半導体産業の強化:東アジアからの教訓

THORBECKE, Willem
上席研究員

新型コロナウイルス感染症のパンデミックにおいて、スマートフォン、コンピュータ、自動車、人工知能、サイバーセキュリティなどに不可欠な半導体の入手が多くの国で困難になった。本稿では、アジアはどのようにしてこの分野で比較優位を獲得したのか、また、半導体の国内生産を促進しようとする国にとっての教訓を明らかにする。

半導体は、スマートフォン、コンピュータ、自動車、人工知能、量子コンピュータ、サイバーセキュリティなどに不可欠である。半導体が入手できなければ経済は機能停止に陥り、軍事面でも脆弱になる。半導体生産は東アジアに集中しているが、パンデミックにおいては、多くの国が半導体入手に苦慮し、自国により近い生産拠点を求めている。アジアはどのようにして半導体分野における比較優位を得たのだろうか? 半導体の国内生産の促進を目指す国にとって教訓はあるのか?

保護主義と日本・韓国の半導体産業

1947年、John BardeenとWalter Brattainは、ニュージャージー州でトランジスタを発明した。当時、ニュージャージーにいた佐々木正は、スタンフォード大学のKarl Spangenberg 教授と共同でトランジスタの前身に関する研究を行っていた(Aspray 1994)。佐々木は、トランジスタを集積回路に入れ、勤務していたシャープで超小型電卓を作製することを考えていた。当時、シャープの技術者たちは、大阪大学で電卓の技術を学んでいた。佐々木は、省電力のために相補型金属酸化膜半導体(CMOS)を必要としていたが、日本企業はCMOSの提供を拒んだため、佐々木は米オートネティックス社にCMOS製造を依頼した。オートネティックス社は、軍需関連の契約が多く、電卓用半導体を製造しても利幅は少ない。佐々木は、オートネティックス社に対し、「(御社が電卓用半導体の製造の過程で)分かったことを利用して、どんどん利益を出してください」と伝えた(Johnstone 1999)。そして1969年、シャープはオートネティックス社製の集積回路を4個搭載した電卓を発売したのである。

シャープをはじめとする日本企業は、米国製のマイクロチップを使って何百万台もの電卓を生産した。それまでシャープへの供給を拒んでいた日本の半導体メーカーからのクレームを受け、日本政府は日本企業が米国製半導体を購入することを禁止した(Johnstone 1999)。オートネティックス社は、学習曲線から利益を得ることが見込まれていたのに、シャープを含む日本企業向けの生産ができなくなってしまった。

そして、米国で開発されたCMOS技術を日本企業が習得していった。多くの米国企業が民生用CMOSの優位を逃し、軍需用のP型MOSFETやN型MOSFET半導体を製造していた。CMOSによる省電力化、小型化の可能性が明らかになると、日本企業は優位な立場に立った。1980年の半導体大手4社のうち3社は米国企業であったが、1990年には上位4社のうち3社が日本企業であった(Bown 2020)。Irwin(1996)は、DRAM市場における日本企業のシェアは、1978年には30%以下だったが、1986年には75%以上に上昇したと指摘している。

米国企業は、日本の半導体大手企業に対して保護主義を要求した(Bown 2020)。日本政府がオートネティックスのような米国企業を日本市場から排除していると訴えたのである。米国の原告団は、日本に対してアンチダンピング訴訟と通商法301条訴訟を起こした。1986年に日米両国は、日本の半導体市場の20%を米国企業が獲得し、日本企業は価格を引き上げて輸出を制限するという内容の合意に達した。政府の命令で市場占有率が決定されたことによって、米国の貿易政策は大きな変化を受けた(Irwin 1996)。

日米半導体協定は、DRAMに焦点を当てたが、このことは韓国にとってチャンスとなった。当時、韓国は、北朝鮮からの侵略の危機に直面していたため、経済発展を優先させていた。韓国政府は、輸出を目指す企業に銀行融資を割り当て、輸出に成功した企業にのみ融資を継続した。Pecht at al. (1997)によると、韓国の労働者は発展の必要性を認識し、勤勉で愛国的だったという。

1980年代、サムスンの李秉喆(イ・ビョンチョル)会長は、DRAM半導体を有望な輸出部門と位置づけた。サムスンは、政府の融資保証があったため、半導体製造に必要な多額の投資を行うことができた。1983年、サムスンは米国からDRAMの技術を入手し、サムスンの技術者たちは日夜、その技術を研究した。サムスンの実力が高まる一方で、日本企業は半導体の高価格での販売や数量制限などの制約下にあった。サムスンは、こうした高価格販売の制限は受けず、その収益を研究開発や資本形成に充てることができたのである。1990年代初頭には、サムスンはDRAM生産のトップ企業となり、2021年に至ってもその地位を維持している。

