RIETI World KLEMSシンポジウム

世界金融危機後の成長戦略 (議事概要)

イベント概要

  • 日時:2014年5月20日(火)13:30-17:30(受付開始13:00)
  • 会場:JPタワー ホール&カンファレンス (東京都千代田区丸の内二丁目7番2号 JPタワー 4階)
  • 議事録

    開会挨拶

    中島 厚志 (RIETI理事長)

    RIETI World KLEMSシンポジウム「世界金融危機後の成長戦略」を開催する運びとなったことを大変光栄に思う。World KLEMSは、生産性の国際比較が可能なデータベースの構築を目的とした、世界的な取り組みである。生産性は経済成長の主要な源泉であり、特に日本経済にとって、生産性向上は経済政策上の最重要課題となっている。本シンポジウムでは、「世界金融危機後の成長戦略」をテーマに、国内外の多数の経済学者による発表およびディスカッションを行い、幅広い視点から議論を展開する。

    基調講演1:「World KLEMSイニシアチブ」

    デール・W・ジョルゲンソン (ハーバード大学サミュエル・W・モリス記念講座教授)

    World KLEMSコンファレンスは2010年に始まった世界的な取り組みである。このイニシアチブは、資本(K)、労働力(L)、エネルギー(E)、原材料(M)、サービス(S)の投入量に基づいて生産性を分析し、これらが近代経済を構成しているすべての財・サービスの生産とどのように相互作用して経済成長を創出しているのかを解明することを目的としている。

    本日の第3回World KLEMSコンファレンスでは、成長と停滞に関する問題を議論する。金融危機からの脱却に際し、各国経済は回復の遅れに直面している。現在、世界経済が再び長期停滞期に入ると主張する一派と、経済成長期を迎えると考える一派との間で、非常に活発な論争が行われている。世界経済は停滞に陥り、成長は鈍化するのか、それとも、先進国から新興国に成長の中心がシフトし、世界経済の成長は加速するのかという議論である。

    本日は、金融危機後の経済政策において何を焦点にすべきなのかという具体的な問題について考えたい。特に安倍晋三首相の成長戦略であるアベノミクスの「第三の矢」を待ち受けている日本にとって重要な問題である。各国における成長戦略の例としては、「China 2030」や「Europe 2020」などがある。米国は特異な例で、成長戦略という考え方そのものを受け入れていない。しかし、経済成長に関する議論は活発に行われている。

    成長戦略はかなり抽象的なレベルから考察を始めなければならない。短期的・長期的な目標、戦略の実施方法、利用可能な政策ツールなどの検討が必要である。日本の場合、長期的な問題はなんと言っても差し迫った労働力不足である。移民規制を緩和すべきか。出産奨励政策を導入し出産を促すのか。また、主に女性を対象に労働力の拡大を図るとともに、従来の定年後も働けるよう年齢制限を緩和するという考え方もある。世界中の多くの国が日本と同様な人口問題に直面している。

    それでは、どうやって抽象的なアイデアから実際の政策策定へと具体化すればよいのか。首相は、成長戦略について世界各地で演説を行い、その主要な要素を発表している。その1つは、電力業界の抜本的改革である。これは、震災後の津波や原発事故を背景に喫緊の課題となっている。短期的な問題は、どのような条件・安全規制に基づき、原子力発電所をいかにして再稼働させるのかということである。長期的な問題は、地域独占体制から電力市場の統合化を図るということである。2つ目は、農業部門の改革である。環太平洋パートナーシップ(TPP)交渉が進むならば、日本は貿易の自由化のみならず、国境を越えた投資促進策を実施し、その結果、世界経済への貢献度を高めることになるだろう。

    これらの課題に共通しているのは、特定の産業に関わっているという点である。安倍首相が示したさまざまな要素を実行に移すには、産業レベルの情報を参照し、各産業に適した政策を実施することが必要となる。このためには経済データを集計する新たなシステムが必要であり、これを実現できるのがWorld KLEMSイニシアチブである。

    経済成長における生産性の役割を理解することは、政策立案者の選択肢を理解する上できわめて重要である。どのように経済を発展させるのか、どのような投入・産出、あるいは生産性によって成長率が高く、より満足度の高い成果を生み出せる新たな経済構造を実現できるのかを考慮して政策を策定する必要がある。また、自由貿易やTPPなどの問題に対応する上で、国際競争力についての理解が非常に重要である。そのために必要な新しいデータがKLEMSイニシアチブには含まれている。さらに、KLEMSのデータは、国によって大きく異なる人口動態予測と結合することもできる。

