新型コロナウイルス対策における強制と絆

浜口 伸明
プログラムディレクター・ファカルティフェロー

感染の空間経済学

空間経済学では、知識の共有・普及(スピルオーバー)を促進する活動の密集(agglomeration)と産業クラスター(結合)の形成は、地域の良好な経済パフォーマンスと表裏一体のものである。これとは別に、新型コロナウイルス(COVID-19)禍に関するニュースでは、「密集」は感染を拡大する原因になる「三密」の1つであり、クラスターは同一原因による感染者集団を指す言葉として、日常会話で話題に上ることも多くなった。

スピルオーバーと感染は似たようなメカニズムを持っている。例えば満員電車の中で企業の機密に関わるようなことを話している人がいたとしても、他の人が皆イヤホンで音楽を聴いていれば、何の知識も伝わらない。これは各人がマスク等でしっかりと防御している感染を防ごうとしている状態だと言える。他方、噂話の内容が受容者にとって既知のものであれば、新しい情報は何も伝わらない。これは全員が感染経験者になり獲得免疫がある場合である。1つ違いがあるとすれば、スピルオーバーに関しては、噂話の内容に何も予備知識がない受容者にとってただの雑音でしかないので何も情報が伝わらないことがあるが、感染の場合はそのような自然の免疫は期待できない。

感染は地域レベルで規模の経済のメリットを享受するために経済主体が頻繁に往来して接触するという社会的行為と密接にかかわっている。従って往来・接触が行いやすい大都市に感染が集中することは当然のことである。図はESRI Japan社が提供している国内で感染が確認された人の情報(注1)を同社のGISソフトウエアArcGISを用いて居住する市町村別に地図上にプロットし(居住地情報が不明な人と国内で感染が確認された外国在住の人を除く)、カーネル密度分布を計算して感染者が多い地域が濃く面で表示されるよう加工されている。これを見ると、感染者は全国に広がっているが、三大都市圏で特に発生の密度が高く、札幌、福岡、福井にも感染の集中が見られることが分かる。大都市では海外からの帰国者も多く、感染が持ち込まれるケースも見られる。

図

ここで想起されるのは、およそ100年前に3年間に渡ってパンデミックを起こしたスペイン・インフルエンザである。全国で2300万人が感染し、39万人の死亡者を出した(注2)。この時の感染傾向はCOVID-19のように大都市に特に集中したものではなく、全国的に農村でも流行が見られた。当時は現在よりも地方に人口が分散しており、農村は子沢山で学校に多くの児童生徒が通っていたのであろうし、地方都市に兵営、工場など「密」が形成される場があり、そこで感染した人が郷里に戻って感染を広げるといった連鎖も見られたのであろう。

COVID-19感染の大都市集中は、土着性を失い、消費、仕事、情報などの便益を求めて密集を集積させてきた日本人の傾向を反映している。それでも現代の衛生的な大都市では人口比で見れば感染率は低く抑えられているし、医療体制が格段に充実していることは利点である。しかし、密集が生じやすいため1人の感染者が潜在的にリスクに暴露し得る人数は非常に多く、何も対策を講じなければ感染者数を爆発的に増加させるリスクが高い。重篤な状態の患者が一気に増加すると、感染症に対応した病床数を超えてしまい、医療崩壊につながる可能性がある。

連携した介入の必要性

従って、大都市を中心とした医学的介入と非医学的介入の連携が非常に重要だと言える。医学的介入とは、病院における発症者の治療の他、治療薬の開発あるいは既存薬の有効性の確認、ワクチンの開発、感染検査と検疫の強化、公衆衛生対策(咳エチケット、手洗い、マスク)への国民の参加啓発などが含まれる。

非医学的介入とは、学校閉鎖、不要不急の外出、集会等への参加、事業活動の自粛を通じて人々の往来・接触を減らすことである。海外では社会距離拡大(social distancing)と呼ばれる。精度の高い検査を大規模に行って感染者を完全に特定化できるならば感染者だけを隔離する検疫による対応が可能であるが、それが現実的に不可能である場合の代替的手段が社会距離拡大である。非医学的介入により、エピカーブ(注3)をなだらかにして医療体制が整うまでの時間を稼ぎ、カーブのピークの高さを医療のキャパシティ以下に抑えるように非医学的介入を行うことが肝要とされる。 医学的介入の技術水準が低かった100年前の米国のインフルエンザ・パンデミックに関する研究では、早期に非医学的介入をより早く、より広範に実施した都市で患者の死亡率を引き下げることができたことが確認されている(注4)。

