現場労働者の使命感と企業へのボイス:正規雇用中心主義の変容への期待

橋本 由紀
研究員

先日、米国の共同研究者から動画が送られてきた。シャットダウンによってほとんど人通りもないニューヨーク・マンハッタンの街で、毎晩7時に、アパートの住人が窓から、新型コロナウイルス感染者の治療にあたる医療従事者に拍手を送る画像だった。

この動画から数日後、首相の記者会見を見た。「新型コロナウイルスの重症者の命を守るため、懸命に治療にあたっている医師や看護師など医療従事者のため、診療報酬を倍増するなど処遇の改善に取り組む」と語っていた。

「感謝」と「(手厚い)処遇」は、感染のリスクを負って働く人々に社会が示す誠意だろう。どちらがより支えになるかは、人により異なると思われる。そこで、営業継続を要請された職種で働く家人に聞いたところ、両方欲しいという答えが返ってきた。「お金のために仕事をするわけではないけれど、この状況下、使命感や義務感だけで仕事に向かうには萎える」ということだった。

日本の公的支援と企業の「ねぎらい」

4月7日に発表された政府の緊急経済対策には、新型コロナウイルス感染症の影響で事業収入が大幅に減少した中小企業や個人事業主に向けた支援が幅広く盛り込まれた。事業や雇用の継続の困難に直面する事業者や個人への迅速な支援は、最重要である。

一方で、医療従事者以外の、社会のインフラを支えるために過重労働を続ける者への公的支援については、ほとんど聞かれない(注1)。政府や自治体が、医療機関に特別の報酬を手当てすることは、サービス価格が公的に決まる規制産業ゆえに可能ともいえる。だが、競争的な市場の需給で財やサービスの価格が決まる民間事業者の場合は、事情が異なる。配送や販売、交通機関、在宅ケアなどの現場で働く人々も、社会の要請に応えて働き続けるが、彼(女)らへの報酬は、雇用主に委ねられている。

4月15日付朝日新聞に、「スギ薬局、全従業員にボーナス 通常営業の奮闘ねぎらう」と題した記事が掲載された。全従業員に、「特別手当」(金額は非公表)が支給されたという。企業が従業員への感謝を、処遇で示した一例といえよう。

このようなボーナスを支給してくれるような企業で働いていれば、「あなたは、(従業員思いという意味での)よい会社に勤めていてよかったね」ということになるのだろうか。労働者は、雇用主が施してくれるかもしれない「ねぎらい」に、淡く期待するしかないのだろうか。

世界のエッセンシャル・ワーカーの訴え

諸外国では、3月下旬以降、企業の不十分な安全対策や休業規定を非難し、危険手当としての割増し賃金を要求するストライキが発生している。コロナ以前は、会社が決めた方針に唯々諾々と従っていた現場労働者が、行動を起こしている。

そして企業は、こうしたエッセンシャル・ワーカー(注2)(生活維持に不可欠な仕事に携わる者)からの要求を無視することはできない。例えば、インターネット通販大手のアマゾン・ドット・コムは、従業員の時給を2ドル引き上げ、残業時の時給を2倍にした。さらに、通常は、シフトを多く休むと解雇となるところ、今は、無制限の休暇の取得(ただし無給)を認めている。

彼(女)らが現場にとどまらなければ、サービスは維持されない。ゆえに、企業は、契約の解除を盾に、会社都合で一方的に報酬や就業規則を変更してきたこれまでとは真逆の対応を示し、労働者の処遇に配慮している(注3)。

補償賃金格差

エッセンシャル・ワーカーの賃金に、コロナウイルス感染のリスクや過重労働の負担を上乗せする合理性は、「補償賃金格差」によって説明できる。

補償賃金格差とは、労働環境の違いを補償するための賃金差である(Rosen 1986、川口2017)。労働災害の発生確率の高い危険な仕事に従事する労働者に支払われる高い賃金(賃金プレミアム)は、代表的な補償賃金である(注4)。久米(2010)は、精神的な疲労を伴う仕事にも、正の賃金プレミアムがあることを実証している。

補償賃金格差の考え方に従えば、新型コロナウイルスの感染リスクの下で働く販売員の仕事は、感染リスクがなかった以前とは異なる仕事ということになる。高まったリスクに応じた高い賃金が支払われなければ、以前と同じ効用(仕事の納得度)は得られない。当座の生計を立てるために働く者も、責任感から就業を継続する者も、リスクを負って過重労働を続ける労働者は、動機を問わず、高まったリスクという事実に対して、「補償賃金」を求め得るのである。

