新春特別コラム:2023年の日本経済を読む~「新時代」はどうなる

「新時代」を動かすもの

佐藤 克宏
コンサルティングフェロー

1. これまでの時代を動かしてきたもの

「時代」。大きな時間の流れの中において、「時代」が生まれるのは、そこに何らかのパラダイムがあるからであろう。そのような時代のパラダイムは、世の中の人々に対して、あまねく生活様式や行動様式に根元的な変化を与える要因によって規定されてきた。

時代のパラダイムというとき、1995年が大きな基準になる。Windows95が発売され、コンピュータが誰にでも手軽に使えるPersonal Computer (PC)として世の中にひろく普及するようになった年である。そして、ウェブサイトの検索エンジン事業を手掛けるNetscape Communicationsが株式の上場を果たし、Amazon.comが創業した年でもある。ITやデジタルがドライバーとなって、人々の生活空間が、それまでの物理空間からサイバー空間にまで拡大する時代の幕が開けた年といえる。

この1995年から50年前に当たる1945年は、第二次世界大戦が終戦して、1つの時代のパラダイムが始まった年である。戦後復興から、高度経済成長が続き、バブル景気につながっていった。時には貪欲なまでの成長意欲がドライバーとなって、経済や産業が振興され、誰もが物質的に豊かで便利になった時代である。

その1945年から100年前に当たる1845年は江戸後期において大きな飢饉や一揆が続いた天保年間が終わりを迎えた年であり、その後の黒船来航、そして明治維新へと歩みが始まった年である。封建的な時代が終わりを迎えていく中で、自由をドライバーとして、平等な国民みんなで、近代国家である日本になっていった時代である。

一方、1995年から将来に目を向けると、その25年後に当たる2020年は、現在も続くコロナ禍が本格化した年であり、成長の推進だけでなく、安定や安心や安全がドライバーとなる時代が始まった年である。例えば、産業や企業ではサプライチェーンの強靭化、個人ではワークライフバランスやウェルビーイングなどが言われるようになった。また、サーバー空間でも、サイバーセキュリティの高度化などが積極的に求められるようになった。

このように、時代のパラダイムを、そのドライバーという視点から見てみると、1845年からの時代は「自由」、1945年からの時代は「成長」、1995年からの時代は「物理空間からサイバー空間への拡大」、そして2020年からの時代は「成長だけではなく安定・安全・安心」というように変化してきている。これらのドライバーは、まさに世の中の誰に対しても、あまねく根元的な変化を与える要因である。そして、新たなドライバーによって時代のパラダイムが変化するスピードは、100年間→50年間→25年間と、どんどん速くなってきている。

「時代」の変化

2. これからの「新時代」を動かすもの

それでは、これからの「新時代」は、どのようになっていくのであろうか。時代のパラダイムが変化するスピードが倍速化(1/2化)している中では、2020年から始まっている現在の時代のパラダイムだけでなく、その12.5年後となる2030年過ぎから始まると予想される次の時代のパラダイムまで考えておく必要がある。

2030年を過ぎる頃には、2050年を目標とする脱炭素化を目指した歩みに最初の結果が出ていたり、デジタル化の進捗やスタートアップ・エコノミーの成否などが見えているはずで、次の潮流が生まれているはずである。それでは、そのような2030年以降も見据えた新時代のパラダイムのドライバーは、どのようなものになるのであろうか。

1) 持続可能性であるサステナビリティが当然の行動原理に

まず、サステナビリティがある。いまは、SDGsやESGと呼ばれて、脱炭素化、ダイバーシティ、人権など一つ一つばらばらで、規制対応のような様相の義務的な取り組みになってしまっている。新時代のパラダイムのドライバーであるサステナビリティはそのようなものではなく、地球環境、社会、産業、企業、個人それぞれのレベルでの持続可能性として、「サステナビリティ」として統合されたひとかたまりのものである。

この持続可能性として統合されたサステナビリティというひとかたまりのものが、新時代においては当然の行動原理になるのではなかろうか。国家、社会、産業、企業、個人それぞれにおいて、何か行動をする場合に、あえて特別に意識するまでのものではない当たり前の前提として根付いたものになっていくのではないかと考えられる。

