ナッジをEBPMの入口に!

小林 庸平
コンサルティングフェロー

EBPMにおける効果検証の重要性と行政現場での壁

近年、日本でもEBPM(Evidence-Based Policy Making:エビデンスに基づく政策立案)に関する取り組みが国・自治体で広まってきた。EBPMと今までの政策立案の違いは主に、①エビデンス(政策の因果効果を示す科学的根拠)を使うこと、そして②エビデンスを作ることにある。「エビデンスを使う」とは、政策の因果効果に関する既存のエビデンスを参照して、政策目的の達成に資する手段を選択することである。一方で「エビデンスを作る」とは、因果効果が定かではない政策の効果を具体的に検証することである(注1)。

すでにエビデンスが存在しているのであれば、それを活用して政策手段の意思決定を行えばEBPMはそれで完了である。しかし実際には、新規の政策課題に直面しているため過去に効果検証が行われていない場合や、海外では実証されているものの日本で同じ効果が得られるのかが不確実な場合などが多く、すでに存在しているエビデンスだけで政策的な意思決定が可能な場合はあまり多くない。

そこで重要となるのが、エビデンスを作り蓄積していくことである。エビデンスを作るための方法は数多く存在しているが、有用なツールの1つがランダム化比較試験(Randomized Controlled Trial:RCT)(注2)である。RCTは、政策の対象者と非対象者をランダムに割り当てることによって、政策の因果効果を精緻に測定する手法である。しかしながら政策現場でRCTを活用しようとすると数々の壁に直面する。頻繁に直面する壁には以下のようなものがある。

「来月には予算要求しないといけないので政策の効果をRCTで検証する時間はない。結果が出るころには担当者が代わっている。」
「効果検証の費用を捻出することが難しい。」
「予算はすでに確保できており事業の建て付けは決まっているので、今からランダム化を仕込むことは難しい。」
「行政には公平性が求められるので政策の実施をランダムに割り当てることは難しく、公募型事業の場合、希望者からの応募を排除することはできない。」

ナッジをEBPMの入口に!

このように、RCTはエビデンスを作るための有用なツールの1つではあるが実際に活用しようとすると数多くの壁が立ちはだかる。

そこで筆者が突破口として提案したいのはナッジ(nudge)の活用である。ナッジの考え方は日本でもかなり普及してきた。本来は「肘でつつく」という意味だが、転じて、人間の性質に配慮しながらより良い選択を促すという意味で使われている。ナッジは、個人の意思決定の自由を尊重しながら、少ない財政コストでより良い選択を促すツールであり、補助金、税制、規制・ルールといった伝統的な政策手段と補完的な第四の政策手段として世界的にも認知されるようになってきた(注3)。ナッジについてはさまざまな研究が積み重ねられているが、例えばAllcott(2011)は米国において、家庭の電気使用量を近隣世帯と比較した「家庭用エネルギーレポート(Home Energy Report:HER)」を送付し、「社会的比較」というナッジを用いることによって約2%の節電が促されたことを報告している。

筆者はこうしたナッジをEBPMの入口として活用してはどうかと考えている。なぜならナッジの場合、前述したような効果検証を行う際の壁を乗り越えられるケースが少なくないからである。効果検証を行う際に行政現場で直面しがちな壁とナッジの強みを整理したものが以下の表である。

効果検証に時間がかかりすぎるという壁については、家庭用エネルギーレポートの例などでも分かるようにナッジの場合は比較的短期で効果検証可能なものも多い。単純なRCTであれば分析も簡単であるため行政内部のリソースのみで効果検証することも不可能ではない。またナッジの多くは政策現場での運用改善(例えば情報提供方法の工夫等)に活用できるケースも多く、政策の建て付けを大規模に変更せずとも担当課の判断だけで実施できることが多い。つまり既に始まりつつある政策についても適用可能であり、翌年度の予算要求等を待つ必要もない。情報提供やリマインドといったナッジは安価に実施できるケースも多く、確保している予算の範囲内で実施できる可能性も高い。また、行政には公平性が求められるため政策のランダム割当は難しいという意見も多い。ナッジの場合も同様の壁は立ちはだかるものの、通知文書を何種類か作成して送り分けをする場合等は、通知文書自体は必要とするすべての人に広く送付しているため、政策自体をランダム割当するよりも実施のハードルは低いだろう。