日本では、ウーバーイーツユニオンが、配達1件につき300円の危険手当の支払いと、マスクや消毒液の配布を求めたことが報道された(注5)。これは、労働者からの補償賃金の要求である。だが、このような危険手当の要求、さらには安全対策を求めるストライキのような、労働者からの主体的な働きかけは、日本ではあまり聞かれない。

ハーシュマンの「離脱と発言」

なぜ日本では、特別な貢献に対する報酬は、企業からのありがたい労いとなり、正当な対価として広く主張されないのだろうか。従順な国民性や労使の信頼関係とまとめるだけでは、物足りない。この20年余りに生じた、労働市場の変化の1つの帰結として、もう少し丁寧にみたいと思う。ここでは、ちょうど50年前に出版されたハーシュマンの著書『離脱(exit)・発言(voice)・忠誠(loyalty)』を、検討の土台とする。

ハーシュマンは、「偶発的な原因によって、企業や組織の業績が落ち込んでいくと想定」し、経営陣は、メンバーの「離脱」と「発言」の2つのルートを通じて、自らの失策を悟ると考えた。「離脱オプション」は、メンバーがある組織から離れる場合、「発言オプション」は、組織のメンバーが経営陣に対して広く訴えかけることによって、自らの不満を直接表明する場合に行使される。いずれの場合も、経営陣は、メンバーの離脱や発言から、自らの欠陥を矯正する方法・手段を模索しなければならない。

ハーシュマンの考察は、2つのオプションの相互作用へと続く。「発言のオプションは、離脱オプションが使えない場合、不満を抱いたメンバーが反応することのできる唯一の方法」であると同時に、「離脱は発言が失敗したのちに行使される最後の手段としての反応」になる。そして、「発言メカニズムの有効性は、離脱の可能性によって高まるが、離脱オプションが簡単に利用できると、発言の行使される可能性が低くなる」。言い換えれば、「離脱は発言を駆逐するとみなされ、発言は離脱が実質的に排除されてはじめて重要な役割を演ずる」と、離脱と発言の関係性についてまとめている。

日本の労働市場への援用

このハーシュマンの論考を、日本の労働者の離脱と発言のオプションに当てはめたい。それにはまず、正社員とそれ以外の労働者の間で議論を分ける必要がある。雇用保障や処遇が大きく異なる両者は、企業に対する離脱と発言のオプションについても、機会や性質が異なるからである。

また、現在の労働市場が、正規労働者とそれ以外の非正規労働者にほぼ二分されていることも、それぞれを分けて議論する理由である。この20年間日本の労働市場では、多様な働き方が浸透したといわれるが、その本質は、正規雇用ではない労働者の種類の増加とシェアの拡大である。2019年の非正規の職員・従業員の割合は38.3%で(総務省「労働力調査」)、この中には、契約社員、派遣社員、パート労働者、アルバイト労働者などが含まれる。企業に雇用はされないが個人で業務を請け負う個人事業主(注6)も、非正規労働者の一形態とみなせば、労働者全体に占める非正規労働者の割合は、さらに高くなる。

正社員の場合

非正社員が労働市場のマジョリティになる未来も見える中で、正社員は自身が、相対的に恵まれた地位にいることを理解し始めている。正社員という身分に安心を見いだす労働者が、今の会社を離脱した後に、正社員として再就職することへの不安感が強ければ、この者は離脱オプションの行使をためらうだろう。

ハーシュマンは、「離脱を考えられない組織に対し、個人が不満を表明する主な方法は、通常の場合、何らかのやり方で自らの発言に耳を傾けさせることである」と述べる。だが、日本の正社員が、企業に対して積極的に発言することはまれである。

これについては、次の説明が腑に落ちる。「参入費用も離脱費用も高い組織の場合、不満を感じはじめるのが遅れ、したがって発言を行使し始めるのが遅れる。この一方で、離脱費用が高いことによって、発言の効果的手段となる離脱の脅しが取り除かれてもいるので、こうした組織では、発言も離脱も両方とも押さえつけることが可能となる場合が多くなる。」

これを、日本の労働慣行に照らし解釈すると、参入費用の高さは、正社員としての入職が新卒時に集中する新卒一括採用、離脱費用の高さは、年功賃金や退職金といった後払い的要素の強い処遇と結び付く。新卒での入社後に、後払い的な処遇を期待して働く労働者は、組合などを通じて発言の機会が保障されたとしても、今後の期待を含む処遇におおむね満足しているので、雇用主への発言を控えるようになる。このような雇用の長期継続を望む者が支える一見協調的な労使関係の下で、多少の不満があっても離脱も発言しない正社員が、既定として定着した可能性はないだろうか。

非正社員や個人事業主の場合

正社員以外の労働者は、概して雇用の流動性が高い。さらにこうした労働者の処遇には、年功賃金や退職金といた後払い的な要素がないことの方が多い。その時々の生産性に応じて処遇が決まり、企業への貸しもないため、企業への不満が高まった際の離脱コストは高くない。このとき、発言を行使せずに、離脱オプションを選ぶ者は少なくない。