    World KLEMSイニシアチブは、経済成長に関連する世界の統計システムのギャップを埋めることを目的として発足した。当初、ヨーロッパでは、進める予定だった成長戦略を分析するために必要なデータが不足していた。このため、新たなデータベースの構築を目指し、バート・ファン・アーク教授が中心となり、マルセル・ティマー氏のほか、ヨーロッパの18の研究機関が参加するコンソーシアムが2008年に組織された。現在では、4カ国が参加する中南米版KLEMSのほか、2011年にはアジア版KLEMSも発足した。これらはすべてWorld KLEMSイニシアチブの一部であり、国民経済計算を基礎とした共通の手法を使用しているため、経験の共有が可能になる。また、成長戦略以外にも貿易戦略や無形資産投資などの問題を分析するに当たり、どのようにデータを活用できるか検討が始められている。以上の取組みはすべて、World KLEMSイニシアチブの傘下に統合されている。

    欧州の場合、World KLEMSイニシアチブ導入の目的は、欧州を再び軌道に乗せるにはどうすればよいかというきわめて基本的な問いに答えることであった。そして、成長鈍化の主な原因は欧州諸国の知識経済化への対応の問題にあり、特に人的資本、情報技術 (IT)、イノベーションへの投資不足であることが判明した。欧州では、知識経済の発展を阻害している障壁を取り除くためには、域内におけるサービスの単一市場の形成が不可欠であるという、非常に重要な結論が導き出された。

    欧州の成功は、日本にとって大変重要な教訓である。日本は、人的資本への投資の分野では、世界で最も成功している国の1つといわれ、日本の労働力の教育訓練の質の高さは世界的に有名である。しかし、イノベーションの面では遅れをとっており、IT分野は依然として弱い。われわれの研究成果は、2007年に出版された"Productivity in Asia: Economic Growth and Competitiveness "(『アジアの生産性:経済成長と競争力』)にまとめられている。アジア版KLEMS、そしてRIETIは、今後も非常に大きな役割を果たし続けるだろう。

    日本は停滞期を脱し始めているが、これを期に、当初の設計どおりに成長戦略が進められているかどうかを継続的にモニターすることが非常に重要になる。そのためには、国民経済計算の中にKLEMS型のデータを構築する必要がある。これまでにRIETIが構築してきたデータベースのお蔭で、日本には成長戦略のモニタリングに必要なデータが十分揃っている。日本産業生産性(JIP)データベース も、国内外の成長政策および成長戦略を分析するためのきわめて強力なリソースとなるだろう。

    個別の産業レベルとは別に、市場の競争と生産要素市場の競争の問題がある。市場の競争とは、財・サービス市場における競争のことである。代表例は、日本の国民生産の大部分を吸収している流通・サービス産業で、市場の競争は十分と言えない。卸売・小売業、金融業を含むサービス産業は、この数十年間、国際的な生産性の標準から見て劣後しており、経済全体レベルで留意すべき問題である。これは特定の産業について個別に対応するよりもはるかに難しいが、日本は正面から向き合う必要がある。

    生産要素市場の競争には、労働市場での競争が含まれる。日本の労働力は世界で最も有能で教養も高く、能力の非常に高い女性も多い。しかし、日本には貴重な人的資源を効率的に配分する労働市場制度が存在しない。この点は取り組みが必要な課題である。

    当初、World KLEMSイニシアチブが目指したのは、総需要(消費、投資、政府支出)だけではなく、総供給に関する情報も含んだデータベースを構築し、統計システムの空白を埋めることであった。国民経済計算に総供給を含めるためには、データの収集・分析方法の基本を変更する必要があり、これもWorld KLEMSイニシアチブの目的である。このイニシアチブは金融危機後の成長戦略を策定するという、われわれが直面する政策上の最重要課題にも直接関わってくる。さらに、購買力平価を用いることにより、成長・生産性と国際競争力のデータをリンクすることが非常に重要である。最後に、さきほど説明したが、ひとたび成長・生産性のデータが構築されれば、成長戦略の設計に役立つ重要なリソースとなるとともに、成長政策の進捗をモニターできるようになる。

    成長戦略は、世界金融危機のような深刻な混乱に陥った直後に取り組まれることが望ましい。一貫性のある枠組みの下、さまざまな要素が体系的に盛り込まれた戦略を作ることが重要である。

    基調講演2: 「アジア太平洋地域における空間経済の変容と成長戦略」

    藤田 昌久 (RIETI所長・CRO / 甲南大学教授 / 京都大学経済研究所特任教授)

    私が専門としている空間経済学の視点から、特にアジアと日本を中心とした世界経済の空間的な変容などについて、過去10年間を振り返りたい。その上で、中長期的に見たアジアという視点から、日本が長期的に経済成長を続けるためにどのような成長戦略が必要かを述べたい。

