1.はじめに
コロナ禍が収束し、国内外からの旅行者が増加している。一方で、将来を見据えると、人口減少、高齢化が進む中、すべての人が行きたいところに旅行できる環境を整備し、障がいや健康上の問題等を理由に旅行をあきらめることがある高齢者や障がい者の旅行意欲を高める取り組みも一層、重要になると思われる。
そこで、高齢や障がいの有無にかかわらず、すべての人が楽しめるユニバーサルツーリズムの市場規模を推計し、高齢者や障がい者の旅行者としての潜在力の把握を試みた。
2.ユニバーサルツーリズムの概要
まず、市場規模を推計する前に、ユニバーサルツーリズムについて概観する。
観光庁は、ユニバーサルツーリズムを「すべての人が楽しめるよう創られた旅行であり、高齢や障がい等の有無にかかわらず、誰もが気兼ねなく参加できる旅行を目指している」としている。
国内では、1990年代初めより、身体に不自由のある人や健康に不安がある人の希望に応じて外出に関わる支援を行うトラベルヘルパーサービスの提供、高齢者や障がい者を対象とした旅行の企画に民間事業者が取り組み始めた。
国は、不特定多数の人が利用する建築物について高齢者や身体障がい者などへの対応を義務付けるハートビル法(1994年)、公共交通機関の駅や電車などの乗り物をバリアフリー化する交通バリアフリー法(2000年)、そして駅を中心とした地区や高齢者、障がい者などが利用する施設が集まった地区の重点的かつ一体的なバリアフリー化を目指すバリアフリー新法(2006年)を施行するなど、障がいのある人が社会生活をしていく上での障壁を取り除くバリアフリー化を推進してきた。
それに対し、ユニバーサルデザインは、障がいの有無、年齢、性別、人種等にかかわらず多様な人が利用しやすいよう都市や生活環境をデザインする考え方である。2007年に閣議決定された観光立国推進基本計画で「ユニバーサルデザインの考え方に基づく観光の促進」に言及され、2011年度からは観光庁が国内旅行市場におけるユニバーサルツーリズム促進事業を行っている。2021年度にはバリアフリー対応や情報発信に積極的に取り組む姿勢のある観光施設を対象とした「観光施設における心のバリアフリー認定制度」も始まった。
都道府県では、兵庫県がユニバーサルツーリズム推進条例を2023年4月に施行した。同条例は、行きたいところに旅行できる環境の整備を目指し、受け入れ体制の充実、情報等を得られる機会の確保、気運醸成に取り組むとしている。
3.ユニバーサルツーリズムの市場規模
観光庁(2023)は、ユニバーサルツーリズムの市場規模を表1の通り推計している。潜在市場規模は、不便が解決された場合の国内宿泊旅行回数に依拠している。
本稿では、観光庁(2023)を参考にしつつ、年齢階層別の障がい者割合と国立社会保障・人口問題研究所(2023)における日本の将来推計人口(出生中位・死亡中位推計)を基に、2050年までの市場規模を推計した。なお、2020年の人口は総務省統計局「国勢調査」、2022年の人口は総務省統計局「人口推計(2022年10月1日現在)」を推計時に用いた。
(1)推計方法
観光庁(2023)と同様に、障がい者数、外出に何らかの不自由がある高齢者数を算出した後、それぞれの国内宿泊旅行平均回数を乗じて市場規模を推計した(図1)。
①障がい者
障がい者数は、観光庁(2023)では、内閣府『令和4年版 障害者白書』に記載された人数としていたが、本稿においては、将来推計に対応するため、身体障がい者、知的障がい者、精神障がい者それぞれについて、人口に年齢階層別障がい者比率を乗じて算出した。
身体障がい者、知的障がい者比率を厚生労働省(2018)における年齢階層別障害者手帳所持者数、精神障がい者比率を内閣府(2023)に記載されている年齢階層別精神障害者数から算出(表2)後、人口にそれぞれの比率を乗じて障がい者数を推計した(表3)。
