GDP統計に未来はあるか

宮川 努
ファカルティフェロー

GDP統計の位置付け

2019年は年初から「毎月勤労統計」の問題が明らかになり、統計の信頼性とその役割が注目された。この問題は、筆者自身が統計委員会委員を務めていることもあり、個人的にも忘れることのできない出来事であるとともに、より良い政府統計を提供する責任の一端を担うものとして残念な思いをしている。

もっとも本コラムでは、この統計問題を事細かに解説するわけではない。今回の統計問題をきっかけとして統計の重要性や役割、そして現在の日本の政府統計が抱えている課題をあらためて考えることを目的としている。

しかし、日本政府の統計は膨大であり、基幹統計だけでも53の統計がある。これらの統計は所管する官庁も異なり、また統計の特徴も簡単にまとめられるものではない。そこで本コラムでは、政府統計の中で最も注目度が高くさまざまな政策の場で活用されているGDP統計を取り上げる。

GDP(国内総生産)というのは、国民経済計算体系という国の経済取引全体を把握する計算体系の中の1つの指標で、国民経済計算体系自体は、直接調査主体に送付した調査票や行政記録情報から作成された一次統計等を利用して作成された加工統計である(注1)。従って、国民経済計算の推計に利用される各一次統計の精度が国民経済計算の精度にも影響することになる。その意味でGDPの精度、役割、課題を考察することは、多くの政府統計の課題を考えることにもつながるのである。

GDP統計の歴史と役割の変遷

実はこの国民経済計算体系、すなわちGDP統計を含む計算の体系が生まれたのはそれほど古いことではない。経済全体の動向を把握しなくてはならないという教訓は、1929年の大恐慌の経験から生まれている。すなわち約100年前の大恐慌の際に政策担当者は、経済全体がどれほど落ち込んでいるかという統計を持っていなかったのである。そこで1930年代に入ってSimon Kuznets、Richard Stone、James Meadeなどその後ノーベル経済学賞を受賞する経済学者たちが国民経済計算の確立に貢献し、第2次世界大戦後国際連合によって、国民経済計算体系の推計方法が確立していく。つまり、GDP統計というのは、まだ人の一生分ほどの歴史しかないのである(注2)。

しかし人の一生にもいろいろな変遷があるように、GDP統計の役割も約80年の間に大きく変わっている。第2次世界大戦後のGDP統計は、戦争に関わった国の復興度合いを測る指標として用いられることが多かった。従ってGDP統計に求められたのは、一国全体の経済取引を通して経済規模がどれだけ大きくなっていったかを把握することであった。

しかし、先進国の経済が復興し一定の経済規模に達すると、エコノミストは短期的な経済変動の指標としてGDPに注目するようになる。GDPの変動が株式市場にも影響を与えるようになるので、エコノミストはできるだけ早く足元の経済状況を知ろうとし、GDP統計の速報化を求めることになる。そこでは、経済規模よりもむしろGDPの対前年同月比や季節調整済み系列の前期比といった変化率が重視されることになる。

統計製作者からすると、GDPというのは国民経済計算体系の一部であり、この体系を作り上げるには、一国の経済取引をできるだけ多くカバーした一次統計等を基に推計することが本来のGDP統計であるということになる。これは年次推計と呼ばれており、毎年12月に前年度までのGDP系列が公表されるようになっている。一方われわれが、日頃新聞等で多く目にするのは、四半期速報と呼ばれるもので、これは年次推計を出発点として、月次や四半期の一次統計等の変化率を中心として延長推計されたものである。民間の利用者は、この四半期速報をできるだけ早く公表することを望んでいる。日本の場合、1次速報と2次速報があり、1次速報は推計対象となる四半期が終了してから1カ月半程で公表されているが、これもようやく今世紀に入ってから実現したものである。ただ、1次速報、2次速報、年次推計の改定幅を巡っては常に議論がなされており、精度と速報性のトレードオフを解消するには至っていない(注3)。