    RIETIは数多くの研究プロジェクトを実施しているが、急速なグローバル化、技術変化、少子高齢化に直面する中、経済産業政策の3つの重点的な視点を常に念頭に置いて研究を続けている。1)世界の成長をどう取り込むか、2)どのように新たな成長分野を切り拓くか、また、3)持続的成長を支える経済社会制度を創るにはどうしたらよいか、という3つの視点である。RIETIとしては、これらを踏まえ、日本経済・社会の生産性と活力の強化に寄与する研究をしていきたい。そしてアベノミクスの「第三の矢」、すなわち成長戦略に大きく貢献したい。

    世界の空間経済は、情報通信技術(ICT)・輸送技術の急速な進歩と自由貿易の促進によって、大きく変貌を遂げた。広い意味での輸送費が世界中で低下し、生産、貿易、投資、金融がグローバル化した。その一方で生産と消費は各地での地域集積が進んでいる。生産、消費、研究開発(R&D)の集積地を結ぶ密なネットワークは、きわめて複雑である。このようなネットワーク化された世界は、平時には非常に効率的で成長を促進するが、地域災害や衝撃に対しては非常に脆弱である。日本と世界経済が順調に成長するためには、この脆弱性を克服しつつ、効率性を高めていく必要がある。

    過去半世紀の間に、輸送費と通信費が低下した結果、世界のGDPと貿易はかつてない成長を遂げた。1970年代以降、GDPは平均で年率約3%成長しており、貿易は年率約6%増加している。しかし、世界規模の金融ショックの脅威は絶えず存在する。このような状況において、輸送コストの低下は、世界の経済活動の分布にどのような影響を与えるのだろうか。

    空間経済学の理論によれば、輸送コストがきわめて高い場合、生産地は消費地に近接せざるを得ないため、経済活動はかなり分散する。しかし、輸送コストが十分に下がった場合、特定の場所に集中する可能性があり、一部地域では大幅な集積が進む。

    GDPのシェアで見た場合、世界の中で経済活動はどのように分布しているのだろうか。北米自由貿易協定(NAFTA)、欧州連合(EU)、東アジアを合わせたGDPシェアは、1980年以降上昇し始め1985年には80%に達した。しかし、2000年以降は、輸送コストの低下によりこれら地域のGDPシェアの合計は下がり始めた。

    東アジアに関して言うと、日本に多大な影響を与えた大きな変化の1つは、東アジアにおけるGDPシェアの内訳である。1986年当時、日本は域内のGDPシェアの70%を占めており、この状態が約10年間続いた。しかし、輸送コストが低下し続ける中で日本は新たなグローバル・システムに適応できなかったため、日本のGDPシェアは低下し始めた。日本のシェアが低下するにつれ、中国が成長し始め、2009年には、域内におけるGDPシェアで日本と中国が並ぶに至った。

    アジアは世界の工場と称され、中間財ベースではアジア域内での移動が活発に行われている。しかし、消費財ベースで見ると域内での動きは限定的である。これは、東アジアの対米輸出と米国の対東アジア輸出との間の大きな貿易不均衡を反映している。米国の対東アジア・中国の貿易赤字を見ると、この大規模な貿易不均衡が、世界金融危機の主な原因の1つになったと考えられる。

    膨大な量の中間財が東アジア地域を通過している。世界最大の産業の1つである自動車産業を例に挙げる。自動車の生産量を地域別に見ると、長年にわたってヨーロッパが第1位を占めており、第2位がNAFTA、これに日韓両国が続いていた。しかし、市場の大きさとその継続的な成長を反映して2013年、中国が欧州を追い越した。中国は2250万台の車を製造しており、これは世界の総生産量の26%に相当する。

    自動車産業を支える高度なグローバル・サプライチェーンの存在は、その相互関連性を考えると、高い脆弱性を意味する。1台の車の組み立てには部品が2~3万個必要である。これらの部品は、限られた地域で製造された後、非常に密なネットワークを介して、生産地から納品先まで運ばれる。これは、自動車産業の特徴の1つであり、在庫を最小化するジャスト・イン・タイム調達システムが利用されている。この調達システムは平時においては非常に効率的である反面、災害が発生した場合はきわめて脆弱になる。リーマン・ショック後の2008年から2009年にかけて、日本の国内総生産量は約50% 減少した。また、東日本大震災後も同程度の生産の落ち込みが見られた。同様に、2011年にタイで発生した洪水も自動車の生産に被害をもたらし、ASEAN地域全体が打撃を受けた。

    また、災害には自然災害だけでなく政治的対立や紛争も含まれる。中国における日本の自動車メーカーの売上高に自然災害と国際紛争が及ぼした影響とを比較すると、尖閣諸島問題が中国国内の売上高に与えた影響は長期間にわたり、きわめて大きかった。このように、紛争は世界的規模で経済活動に悪影響を及ぼす可能性があり、回避しなければならない。そのためには国際的な協調が不可欠である。