その後、障がい者数に、観光庁(2023)で用いられた、障がい者の国内宿泊旅行平均回数(現状:1.95回、潜在:2.65回)を乗じて、障がい者のユニバーサルツーリズム市場規模を推計した(表4)。
②外出に何らかの不自由がある高齢者
外出に何らかの不自由がある高齢者数は、観光庁(2023)と同様に、高齢者の人口から、①で試算した高齢者の障がい者人口を除した後、2018年に実施された人の動きに関する実態調査(第6回東京都市圏パーソントリップ調査)における、「外出に関する身体的な困難さ」に対する「困難ではない」以外(「多少困難はあるが、一人で外出できる」「一部で介助者が必要」「常に介助者が必要」「基本的に外出できない」)の回答割合(表5)を乗じて推計した(表6)。
その後、外出に何らかの不自由がある高齢者数に、観光庁(2023)で用いられた、外出に何らかの不自由がある高齢者の国内宿泊旅行平均回数(現状:1.39回、潜在:2.12回)を乗じて、高齢者のユニバーサルツーリズム市場規模を推計した(表7)。
(2)推計結果
①市場規模
図2は、表4および表7の結果を合計したものである。高齢化の進展に伴い、現状、潜在いずれにおいても2035年まで市場規模は拡大すると推計される。潜在市場規模は、現状市場規模の1.4倍になる。
②日本人国内延べ宿泊旅行者数との比較
観光庁「旅行・観光消費動向調査 2022年年間値(確報)」によると、2022年の日本人国内延べ宿泊旅行者数は2億3,247万人だった。前年(2021年:1億4,177万人)から64.0%増加したものの、コロナ前の2019年(3億1,162万人)より25.4%低い水準にとどまった。
2022年のユニバーサルツーリズム市場規模(現状)3,316万人は、2022年の日本人国内延べ宿泊旅行者数の14.3%、2019年の同旅行者数の10.6%に相当する。
2022年に不便が解決され、潜在需要が満たされた場合に増加する1,370万人(4,686万人-3,316万人)は、2022年の日本人国内延べ宿泊旅行者数を5.9%、2019年の同旅行者数を4.4%押し上げる効果を持つ。
4.おわりに
筆者の推計によると、現状でも国内宿泊旅行者数の1割強に相当するユニバーサルツーリズムの市場規模は、2035年まで拡大が見込まれる。また、不便が解決されて潜在需要が満たされると、ユニバーサルツーリズムの市場規模は1.4倍になり、2022年のデータからは、国内宿泊旅行者数を4.4%~5.9%押し上げる可能性が示唆された。
障がい者や、外出に何らかの不自由がある高齢者の人数は、人々の健康増進の取り組みが進み、技術も進歩すると推計より減少する可能性はあるが、すべての人が快適に旅行できる環境整備は、旅行者だけでなく、住民が外出する際の利便性向上にもつながる。
旅行の健康増進効果も無視できない。
バリアフリー旅行等のツアー参加者を対象とした調査では、72%が外出への自信が増加するなど「心の変化」を強く実感したほか、50%に初めての旅行後に外出頻度が増えるなどの「行動の変化」、旅行中に入浴のリラックス効果や活気が向上する「身体の変化」が確認された。そして、81%は旅行による健康増進効果を期待できると考えていた(観光庁, 2014)。
60歳前後の旅行ツアー参加経験者を対象に実施したアンケート調査からは、拡散的好奇心(物事に対して幅広く情報を求める性格特性)が旅行の動機となり、旅行を通じ認知刺激を受けることで拡散的好奇心が満たされて主観的幸福度が高まること、旅行頻度が高まるほど主観的幸福度が高まる傾向にあることが分かった。先行研究で主観的幸福度は認知症リスクを低減させる効果があると証明されており、旅行が認知症リスクを低下させる可能性が示唆された(Totsune et al., 2021)。
ユニバーサルツーリズム推進条例が施行された兵庫県の他、長野県、佐賀県嬉野市、山形県天童市をはじめ多くの地域がユニバーサルツーリズムの取り組みを進めつつある。すべての人が楽しめるユニバーサルツーリズムの一層の広がりを期待したい。