に対する統制力が強い可能性を示唆するが、急速にグローバル化が進んだためにガバナンス体制の整備が遅れた可能性や、経営の現地化が不十分な可能性も指摘できる。
第3は、子会社ガバナンスの問題である。子会社の分権度は内部組織よりも有意に高かったが、この分権度に応じたモニタリングが不十分であった。したがって、グループ化が進展し、多くの子会社を抱えるようになった日本企業では今後、子会社のモラル・ハザードやグループ戦略からの逸脱、事業間の調整コストの上昇など、子会社ガバナンスにおける潜在的な問題の深刻化が懸念される。