    次に、アジアの将来について述べたい。現在、世界全体のGDPにアジアが占める割合は30%だが、アジア開発銀行(ADB)の予測によると、2050年にはその割合が52%を占めるようになる可能性がある。これはかなり楽観的な経済成長シナリオであり、その通り実現する保証はない。アジアは大幅な賃金格差を利用して大規模なサプライチェーンを構築したが、いずれは変えていかなければならず、新しいシステムをアジアで創る必要がある。先進的な生産ネットワークだけでなく、金融市場、不動産市場などを含めて高品質な市場の構築が必要になる。また、知識の生産が世界的に重要性を増してきている今日、イノベーション・ネットワークの構築も重要な課題である。これにも国際的な協力が不可欠である。

    次に、アジアにおけるbrain power network(知のネットワーク)について取り上げたい。全体的に見て、特に先進国や途上国の大都市ではイノベーションが経済活動の中核となりつつあり、日本はこの分野でリーダーとなることが期待されている。そのため、日本はこの新しいシステムに適応しなければならないが、過去20年の間、適応できていないことが停滞を招いた最大の原因の1つといわれている。日本が成長を享受するためには、知識創造社会に適応する必要がある。

    日本の特許出願数は2011年まで世界最多で、誇るべきことである。しかし、アジア全体で見ると、日本、韓国、中国それぞれのイノベーション活動は非常に活発であるが、地域間協力はほとんど行われていない。シリコンバレーの例に見られるように、多様性も非常に重要であり、日本とアジアは教訓として学ぶべきである。そのためには知のネットワークの確立が不可欠である。

    アベノミクスの「第三の矢」(成長戦略)については、どのように理解すべきだろうか、また、どのようなアプローチが必要だろうか。人口が減少している日本経済が成長するためには、生産性の向上が鍵であり、全員参加のイノベーションが必要である。日本では、65歳以上の高齢者の割合が増加し続けており、2060年には約40%に達する。日本にとってはイノベーティブな高齢化社会のリーダーとなるチャンスである。高齢者の定義を変更することが必要だろう。高齢者は、労働者や経営者として重要な人的資源であるだけでなく、住宅関連の財やサービス、医療・介護サービス、医療・介護機器、ロボット、生涯教育など、新たな製品やサービスの消費者としても重要である。イノベーションにすべての人が参加することによって、さらなる成長を達成できるだろう。

    成長戦略に関するもう1つの視点は、規模が小さくて創造的であること(small and creative)は素晴らしい、という発想である。OECD加盟国における日本の1人当たりGDPの順位は、約40年間にわたり世界第2位または3位であったが、その後低下し始め、2008年には19位に転落している。現在、上位10カ国のほとんどは、日本よりも人口の少ない北欧諸国で占められている。つまり、知識創造社会においては人口規模よりも、むしろ教育が経済成長の達成に重要だということが示唆されている。上位10カ国は、日本と同様に高齢者人口が多いにもかかわらず、GDPに占める教育費の割合は日本よりも高い。また、多国籍企業は知識集約型の活動(本社機能、R&D、企画)に集中しており、労働者の賃金は比較的高い。

    最後に、地域統合・グローバルな統合が不可欠である。日本は、アジア域内でTPPのような経済連携協定を締結しなければならない。現在、日中韓3カ国間の結びつきは特に強いとはいえない。3カ国がお互いに協力できなければアジア全体がうまく機能しないだろう。3カ国が相互に協力できれば、アジア全体がさらに大きく発展できるだろう。

    パネルディスカッション

    プレゼンテーション1:「日本の長期停滞から学ぶべき教訓」

    深尾 京司 (RIETIファカルティフェロー・プログラムディレクター / 一橋大学経済研究所所長)

    日本は長期停滞のパイオニアである。諸外国は日本の経験からどういう教訓を得られるだろうか。先進国の多くでは、長期的な生産性向上が減速傾向にあり、投資の減少、需要不足、景気後退をもたらしている。非伝統的金融政策をとることで低金利を維持することも可能だが、バブルをもたらす恐れがある。産業部門の生産性データは、以前より高度で詳細になっており、今後、有効な分析ツールになると思われる。

    日本経済の現状を見ると、大規模な景気刺激策と積極的な財政政策によってデフレから脱却しつつあるようだ。しかし、依然としてIT投資は低水準で、労働市場も硬直的である。成長戦略は、これらの問題に対応しなければならない。政策によって、無形資産投資、起業家や新興企業、合併・買収(M&A)、賃金上昇を含む労働市場の再構築を促進すべきである。特定の政策を採用するに当たっては、どの程度の生産性向上を望めるのかを判断・評価することが必要である。

