スマートフォン、パソコン、テレビ、半導体デバイスなどの電子製品の生産は、東アジアがかなりのシェアを占めている(注1)。アジアの企業や労働者は、どのようにして高機能な電子製品を生産するノウハウやスキルを獲得したのだろうか。Yoshitomi(2003)は、高い貯蓄率、堅実な財政政策、低いインフレ率、柔軟な労働市場といった初期条件が資本形成を促進すると強調していた。知識や技術は輸入資本財と深く根付いているので、資本の深化を促す有利な初期条件は、学習に寄与する。
技術進歩のステージ
まず、全般的に技術は輸入される。ローカル企業は外国の部品を組み立てるだけである。外国のサプライヤーは技術がうまく機能し、商品が高い品質基準を満たせば利益が得られるので、技術支援や助言を提供する。
国内労働者が生産経験を積むと新しい技術を取り入れるようになる。労働者の教育水準が高い国は、より早く新技術を習得することができる。また企業は研究開発やリバースエンジニアリングに取り組み、限定的なイノベーションを起こす。
海外市場での競争に直面するにつれて、企業は技術を向上しようとする意欲が高まる。このように輸出は企業が優れた技術力を身につけるために役立つ。企業は海外の顧客が定める高い基準を満たすことを強いられるからである。また広大な市場へのアクセスが提供されるため、大量生産や実践による学習(learning-by-doing)の恩恵を受けることもできる。
そして、こうした企業は技術の習得を目指すようになる。海外から熟練工を採用し、技術者を大学や研究機関で学習させるようになる。そしてノウハウを持った労働者が大量に蓄積されると、そうした労働者たちが企業から企業へと移動し、人的資本を持ち込むようになる。
国内企業が最先端領域の技術に近づくにつれ、技術供給企業との直接競争にさらされるようになる。この段階での技術移転は通常、戦略的提携によって行われる。
Yoshitomi(2003)は、起業家は技術革新の触媒であると言及している。起業家は成功の保証がない中でリスクを取る。日本では、ソニーの盛田昭夫氏やシャープの佐々木正氏といった経営者が、ビジョンを持ち、リスクを背負い、厳しい消費者市場の中で競争してきた。ソニーのトリニトロンテレビ、ポータブルオーディオプレーヤー「ウォークマン」、シャープの薄型テレビなど、最先端の科学的課題を解決し、技術を駆使して、世界を魅了する製品を生み出してきた。日本の躍進は、資本形成の原資となる高い貯蓄率、技術だけでなく教養も身につけた技術者、自由貿易に偏向していた世界経済などに支えられていた。
台湾は日本企業からテレビの製造を学び、1973年には世界第3位のテレビ輸出国となった。1974年、台湾政府は半導体産業を推進し、台湾積体電路製造股份有限公司(TSMC)のようなグローバル企業を輩出した。台湾は同程度の発展段階にある他国よりも、教育により多く投資し、エンジニアたちは米国のRCA社や中国系米国人の科学者やエンジニアから技術を吸収し、その多くは台湾で働くために帰国した。併せてサイエンスパーク、大学、企業などのクラスターも形成された。このようなネットワークの中で人的資本が急速に拡散し、成長の好循環が生まれたのである。
産業政策の課題
産業政策はインセンティブと知識という2つの問題を抱えている。1974年、台湾は危機に直面した。中国とは技術の分野で不和な状態にあり、技術や資本の重要な供給源である日本とは断絶していた。さらにマルチファイバーアレンジメント(MFA)による繊維製品の輸出割当に直面し、第一次石油ショックによる47%の消費者物価上昇に見舞われた。こうした危機に直面し、台湾の人々は生存競争において経済発展が必要不可欠であると考え、半導体産業の振興に力を尽くしたのである。結果として、政府関係者、起業家、労働者それぞれのインセンティブの集結を促した。米国で活躍する国際レベルの中国系の学者、技術者、研究者は、台湾の半導体産業発展のためにボランティアとして無償で参加し、必要な知識を提供したのである。
台湾と同様、韓国も教育に投資し、産業政策を駆使してエレクトロニクス産業の振興を図った。サムソンのような大企業は、輸出に向けて市場金利を下回る金利で融資を受けた。ただし企業のインセンティブを維持するため、輸出に失敗した場合、銀行は融資を撤回することも行った。知識の提供については、韓国政府は日本が輸出していた同じ技術レベルの製品に注目した。韓国は北からの侵略の脅威に絶えずさらされており、労働者、起業家、政府関係者は、国家の生存にとって経済発展が極めて重要であると考えた。韓国の労働者や技術者は、外国からの技術を吸収することに長けていたこともあり、韓国経済は繁栄し、サムソンは世界的なブランドとなった。
1980年代後半、日本、韓国、台湾の為替レート上昇と賃金上昇により、北東アジアの多国籍企業(MNCs)は東南アジア諸国連合(ASEAN)域内に工場を移転した。当初、タイやマレーシアの企業は製品の組み立てに従事していたが、競争激化に伴いプロセスの革新に取り組み、自動化、統計的品質管理、ジャスト・イン・タイム生産システムなどを導入し、マレーシアとタイの工場はASEAN全域から部品を調達するようになった。
