新春特別コラム:2020年の日本経済を読む

温泉を活用したヘルスツーリズム推進に向けてエビデンスの蓄積・共有を

関口 陽一
上席研究員

日本では、温泉と健康は古来より密接な関係にある。医療技術が確立される前から温泉入浴、飲泉などの温泉療法が行われ、江戸時代には3~4週間、温泉地に滞在して心身の疲れをとる湯治(とうじ)が広まった。明治時代に病を直接治す近代医学が導入され、温泉利用が「医療に該当しない行為」とされた後も温泉療法は続いているが、第二次世界大戦後の生活様式の変化に伴い、温泉利用の目的は療養から保養へと変わってきた。一方で、人口減少と医療・介護費の増大が進む中、「経済活性化」と「あるべき医療費・介護費の実現」につなげる方策としてヘルスツーリズムに対する関心も高まっている。

温泉を健康増進に利用するため、1989年に温泉利用型健康増進施設の認定制度が創設された。認定施設の提携医などが作成した温泉療養指示書に従いおおむね1カ月に7日以上、施設を利用した場合、施設までの往復交通費および施設利用料金が所得税の医療費控除対象になる。温泉利用型健康増進施設は、2019年7月現在、全国に22施設ある(注1)。

本稿では、温泉利用型健康増進施設の中で医療費控除の申請者数が最も多い豊富(とよとみ)温泉(北海道豊富町)の事例を踏まえ、温泉を活用したヘルスツーリズム推進に向けたエビデンス(科学的根拠)蓄積・共有の意義について考察する。

豊富温泉の温泉利用型健康増進施設(連携型)認定後の動向

稚内市の南方に位置する豊富温泉は、温泉に含まれる油分のタールに乾癬(かんせん、皮膚の病気)やアトピー性皮膚炎への抗炎症作用があるとして1990年代から乾癬患者、2000年代になるとアトピー性皮膚炎患者に効能が知られるようになり、湯治者だけでなく豊富町に移住して療養を続ける人も増加してきた。2017年7月には豊富町ふれあいセンターおよび豊富町温泉自然観察館が温泉利用型健康増進施設(連携型)に認定された。普通運賃で豊富温泉を訪れると、東京から稚内空港経由で片道約46,000円、札幌市からは交通手段によるが片道約6,000~24,000円かかる。交通費などが医療費控除対象になることで、遠方から訪れる湯治者の増加、湯治期間の長期化が期待されている。

認定後、豊富温泉に滞在した医療費控除申請者数は、1年目(2017年8月~2018年7月)181人(うち北海道外から154人)、2018年9月に発生した北海道胆振東部地震の影響を受けた2年目(2018年8月~2019年7月)も178人(同148人)とほぼ同水準で、初めて豊富温泉を訪れた人の割合は2年とも約3割だった。医療費控除申請者以外を含む湯治者が記入した湯治療養カードの集計データからは、北海道外の湯治者(図1参照)、1週間よりも長く滞在する湯治者の割合(図2参照)とも増加が確認された。湯治に来たきっかけとなった情報源は、インターネット(個人ブログ含む)、医師、知人、家族の順で、医師の紹介もあり北海道外では東京都や広島県からの湯治者が多い。

都道府県別湯治者数の推移(豊富町資料より作成)
湯治期間別湯治者数構成比の推移(豊富町資料より作成)

もっとも、豊富温泉は特殊な事例で、豊富温泉が認定される前の医療費控除の申請者数は全国19施設で年間50~70人程度だった。他の施設における申請普及の阻害要因は「各施設が会員に告知する以外に利用者がこの制度のことを知る機会が少なく、車移動の多い田舎では利用料のみが対象となるため、メリットが少ないと考える人が多い。また、医療機関との連携が図れている施設とそうでない施設との格差も大きい」と分析されている(注2)。

豊富温泉に関しては、公共交通機関利用時の交通費負担額が大きいほか、効能が知られている上に皮膚疾患療養効果のエビデンスが示されており医師が滞在を勧めやすいなど制度との相性がよいため、医療費控除の申請件数が多いと考えられる。