台湾とマレーシアの半導体産業

韓国がDRAMなどのメモリーチップの製造分野において優位であるが、台湾は中央演算処理装置やグラフィック処理装置などのロジックチップの製造で優位に立っている。韓国が北朝鮮の脅威にさらされている一方で、台湾は中国からの脅威にさらされている。1973年にインフレ率は22.9%、1974年には40.6%と上昇し、同年には日本の資本財が入手できなくなった。複数の危機に直面した台湾は、生き延びるために経済発展を優先させた。このとき、多くの華僑が無償で台湾を支援した。例えば、有名なデビッド・サーノフ研究所の所長であった潘文淵は、華僑の有力な研究者で構成される技術諮問委員会(TAC)の議長を務めた。

TACは台湾に半導体産業の育成を進言した。台湾は、その開発を統括する工業技術研究院(ITRI)を設立し、米RCA社から半導体技術を購入した。ITRIは、米国で博士号を取得したエンジニアを含む40人を採用したが、彼らは熱心に技術を研究した。ITRIは、1979年にUMC(聯電)、1987年にTSMC(台湾積体電路製造)をスピンオフさせた。TSMCは、集積回路を設計するのではなく、顧客の仕様に基づいて集積回路を製造する会社で、今では世界第3位の半導体企業に成長した(Bown 2020)。また、台湾では多くの関連企業が誕生した。

アジア経済には他にも優位性があった。半導体産業においては、研究開発や資本形成のために大規模で継続的な投資が必要である(Baldwin 2018)。東アジア経済は、高い民間貯蓄率と規律ある財政政策を有していた(Yoshitomi 2003)。高い国民貯蓄は投資を促進し、半導体メーカーの競争力維持を可能にした。

韓国や台湾の成功に刺激されて、マレーシアも産業政策を駆使して最先端の半導体産業を目指したが、韓国や台湾と違って、マレーシアは存亡の危機に瀕していたわけではなかった。ITRIに対抗して、1985年にマレーシア電子システム研究所(MIMOS)が設立された。MIMOSは、2000年に半導体企業のSilterraをスピンオフさせた。しかし、Rasiah(2017)が報告しているように、マレーシアはSilterraなどの機関のトップに最も優秀な経営者を選ぶことはなかった。政府は、インド系や中国系マレーシア人よりも、マレー系先住民を優遇するブミプテラ政策を取ったのである。Rasiahによると、マレーシアは、ドイツのキマンダ社の社長であったロー・キン・ワウ氏をシルテラ社の社長に選ばなかったという。また、活発な電子機器企業であっても、社長がマレー系でなければ補助金を出さず、ブミプテラ企業に対しては業績が悪くても支援し続けた。再分配を重視したマレーシアでは、レントシーキングによる損失が発生した。このため、マレーシアの半導体産業は、設計、R&D、製造などの高付加価値活動を行うまでには至らなかった。

政策上の教訓

東アジアの経験から、国内で半導体製造を目指す国にとって、下記の政策的教訓が示される。

  • 第1に、競争下におかれた状況と比較すると、政府による多額の補助は、それほど重要ではない。米国の研究者がトランジスタ、CMOSチップ、液晶ディスプレイなどの画期的な技術を発明したが、アジアの企業はそれらを利用して利益を得た。米国のエレクトロニクス企業は、防衛契約に甘んじていたため、新技術を市場で販売可能な製品に転換するインセンティブが希薄であった。一方、アジアの企業は消費財市場での厳しい競争にさらされたため、技術を慎重に選択した上で、それらを応用し、収益性の高い製品を製造する必要があった。
  • 第2に、起業家の存在が不可欠であるという点だ。シャープの佐々木正は、集積回路を用いて電卓を小型化しようと考え、何億台もの電卓を販売した。また、サムスンの李秉喆は、DRAM半導体が有望だと考え、その後、メモリーチップで成功したサムスンは、2021年には時価総額が10兆円を超えるまでに成長した。
  • 第3に、産業政策は、脅威に対して一国が団結して直面せざるを得ない状況において、より機能する。Willett (1997)によると、国家の存続が危機的な状況な場合、各主体は共通利益のために協力する単一アクターモデルで説明できるという。一方で、圧力団体が他を犠牲にしてレントを追求する利益集団モデルは、平時の民主主義の成果をよりうまく説明している。韓国と台湾では、政府関係者、企業家、労働者などが、国家の存続には経済発展が不可欠であると考え、その実現に向けて一致団結していた。一方、マレーシアは国家存亡の危機はなく、再分配に重点を置いていた。マレーシアの産業政策は、レントシーキングによる無駄につながり、効率を上げることができなかった。
  • 第4に、教育と技術移転は不可欠である。アジアは教育に投資した(Yoshitomi 2003)。佐々木正は高い教育を受け、シャープが投資すべき技術をすぐに理解した。また、韓国や台湾のエンジニアは有能で、米国企業の技術を吸収した。高い教育レベルの労働力は、海外からのノウハウを吸収するのに最適である(Urata 2007)。
  • 第5に、保護主義は逆効果になるという可能性である。オートネティックスなどの企業が日本への半導体販売を続けることを日本が拒否したことや、米国政府が日本の半導体企業に対して取った措置は、結果的に日米両国の半導体産業を弱体化させてしまった。
  • 第6に、高い国民貯蓄率があれば、最先端を維持するのに必要な巨額の投資が容易になる。多額の財政赤字は、必要な投資を妨げてしまう危険性がある。
  • 第7に、インセンティブの活用の重要性である。Hausmann and Rodrik (2003) は、韓国が輸出の業績が悪い企業への給付金の供与を停止したことを指摘している。一方、マレーシアでは、業績の悪いブミプテラ企業への支援を続けた。