しかし、マレーシアの産業政策は失敗した。台湾や韓国とは異なり、マレーシアは国家安全保障の危機に直面していたわけではなかった。マレーシアは20年にわたる高度成長の後、国内騒乱の脅威を克服していた。政府は富や企業の所有権を中国系やインド系の人々ではなく、マレー系住民への再分配を重視していた(ブミプトラ政策)。半導体企業の最高経営者、大学への入学許可、エレクトロニクス企業への助成などを決定する際、マレーシア政府は最も優秀な候補者を優遇することはなかった。再分配を重視するあまりレントシーキング(利益誘導)活動が活発化していった。このような環境のもと、マレーシアの産業政策は構造転換を成し遂げることができなかった。
中国の台頭
1978年に鄧小平が中国の開放政策を宣言して以降、海外投資の誘致に力を入れ、経済特区(SEZs)を設立し、減税や規制緩和という環境を外資系企業に提供した。珠江デルタや長江デルタなどの経済特区では、高速道路や港湾、空港などのインフラが整備された。また中国は2001年に世界貿易機関(WTO)に加盟し、一貫した政策と法の支配を尊重するという信頼感を高めてきた。
2001年以降、中国に海外直接投資(FDI)が殺到し、それまでASEANを組み立ての基盤としていた多国籍企業が中国に事業を移転した。日本、韓国、台湾、ASEANで操業していた多国籍企業から、先端電子部品が中国に流れ込んだ。中国はこうした部品を使ってコンピュータ、携帯電話、家電製品などの最終電子製品を組み立てた。スティーブ・ジョブズのような起業家が中国で製品を製造し、アジア経済の上流で生産された競争力のある価格の部品、そして中国の低賃金と優れたインフラの組み合わせは無敵であることを証明した。2008年には中国の最終電子製品の輸出額は、続く主要14の最終電子製品輸出国の総輸出額を上回った。
世界金融危機の後、アジアでは激しい競争と協力が展開された。競争の多くは、電子製品がコモディティ化したために生じたものであった。コモディティ化した製品を生産する企業は、価格競争を繰り広げる。この価格競争から逃れるために、企業は自社製品の差別化を図った。日本企業は職人技が必要なハイテク部品を供給することで差別化を図ってきた。例えば、セラミックフィルターの村田製作所やイメージセンサーのソニーなどである。韓国企業のLGは高品質なテレビ製造に向けて有機ELパネルの製造によって差別化に成功した。
米国への教訓
米国は半導体製造のリショアリング(国内回帰)を望んでいる。米国が 東アジアの成功から得られる教訓はある。1つは起業家の存在が不可欠であり、適切なインセンティブが与えられるべきだということである。インテルのCEO、パット・ゲルシンガー氏は、インテルの株価が暴落する中、入社1年目で1億7900万ドルを稼いだ。米国政府はこうしたビジネスモデルに補助金を出すべきではない。
次の教訓は、産業政策は各関係者が国家の存亡のために団結して戦う場合に最もうまく機能するということである。マレーシアのようにレントシーキングや分配を重視すると産業政策は失敗する。米国ではエレクトロニクス企業が収益性の高い有利な防衛関連の契約に甘んじ、市場のテストに合格することではなく、政府高官へのロビー活動にリソースを費やすなど、レントシーキングが蔓延している。米国が産業政策を成功させたいのであれば、国家規模の危機感を醸成する必要がある。
日本、韓国、台湾は、歴史的に規律ある財政政策を取ってきた。エレクトロニクス産業が勃興した当時は、民間貯蓄率も高かった。このため、エレクトロニクス産業が必要とする多額の投資に見合う貯蓄を確保していた。一方米国は、2000年から2021年にかけて、平均して国内総生産(GDP)4.5%の財政赤字を出している。GDPに占める純貯蓄(政府、企業、個人の貯蓄を含む)の割合は平均で2.5%であった。心臓発作を起こす前に自発的にダイエットに取り組むべき太り過ぎの患者のように、米国は強制される前に経済の均衡を取り戻すべきであり、財政規律が必要である。
アジアから米国へのさらなる教訓は、質の高い教育を提供する必要性である。質の高い教育を提供することによって、科学者はイノベーションを起こし、エンジニアは新しい技術を習得し、工場労働者は生産性を高めることができるのである。15歳児を対象に読解力、数学、科学を駆使して現実の課題に取り組む能力を測定する前回のOECD国際学習到達度調査(PISA)では、1位・中国、2位・シンガポール、3位・マカオ3位、4位・香港、6位・日本、7位・韓国、8位・台湾となり、米国は25位という順位であった。米国における教育成果の向上は最優先事項にするべきである。
HufbauerとJung(2021)は、競争は米国の強みであると言及している。米国政府はこのことを忘れてはならない。グローバル市場で競争にさらされたことが、アジアのエレクトロニクス産業に多くの技術革新をもたらした。これに対し、防衛産業に甘やかされたことが、米国のエレクトロニクス製造業を弱体化させた。アジアの経験が示すのは、起業家は適切なインセンティブを得ることができ、財政政策は規律正しく、為替レートは高すぎず、教育が重視され、産業クラスターが形成されたときに製造業の成長が起こるということである。エレクトロニクス製造業を再編成するためには、米国はアジアの事例を参考にすべきなのである。