温泉を活用したヘルスツーリズム推進に向けてエビデンスの蓄積・共有を

温泉を活用したヘルスツーリズム推進には、豊富温泉のように医師との連携も重要になる。その前提として、温泉療養効果を医師に示すエビデンスの蓄積・共有も欠かせない。

日本の温泉療養研究は、日本温泉気候物理医学会と日本健康開発財団を中心に行われている。しかし、温泉療養の研究・臨床の中核を担ってきた国立大学附属の研究施設・病院、国立病院が現在までに全て廃止または機構改革され、エビデンスの蓄積が難しい状況にある。温泉医療に関する講義を行う大学医学部はごく一部、全国約32万人の医師のうち温泉療法に関する研修を受講した温泉療法医は約1,000人でエビデンスの共有も限定的である。

フランスでは、医師の診断書と同じ温泉保養地への3週間の滞在(日曜日を除く18日間の治療)を条件に温泉療養費の65%に医療保険が適用される。2000年代に入り、財政的な制約を背景に温泉療養費への医療保険適用見直しが検討されると、各温泉療養者より徴収する2ユーロ、温泉市長町長協会からの資金等を財源に、フランス温泉研究協会が2004年から温泉療養効果の研究プロジェクトに補助金を提供している。2018年までに1,310万ユーロの資金を投入した51の研究プロジェクトにおける医療サービスの評価・実証および研究を通じて、温泉療養を行った膝関節炎患者の症状が通常医療を受けた患者よりも改善されたなどのエビデンスを蓄積・共有し、保険適用への理解を得てきた。2018年には60万人が110の温泉保養地で医療保険の適用を受けて温泉療養した(注3)。

日本においても、温泉療養者から資金提供を受けるなどの財政措置を講じた上でエビデンスの蓄積・共有を図る仕組みの強化が望まれる。財源については、市町村が課税主体であり、全国一律での対応には調整を要するだろうが、鉱泉浴場入湯客に課税されている入湯税(1人1日150円が標準)の税率引き上げ(10円の引き上げで約15億円の税収を見込める)も選択肢の1つになり得る。

環境省は、現代のライフスタイルにあった温泉地の過ごし方として2017年に新・湯治を提案し、温泉地全体での療養効果等の科学的な把握に着手した。2018年度に全国20カ所の温泉地・温泉施設で初めての調査を実施し、温泉地滞在後、心身によい変化が得られたことを確認した(注4)。

ただし、環境省による2018年度の調査は、温泉地訪問前後での健康状態の主観的な変化を聞く設問が中心だった。温泉療養効果を医師に発信するには、エビデンスの蓄積・共有も欠かせない。人生100年時代を見据え、ストレス軽減、リフレッシュなどの温泉地の力とともに、エビデンスの蓄積・共有を進め、温泉の力をさらに活用することも期待したい。

脚注
  1. ^ 厚生労働省「温泉利用型健康増進施設一覧」
    https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/undou04/02.html(2019年11月6日閲覧)
  2. ^ 野添ちかこ(2017)「温泉保養地の現状と展望~『温泉利用型健康増進施設』活性化に向けた調査~」『日本健康開発雑誌』38, p.77
  3. ^ フランスの事例については、2019年10月18日に静岡県伊豆市で開催されたG3T (Global Thermal Think Tank) Japan 2019におけるTip Touch International社CEOのMr. Jean-Guy de Gabriacによるプレゼンテーション(French Hot Springs industry research update)を参考にした。
  4. ^ 環境省「環境省全国『新・湯治』効果測定調査プロジェクト平成30年度結果報告」
    https://www.env.go.jp/press/files/jp/111760.pdf(2019年11月6日閲覧)
参考文献
  • 阿岸祐幸編集委員代表(2012)『温泉の百科事典』丸善出版
  • 特定非営利活動法人健康と温泉フォーラム(2016)『温泉実務必携』特定非営利活動法人健康と温泉フォーラム
  • 髙橋伸佳(2019)『交流がつくる健康なまち ヘルスツーリズムによる地域ヘルスケアビジネスまるわかり』JTBパブリッシング
  • 野添ちかこ(2017)「温泉保養地の現状と展望~『温泉利用型健康増進施設』活性化に向けた調査~」『日本健康開発雑誌』38, pp.75-78

2019年12月26日掲載