RIETI政策シンポジウム

経済社会の将来展望を踏まえた大学のあり方

イベント概要

  • 日時:2008年5月30日(金) 10:00-18:05
  • 会場:国連大学 ウ・タントホール (東京都渋谷区神宮前5-53-70)
  • パネルディスカッション「経済社会の将来展望を踏まえた大学のあり方」

    セッションチェア

    • 玉井克哉 (RIETIファカルティフェロー/東京大学先端科学技術研究センター教授)

    パネリスト (順不同)

    • 藤城 眞 (財務省主計局主計官 (文部科学担当))
    • 羽田 貴史 (東北大学高等教育開発推進センター教授)
    • 永山 賀久 (文部科学省高等教育局国立大学法人支援課長)
    • 薬師寺 泰蔵 (内閣府総合科学技術会議議員)
    • Michael K.YOUNG (ユタ大学総長)

    [パネルディスカッション概要]

    まず、各パネリストから問題提起がなされ、それに基づきパネリスト間で意見交換がなされた。続いて、フロアとパネリストの間で質疑応答がなされた。

    [永山賀久氏報告の概要]

    国立大学の学長に実施した法人化に対する評価をもとに報告がなされた。

    1. 財務の健全性は、相対的に評価が低い。
    2. 大学内の役割・権限は、学長や理事会などで拡大した。また、部局教授会の役割・権限の縮小は大きな変化である。
    3. 教育関係の外部資金の獲得姿勢が高まった(教育への関心の高まり)。また、COEプログラムの獲得姿勢に低下が見られるが、それは、獲得できる大学とできない大学とに、明確に分かれてきた結果ではないか。
    4. 教員の基盤的な教育費や研究費、部局における施設維持費や整備費などへの配分は減少し、その分、全学的に裁量的に配分する資金(学長裁量経費など)が増加した。

    問題提起

    • 法人化の評価に関する意識は、学長、部局長、一般の教員により、また、その捉え方は、大学ごと、大学間、グループで、かなり違いがある。
    • その違いが「過渡的なものか、構造的なものか」、「今後拡大するのか、縮小するのか」、「是正すべきか、大学の判断に任せるか」と問いかけ、原因をどう解釈し分析するかが課題であり、そのために今後の施策や支援のあり方を考えていくと述べた。

    [藤城眞氏報告の概要]

    教育には教員などの供給側からの議論が多く、学生や納税者の議論が少ない。十分な検証もなしにさまざまな命題が、当然のように語られている。例えば、「日本の教育予算のGDP比率は平均より低い、その差を埋めるべき」という議論があるが、実は、子供1人当たりの教育予算を見る限り、他国と比べて遜色はなく、GDP比のわが国と平均値との差は、子供の人数の多寡などによるもの。平均をめざすことに論理的な意味はなく、実証的、科学的な議論が必要である。国立大学法人についても、カネの話をする前に、法人のあり方について、さまざまな課題が存在している。

    納税者の視点を踏まえた提言

    1. 国が真にお金を投ずべき分野は何か(国の関与の必要性、教育予算内の優先順位)。
    2. 教育予算は効果的に使われているか(全体19兆円、うち高等教育2.5兆円の行方)。
    3. 納税者の視点からどのような議論が必要かについて、ミクロ(個々の国立大学)とマクロ(国立大学全体)の面から、次のような検討が必要ではないか。
      • 1) 各大学のコンセプトの明確化。財務諸表の充実、教務と経営の関係の明確化。
      • 2) 大学ごとの機能の分化・明確化。
      • 3) 研究分野別の厳格な相対評価による資金の傾斜配分。
      • 4) 社会・企業のニーズを踏まえた教育力の向上。
      • 5) 教育と研究の接続、学生や教員の円滑な大学間移動等。大学・学部の再編・集約化。

    [薬師寺泰蔵氏報告の概要]

    日本の将来は、独創的な科学技術の発展にしかない。その点から大学に対して危惧している3つの点を挙げると、以下の通りである。

    1. 資金が、独創的な研究者に供給されていないこと。
    2. 日本の学生が、海外の大学で学ぼうとしなくなっていること。
    3. 日本の学生が、科学技術分野を専攻しなくなっていること。

    [Michael K.YOUNG氏報告の概要]

    アメリカと日本の間には大きな違いがあるが、それにもかかわらず、同じような大学の問題に取り組んでいる面もある。そうしたアメリカの状況を踏まえて、国立大学法人に対して次のコメントができる。

    1. 日本は、大学を市場で方向付けようとしているが、その方向付けそのものを、国(官僚)主導で進めようとしているように窺える。また、教育は、学生の希望と市場による方向付けが一致しない領域であり、市場による方向付けというのが難しい分野でもある。
    2. たとえば、「学生の卒業の時期」で教育の質を評価する、即ち留年率の低い大学の評価を高くするといったことが考えられる。しかし、実は価値ある大学というのは、入学した低いレベルの学生の実力を高めて進級(卒業)させるような教育を行う大学である。入学者のレベルが低ければ留年率が高まるのは当然であり、そうした基準は適切でないことになる。
    3. また、そうした「学生の卒業の時期」を評価基準にすると、入口のプロセスを歪める。つまり、レベルの高い学生のみを入学させようとする誘因を与える。「卒業時の学生の水準」を評価基準にしても同様である。他の指標も同じような問題をもつ。