表:効果検証を行う際に行政現場でよくある壁とナッジの強み
効果検証を行う際に行政現場でよくある壁 ナッジの強み
効果検証に時間がかかりすぎる。検証結果が明らかになるころには担当者が代わってしまう。 短期で効果検証できる場合も多い。
効果検証の費用が確保できない。 簡単なナッジであれば効果検証費用は小さくて済む。
予算を確保して動き始めている政策であり、効果検証のために政策の実施方法を変更することは難しい。 政策の運用レベルの変更で対応可能な場合も多く、政策の建て付けを大きく変更せずに実施可能。
行政には公平性が求められるためランダム割り当ては難しい。希望者からの応募を排除することは難しい。 通知文書のランダム化などで対応可能なケースも多い。そうした場合は希望者を排除する必要はない。

ナッジの実践ガイドを活用して小さなトライアルの積み重ねを!

ナッジをEBPMの入口として活用することのもう1つのメリットは実践ガイドが充実してきたことである。例えばOECDはBASIC(Behaviour、Analysis、Strategy、Intervention、Change)というフレームワークを提示し、ナッジの作り方の手順を整理している。また英国のBehavioural Insights TeamもEAST(Easy、Attractive、Social、Timely)というフレームワークを提示し、効果的なナッジを作るための考え方を整理している。直近では、大阪大学の大竹文雄教授が『行動経済学の使い方』という新書を著し、行動経済学の考え方やナッジの作り方、具体例までを日本語で分かりやすく解説している。この本の中ではBASICやEASTといったフレームワークも丁寧に紹介されている。このようにナッジは実践ガイドが充実してきており、現場の行政官が活用する際のハードルもどんどん低くなっている。

もちろんナッジは魔法の杖ではない。ナッジでは解決できない政策課題もたくさんあるし、短期的には効果を発揮したとしても長期的には効果が弱まってしまう事例も数多く報告されている。しかしながらEBPMを推進するためには、効果検証の実例を蓄積し行政内部での経験値を高めることで、エビデンスを円滑に創出していくことが非常に重要となる。そのためには小さなものであったとしても行政現場でのトライアルを積み重ねることによって、EBPMによって何ができて何ができないのか、そしてどういった部分に有用性があるのかを政策担当者が実感し、経験やノウハウを蓄積・共有していくことが不可欠である。そしてそのための入口としてナッジは好適である。

2019年12月25日(水)に予定されているRIETI EBPMシンポジウムでは、そうした具体例の1つをご紹介する予定である。ぜひ多くの方にご参加いただければ幸いである。

脚注
  1. ^ EBPMの考え方や効果検証方法の詳細については、デュフロ他(2019)所収の筆者の解説等を参照。
  2. ^ ランダム化比較試験の考え方や実践方法については、小林(2014)、デュフロ他(2019)、青柳・小林(2019)等を参照されたい。
  3. ^ 例えばOECD(2017)では世界各国におけるナッジ事例を紹介している。
参考文献
  • 青柳恵太郎・小林庸平(2019)「EBPMの思考法 やってみようランダム化比較試験!」『経済セミナー』2019年4・5月号より連載中
  • 大竹文雄(2019)『行動経済学の使い方』岩波新書
  • 小林庸平(2014)「政策効果分析の潮流とランダム化比較実験を用いたアンケート督促効果の推定」『MURC政策研究レポート』http://www.murc.jp/thinktank/rc/politics/politics_detail/seiken_141010
  • エステル・デュフロ、レイチェル・グレナスター、マイケル・クレーマー(2019)『政策評価のための因果関係の見つけ方――ランダム化比較試験入門』(監訳・解説:小林庸平、訳:石川貴之・井上領介・名取淳)日本評論社
  • Allcott,H. (2011) "Social Norms and Energy Conservation" Journal of Public Economics, Vol.95, pp.1082-1095
  • Behavioural Insights Team (2014) EAST: Four Simple Ways to Apply Behavioural Insights
  • OECD (2017) Behavioral insights and Public Policy: Lessons from around the World
  • OECD (2019) Tools and Ethics for Applied Behavioural Insights: The Basic Toolkit

2019年12月12日掲載

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