はじめに
新型コロナウイルス感染症が世界で猛威を振るっている。これまでにも人類は、ペストやスペイン風邪、SARS(重症急性呼吸器症候群)など、何度も感染症の流行を経験してきたが、多くの人命を失いながらも、それらを乗り越えてきた。
14世紀にペストが流行したときは、世界で7,500万人が死亡した。人口が急減したため農村における荘園領主と農民の力関係が逆転して、年貢を納めていた農民が賃金をもらって農耕することが一般的になり、中世社会崩壊の原動力になった。また、ペストの脅威を防げなかった教会が権威を失い、宗教改革へとつながっていった。
1918年から1920年にはスペイン風邪が流行し、世界で5,000万人が死亡した。ドイツ軍と連合国軍の多くの兵士が感染して戦争継続が困難になり、第一次世界大戦の終結が早まっただけでなく、参戦していた兵士が本国にウイルスを持ち帰ったため、世界的な流行につながったとも言われている。
そして、2003年に中国でSARSが流行した際には、多くの人が外出を控えた。小売業や飲食業が深刻な影響を受けた一方で、家電量販店チェーンを経営していた劉強東氏が実店舗を全て閉めて立ち上げたJD.com(京東集団)、Alibabaグループの淘宝網(タオバオ)などのECサイトが成長するきっかけになった。
新型コロナウイルス感染症に対しては、治療薬やワクチンの開発に加え、デジタル技術を活用したテレワークも推進されている。しかし、デジタル技術の活用は、テレワークにとどまらない。ロボットやAIなどの近未来技術の社会実装(得られた研究成果を社会問題解決のために応用、展開すること)も進められている。
本稿では、新型コロナウイルス感染症対策としての近未来技術の社会実装の動きを整理し、将来の社会を展望する一助としたい。
新型コロナウイルス感染症と近未来技術の社会実装の動き
近未来技術は、Society5.0に向けた戦略5分野(健康寿命の延伸、移動革命の実現、サプライチェーンの次世代化、快適なインフラ・まちづくり、FinTech)のいずれかの推進に資するAI、自動運転、準天頂衛星、ビッグデータ、IoT、ロボット、ドローン、第5世代移動通信システム(5G)、FinTech等の近い将来に実装が見込まれる先端技術である。
本稿では、それらのうちロボット、AI、AIでの活用が期待されている量子コンピュータの新型コロナウイルス感染症対策への社会実装の動きを、中国の事例も交えて整理する。なお、中国では、2020年2月19日に工業情報化部が「次世代情報技術の活用による感染拡大防止、操業・生産再開を支援する通知」を発表し、新型コロナウイルス感染の影響を最小限に抑えるため、感染拡大防止、医療研究、操業再開、社会インフラの面で、AIなどの新技術の活用を奨励している。
(1) ロボット
ロボットは、工場内で製造に利用される産業用ロボットと、掃除、介護、医療をはじめさまざまな分野で利用されるサービスロボットに大別される。
中国では、薬の配達、食事の配膳、医療廃棄物の回収などを行うロボット(SAITE)、消毒ロボット(TMiROB, UVD Robots)、熱探知カメラやセンサーを搭載しており最大10人の体温を同時に測定できる体温スクリーニングロボット(Youibot)などの導入により、医療従事者らの安全確保を図っている。
(2) AI
AIは、知的な機械、特に知的なコンピュータプログラムを作る科学と技術であり、大きく分けて識別、予測、実行の3種類の機能を持つ。
中国においては、先に述べた体温スクリーニングロボットに搭載されている顔認証システムや、画像認識とサーモグラフィー技術を活用して1分間で200人の体温を同時に測定できる体温測定システム(Baidu)、症例を学習した診断システム(Alibaba, Infervision(Beijing))などで、主にディープラーニングによる画像認識が行われている。
日本では、遠隔画像診断支援サービスを提供している株式会社ドクターネットがInfervision(Beijing)等と新型コロナウイルス感染症の画像診断の品質向上を目的とした共同プロジェクトの契約を締結した。中国の医療現場で使われているAI診断支援システムと新型コロナウイルス感染者の症例集の提供を受け、研究を開始している。
(3) 量子コンピュータ
量子コンピュータは、量子力学原理を利用して並列計算を実現するコンピュータで、特定の数学的問題を高速に解くことができる。量子コンピュータには、ゲート方式とアニーリング方式の2種類がある。ゲート方式が従来のコンピュータが計算できた問題に対処できる汎用型であるのに対し、アニーリング方式は組み合わせ最適化問題を解くことに特化したものである。
量子アニーリングマシーンの商用販売に世界で初めて成功したD-Wave Systems社と、株式会社デンソー、京セラ株式会社、東北大学などが参加する国際プロジェクトにおいて、医療品の物流や患者の病院への割り当ての最適化などへの応用に向けた研究が始まっている。
おわりに
新型コロナウイルス感染者の増加に伴い、日本においても医療体制を維持できるかどうか懸念されている。
医療機関での感染を防ぐため、オンライン診療や電話での診察を初診から受けられるよう規制が緩和されることになったが、医療従事者の安全を確保するには、医療ロボットやAIのさらなる活用も欠かせない。
ロボットやAIなどの近未来技術の社会実装には、資金面での支援や規制緩和が求められることも想定される。これらの要請に対しては、緊急性も勘案し、行政等による迅速かつ柔軟な対応が期待される。一方で、感染拡大を防ぐために感染者のスマートフォンの位置情報などを活用するとなると、プライバシーへの配慮も課題になる。
現在のところ、新型コロナウイルス感染症の終息時期を見通すのは難しい。しかし、感染拡大を抑える一人ひとりの努力とともに、導入・普及に向けた課題をクリアして近未来技術の社会実装も進めば、これまでのように、新型コロナウイルス感染症の克服が新しい時代の扉を開くきっかけにもなるだろう。