我々はどこから来たのか我々は何者か我々はどこへ行くのか 〜 政策史研究のすすめ

佐分利 応貴
研究コーディネーター(政策史担当)

図1
P. ゴーギャン(1897)

経済産業省の21世紀

“新たに誕生した経済産業省の任務は、「多様な主体が能力を最大限発揮できる経済社会システムの実現に向け、各主体の活動を支えるナビゲーターになる」ことを目的として、21世紀に向けて、経済と社会の一体化、少子高齢化、グローバル化、環境・エネルギー問題の顕在化などの環境変化に直面する中で生ずる政策課題に対応することであった。そのため経済産業省は、次のような新たな5つのミッションを果たし、我が国経済社会の発展軌道を確かなものとし、世界経済全体の更なる発展に貢献することとした。すなわち、
①産業のみならず経済社会システム全体を視野に入れる
②新しい経済社会を切り開くイノベーションを促進する
③高齢者、NPO、地域など多様な価値観を反映する
④内外経済の融合の中で国内・国際一体の政策運営を行う
⑤地球環境問題や少子高齢化問題を解決する
であった − ”

上記に始まる「経済産業政策資料集 2001〜2020」が、先般RIETIホームページに公開された。本資料集は、経済産業研究所で政策史担当のファカルティフェローを長らく務められ、過去2回の「通商産業政策史(第一期)」(1945-79年)、「通商産業政策史(第二期)」(1980-2000年)の執筆に加わった東京大学名誉教授の武田晴人先生に、世紀の転換期に誕生した経済産業省が、どのような経済社会情勢の要請とともに歩みを進めてきたかについて取りまとめていただいたものである。資料集は、武田先生のご執筆による第一部総論と、第二部の資料編(重点施策の変遷、法令年表、幹部職員の変遷、政策史年表)から構成されている。

政策担当者に要求される3つの視点

政策担当者には、常に3つの視点が要求される。

第一は「鳥の目」(bird’s eye view)である。目の前の課題は、政府全体の課題の中でどう位置付けられるのか、重要なのかそうでないのか、あるグループを支援することは他のグループとのバランスを失することになるのではないか、支援による他への波及効果はないかといった大局観である。

第二は「虫の目」(insect’s eye view)である。事件は会議室ではなく、現場で起きている。現場では何が起こっているのか、政策的な介入の必要はあるのか、介入は問題を解決したのか、悪化させてはいないか、いつ介入をやめていいのか、などを判断するための実態把握である。「現場百遍」ともいう。

そして第三が「歴史家の目」である。なぜ介入を始めたのか、そこに正当性はあったのか、これまでの介入は効果があったのか、いま行おうとしていることは後世どう判断されるか、その方向性は間違っていないかなどを、バックミラーだけを見て崖から落ちる「前例踏襲」に陥ることなく、冷静に、客観的に見極める目である。

政策史は、この第三の目を得るための材料であり、政策担当者にとって欠かせない「海図」であり「羅針盤」である。我々がどこから来たのか、いまどこに立っているのか、そしてどこへ向かっているのかは、政策史を学ぶことによって得ることができる。「政策史とは、未来への『展望台』を構築する作業である」(猪飼周平)という表現の通り、RIETIがこの4月に研究センターを創設したEBPM(Evidence-Based Policy Making:証拠に基づく政策立案)が個々の政策の効果を定量的に把握しようとするもの(=ミクロ)であるとすれば、政策史は政策全体を俯瞰し、大きな政策の流れ(=一般方向、マクロ)を把握するものといえるだろう。

政策史には、解剖学的研究と生理学的研究がある。前者が政策資料や制度、予算等を分析(調査)するのに対し、後者はヒアリングを中心に誰が何をなぜ決定したのかを分析(捜査)するものである。捜査は情報源が限られ、証言も「その人から見た世界」「言い訳」などのバイアスが含まれるが、調査・捜査ともに重要であることには違いがない。

朝日新聞社で女性初の論説委員として介護保険を取材した大熊(2010)は、以下のように述べている。

「法律や制度は、建物に似ています。
足を踏み入れても、そこには、柱を組み立てた人も、屋根を葺いた人も、ドアを取り付けた人も、もういません。描いては消し、描いては消した設計図も、足場も、跡形なく片付けられています。
介護保険制度は、崖の上に、危ういバランスで、やっとのことで建てられた家に似ています。
福祉にカネをかけたら「日本の経済はつぶれる」「日本の美風を壊す」という常識が、政権政党やマスメディアを支配していた時代に、この制度の構想は芽生えました。
原点は、日本以外の先進国には見られない「寝たきり老人」や「介護地獄」をなんとかしなければという叫びと思いでした。これに、産業界や医療界、政界などの様々な思惑がからみあい、理想通りとはいえないけれど、介護の社会化のよりどころとなる制度が形作られてゆきました。」

今では「あたりまえ」になった介護保険も、その制度創設時は筆舌に尽くせない苦労があった。飲水思源、水を飲む人は井戸を掘った人の苦労を忘れてはならないという中国の言葉のとおり、いま「法律」や「制度」という建物を管理する人々は、その建物を誰がどう建てたのかを知る義務があるだろう。

新機軸の議論に歴史の知恵の活用を

資料集では、経済産業省の政策が「バブル崩壊以後の負の遺産を払拭していく上で重要な役割を果たした」と評価しつつ、日本経済を「成長軌道に乗せるために「潜在的成長率」を引き上げるような方策の推進は、容易に浸透しなかった」とも指摘している。失われた30年を脱し、日本経済を再び成長軌道に乗せるため、経済産業政策の新機軸が現在議論されているが、こうした新機軸の議論にも本資料集が役に立つことを期待したい。

“歴史を学ばないものはそれを繰り返す運命にある” (Those who do not learn history are doomed to repeat it.)  - 米国の哲学者ジョージ・サンタヤーナ

参考文献
  • 猪飼周平 編著(2019), 『羅針盤としての政策史 歴史研究からヘルスケア・福祉政策の展望を拓く』, 勁草書房
  • 大熊由紀子(2010), 『物語 介護保険 いのちの尊厳のための70のドラマ(上)、(下)』, 岩波書店
  • 尾高煌之助(2013), 『通商産業政策史 1980-2000 第1巻』, 一般財団法人 経済産業調査会
  • 武田晴人 編著(2022), 『経済産業政策資料集 2001〜2020 〜経済産業政策20年史〜』, (独)経済産業研究所
  • 渡邉純子(2021), 『2000年代の産業再生政策』, RIETI Discussion Paper Series 21-J-030

2022年6月2日掲載

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