Research & Review (2008年1月号)

事業戦略から見た日本の研究開発―RIETI発明者サーベイからの知見―

長岡 貞男
研究主幹/一橋大学イノベーション研究センター長・教授

はじめに

日本経済の今後の成長のために企業、大学等における優れた研究開発とそれによるイノベーションが極めて重要であると考えられるが、研究開発の目的・動機、知識源、スピルオーバー、研究開発実施への資金制約、成果活用への制約、発明者の方の動機などについての社会科学的知識は非常に限定されている。研究開発の現場の方からこれらの情報を直接収集することで、日本の研究開発の構造的な特徴への理解を大きく深め、政策研究も進めることができると考えられる。経済産業研究所では、このような目的に立って、「日本企業の研究開発の構造的特徴と今後の課題」研究プロジェクトの一貫として、日本の研究開発を担って居られる発明者を対象に、その発明とそれをもたらした研究開発プロジェクトについての調査を2007年1月から6月にかけて行った(以下「RIETI発明者サーベイ」)。この結果、5300件に近い回答を得ることが出来た。日本で始めて実施された、研究開発プロジェクトについての体系的調査である。

以下では、企業の事業戦略から見た日本の研究開発の特徴にフォーカスをして、本調査で得られた知見の一端を紹介したい。本稿では日本、米国及び欧州特許庁(EPO)全てに出願され、米国では登録されている三極出願特許のサンプル(優先権主張年は、1995年から2001年)による調査結果を報告する。今回のサーベイ対象のほとんど全ての発明は被雇用者による発明であり、また雇用先としては、従業員が250名を超える企業の割合が約9割となっている。

事業戦略から見た研究開発

研究開発においても「選択と集中」の重要性が指摘されているが、企業は、コア事業*1の強化とそれ以外の分野の研究開発それぞれに、どの程度の比重をおいているのであろうか、またそれぞれの分野でどのようなトレードオフに直面しているのであろうか。回答のあった研究プロジェクトの頻度で、「既存事業強化」が約7割、「新規事業の立ち上げ」が約2割、「当面の事業とは直結しない企業の技術基盤の強化」が約1割である。したがって新規事業の立ち上げの目的を含めると、企業の研究開発の9割は事業戦略と密接な関係がある。また全体の約5割の研究開発は企業の既存コア事業の強化に向けられている。

コア事業に関連した研究開発は、企業内にその成果を活用出来る補完的資産があるので、成果を自社内で実施出来る可能性は高まると考えられる。他方で、製造設備など既存の補完的な資産の利用可能性に拘束されるので技術的な飛躍はしにくい可能性がある。このような考察から、コア事業分野の研究開発は成果の自社実施率は高いが、新たな科学技術の取り込みでは制約を受けるトレードオフ関係があることが示唆される。実際、次の図1は、コア事業分野とそれ以外の分野の研究開発の特徴を比較しているが、コア事業を対象にした研究開発において、その成果の社内における実施率は最も高いが(63%)、他方で着想における科学技術論文の利用においては新規事業の立ち上げあるいは技術基盤強化を目的とした研究開発よりも水準が低いことがわかる(着想において科学技術論文が非常に重要と回答した割合がコア事業では15%に対して新規事業立ち上げでは21%)。また特許の価値の経済的な評価で上位25%以内に入る成果の割合において、新規事業立ち上げの場合の方が高い。

図1 コア事業における研究開発対それ以外の研究開発の特徴

政府の研究支援のターゲット

次に、研究開発プロジェクトを事業目的で類型化した場合に、リスク資金不足で投資が制約されている頻度、及び政府の研究開発への支援を受けている頻度の分析を報告する。図2によると、企業のコア事業を対象とした研究開発と比べて、新規事業や技術基盤強化のための研究開発はリスク資金の制約によって研究開発投資及び事業化投資が制約されている頻度が高い。例えば、研究開発投資が制約されている割合はコア事業を対象としている場合が8%、新規事業立ち上げの場合が16%である。同時に科学技術論文の公表頻度は新規事業や技術基盤強化のための研究開発プロジェクトの場合の方が著しく高い。他方で政府資金による支援は企業のコア事業対象の研究開発では2%にすぎないが、新規事業立ち上げの場合には5%に拡大する。同様の結果は、基礎研究を含むかどうかによって研究開発プロジェクトを類型化した場合にも得られ、政府の研究開発支援は、リスク資金の制約が強く同時に外向きへのスピルオーバーがより強い分野あるいはプロジェクトにターゲットされていることを示している。

図2 企業の研究開発へのリスク資金制約、論文公表及び政府資金の支援の有無

終わりに

以上、事業戦略との関係で日本の研究開発の特徴の分析にフォーカスして、RIETI発明者サーベイの結果をご紹介した。調査結果の全体の概要は、サーベイの方法を含めて、経済産業研究所のホームページからディスカッション・ペーパー(「発明者から見た日本のイノベーション過程:RIETI発明者サーベイの結果概要」)として公表されている。また、米国のイノベーション過程との比較が重要であるとの認識から、ジョージア工科大学との協力で、日本とほぼ同じ調査票を利用して米国でも調査を行っており、この結果も活用した分析結果は2008年1月に開催するRIETI政策シンポジウム*2で報告する予定である。今後、発明者サーベイを活用して、日本のイノベーションの構造的な特徴を明らかにし、また今後のイノベーション促進への政策立案に資する研究を深めていきたいと考えている。

脚注

2008年1月23日掲載

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