    日本の長期停滞からどのような教訓が得られるだろうか。第1に、実質低金利は根本的な問題解決につながるわけではなく、インフレ率がプラスで完全雇用の場合、バブルをもたらす可能性がある。したがって、持続的成長を実現するためには、生産性向上によって資本収益率を引き上げることが必要である。第2に、生産性停滞は、イノベーションの枯渇ではなく、経済の構造的要因によるもので、その多くはより適切な政策の実施によって解決できる。第3に、財政支出をより効率的に行い、生産性の向上につながるような公共投資を行う必要がある。第4に、大企業は国内投資に積極的でなく、債務の返済や流動資産の蓄積に余剰資金を使ってしまった。第5に、ドイツや中国などは、実質為替レートが低く、巨大な経常黒字であり、これが日本などの経済に悪影響を及ぼしている。経常収支の不均衡については、国際通貨制度の抜本的な改革が必要である。最後に、日本は非伝統的金融政策からの出口政策の実行に失敗する最初の国になってしまうかもしれない。このようなリスクは回避されるべきである。

    プレゼンテーション2:「東アジアおよび中国経済の見通し」

    ローレンス・J・ラウ (香港中文大学教授)

    世界経済の重心はシフトしている。1970年当時、日本を含む東アジアは世界全体のGDPのわずか10%を占めるに過ぎなかった。2012年、東アジアは世界のGDPの25%を占めており、今後も引き続き、東アジアにシフトするだろう。財とサービスの国際貿易においても、欧米が縮小する一方、東アジアの占める割合が拡大している。

    顕著な変化の1つが東アジア域内貿易の増加である。30年前、貿易の大部分は東アジアから欧米向けであったが、今日では、輸出入とも東アジア域内貿易が50%を占めている。これは、東アジア諸国が単なる製造拠点ではなく、大きな市場となったことを意味する。もう1つの変化は、中国および東アジア経済と、世界経済との部分的なデカップリングである。輸出入量の伸び率においては、中国は東アジアの他の国と同様に変動しているが、中国の実質GDP成長率は、中国以外の東アジア諸国に比べて比較的安定している。

    貯蓄率が高く、外国資本への依存度が低いことは、東アジア諸国の1つの優位性である。しかし、今後の東アジアの経済成長の源泉は、人的資本やR&Dなどの無形資産投資に移行していくだろう。

    中国経済の今後の見通しであるが、その成長は高い投資率、ひいては過去10年間、約45%という一貫して高い国民貯蓄率に支えられていたことが重要な視点である。また、余剰労働力の供給も無限であったが、定年の延長など、改善の余地も残されている。一人っ子政策も終わりが近い。

    中国では産出は供給ではなく需要によって制約されるため、ハードランディングの可能性は低い。中国の公的債務残高対GDP比は40%を下回っており、管理可能なレベルである。最後に、シャドーバンキングについても政府が注意を払っており、管理できると期待している。

    プレゼンテーション3:「世界金融危機後の成長戦略」

    清滝 信宏 (プリンストン大学教授)

    私は、特に最近の景気後退からの回復という見地から、金融摩擦と経済成長について述べたいと思う。日本は金融危機の間、流動性の不足、銀行の自己資本比率の大幅な低下、マクロ安定性の急激な低下など、多くの問題を抱えていた。

    マンデルの定理によると、各問題の解決のためには、それぞれ最も有効な政策を割り当てるべきである。流動性不足に対する最も有効な政策は、さまざまな流動性供給施策を組み合わせることである。銀行の自己資本不足については、債務超過行を再編し、自己資本は不足しているが支払能力のある銀行には、資本を注入する必要がある。マクロ安定性を達成するには、金融政策と財政政策が最も有効な手段であると考えられている。しかし、問題が相互に関連し合っていることを考慮すると、最も有効な政策だけでなく、他の政策を同時に組み合わせることも重要である。

    危機後の回復は、バランスシートの状況、実質硬直性、そして経済のトレンド成長率による。生産高、運転資本投資、株価は、比較的短時間で回復する。しかし、信用、固定資本投資、不動産価格は金融システムと密接に関連しているため、回復に時間がかかる。

    非金融企業のバランスシートには、金融資産、運転資本、有形・無形の資本が含まれる。景気の後退局面では、固定資本などの流動性の低い資産は容易に削減できないため、運転資本投資など流動資産が最初に削減される。時間が経つにつれ、固定資本が減少し始め、流動資産・固定資産ともに規模は小さいながらも、経済はバランスのとれた状態になる。景気回復局面では、企業は先に流動資産を増やし、その後に固定資本を増やす。

    雇用についても同様のことがいえる。回復期には、正規雇用は容易に増加せず、最初は臨時雇用だけが増加する。回復が軌道に乗ってはじめて正規雇用が回復し始める。そのため、まずは生産高、運転資本、株価が回復し始め、その後固定資本投資、正規雇用、不動産価値が回復するのが通常である。