また、正社員以外の労働者は、働き方や雇用関係の多様さゆえに、発言の方向が定まらない。企業に直接雇用されるパート労働者や契約社員は、高くない賃金や手厚くない雇用保障を背景に、月々の労働組合費を負担してまで組合活動にコミットしない(注7)。間接雇用される派遣社員や請負社員の場合、派遣先企業から契約が打ち切られることを派遣元企業が恐れれば、雇用主たる派遣元企業は労働者のボイスを派遣先企業に伝えない。個人事業主は、雇用関係に近い実態があっても、雇用者ではなく自営業者として区分され、企業に交渉を拒否されてしまう(注8)。結局、正社員以外の労働者は、発言が企業に届かない(届けられない)仕組みの中で、いざというときにも、企業と交渉する場にまでたどり着かない。

このように日本では、正社員も正社員以外の者も、それぞれの理由から、雇用主への発言を控えるようになったとみる。そして今、新型コロナウイルスの感染リスク下での就業に対しても、以前からの姿勢のままに、労働者は、補償賃金や安全な労働環境を求める発言をためらってはいないだろうか。

現場労働者の発言の有効性

だが、社会全体が新型コロナウイルスへの対応を余儀なくされる過程で、企業と従業員の関係は変わりつつある。この関係の変化は、とりわけ、これまで企業の中でコア人材と見なされなかった労働者の、離脱と発言効果の高まりの中に見いだされる。

例えば、米国のアマゾン・ドット・コムでは、オンライン注文が急増した一方で、30%の現場作業員が感染を恐れて現場を離脱したと報道されている。そして、現場に残った労働者からは、よりよい給与と福利厚生、経営への発言を求める要求が起こり、現場の労働者の声を無視できない企業は、時給の増額や休暇取得を受け入れた(注9)。これは新型コロナウイルスのパンデミックによって生じた、企業と労働者の予期しない力関係の変化である。

日本の場合はどうだろうか。新型コロナウイルスの感染リスクの中で、米国と同様に、多くの労働者が販売や物流などの現場を支えている。こうした現場のエッセンシャル・ワーカーは、正規雇用労働者でない者も多い。例えば、卸売・小売業では、過半数(50.6%)が非正規の職員・従業員である(厚生労働省「労働力調査詳細集計」)。販売や物流現場からの大量離職のニュースはほとんど聞かないので、組織からの離脱が容易であるはずの非正社員の多くが、離脱オプションを選択せず、働き続けていると推察される。

一方で、過重労働や顧客からのハラスメントにさらされて、処遇や環境の改善を求めるパート従業員らの発言が報じられている。「離脱の可能性の高まりが、発言メカニズムの有効性を高め」るのであれば、非正社員が離脱すれば現場がもたなくなる今の危機下、彼(女)らの発言の効果は確実に高まっている。上で述べた企業からの特別ボーナスは、離脱しなかった従業員への感謝であり、補償賃金を求めたい労働者の潜在的な発言を汲んだ迅速な対応にもみえる。

職務への「忠誠」

ハーシュマンは、「(組織に対する愛情である)忠誠の度合いが増すごとに、発言の行使される可能性が高ま」るという。今、販売や物流現場の非正社員が行使する発言は、企業への忠誠とみてよいだろうか。

新型コロナのリスク下で働く従業員の発言は、企業への忠誠というよりも、自身の役割への使命感と感染への危機感から生じているようにみえる。この使命感を、職務に向けられた忠誠と解釈することは可能かもしれない。現場の非正社員は、自らの職務を全うしたいという使命感から、職場にとどまり声を上げている可能性である。

もし、労働者の忠誠が、企業よりも職務に向けられたものならば、企業は、それが長期に保持されない可能性を、心得なければならない。厳しい環境で働く中で、企業に失望した労働者は、事態が落ち着き、職務への使命を果たしたと感じた時点で、企業からの離脱(退職)を選ぶだろう。

企業は、この危機を支えた現場の非正社員の忠誠や使命感に、危機後も含めてどのように報いることができるか。彼(女)らの貢献を軽視するような場合は、労働者の離脱にとどまらず、企業の長期的な評判や存続にも影響するかもしれない。

危機後の変化への萌芽

今、現場にいない労働者(正社員が多いようにもみえる)が、直接のリスクに直面しないことで、雇用主に対して大きな不満がなく、離脱の意思もないならば、こうした労働者の発言の効果はこれまでと変わらない(少なくとも高まらない)。であれば、正社員でない者も多い現場を支える者の発言が、相対的により重みを持ち得る。この20年余りで顕著になった、コア人材としての正社員が強力な発言力を行使し、周辺労働者としての非正社員が従順に従うという関係も、変化を余儀なくされるだろう。