持続可能性としてのサステナビリティの常識化、そしてその当然の行動原理化といっても、現在の地政学的な状況、これまでの技術革新の進展、企業意識や国民意識などからは実感を持てないと思われるかもしれない。それでも、世界的な潮流としては、パラダイムの変化の足の速さに鑑みれば、2030年を過ぎる頃には、現在の欧米における萌芽が一気呵成にグローバルに加速していても不思議ではない。

2) 志や大義であるパーパスが人生や活動の羅針盤に

そして、パーパスがある。パーパスとは、それぞれの主体が持つ志、大義、あるいは何のために存在するのかという存在意義のことである。そして、それぞれの主体にとって利己的なものというよりは、それぞれの主体が世の中に対して提供していく価値といえるものである。このパーパスが、個人においても企業においても、人生や活動の羅針盤になっていくと考えられる。

これまでの資本主義経済の中では、企業や個人が、社会から何らかの価値を利益などのかたちで獲得していくことが目標とされがちであった。これに対して、パーパスの下では、企業や個人が、社会に対して価値を提供して、まさに社会の一員として、社会を共創していくようになる。そして、毎年度の利益というような短い時間軸ではなく、パーパス実現に向けた旅路という長い時間軸で、企業も個人も進んでいくようになる。

これまでの日本企業では、「買い手よし、売り手よし、世間よし」の「三方よし」などの一般的な善は言われてきた。しかし、これらはパーパスとはかけ離れたものである。パーパスとは、その主体の社会における存在意義として、社会に対する提供価値の具体像を持ち、その実現に向けた旅路を描けるものである。

3. 2023年は新時代に向けた始動の年!

サステナビリティが当然の行動原理になり、パーパスがそれぞれの主体の羅針盤になっていく新時代に向かって、2023年は、日本という国家、産業、企業、個人が、いよいよ始動していく年になるであろう。

パーパスは、国家にも、産業にも、企業にも、個人にも求められる。日本という国家は、どのような存在として、どのような価値を国際社会や国民にもたらしていきたいのか。日本という国家のパーパスを、政治や政府においては、改めて明らかにしていくタイミングである。パーパスは、産業や企業にも当てはまる。100億人への人口増加、気候変動、都市化、食料問題、高齢化などが進む中で、地球レベルで、日本の産業や企業は何を志とし、何を価値として提供して、地球社会を共創していくのかを明らかにして進んでいく必要がある。その上で、産業構造の転換や事業ポートフォリオの変革を進め、併せて事業機会を獲得していくことが大切になる。

そして、パーパスを羅針盤にして進んでいく中では、持続可能性としてのサステナビリティを当然の行動原理にしていく。まさに人間が空気を呼吸するように、サステナビリティを特別に意識するまでもない当たり前の取り組みにしていくのである。それは、脱炭素化、多様性、人権などいくつかの限定的なものに受動的に規制対応のように取り組むということではない。持続可能性という観点から、それぞれの主体が必要だと考えるものや価値があると考えるものに、能動的に価値創造さえ行いながら取り組んでいく、ということである。

もちろん、このパーパスやサステナビリティは個人にも関わるものである。例えば、誰もがパーパスを持ち、そのパーパスを実現する場を得ていくためにも、教育や働き方が大切になる。教育では、暗記力や思考力のみでなくパーパスとなる志をつくる力も育んでいく。働き方でも、企業への就社であるメンバーシップ型や職種への就業であるジョブ型から大企業でもスタートアップ企業でもそれらを舞台にパーパスを実現していける就夢型を可能にしていく。

時代のパラダイムが変化するスピードは倍速化している。そして、「自由(1845年~)」→「成長(1945年~)」→「物理空間からサイバー空間への拡大(1995年~)」→「成長だけではなく安定・安全・安心(2020年~)」と変化してきた時代のパラダイムのドライバーは、新時代では「パーパスとサステナビリティ」になっていく。

2023年は、社会を共創する志であるパーパスを持って、持続可能性としてのサステナビリティを常識としての行動原理にしながら、国の意義の再定義、産業の構造転換と新たな価値創造、企業の事業ポートフォリオ変革と事業機会の獲得、個人の働き方の改革などに取り組んで、新時代における飛躍に向かって始動していく年にしていきたい。

2022年12月22日掲載

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