    金融危機の長期的な影響の1つは、公的債務が持続不可能になることであり、さらなる金融危機を招く恐れがある。もう1つの危険な影響は、企業がR&Dや人的資本などの無形資本への投資を抑えることで、金融危機後の成長鈍化と長期不況につながりかねないことである。

    プレゼンテーション4:「今日の競争力と新たな視点」

    マルセル・ティマー (フローニンゲン大学経済成長・開発学部教授)

    これまで、競争力を測るには製品の貿易が基準とされてきたが、貿易と競争についての新しい視点が必要になっている。輸出額が国際競争力の指標として用いられてきたが、国際的な分業が進み、各国でさまざまな生産活動が行われるようになった現在、輸出額を競争力の指標として用いることの意味は急速に失われつつある。製品の総生産額ではなく、世界各地で上乗せされる付加価値に着目すべきである。何を売っているかではなく、財・サービスのグローバルな生産体制の中で、どんな活動を行っているかが重要で、国や企業は、グローバル・バリューチェーンにおける生産前・生産後の各段階に沿って、さまざまな活動に特化することができるようになっている。

    グローバル・バリューチェーンにおいて、各国がどんな活動に従事しているのか調べる方法の1つは、付加価値の視点で分析を行う概念的な枠組みを設計し、実際にデータを構築することである。概念的な枠組みの設計に当たっては、ある製品の生産に必要な生産段階をすべて遡って調べる必要がある。製品の産出価値を分解することによって、自国内で上乗せされた付加価値なのか、あるいは外国で加えられた付加価値なのかが判断できる。

    この概念的な枠組みには、2種類のデータが必要である。1つ目は、一国内だけでなく、諸外国との間での財・サービスのフローがわかる産業連関表である。2つ目は、国内外で生産された中間財、また、生産に必要な生産要素のデータである。新しい枠組みを使うことにより、まったく新しい視点から競争力について分析できる。

    ほとんどのグローバル・バリューチェーンで国際的な生産分業が見られるようになり、国外で上乗せされる付加価値の割合が急速に増加している。中間財貿易を付加価値の視点で見ると、国で上乗せされた付加価値の割合が各国で急速に拡大し、地域化ではなくグローバル化が進んでいることがわかる。

    付加価値貿易の視点は、貿易政策、社会政策、産業政策に対する見方にも影響を与える。また、競争力を測る新たな尺度が必要なため、統計システムにも影響を与えるだろう。

    プレゼンテーション5:「世界経済成長復活戦略に関するシナリオ分析」

    バート・ファン・アーク (カンファレンスボード エグゼクティブ・ヴァイス・プレジデント兼チーフエコノミスト)

    世界経済の成長回復のために、今後、考えるべき重要な戦略は何だろうか。短期的なトレンド、中・長期的なトレンドにまとめられる。

    短期的に見ると、成熟経済は世界金融危機から回復しつつあるが、日本と欧州の回復は、今後しばらくの間、かなり緩やかなものになるだろう。構造的な問題や中国の金融危機のリスクが高まったことなどによって新興国経済も大幅に減速している。そして、今後も政治的な問題や緊張は大きな課題として残るだろう。

    中長期的に見ると、主に新興市場が足枷となり、今後10年間、世界経済は大幅に減速するだろう。何がその背景にあるのか。第1に、日本やヨーロッパにおける高齢化など成熟経済の人口動態が、成長率低下の主な要因になるだろう。第2に、引き続き世界的な需要が豊かな中間層にシフトしつつあることである。しかし、最も重要な点は、新興国が豊かになるということは、新興国の成長率が低下するということである。最後に、グローバル化が減速している背景には、限定的な貿易協定、国際協調が必要な環境問題、新興国の需要増加に伴うエネルギー市場の大幅な不均衡などがある。

    経済政策に対してはどのような含意があるのだろうか。投資目標と生産性目標を密接に関連付けることが必要である。建物や機械などのハードへの投資が必要である。さらに人的資本、イノベーション、R&D・非R&D、マーケティング、ブランディングなど、無形資産への投資に加え、経済的競争能力の強化につながる総合的な投資が必要である。また、イノベーティブな企業の設立や起業家精神を奨励すべきである。

    生産性向上のため、製品市場、労働市場、資本市場の改革を重点的に行う必要がある。以上の改革によって、最も高いリターンが期待される分野に生産資源が多く配分されるようにする。そのためには、世界的にも地域的にも経済統合を加速させ、透明性を向上させなければならない。

    ディスカッション

    モデレータ:宮川 努 (RIETIファカルティフェロー / 学習院大学経済学部教授)

