新春特別コラム:2020年の日本経済を読む

日本の経済財政政策はどうあるべきか

小林 慶一郎
プログラムディレクター・ファカルティフェロー

不確実性の時代

日本のマクロ経済政策を包括的に考えるとどのような方向性が考えられるだろうか。マイナス金利と低インフレが継続し、公的債務が国内総生産(GDP)の240%を超えて増え続けている現状においては、差し当たっての経済運営の目標は、財政危機(不安定な高インフレや金利高騰)を回避することを大前提として、格差を是正する所得再配分政策と成長を促進する技術革新等に重点的に財源を投入する、ということだろう。

まず、「マイナス金利と低インフレ」がなぜ続くのかという現状分析が必要である。総需要と総供給が一致する自然利子率がマイナスになっていることが示唆されるが、自然利子率がマイナスになる理由として考えられるのは、極端な不確実性の増大である。極端な不確実性の下では、人々は最悪に備えて貯蓄を増やし、自然利子率がマイナスとなってしまう。

世界の政治、経済で広がる極端な不確実性は大別して2つある。1つはポピュリズムの台頭など、欧米先進国や東アジアなど世界中で政治の不安定性が高まっていることである。その大きな原因は1980年代から世界的に続く格差の拡大であろう。2000年代ごろまでは、トリクルダウン効果(市場競争の勝者から敗者へと富が流れ落ちて行きわたること)によって所得格差が自然に解消すると期待されたが、現実の市場メカニズムには、格差是正の力は弱かった。格差は親から子へと受け継がれ、社会を分断して民主主義を世界中で不安定化させている。

もう1つの不確実性は、産業社会の基幹技術が今後どうなるのかという不確実性である。現在は情報技術(IT)、人工知能(AI)、それらを使ったフィンテックなどによる第四次産業革命が進行中だと言われる。基幹技術が大きく変化するときには、何が起きるのか予想がつかず、事前に社会変化の様相を予見できない。Facebookが発行するという仮想通貨リブラが金融政策を大きく変える可能性があることは理解できるが、変化の後、どのような世界が現れるのかは誰にも分からない。新技術への投資は不確実性に満ちていて、一方で既存技術は陳腐化して投資機会は縮小していく。結果として、安全資産である国債や通貨への投資需要が極端に高まり、マイナス金利が現出する。

これらのうち、政治を不安定化させる格差拡大については、全世代型の社会保障制度改革などの所得再配分政策によって早急に是正を図るべきである。一方、基幹技術の変化に伴う不確実性は、解消するまでに最低でも20~30年程度の時間がかかる。その間、投資需要を国債が吸収し続けることになるかもしれない。累増する国債への信認は長期的に破綻しないだろうか。現在のように、名目金利rをゼロまたはマイナスに抑え続け、名目経済成長率gをわずかでもプラスにできれば、国債への信認は維持できる。r<gにした上で、さらに基礎的財政収支(primary balance; PB)の赤字を一定以下にできれば、国債の増加率をGDPの増加率gよりも抑えられるからである。

金利が成長率より低い「良い均衡」シナリオ

標準的な経済学では長期的にはr>gになるとされるが、オスロ大学のマーカス・ハガドーン教授は2018年の論文で、長期的にr<gが実現する理論的可能性を示した。また必ずしも近年の世界的低金利の現状を説明しようとするものではないが、以前からさまざまな世代重複(OLG)モデルや不完備市場のモデルでもr<gの定常状態が実現可能であることは理論的に知られていた。ハガドーン教授のモデルは、国債を保有することで家計が直接に効用を得るモデルであった。国債が直接的な効用をもたらす理由は、国債は民間資産と違って、高い流動性や金融取引における担保価値を持つからである。さらに、国債が高い流動性や担保価値を持つ根本的な理由は、民間部門の不確実性が高いこと、そして、「将来的に、財政再建は実現するだろう」という政府への信認が同時に維持されていることである。

ハガドーン・モデルの定常状態では、実質金利も低く抑えられるので、名目金利rをゼロにするゼロ金利政策を行うと、フィッシャーの関係式により、インフレ率もゼロ付近になる。2%インフレ目標が達成されるまでゼロ金利を続けるとコミットしたことは、日本銀行(日銀)の意図に反して低金利・低インフレをもたらしているのではないか。標準モデルでは、ゼロ金利の継続はインフレをもたらすはずだが、そうならなかったという現実は、r<gの定常状態が実現していることを示唆している。