緊急事態宣言:強制と絆

国は新型インフルエンザ等対策特別措置法(特措法)をCOVID-19対策に援用することとし、4月7日に大都市圏を構成する東京都、大阪府、神奈川、埼玉、千葉、兵庫、福岡の各県に緊急事態宣言を発出した。社会的距離拡大は非感染者の行動の自由を一部制限するものであり、精神的苦痛を伴い、また経済的損失を生じさせる。

政府がそのような強制力を発揮することは国民の反発を招くと思われたが、今回は緊急事態宣言を支持する意見がJNNの世論調査で8割に達した(注5)。その背景として、多くの国民が政府および自治体の要請を受けてすでに自主的な社会的距離拡張を実施してきたことが挙げられる。全員が自主規制を行うように行動が調整されれば、一定期間後に通常の状態に戻れるはずである。しかし強制力のない要請を守らない人がおり、そのために自分が犠牲を払っているにもかかわらず感染状況が収束せず、自主的な規制の期間がさらに長くなると感じることは、強いストレスになった。感染は身勝手な行動の結果に見えるようになり、感染者に対する偏見も強まった。緊急事態宣言に伴って過大な制約が強制される可能性があるが、調整の失敗を解決してくれる唯一の方法であるため支持されるようになったと考えられる。

特措法に基づく緊急事態宣言は一定の強制力がある指示を出すという大枠を示したが、実際にとられる施策の内容は明らかでない。短期間での終息を目指すのであれば、出勤や公共交通を制約したり、対象地域とその他の地域との間の人の移動を制約したりする必要があるだろう。特に医療体制が脆弱な地方に移動する人に、海外から帰国した人に準じて移動先の自治体が申告と検査を求める権限があってもよい。しかし特措法は政府にそこまでの強い強制力を与えておらず、今回示された政府の方針では、依然として企業、国民の自主的な対応に多くが委ねられている。

経済的損失については、政府が現金給付、雇用調整助成金、納税期限の延伸、融資返済の猶予等の低所得者、中小企業事業者に必要な支援を揃えている点は重要である。また、自治体ではコールセンターを設けて問い合わせにも応じていることは、きめ細かな対応をするために欠かせないだろう。

大都市では人間関係が希薄だといわれるが、現在われわれが直面している困難な局面ではコミュニティとしての力が試される。今こそ東日本大震災の時に原発事故や津波浸水に被災して筆舌に尽くしがたい苦労をされた方々が与えてくれた「絆」の教訓を思い出したい。感染リスクを減じるよう国民一人一人が行動を調整すること。そうすることによって医学的介入の最前線で献身的に取り組んでいる医療関係者に連帯を示すこと。感染のリスクを感じながら必要な物資を届けるための生産、物流、販売やライフラインの維持に働いている人々がいること。非常時にはそのようにさまざまな関係性を考えながら自分の行動を決めることを、災害が多い日本に住む私たちは知っている。また、自分が支援の対象になるのだろうかと不安を抱えている人がおり、地域で生活困窮者を1人も取り残さないように奮闘する行政担当者がいる。その間をつなぐ制度は杓子定規でなく、運用の幅を持たせたい。

脚注
  1. ^ 4月2日現在.https://gis.jag-japan.com/covid19jp/
  2. ^ 池田一夫、藤谷和正、灘岡陽子、神谷信行、広門雅子、柳川義勢 (2005)「日本におけるスペインかぜの精密分析」東京健安研セ年報 56, 369-374
  3. ^ 縦軸に日毎の感染者を示す時系列の感染曲線
  4. ^ Markel, Howard, et al. "Nonpharmaceutical interventions implemented by US cities during the 1918-1919 influenza pandemic." JAMA 298.6 (2007): 644-654.
  5. ^ JNN世論調査(定期調査) 4/4, 4/5

2020年4月9日掲載

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