    宮川:米国はどのような金融政策を推進するべきか。

    清滝:金融危機の間は、リスクが高く流動性の低い資産のリターンと、安全で流動性の高い資産のリターンとのスプレッドが焦点であった。危機後は、長期金利と短期金利のスプレッドの縮小に焦点が移った。この量的緩和の哲学は、利点だけでなく外国にとっては副作用もある。しかし、変動相場制が維持されている限り、それぞれ自国で対処するしかない。

    深尾:米連邦準備制度理事会(FRB)の量的緩和縮小政策は、世界全体に影響を与えるだろう。日本は独自の管理方針を持っているが、投資のリターンは重要な点の1つである。日本では、収益率や生産性の低下にもかかわらず、有形資産への投資水準が高かった。しかし、ICT、R&Dなど有形資産以外の資産への投資はより重視すべき分野であり、特に中小企業は無形資産への投資を拡大する必要がある。先進国の成長は鈍化しているが、諸外国には豊富な投資機会がある。したがって、国際通貨システムの再建も重要なポイントになる。

    宮川:無形資産投資を促進する政策についてお聞きしたい。

    ファン・アーク:米国は、イノベーティブで新しい中小企業向けの資金供給の面で弱点が多い。現在、米国では、新しい企業が誕生しにくい状態だが、これはかなり異常なことである。その理由の1つとして、新しい企業への融資不足が挙げられるが、銀行から見るとこのような融資はリスクが高い。世界経済を牽引しているのは、イノベーティブな多種多様の企業であり、このような新しい企業に資金を提供するため、資金提供する側でも新しい独創的なイノベーションが必要となる。

    ラウ:東アジアでは、画期的なイノベーションの創出が特に難しい。第1に、東アジアでは確立された権威に挑戦しようとはあまりしない。また、失敗に対する許容度が非常に低い。こうした文化的なマイナス面を克服しなければならない。

    ティマー:ヨーロッパでも、中小企業は流動性に関する制約を受けており、収益性の高い投資であっても、必要な融資が得られない。

    宮川:中国の成長とボラティリティに関するご意見をお聞きしたい。

    ラウ:中国の成長率は4%を超え、潜在的には7%も達成可能だと思う。中国経済は国外の出来事にほとんど影響されないため、ボラティリティもさほど拡大しないだろう。また中国は、今後5~10年の間、公共インフラ投資や政府消費支出、すなわち教育、医療、環境保全・再生などを基礎に成長を続けるだろう。

    ファン・アーク:すでに中国経済は大幅に減速している。また、中国経済が投資・輸出・低コスト主導型から、高賃金で消費力・購買力がより高い経済に転換し、最終的に消費が拡大するにつれ、成長率は低下し続けるだろう。投資に関しては、中国政府の戦略的方針にかなりの混乱がみられ、中国の移行プロセスは困難をきわめている。たしかに中国の成長率は依然として高いが、多国籍企業にとっての事業環境はかなり厳しくなっている。

    宮川:中国の不良債権について詳しく説明していただきたい。

    清滝:私は中国の不良債権にあまり詳しくはないが、シャドーバンキングは大規模で、中国の会計制度はわかりにくい。

    ファン・アーク:中国の不良債権は巨額であり、しかも急速に増加している。これまで中国政府は救済策を講じてきたが、ボラティリティが非常に高い。

    ラウ:私はそうは思わない。中国政府が重点的に取り組んでいる分野は失業問題であり、GDP成長率ではない。8%の成長率を維持できなければ中国は混乱に陥るという主張もあるが、10年前の成長率8%は、実質的には現在の4%に相当する。あるいは、中国は製造業を主な基盤とする経済から、単位GDPあたりの雇用が製造業よりも高いサービス業を基盤とする経済にシフトしたともいえる。

    宮川:貿易政策に関する新たな視点について、また構造変化に伴う政策について、ティマー教授に説明していただきたい。

    ティマー:経済の特定の部門を対象とした政策はあまり有効ではない。むしろバリューチェーンに焦点を当てるべきだ。貿易政策については、バリューチェーンの拡大により、国や地域間の相互依存性がかなり高まっている。そのため、貿易協定を通じて関税を引き下げることが非常に重要だ。たとえばヨーロッパでは、財の自由市場はあるが、サービス貿易に関しては多くの禁止条項が残っている。

    分業化はどこまで続くのか。輸送費や通信費は今後も低下していくだろうが、分業化を決定する要因は他にもある。その1つが脆弱性であり、多国籍企業が増大する脆弱性にどの程度懸念を持つかが問題だ。もう1つの要因は安価な労働力で、世界には安い労働力が他にもあるかということだ。もしも安い労働力を確保できれば分業化は継続し、そうでなければ分業化は反転する可能性がある。