ここから、目指すべきシナリオとして次のような「良い均衡」シナリオを考えることができる。まず、市場において財政への信認すなわち「財政再建への期待」が維持されるなら国債は安全資産になるので、民間部門の不確実性が高い経済情勢が続けば、国債は民間資産に比べて高い流動性と担保価値を持つ。結果として、r<gの状態が維持できる。そのときPBの赤字を一定の値以下にできれば、国債はおよそrの増加率で増え、GDPは成長率gで増えるので、超長期的に国債比率(国債/GDPの比率)は漸減し、財政再建が実現できる。こうして当初の「財政再建への期待」は自己実現する。

現在、われわれは図らずもこの「良い均衡」シナリオに乗りつつあるといえるが、民間部門の不確実性が高い状態が続くとは限らず、財政への信認も維持できるとは限らない。金利が成長率より高くなる(r>g)ことに備えつつ、財政への信認を維持し続けることが必要だ。そのために次の2つの政策を実施することが求められる。

求められる政策パッケージ

第一の政策は、基礎的財政収支(PB)の赤字の縮小である。正確には、「PBの赤字が増え続けない状態」を実現することである。PBの赤字が有限の値に収まれば、r<gの下では国債比率は一定の値に収束し、財政は安定化する。

日本経済においてr<gとなる条件は、市場に財政再建予想が広く共有されていて、かつ、民間部門の不確実性が極端に高い状態が続くことである。これらの条件が満たされなくなれば金利上昇が起き、r>gになる。

その場合に備えるのが第二の政策、すなわち、「危機対応プラン」をあらかじめ作っておくことである。金利上昇にはさまざまな態様があり得る。民間部門の不確実性が解消して、投資が活発化することで金利が上昇する場合(ファンダメンタルな金利上昇)、経済は成長するので、税収も増え、増税や歳出カットも容易となろう。しかし、それでも債務残高が多いため、財政が危機的な状況に陥る可能性はある。海外要因(海外での紛争、経済危機等)で金利上昇の圧力が高まる場合も、日銀の金融緩和で、円安による景気拡大も見込まれるので、ファンダメンタルな金利上昇と同様の効果を持つ。財政への信認喪失で国債・邦貨からドル等への資本逃避が起きる場合(信認喪失による金利上昇)、急激な国債の投げ売りの圧力が生じる。これに対し日銀が金利を抑えようとマネーの供給を増やすと、インフレが制御不能になる。このような状況になれば財政破綻が現実性を帯びる。「政府はそのような危機を解決できる」という確信を市場が持てるようにしておくことが信認の維持のために必要である。危機対応プランは、実際にはそのようなプランを実行しなくても良い状況(良い均衡シナリオ)を実現することが目的である。しかし、「政府には危機対応プランを実行する意思はない」と市場から見透かされると、信認維持の効果は失われる。

信認維持のための危機対応プラン

教訓となるのは、2002年の金融再生プログラム(いわゆる「竹中プラン」)である。当時は、「不良債権処理を完遂する」という政府の意思への信認を確立することが急務だった。銀行の資産の時価評価の徹底と半強制的な公的資本注入を柱とする竹中プランが発表されると、政府の意思についての疑いは払しょくされ、銀行は自発的に巨額増資と合併再編に動き、不良債権の損失処理を進めた。結果的に竹中プランは大規模に発動されることなく、市場の自発的反応を生んだことで効果を発揮したのである。

同様に、財政危機発生時の対応を定めた危機対応プランは、政府の意思に対する信認確立に大きな効果を持つだろう。プランでは、国債が投げ売りされるような状況での緊急対策として、日銀による国債市場安定化、予算の選択的な執行停止(トリアージ)などを定める必要がある。その後の構造的な財政収支改善の方策も具体化する必要がある。r>gの状況では、必要な財政収支改善はGDPの14%(約70兆円)に及ぶという研究もあるので、抜本的な財政収支改革が必要となる。そのようなプランをあらかじめ準備することで、プランの実行が不要な「良い均衡」を目指すのである。

付言するなら、これまで政府関係者は、「危機対応プラン」を政府が作ればそのニュースが市場を動揺させ、むしろ財政危機を招来する、と心配していた。だから危機対応プランを公然と議論することは政府内でタブー視されてきた。しかしr<gの現状においては市場の動揺に過敏になる必要はない。r<gが続くとき「国債は漸減する」という合理的な期待が形成されている。このとき危機対応プランを政府が発表しても、市場の狼狽はすぐ終息し、「危機対応プランを準備したことは財政の信頼性を高める」という認識が共有されるだろう。

かつて、不良債権処理をめぐっても、政府が乗り出すと市場の恐怖をあおる、という同様の心配があった。しかし竹中プランが銀行不安ではなく金融安定化を招いたことを想起すべきである。

2019年12月20日掲載

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