Eric Schmidtが述べているように、技術分野を強化しようとする国は、資金を投入するだけでは成功しないだろう(Tanaka 2021)。むしろ、インセンティブの調整、起業家の奨励、労働力の教育、賢明な産業政策が必要である。

本稿は、2021年10月15日にwww.VoxEU.orgにて掲載されたものを、VoxEUの許可を得て、翻訳、転載したものです。

本コラムの原文(英語:2021年11月1日掲載)を読む

脚注
  1. Thorbecke (2019) において、日本の半導体部門が韓国や台湾に比べて日本の半導体セクターが相対的に衰退し続けている理由を調査した。
  2. Ohyama (2017) は、スタートアップ企業とスピンオフ企業の発展におけるカギとなる企業1社の役割を調査した。
  3. Thorbecke (2021) では、こうした問題について詳細に述べ、中国と米国の貿易戦争やコロナ禍における半導体産業についても触れている。
参考文献
  • Aspray (1994), "Tadashi Sasaki, an oral history conducted in 1994 by Aspray, W," IEEE History Center.
  • Baldwin, R (2018), "AI for international economists: Explosive growth in processing speed, Part 2 of 5," VoxEU.org, 11 December.
  • Bown, C (2020), "How the United States marched the semiconductor industry into its trade war with China," Peterson Institute for International Economics Working Paper No. 20-16.
  • Hausmann, R and D Rodrik (2003), "Economic development as self-discovery," Journal of Development Economics 72: 603-633.
  • Irwin, D (1996), "The U.S.–Japan semiconductor trade conflict," in A O Krueger (ed), The Political Economy of Trade Protection, University of Chicago Press.
  • Johnstone, B (1999), We were burning: Japanese entrepreneurs and the forging of the electronic age, Basic Books.
  • Ohyama, A (2017), "Industry growth through spinoffs and start-ups," VoxEU.org, 14 December.
  • Pecht, M, J B Bernstein, D Searls, M Peckerar, and P Karulkar (1997), The Korean electronics industry, Routledge.
  • Rasiah, R (2017), "The industrial policy experience of the electronics industry in Malaysia," in J Page and F Tarp (eds), The Practice of Industrial Policy: Government—Business coordination in Africa and East Asia, Oxford University Press.
  • Tanaka, A (2021), "US needs Japan and Korea to counter China tech: Ex-Google CEO," Nikkei Asia, 9 July.
  • Thorbecke, W (2021), "The semiconductor industry in the age of trade wars, Covid-19, and strategic rivalries," Research Institute of Economy, Trade and Industry Discussion Paper No. 21-E-064, Tokyo.
  • Thorbecke, W (2019), "Why Japan lost its comparative advantage in producing electronic parts and components," VoxEU.org, 2 October.
  • Urata, S (2007), "The creation of regional production networks in Asia and the Pacific: The case of Japanese multinational corporations," Palacios, J J (ed.), Multinational Corporations and the Emerging Network Economy in Asia and the Pacific, Routledge.
  • Willett, T (1997), The public choice approach to international economic relations," Political Economy Lecture Series, Center for the Study of Public Choice, George Mason University.
  • Yoshitomi, M (2003), Post Crisis Development Paradigms for Asia, ADBI Publishing.

2021年11月10日掲載