新春特別コラム:2024年の日本経済を読む~日本復活の処方箋

歴史的視点から見る日本経済の位置

渡邊 純子
ファカルティフェロー

時代の転換点

2023年は、戦争の勃発と飛び火の機運、保護主義の高まりといった点で、私にとっては戦前の1930年代をほうふつとさせるような年となった。ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエル・パレスチナ戦争のむごい戦争状態が、映像を通して世界に映し出されているにもかかわらず、誰も止める術がなく戦禍が拡大している。国際機関が存在しながらも機能していない状況は、1930年代と似ている。他方、米中対立の潮流は、各国をいずれかの陣営・ブロックの中に巻き込み、世界経済を分断しようとしている。

もちろん、1930年代と現在とでは似て非なる面がほとんどであるが、大学で経済史の講義を担当している私は、まるで歴史の教科書に出てくるような出来事が、自分の生きている間に起こるとは思わなかったと驚きを感じている。国際政治・経済情勢だけではなく、国内外の社会情勢、大衆のマインドという点でも、歴史上の既視感があるような気がしてならない。

その意味で、再び時代の大きな転換を迎えたということであるが、この急速な変化は、2024年以降さらに本格化することが懸念される。

日本はどう対応すべきか

幸か不幸か、日本は、こうした国際情勢を主導的にけん引し方向づける基軸国ではなく、他国の様子を見ながら、受け身で対応・追随せざるを得ない面がある。しかし、全体が悪い方向に流れるのに加担するようなことがあってはならないのはもちろんのこと、日本も国際社会における主要国の一員として、他国との協調を図りながら、問題解決に積極的に取り組む姿勢が求められる。政治外交だけでなく、経産省を含めた官民の経済外交の努力にも期待したいところである。

多くの場合、経済界や企業も平和を望んでいると言えるだろう。特に日本の大企業は、世界の各地に調達・生産・販売拠点を持つ多国籍企業であり、グローバルに経済活動を展開している。地政学リスクの高まりは、企業経営にとっても回避したいことに違いない。企業という経済主体の存在や活動そのものが、各国間の相互理解や共通の利害の確認を促すなど、ある種のリスクヘッジ機能を持つことが期待される。

政治家、ジャーナリスト、あるいは経済団体や経営者個人の中にも、時代の空気を的確に読み、意識的に発信している事例が、歴史の中にも現在の中にも見いだされる。経済史において、しばしば引用されるのが、石橋湛山(いしばし たんざん)である。戦前は東洋経済新報社のジャーナリストであり、のち社長、戦後は第1次吉田茂内閣の蔵相、鳩山一郎内閣の通産相を務め、1956年末に内閣総理大臣となった。今の時代、評論家・思想家・警世家としての石橋の深い思想や実践が、また新たに見直されているようである。

石橋が重要視した言論の自由によって、日本でも個人を主体とする真の民主主義や多様性が確保され、よりよい方向に緩やかに変革していける力となることを希望したい。

ムードに流されず着々と

やや大きな話が続いたが、特に経済面で、足元では何を考え行動すべきだろうか。ここでは、「ムードに流されず着々と」というメッセージとして、まとめてみたいと思う。

経済史を研究していると、われわれ個々人は大衆(マス)として存在し、その時代のスローガンや流行、マスコミュニケーションなどメディアの影響を受けており、流され浮遊する存在であることに気付かされる。つまり、その時代にインプットされている言葉に無意識のうちに支配され、固定観念に縛られ、何となくムードに流されているのである。

それが、高度成長期やバブル期のアスピレーションのように、日本経済の活力となる場合もあれば、1990年代以降の「失われた10年(20年、30年)」、「長期停滞」、「日本病」のように閉塞感につながる場合もある。

確かに、バブル崩壊後の30年近く、経済成長率はマイナスの年も含みながら低位で推移し、消費マインドや投資の低下、国の借金である国債残高(および対GDP比)の急上昇、低い賃金水準などの状況が、日本で長く続いている。さらに現在は、デフレから転じてインフレ、そして低金利継続の影響による円安が、困難に追い打ちをかけている。

こうした日本経済の危機は、単に景気循環上の問題ではなく、根底には制度疲労や構造的な諸要因があり、それらの構造改革も十分に進んでいないという認識が、「失われた10年(20年、30年)」、「長期停滞」、「日本病」といった言葉には含まれている。

基本的にはその通りと思うが、10年ひと昔、30年となると、少し中長期的な視点から歴史を振り返ることができる。そうした視点から見ると、この30年余り、日本経済は困難な局面にあったものの、歴代政権はさまざまな経済政策や構造改革を試み、一定の成果は挙げてきた。産業界・企業の努力や成果も同様である。

「日本病」というようなセンセーショナルな見出しの新聞・雑誌記事も国内外で多く見られるが、実際に読んでみると、単にデフレや低成長率という事実そのものを指すだけだったりもする。物価上昇率や経済成長率は、もちろん日本経済のファンダメンタルズではあるが、指標・ターゲットのうちの1つにすぎない面もある。

言葉や数字、それによって醸成される漠然としたムードに過度に振り回されることなく、政府・企業・家計(個人)の各経済主体は、自らが望む選択、目標に向かって、自信を持って足元から1つずつ積み重ねて行けばよいのではないだろうか。

ただし、そうした個々の主体の営みが日本経済にプラスの効果をもたらすためには、相互のコミュニケーションや議論も欠かせない。経営者団体と労働組合の賃上げ交渉なども1つの例であるが、より根本的には、政策決定がオープンで民主主義的なプロセスを経て行われることが重要である。そのようにして、中間層・諸階層を含め基礎体力を回復した日本は、国際社会の難局にも向き合える気力と体力を得られるだろう。

2023年12月22日掲載

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