"象を冷蔵庫に入れるために必要な3つのことは?"
という古いなぞなぞがあります。答えは、
①冷蔵庫のドアを開ける
②象を入れる
③冷蔵庫のドアを閉じる
でしたね。では、
"社会の病気を治(なお)すために必要な4つのことは?"
答えは、
①病気を見つける
②治すゴールを決める
③治療する
④治ったことを確認する
です。
簡単ですね。
「問題の発見」「問題の定義(目標の設定と共有)」「対策の実施」「評価と退出」ともいいます。
では、このなかで一番難しいのはどれでしょう?
問題の発見
問題の発見は、最も重要です。「知られていないことは存在しないこと」と経営の神様である松下幸之助氏はおっしゃったとか(注1)。いじめやDVなど、周りが気づいていれば何とかなった問題は社会に溢れています。社会の病気の治療は、「問題を発見して、目標を決めて、対策して、評価して治ったら止める」というプロセスなので、発見できない病気はそのさきの治療ができません。いかに声なき声を拾うか、周囲の方の気付きやメディアの役割が重要です。
問題には、目に見えないものもあります。問題とは、現状とあるべき状態とのギャップなので、いまの状態があたりまえだと思っているとギャップは見えません。日本の1人当たりGDPが先進国でも平均以下であること(注2)、女性の活躍が先進国では最下位とされていること(注3)などは、言われないと気がつかないでしょう。「お役所の常識、社会の非常識」とも言われるように、組織の中の人間は、問題に気がつかないものです。民間企業の衰退も、経営トップが問題に気がつかないことが多く、倒産の主な原因は「販売不振」「既往のしわ寄せ(ゆでガエル状態)」ですが、いずれもビジネスの現場を経営トップが直視できていないことによるものです。
問題の定義(目標の設定と共有)
問題の定義は、実は最も難しいことで、これが正解。ギャップがあることに気がついても、ではいつまでに何をどこまで目指すのかはなかなか決まりません。例えば「地域創生」といっても、それは住民の所得が上がることなのか、移住者数が増えることなのか、観光客数が増えることなのか、出生率が上がることなのか、住民の幸福度が上がることなのか、何なのか。具体的に政策で何を目指すのかという「目標の妥当性」は、途上国援助をする際の大前提で、「政策介入する正当性があるか」「目標は受益者などのニーズに合っているか」などを満たしていない計画は、それだけでD評価(低い)とされてしまいます(注4)。患者さん(例えば地域住民)の抱える病気(問題)はさまざまで、資源は限られているので、どれから手をつけるのか、優先順位もつけなくてはいけません。問題を定義すること、つまり現状を把握して目標を決めることは、一見簡単なようでも、関係者が多い複雑な社会では、最も難しいことなのです。
そして、「地域を元気にする」ではダメで、目標は数値化される必要があります。絶対温度(K)というモノサシを発明したイギリスのケルビン卿(1824-1907)の"If you cannot measure it, you cannot improve it."(測定できなければ改善できない)の名言のとおり(注5)、数値化されない目標は達成できません。このため、いま行政ではKPI(Key Performance Indicator:重要業績評価指標)を設定する動きが広がっています。地域創生についても、「地方創生事業実施のためのガイドライン」が公表されており(注6)、KPIを決める際のポイントや注意事項が示されています。
しかし、数値化は、3次元の社会を、時間とともに変化することを考えると4次元の社会を、1次元(1つのモノサシ)で測ることであり、さまざまな要素が抜け落ちてしまうので、注意が必要です。教育の世界では偏差値がいまも重視されていますが、子供たちの能力や可能性を、1つのモノサシで図れるものでしょうか? また、目標は数値化しないと実現しませんが、ひとたび数値化すると、その目標だけが重視されてそれ以外の必要な取組がおろそかになったり、目標が達成できるところまでで努力を止めたり(あとのノルマがキツくなる「ラチェット効果」(注7)のため)、逆にノルマ達成のための労働強化が起こったり、別の問題が発生したりします。
自治体が一生懸命考えて作ったKPIも、住民はほとんどの場合知りません。数値化された目標は、関係者で共有される必要があります。"Problem shared is problem halved."(問題が共有されれば半分解決したと同じ)と言われるように、患者さんが治療目標を知らないと生活態度は改まらず、高血圧などの生活習慣病は結局再発してしまいます。目標の数値化にあたっては、問題を抱える当事者を含む関係者でしっかり議論して、納得のいく目標を共有することが重要です。
対策の実施
目標が決まったら、あとは「やってみなはれ」(注8)。社会は複雑系(complexity)と言われるめんどうなシステムなので、あちらを立てるとこちらが立たず、良かれと思ってやったことが他の問題を引き起こし、同じ人間が2人いないように同じ社会も2つありませんので、対策に正解はありません。社会の病気の治療=対策の実施は、基本的に、
① ロジックツリーを作って問題の要因を分解して手を打つ(トップダウン)
② 同じような病気の対策に成功しているやり方をやってみる(ボトムアップ)
の2つです。
①は、日本がむかし得意とした「カイゼン」のTQC(Total Quality Control)手法なので、製造業の方はなじみがあるでしょう。詳しいやり方は、PCM Tokyo の「PCMテキスト計画編」にあるので、参考にしてみてください(注9)。
②は、わりと簡単で、成功事例を導入することですね。政府が表彰していたりすると、上司や首長なども反対しにくいので、実践的です。ただし、一見同じような症状(例えば地域の衰退)だったとしても、原因や社会環境が違いますので、注意が必要です。
評価と退出
やってみたら、モニタリングして状況が良くなっているか、対策の実施による副作用が起きていないかをチェックします。数字が良くなっていたとしても、単に景気が良くなったせいだったり、別の要因の影響もあるので注意が必要です。効果があれば続け、効果がなければ別の手を考える。目標が達成できたら、対策をしなくてもその水準を維持できるような工夫をして、介入をやめます。一度対策を始めると、止めるときに反対されることが多いので、対策を実施する際には事業の持続可能性(sustainability:介入終了後も効果が続くこと)を考えておく必要があります。
まとめ
以前のコラム(注10)にも書いたとおり、人の病気を治すには高度な専門知識を持つ医者が必要なように、複雑系である社会を制御するには高度な専門知識を持つプロフェッショナルが必要なのですが、まだ日本にはそうしたプロフェッショナルを育てる仕組みはありません。
ではどうするのか? 一人一人が社会の病気を治すのです。一人一人が「はたらく細胞」の白血球になれば、多くの社会の病気は自然治癒力で解決できます。震災直後に多くの方がボランティアとなって被災地に行き、支援金が集まったように、一人一人が社会の問題に関心を持ち、問題を発見して、当事者と目標を設定し、いろいろトライ&エラーをしてみれば、実はすごい薬が作れるかもしれません。事件が起きているのは現場であって、霞が関ではありません。複雑な社会の病気を治す薬は、現場で作るのです。むかし全国で使われていたスパイクタイヤが禁止されたのは、仙台の一人の主婦の気づきからでした(注11)。
一人一人が、社会の白血球になる。社会の病気の医者には、国家資格はありません(私も30年間社会の病気を治していますが、いまだに無免許です)。TQC運動で「安かろう」「悪かろう」と言われていた日本製の品質が世界一になったように、一人一人が社会問題に取り組み、そのリテラシーを高めれば、日本は世界一平和で幸せな社会になると思います。