発言の重みの変化は、処遇面にも反映されるべきである。リスクを負う現場の従業員あっての企業の存続であることが、今回の危機で明らかになった以上、彼(女)らの特別な貢献に対する報酬も、正当な対価としてより厚く支払う。こうした方針が、雇用形態を問わず有用な人材を引き付ける上での、企業の最良の応答になるかもしれない。正社員を企業の中核として、雇用保障や賃金、手当など満遍なく優遇する時代も、いよいよ終わるかもしれない。

ただし、こうした変化への期待は、特に正社員でない労働者の発言が企業まで届きにくい、今の制度が変わらなければ実現が難しいことも事実である。今回の危機下での現場労働者の発言は、SNSなどオンライン上のプラットフォームから発せられたものも多い。しかし、SNSでのインフォーマルな発言に対しては、企業はたとえそれを把握していても、交渉に応じる義務はない。

例えば、ライドシェアサービスでは、サービス開始当初からドライバーのオンライン上のコミュニティが存在していた。しかし、ドライバーが従業員としての権利の保障を求めても、彼(女)らが個人事業主であることを理由に、企業は直接交渉に応じなかった。

法律の制定や裁判所の判断を通じた制度の変化がない限りは、企業の対応は過去を踏襲しがちである。また、SNSを通じた発言が、労働者の不満のガス抜きになったとしても、まとまった声として企業への脅威になるには、偶然の要素も含めた社会の後押しが必要で、これはあらかじめ期待できるものではない。

そうであろうとも、メンバーからの発言や離脱がなければ、企業や制度が変わるきっかけも生まれないのであるから、労働者、生活者いずれの立場からも、改善に向けた健全な発言をやめてはいけない。

* 本コラムでの「正規雇用中心主義」は、佐口(2018)における「正規雇用中心主義②」(正規雇用と非正規雇用との分断性の強さ)が念頭にある。

脚注
  1. ^ 米国では、民主党上院が、医師や看護師、食料品店の従業員や交通機関の労働者を含む最前線で働く不可欠な労働者(essential frontline workers)への割増賃金などに充てるThe COVID-19 Heroes Fundを提案している。https://www.democrats.senate.gov/imo/media/doc/Heroes%20Fund%20FINAL%204.7.20.pdf
  2. ^ 米国カリフォルニア州は、エッセンシャル・ワーカーに含まれる具体的なセクターを明示している。https://covid19.ca.gov/img/EssentialCriticalInfrastructureWorkers.pdf
  3. ^ "Gaps in Amazon's Response as Virus Spreads to More Than 50 Warehouses" (2020年4月5日 The New York Times) 「米インスタカートやアマゾン従業員がスト、新型コロナ巡り不安」(2020年3月31日 朝日新聞朝刊)
  4. ^ 除染作業員の日給も、補償賃金格差で説明できる。2万円前後の日当は、経験や技能が不問の仕事の中では破格に高く、高賃金は被爆リスクの対価と見なし得る。
  5. ^ 「新型コロナ・緊急事態:揺れた判断、振り回され 休業・営業、対応に追われ」(2020年4月11日 毎日新聞朝刊)
  6. ^ IC(インディペンデント・コントラクター)、フリーランス、個人請負、業務委託などさまざまな呼び方がされるが、統一的な定義や呼称はない。企業と雇用関係にないデリバリーサービスの配達員もここに含まれる。
  7. ^ パートタイム労働者の労働組合の推定組織率(2018年)は8.1%(雇用者全体では同17.0%)。(厚生労働省「労働組合基礎調査」)
  8. ^ ライドシェアやフードデリバリーサービスの労働者などがここに当てはまる。
  9. ^ "Gaps in Amazon's Response as Virus Spreads to More Than 50 Warehouses" (2020年4月5日 The New York Times)
参考文献
  • Hirschman, A. O. (1970) Exit, Voice, and Loyalty: Responses to Decline in Firms, Organizations, and States(A.O.ハーシュマン著、矢野修一訳『離脱・発言・忠誠―企業・組織・国家における衰退への反応』、ミネルヴァ書房)
  • Rosen, S. (1986). The Theory of Equalizing Differences. Handbook of Labor Economics, 1, 641-692.
  • 川口大司(2017)『労働経済学―理論と実証をつなぐ』、有斐閣.
  • 久米功一(2010)「危険に対するセルフセレクションと補償賃金仮説の実証分析」『日本労働研究雑誌』、No.599.
  • 佐口和郎(2018)『雇用システム論』、有斐閣.

2020年5月8日掲載

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