    オフショアの生産活動が国内に戻ってくるという考えもあるが、戻ってくる生産活動は資本集約度が非常に高い。このため、何らかのセーフティネットを導入した上で、労働者に新技術の再教育を行う必要がある。

    宮川:日本の多くの経済学者は、アベノミクスが円安を誘導し、貿易収支の黒字につながることを期待したが、期待は外れた。この件についてご意見をお聞かせ願いたい。

    深尾:実質実効為替レートで見ると、円はすでにかなり安いが、貿易赤字があり、経常収支の黒字もゼロに近い。製造業の生産性停滞と生産の海外移転が進展する一方、アジア諸国は生産を拡大しており、グローバル・バリューチェーンが変化し、日本の競争力が失われつつある。この問題のさらなる分析のためにはKLEMSデータが最適である。

    ファン・アーク:私は、TPPによってグローバル・バリューチェーンの重要性が認識されていることは、非常に前向きな兆候だと思う。また、TPPは政府調達、労働法、知的財産などについても詳細に検討している。しかし、中国抜きで成功を収められるかは疑問に思う。

    ラウ:東アジア諸国が相対的購買力平価で見た為替レートを安定的に維持することができれば、域内貿易をさらに拡大できる可能性がある。

    宮川:イノベーションの拡大と生産性向上を促進する政策について意見をうかがいたい。

    深尾:日本の場合、無形資産投資やICT投資だけでなく、中小企業や新興企業への投資も少ない。さらに、日本の統計システムは変更する必要がある。政策立案に関していうと、政府は信頼できる実証データに基づいた政策立案を行っているとは言えず、データで政策の効果が検証されることもない。

    清滝:成長政策については、R&Dの促進のみならず、人的資本も重要だ。残念ながら、日本でもイタリアやスペインなどの欧州諸国でも、多くの企業が若年層の正規雇用に消極的である。成長促進には、この点の改善が重要な要素となる。

    ファン・アーク:イノベーション政策については3つの政策に分けて考えなければならない。第1に、イノベーション政策の国際的な役割は、先に述べたような貿易協定などを通して世界市場を開かれたものにすることであり、つまり今日のグローバル・バリューチェーンや貿易システムの複雑さを受け入れることである。第2に、それぞれの国では、各国の資源が最も生産的に使われるよう、製品、労働、資本市場、優れた技術への重点的な取り組みが重要である。第3に、地域レベルでは、政府、企業、教育機関が一体となって真のイノベーション政策を策定することである。

    Q&A

    Q1:日米貿易協定についての考えをうかがいたい。

    ファン・アーク:私は、二国間貿易交渉はあまり好ましいとは思っていない。多国間貿易協定が最善で、広範囲にわたる地域貿易協定が次善の策だと考えている。

    Q2:2020年の東京オリンピックに向け、為替は円高・円安のどちらに向かうと思うか。

    深尾:投資・貯蓄バランスと生産性に依存する。貯蓄率が高水準で推移すれば、供給過剰が続くため、円安となる。また、生産性停滞も円安要因である。

    Q3:無形資産投資に関連するデータを収集するため、企業や政府機関に報告を義務づけるよう、規制を変更できると思うか。

    深尾:これは、OECDの研究会でも議論されたが、企業会計原則から判断して、大部分の無形資産投資を財務報告に組み込むのは困難だという結論だった。

    Q4:流動資産と固定資産に関するダイナミクスについて説明していただいた。日本の優良企業は流動資産を多く保有しているが、もっと固定資産への投資を増やすべきだ。日本企業の投資を妨げているものは何か。

    清滝:理由の1つに将来に関する不確実性がある。企業がいったん固定資産に投資する、あるいは正社員を雇うと、削減するのは容易ではない。したがって、企業は固定資産への投資や正社員の雇用に躊躇する。

    Q5:終身雇用制度の下で働く人の数は減少している。雇用慣行の変化にどう対応すべきか。

    深尾:労働市場が変化したことによって、誰もが積極的に自分自身を売り込まなければならない。このような変化に対応するため、大学などの教育機関を見直すべきである。

    Q6:自然資本についてどのように考えるか。「環境」はKLEMSの議論になじむのか。

    ティマー:「Europe 2020」は、エネルギーの非効率性に関して明確な目標を持っている。すなわち二酸化炭素排出量を減らし、再生可能エネルギーの利用を増やすとともに、貧困と社会的排除の根絶という社会的目標を達成することである。

    ファン・アーク:われわれが天然資源をしっかりと管理し、無形資産と組み合わせれば、環境にとって最適な結果が得られるだろう。

    総括

    宮川:長期的な視点に立ち、人的資源投資とイノベーションを世界的に促進しなければならない。日本の場合、企業・政府の基本的な仕組みを、変わりゆく世界に適応するような形に再構築していく必要がある。