    [羽田貴史氏報告の概要]

    これまでのセッションの議論を踏まえての問題提起がなされた。

    1. 国は、国立大学を計画統制型でデザインしようとするのか、それとも各国立大学の自己戦略による個性化でデザインするのか。目的や役割に沿い過ぎた制度設計は、柔軟性を欠く恐れがある。
    2. 研究のための特定資金と教育のための特定資金とでは、機能が異なる。法人化は、経営のイノベーションを可能にするが、教育と研究の分野では、簡単にイノベーションが生じない。また、日本は、高等教育の議論において、公開性・透明性と試行錯誤による発展という行動様式が欠けている。
    3. 日本では、イノベーションと産学連携のモデルが強すぎる。大学は、教育を通じた人材育成が大きな機能である。高等教育のアクセスの問題が重要である。

    パネリストの報告に対して、まずは、各パネリストからコメントがなされた。

    Q. (玉井克哉氏)
    国立大学の機能別分化は1つの論点だが、そこで政府がどのように計画してビジョンを進めるのかという点もある。そこで、政策当局としては何かビジョンが必要であるが、どのような考えで政策を構想しているのか伺いたい。

    A. (永山賀久氏)

    • 機能別分化は、社会の変化に応じて大学も変化すべきという観点から必然である。
    • 機能別分化は、中央教育審議会(H17年)で提示した7つの機能と捉える。ポイントは、その機能へと緩やかに自主的に分化をしていくということである。
    • 機能別分化が必然であるのは、大学が、大衆化・巨大化し、知的独占を行っていた時代と比べて、さまざまな機能が求められているからである。
    • 文部科学省は、試行錯誤しある程度のグループ化を考えるが、基本は、各大学が自らの方向性を選択し決定し、国民に対して明示するべきである。その1つの仕組みが、中期目標、中期計画という法人化の中にビルトインされたものである。

    A. (藤城眞氏)

    • 国がビジョンや大きな枠組みを示すとともに、各大学が自らの長所や特徴を活かそうとする方向への刺激を提供し、これらを踏まえて、各大学が自分のあり方を考え、選択するというかたちが望ましい。
    • 学部ごとに研究の分野別評価を進め、これに応じて資源の傾斜配分を行う。教育に力を入れる大学は、地域の人材育成などを進める。そのような星雲状況を経て、大学ごとの機能分化が明確になっていく。
    • わが国の大学は、社会が求める人材を本当に教育しているのか、産業と学問のミスマッチが大きい。大学が輩出した人材の企業での評価が高くなれば、大学の社会的評価が高まり、企業から大学に寄附をするという関係も考えられる。

    A. (薬師寺泰蔵氏)

    • 日本は大学教育が制度化しすぎ、皆同じ生産過程に組み込まれている。独創的な人材が育たない。高等教育を築いた時代を思い返し、全体的に見る必要がある。
    • 地方大学で教育を受けた学生や地方の優れた教員は、インセンティブを与えない限り、経済的リターンが大きい都会へと流出する。
    • 大学教育の多様化が課題である。日本には、埋もれた人材を発掘するような制度(たとえば、投網方式)がない。

    Q.(玉井克哉氏)
    世界最先端の優れた研究をするような人材は、どのようにして育つのか?

    A. (Michael K.YOUNG氏)

    • アメリカにはさまざまな形態(要素)の大学があるが、それは歴史的にさまざまな改革や大学自らの試み(実験)が繰り返され、その上で、優れた形態が現在に定着したという背景がある。
    • 学生は、さまざまな形態の大学から自らの望む大学を選択することが可能で、大学から受ける利益は大きいと信じている。
    • 大学教育の多様化が課題である。日本には、埋もれた人材を発掘するような制度(たとえば、投網方式)がない。

    A. (玉井克哉氏)

    • 国立大学法人は、各大学で努力せよといわれ、「自主的な」努力を強いられているようにも伺える。

    A. (畠中祥氏)

    • アメリカでは、若手を雇用すると、最初に組織がスタートアップ資金を与えるが、日本ではそのようなシステムがまだない。
    • 今は「経済的ニーズへの対応度の高い大学」(畠中資料5頁参照 [PDF:185KB] )が欠けている。4つの大学の形態を融合したシステムをどうつくるかが課題である。

    [Q&Aの概要]

