日本のリスク・マネジメント 〜 社会の「免疫力」を高めるために①

佐分利 応貴
国際・広報ディレクター

新型コロナウイルスが、中国はもとより、日本等の周辺国や世界各国に大きな影響を与えつつある。本コラムでは、さまざまなリスクを克服し、日本の社会経済をさらに強くするための対策について考察する。

1.レジリエンスとは

米国の産業構造を変革するきっかけとなった2004年の“Innovate America”(通称:パルミサーノ・レポート)で有名な米国競争力評議会(COC:Council on Competitiveness)は、2007年6月にレジリエンス・サミットを開催し、ショックに強い経済をいかに作るかについて議論を行った。このサミットでの議論を踏まえ、COCは同年7月に「Transform. The Resilient Economy:Integrating Competitiveness and Security」というレポートを発表し、重要なのはセキュリティ(安全であること)ではなくレジリエンス(ショックから立ち直ること)であるとした(注1)。ここにいうレジリエンス(Resilience)とは、激変する経済環境に自ら適応し進化を遂げる能力であり、リスクインテリジェンス(Risk Intelligence)、柔軟性(Flexibility)、迅速性(Agility)からなる(注2)。いわば、レジリエンスは、リスクに関する先見により危機の発生を回避・予防し、危機が発生した場合には被害を最小化し、復旧を最短化する能力とも言える(図1)。

図1:レジリエンスの考え方
図1:レジリエンスの考え方

2.レジリエンスのケース・スタディ

こうしたレジリエンスの模範とされるのが、1982年に米国で発生した「タイレノール事件」におけるジョンソン&ジョンソン社の対応である。

同社の主力商品である鎮痛剤「タイレノール」に何者かが毒物を混入し、それを知らずに服用した12歳の少女ら消費者7名が死亡した。当時は危機管理の手法も一般化されていなかったが、同社は直ちに以下の対応を行った。

(1)経営陣の陣頭指揮と緊急対応チームの設置
ジェームズ・バーク会長自らが最高責任者であることを明言し、トップダウンで「これ以上被害を出させない」方針を決定、多額の費用がかかる製品回収を行った。また、緊急対応チームを設置し、すべての情報の一元化を行った。

(2)情報の公開と外部調査の受け入れ
会長自らがスポークス・パーソンを務め、テレビ・新聞等を通じてタイレノールの服用中止と製品回収への協力を消費者に要請した。また、直ちにFBIやシカゴ警察、食品衛生局等の調査を受け入れた。

(3)早期の製品開発と市場復帰
犯罪の可能性が高いことが判明した後、事件の再発防止のため新たな三重包装を2週間で開発し、製品を市場に復帰させた。

同社は、事件の通報を受けると直ちに役員会を開催し、タイレノールの製造・販売の停止と全品回収を決定した。まさに柔軟性と迅速性によるレジリエンスが発揮された事例と言えるだろう。

3.Prepare for the worst 〜 今こそBCPの作成・見直しを

新型コロナウイルスの影響が、観光業からさまざまな分野に広がりつつある現在、各主体に求められるのは、BCP(Business Continuity Plan:事業継続計画)の策定や見直しである。中小企業庁では、BCPの必要性・効果・策定方法をわかりやすく解説した「BCP支援ガイドブック」を事例集とともに作成・公表し、どのようにリスクに備えるべきかを解説している(注3)。ガイドブックでは、
1)重要商品(事業)を特定すること
2)復旧する目標時間を考えること
3)取引先とあらかじめ主要な事業や復旧時間を協議しておくこと
4)代替策を用意・検討しておくこと
5)従業員とBCPの方針や内容について共通認識を形成しておくこと
の5つのポイントをあらかじめ押さえておくことを推奨しており、「ある人気ラーメン店が、鳥インフルエンザによりスープに必要なある養鶏場の鶏ガラの入手ができなくなった」場合のBCPの作り方など、具体的なケースを挙げてわかりやすく解説している。

新型コロナウイルスの感染が広がった場合に何が起こるのかについては、内閣官房の「新型インフルエンザ等対策ガイドライン」(注4)が参考になる。同ガイドラインでは、感染の流行段階に応じ、小売業者、運送業者、エネルギー事業者、金融業者、メディア関係者など、各業種がそれぞれ何をなすべきかが記されており(注5)、事業者や個人が取り組むべき対策や、食料品など備蓄すべき物品リストも示されている(図2)。また、過去のガイドライン(平成21年2月17日作成)では、「新型インフルエンザ発生時の社会経済状況の想定 (一つの例)」として、全人口の25%が発症し、欠勤率が最高で40%のシナリオを作成しており、経済社会への影響の試算や「想定される社会機能の状況とその維持のために企業等に期待される対策・目標」などを示している(注6)。(図3)

図2:「新型インフルエンザ等対策ガイドライン・概要」(事業者等)
図2:「新型インフルエンザ等対策ガイドライン・概要」(事業者等)
図3:平成21年版「新型インフルエンザ対策ガイドライン」
想定される社会機能の状況とその維持のために企業等に期待される対策・目標(抜粋)
図3:平成21年版「新型インフルエンザ対策ガイドライン」
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ただし、BCPはあくまでもリスクインテリジェンスでいう“Prepare for the worst”(最悪に備えよ)のための道具にすぎず、BCPを作ったから安心というわけではない。ガイドラインやマニュアルに頼ることなく、常にリスクに関する情報収集を行い、柔軟かつ迅速な判断と対応ができるような幹部と社員(さらには関係者)の意識統一と教育が必要である。

4.社会の「免疫力」の向上のために

1995年の阪神・淡路大震災は、ボランティアやNPOは自ら問題を発見して対処する「社会の白血球」であり、社会問題の解決プロセスにおいて極めて重要であることを明らかにした(1998年にNPO法が成立)。そして、2011年の東日本大震災は、「想定外」は言い訳にならないこと、BCP作成等のレジリエンスの涵養が重要であること等を明らかにした。

外的ショックは、結果的に社会のレジリエンスを高める効果がある。今回の新型コロナウイルス感染症は、私たちの公衆衛生知識を高め、外出後の手洗いやうがい、咳エチケットを「あたりまえ」にするだろう。こうした生活習慣の定着により、来年以降の日本のインフルエンザの罹患率はこれまでより下がることが期待される。

レジリエンスは、道路などの社会インフラの分野では「強靭性」と訳されることが多いが、ショックに対する社会経済全体の抵抗力という意味では「免疫力」という用語がわかりやすい。リスクに関する正しい知識や生活必需品の備蓄習慣、企業におけるBCPの普及は、衛生問題に限らず、震災や経済危機等さまざまなショックに対する社会全体の免疫力を高める。国民1人1人がリスクに対するアンテナを高めれば、発生前に危機を感知して予防することもできるだろう。地震の発生は防ぐことはできないが、地震被害を減らすことは可能である。公的組織や各企業が、そして国民1人1人が、リスクに対する正しい危機意識を持ち、柔軟に、そして迅速に対応することが求められる。

脚注
  1. ^ 2009年版「通商白書」第3章第1節「2対外経済政策の方向性」
  2. ^ “Transform.” Council on Competitiveness (2007) https://www.compete.org/reports/all/2802
  3. ^ 中小企業庁BCP策定運用指針ページ https://www.chusho.meti.go.jp/bcp/
  4. ^ https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/ful/keikaku.html
  5. ^ https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/ful/keikaku/pdf/h300621gl_guideline.pdf 114ページ〜
  6. ^ http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/ful/guide/090217keikaku.pdf

2020年2月13日掲載

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