人々の健康的な生活を実現することはその人だけではなく、政府としても重要な課題である。経済産業政策の新機軸においても「新しい健康社会の実現」が目指すべき方向の1つとして掲げられている[1]。
残念ながら、この課題の解決は時間の経過とともに厳しくなることが予想される。少子高齢化の進行によって医療や健康関連サービスを求める高齢者が増加する一方で、こうした需要を支える労働供給は減少していくため、時間の経過とともに、これまでのやり方を続けていては必要なサービスの提供が難しくなっていく。また、少子高齢化の進展は人口減少と相まって進み、いわば日本の大部分が過疎地となっていくので、住居から医療機関への距離が遠のいていき、対面型のサービスの提供が困難になっていくことが予想される。
このような厳しい状況の中で、1つの希望はインターネットの発展をはじめとするICT革命であり、DXである。以下ではその例を示したい。
医療関係者の関与を減らすことによる対応
私たちはさまざまな痛みに苦しめられる。心の痛みもあれば、体の痛みもある。こうした痛みの中には時間とともに増すものもあるが、時間がたてば自然と治まってしまうものも多い。
そこで、さまざまな痛みを抱える人々がいきなり医療機関に駆け込むのではなく、まずはインターネット上で提供される、人を介さないサービスを受けることによって対応し、それで改善しない場合に初めて医療関係者がオンライン上で登場し、それでも不十分な場合に初めて対面型の医療サービスを提供するという段階的なアプローチが考えられる。こうすることによって医療資源の有効活用が目指されるとともに、行き過ぎた投薬が避けられることになる。
似たようなものとして、うつへの対応策として英国が採用した段階型ケア(stepped care、matched care)という対応がある。うつについて、治療を段階的にして、第1段階ではセラピストが関与しないオンライン上の認知行動療法(心の病気に対する薬を使わない代表的な治療法)を提供し、それで治らない場合には投薬を含めた次の段階に移行する。
この場合の鍵となるのは、オンラインの認知行動療法が本当に効果を有するかということである。うつに対するオンラインの認知行動療法については多くの研究がすでに行われており、複数の研究結果をまとめたシステマティックレビューにおいては、強力ではないもののある程度の効果があることが示されている[2]。このレビューによると、セラピストが関与するガイド付きオンライン認知行動療法の方がガイドなしの場合よりも高い効果がある。
今後の方向性
今後の方向性を3つ挙げたい。1つ目は、代表的な精神疾患であるうつ病について、オンライン型で人を介さない取り組みの効果を高めていくことがある。例えば、生成AIの登場と急速な進歩により、人間のセラピスト並みの対応ができるAIセラピストによる認知行動療法の提供が可能になるかもしれない。
2つ目の方向性として、うつ病に限らず、さまざまな心身の痛みや生活習慣病に対して、オンライン型の介入を第1段階で行えるようなアプリの開発が考えられる[3]。例えば、不眠や慢性的な痛みのようなメンタル的な要素がある病気において、認知行動療法を中心としたオンライン介入に効果があるか否かの検証がすでに行われている[4, 5]。
3つ目の方向性として、最新のIT技術を利用してメンタルヘルスなどの改善を実現する技術革新を起こしていくことが考えられる。例えば、心がさまようこと(マインドワンダリング)がメンタルヘルスの悪化につながること、心がさまよっていることに気付くことに時間がかかることはすでに知られているが、日本で行われた最近の研究で、脳波の計測と機械学習を使って、心がさまよっていることを本人に伝える技術の開発が報告されている[6]。いわば、座禅における警策を優しく行う最新技術のようでもあり、興味深い。
RIETIが関与した研究
RIETIのプロジェクトにおいても、千葉大学との共同研究としてオンライン型のインターネットの介入の効果検証が行われてきた。2015年には、シンプルな認知行動療法と感情に特化したマインドフルネスがうつ症状の軽減に効果を有するかの研究が行われた[7]。2019年には、認知行動療法と、ポジティブ心理学のエクササイズ(自分に起きた良いことを毎晩3つ書く練習)が、不眠の改善に効果があるかを検証する研究が行われた[8]。2021年には、慢性緊張性頭痛の改善に認知行動療法や心理教育が効果を有するかどうかを検証する研究が行われた[9]。これらの研究ではインターネットマーケティングなどで使われるA/Bテストの原型であるランダム化比較試験(RCT)によって効果が検証された。効果が観察されたものもあれば、観察されなかったものもあった。
2024年には新たに、過去の職場ストレスの記憶のつらさに悩む人々に、ストレスマネジメントの一環として、WEB上での心理教育として「記憶(イメージ)の書き直し」を学んでもらうことがストレス軽減に効果があるかどうかを検証するRCTが行われている。
オンラインで利用可能なプログラムを作ってその効果をRCTで検証して、効果がないことが分かって別のプログラムを作って効果検証をするという試行錯誤の中で、多くの人々が簡単に利用できて医療負担の軽減につながるプログラムができることが期待される。