    フロアから以下の質問があった。

    Q. (玉井克哉氏)
    投網方式というのが出たが、研究に関心あるポストドクターに対して、細かい審査なしに研究費を投入し、結果が良ければ継続し、悪ければ打ち切る、若手に投網を打つように薄く広く撒いたほうがよいという発想のものか?

    A. (薬師寺泰蔵氏)

    • 投網方式のもとで、審査はセカンドトライアルを行い、研究が伸びれば継続し、そうでなければ打ち切る。また、アウトカム方式を採用し、アウトカム評価は適正な評価者(目利きのある人)が行う。
    • 現在、資金は研究室単位(全体、グループ単位)で配分されている。そのようなファインディングのみでは、若い独創的な人たちが埋もれてしまう。

    コメント (山口一男氏(シカゴ大学教授/RIETI客員研究員)

    • 学生の進学率の高さやドロップアウト率の低さは、入学する学生しだいで結果が異なる。学者の成果は、優秀な学者を集めれば高まる。
    • 実際は、大学の成果とは個人やチームの成果である。競争的な資金で、よりフレキシブルに私立も入れて個人を競争させたほうがよい。
    • 教育効果は、受けた教育自体からどの程度上乗せがあったかで測るべきだが、計測が困難である。たとえば、若手研究者や学生に対して大学が機会(opportunity)を与えているかは、ある程度計測できる。機会の広さが可能性を生じさせるともいえる。大学の特化は、大学自体の中から自らの優れたところを伸ばすかたちで、徐々に行うのが望ましい。その情報が学生に伝わり学生は応募する。

    Q. (玉井克哉氏)
    個々の研究者の業績の評価というのは可能でも、組織の研究成果を評価するのは難しいし、まして教育の評価というのは困難だという声がある。組織レベルの評価が困難なら評価をしない、無理に評価をすれば、その評価をしたという体裁をつくるコストを要し、逆にマイナスであるという考え方もあり得るが、どうか?

    A. (薬師寺泰蔵氏)

    • 投網方式のもとで、審査はセカンドトライアルを行い、研究が伸びれば継続し、そうでなければ打ち切る。また、アウトカム方式を採用し、アウトカム評価は適正な評価者(目利きのある人)が行う。
    • 現在、資金は研究室単位(全体、グループ単位)で配分されている。そのようなファインディングのみでは、若い独創的な人たちが埋もれてしまう。

    A. (永山賀久氏)

    • 現在、法人評価、認証評価、自己点検評価の3つの評価の形態があるが、その評価の多元化を目指す。大学は、1つの物差しで順番付けるのではなく、多元的な評価をし、その中に法人評価なり認証評価も位置づける。
    • 今後、評価の負担を軽減していく。評価の目的と限界を十分踏まえ、必要十分な情報のみを取り出す方向に制度を成熟させていく。
    • 従来、研究は、個人やチームという考え方が基本で、科学研究費補助金が中心であったが、組織的な研究もあり、両建てで行う方向に変えていっている。純粋な組織、純粋な個人の評価ではなく、最初は両方を合わせたかたちの評価を考えている。

    A. (藤城眞氏)

    • 評価を行わないなどというのは、納税者のお金を預かる立場からはありえない発想である。評価を介して、教育の受け手である学生や保護者も、教育に関心を持ち、参画することができる。供給側の教員も、評価を通じて自らの姿を鏡に映し、これに対応することができる。評価の開示はそのようなきっかけとなる。
    • 大学を入試偏差値で評価する風潮があるが、受験生が、大学の完全情報を有しているわけではない。大学に関する適切な評価が必要。研究については、学部、学科単位で厳格な相対評価を行い、公表すべきである。
    • 教育については、どのような学生を育てたいのかというターゲットを大学ごとに確立し、その観点からの達成度を調べることが有益である。

    A. (羽田貴史氏)

    • アウトカム評価とアウトプット評価は違う。行政サービスはアウトカムが測定しにくいのでアウトプット評価を適正に位置づけるべき。
    • 大学教育を考える際は、他のさまざまな教育機関との関係の中で、「大学」とは何かが問われていることを意識する必要がある。大学とは研究が行われている高等教育機関である。
    • 資源配分のかたちは、全て東京大学のような研究大学が有利に設計されている。したがって、全ての大学が研究型を志向する。資源配分の形を変えれば必ず変わる。
    • 韓国では、選択的法人移行という政策を採っている。まず、法人化の実験をし、結果を見て拡大しようとしている。
    • 理想の大学を創ってみてはどうか。その大学がよければ、他の国立大学はまねるのではないか。つまり、総論だけではなく、具体論も必要である。

    [閉会挨拶]

    大学の必要性については、欧州・アメリカを問わず、同じ深い問題の中に、あるいは、その上に立って進めていかなければならないということが確認できた。

    それぞれの地域、国、あるいは日本における地方、あるいは大学の形態等々でさまざまに異なる大きな問題を抱え、それをどう解決するかということによって、おそらく日本の将来が決まっていく。そして、知的創造時代の新しい中核である大学のいかんによって日本の将来、あるいはその国の将来が決まっていくのではないかという予感を抱かせる結論であった。