産業競争力政策の政策史研究

渡邊 純子
ファカルティフェロー

産業再生から産業競争力強化へ

このコラムでは、今、私たちが取り組んでいる「産業競争力政策の形成過程に関する研究」と題するプロジェクトについて紹介したい。平成時代を主な分析対象としているが、後述のように、「昭和な感じ」がする研究プロジェクトである。

政府(第二次安倍晋三内閣)は、アベノミクスの成長戦略の一環として、2013(平成25)年12月に産業競争力強化法を制定した。規制緩和、設備投資の活性化、業界・企業の再編や産業の新陳代謝を進めることにより、日本の産業を中長期に及ぶ低迷から脱却させ、持続的発展の軌道に乗せることを目的としたものである。

この政策は、安倍政権時代だけではなく、前史も含めると長期にわたって継続しており、今日まで続いている。

さかのぼれば、1999年10月制定の産業活力再生特別措置法(通称は産業再生法、産活法)に起源がある。当時、日本経済はバブル崩壊後の長期停滞の中にあり、1997-98年に起こった金融システム不安─三洋証券・拓銀の破綻、山一證券の自主廃業、長銀・日債銀の一時国有化など─を機に不良債権問題が深刻化していた。不良債権処理を進めるに当たって、多くの企業の倒産も予想されたが、日本の産業競争力の低下を防ぐためにも、有益な経営資源の切り出し、事業単位でのM&Aなどを通じた事業再生・産業再生が、金融再生と併せて課題となった。産活法は、そうした産業再生を税制その他の制度面から支援し、促進しようとしたものである。

この前史の時期の話は、以前の研究プロジェクトでディスカッション・ペーパーにまとめたので、ご関心のある方は参照されたい。
(渡邊純子・武田晴人「2000年代の産業再生政策」RIETI Discussion Paper Series 21-J-030、2021年7月 https://www.rieti.go.jp/jp/publications/nts/21j030.html

2000年代半ばには不良債権処理も一段落したことから、産業再生政策は、実質的には産業競争力政策へと内容を移し始めた。事業再構築や経営資源の効率的な活用は、日本経済全体の生産性向上や経済成長につながる。このため、バブル崩壊後の一時的な対処策としてだけではなく、恒常的に行われるべきものとして、制度の整備・拡充が積極的に図られた。また、政策の重点課題は、国内産業の再編の他、先端技術の事業化、産業技術の強化、企業の海外展開など、日本の産業競争力強化をより意識したものになった。2013年制定の産業競争力強化法は、こうした政策史の延長線上に位置付けることができる。

2020(令和2)年9月から安倍政権を引き継いだ菅義偉政権、そして現在の岸田文雄政権の下でも、産業競争力強化法は二度の改正(2018:平成30、2021:令和3)を経て継続しており、「グリーン社会」への転換、「デジタル化」への対応、COVID-19後の「新たな日常」に向けた事業再構築など、新機軸を加えながら現在に続いている。ただし、この直近の約3年は、政策史研究としては、まだ機が熟していないこともあり、主な分析対象からは外している。

このプロジェクトでは、産業競争力強化法の制定・改正過程だけではなく、関連する産業政策も広く視野に入れている。近年の国際情勢や日本の諸産業が置かれた状況を踏まえると、産業競争力をめぐる政策課題は非常に深刻かつ重要である。現在・将来の政策に、歴史研究からも何らかの示唆を与えられるよう、過去の政策形成の経緯や体系的な構造、政策効果などを明らかにしていきたい。
(本プロジェクトの概要については、以下のページでも紹介している。https://www.rieti.go.jp/jp/projects/program_2020/pg-11/006.html

政策現場でも言葉と熱意が重要

さて、冒頭、「昭和な感じ」と書いたが、それは研究手法に由来するかもしれない。

このプロジェクトでは、当時の政策当局者たちへのインタビュー(ヒアリング)によって、政策形成の舞台裏や官僚たちの政策思想などを探ろうとしている。また、これにさまざまな政策文書、新聞・雑誌記事データベースなどの記述的資料を組み合わせて分析・解釈し、政策史のヒストリーを描くことを狙いとしている。

近年、データ・サイエンスが脚光を浴び、経済分野でも数字・数学を使った統計分析が科学的・客観的と考えられている中で、このプロジェクトは、オーソドックスな歴史研究の記述的な手法を継承しているため、昭和なレトロ感もあるだろう。

しかし、少々開き直って言えば、これも政府が推進するEBPM(Evidence-Based Policy Making/「証拠に基づく政策立案」)とそれほど齟齬はないだろうと私は思っている。 確かに、政策当局者たちのヒアリング内容には、主観や記憶違いも混じるかもしれない。また、私自身、無意識のうちに、経産省の政策や経産官僚の仕事をどちらかというと肯定的にとらえる傾向があるようである。以前、ある会合の場で研究内容を簡単に紹介したところ、(年配の方から)「先生、なんだか経産省の政策が良いものみたいな話ぶりですねぇ」との懐疑的な感想をいただいて、意外な温度差に驚いたことがあった。

言葉を紡ぐ作業によって、どうしても生じがちな主観やバイアスは、ある程度、是正もしくは防止が可能と考えられる。諸資料の突き合わせ、複数の方からの聞き取りなど、できるだけ大量観察することや、論文として公刊して多くの人の目にさらされることによって、不適切なものは淘汰されるはずである。このため、それほど大きな問題だとは思っていない。

むしろ、言葉を用いた記述的な分析手法は、今よりも重視されるべきではないかという問題意識を私は持っている。日本国内でもそうであるが、世界を相手とする政策現場、経済外交の現場においても、言葉を通じた交渉や協調関係を通じて、物事が決まっていく。企業秘密や技術開発、提携、産業競争力の問題と関わる本当の修羅場では、単なるプレゼンテーション能力を超えた表現力、相手を理解し説得する力が求められるように思われる。

そのためには、国と国、企業と企業、人と人との関係を、歴史的経緯も含めて構造的に分析・把握し、認識していることが強みとなる。また、人間対人間のやり取りなのだから、相手から共感、信頼を得られるような人間性や熱意も、物事が決まる際の1つの要因かもしれない。このプロジェクトで、経産官僚や関係者の方々から直接お話を聴くヒアリングを重視し、それを私自身とても楽しみにしている理由は、そうしたことに関わる人間性や政策思想、静かではあるが確かな熱量というものを感じとることができるからだろう。

2023年5月24日掲載

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