抜本的な改革を迫られるGDP統計

GDP統計の国際基準は1953年に最初のヴァージョンが策定されて以降、1968年、1993年、2008年と3回の改訂を経ている。2015年に所得と富の研究に関する国際学会とOECDが共同で国民経済計算の今後についてコンファレンスを開催したが、そこでの講演録を読むと、国民経済計算に対する要望は年々増加していることが分かる。このコンファレンスで講演したvan de Ven (2017)がまとめたGDP統計の長期的課題は次のようなものである。

  1. グローバル化の進展と企業の国際分業(fragmentation)が進む中で、一国全体の付加価値をどのように把握するか
  2. IT革命に端を発する知識集約経済をどのように捉えるか
  3. 所得や富の分配をどのように体系の中に組み込むか
  4. 生活水準や生活の質の向上を反映できるようになるか

1に関しては、企業活動のグローバル化に伴い個別企業の生産性向上との関係を論じた膨大な研究が存在する。さらに国際産業連関表を使って、これらの研究成果を一国全体のGDPの推計にどのように結び付けていくかが課題だが、道のりは平たんではないだろう。

2の課題については、すでにソフトウェア、R&D支出などの無形資産の推計を通して、国民経済計算への組み込みが進んでいる。今後は日本でも芸術分野の創作物の価値も無形資産として評価していくようなことが進むだろう。

3については、極めて重要な問題だが、企業、家計などの国民経済計算の制度部門の間での分配はある程度把握できる。問題は各所得階層の分布だが、これは国民生活調査など他の統計を組み合わせることで対応できるのではないだろうか。

4については、従来のGDPを超えた課題と言えるだろう。馬奈木・田中(2018)が紹介しているような新たな国富指標の開発は、この代表例だが、こうした指標が経済取引だけに限定したGDPを超えた指標となり得るのかどうかについては、今後民間や政府でどのような利用の仕方があるのかを比較、検討していく必要があるだろう。

インフラとしての統計の充実を

以上のような大きな課題はあるものの、少なくともGDP指標が消えることはないだろう。もしGDP統計がなければ、GDPの変動と成長を分析するマクロ経済学の実証分析がほとんど消失してしまう。その意味では、むしろサテライト勘定の開発などを通して、国民経済計算の拡充を図るというのが今後のあるべき方向だろう。

しかし、今回の統計を巡る問題で明らかになったように統計部門における人材不足は深刻である。最近の災害で日本の物的インフラの老朽化が、復興の遅れの一因になっているとの議論がなされているが、政府統計も無形の社会インフラであり、かつ制度疲労を起こしているとみなすことができる。最近の議論から分かるように、無形資産は、人的資産などの補完がなければ新たな技術に対応することが難しい。その意味で統計部門における人材の育成・確保は、この無形のインフラの維持・充実には欠かせない。近年政府は証拠に基づく政策立案(Evidence-Based Policy Making)を掲げているが、この方針を維持するためにも足元の政府統計の整備・充実は急務である。

脚注
  1. ^ 一次統計は、53の基幹統計のうち47を占める。加工統計は、国民経済計算の他にも産業連関表、生命表、人口推計、社会保障費用統計、鉱工業指数がある。
  2. ^ 本コラムのGDP統計の歴史については、Coyle (2014)に基づいている。
  3. ^ GDP統計における精度向上と速報性の問題については、西村(2003)にまとめられている。
参考文献
  • 西村淸彦(2003)「四半期GDP統計の「政治経済学」」浅子和美・福田慎一編『景気循環と景気予測』東京大学出版会
  • 馬奈木俊介・田中健太(2018)「新国富指標の現実政策への応用可能性-社会・経済政策の指標としての活用の拡大」経済産業研究所コラム(12月13日)
  • Coyle, Diane (2014) GDP A Brief but Affectionate History, Princeton University Press. 高橋璃子訳(2015)『GDP <小さくて大きな数字>の歴史』みすず書房
  • van de Ven, Peter (2017) "Present and Future Challenges to the System of National Accounts: Linking Micro and Macro" The Review of Income and Wealth vol. 63 supplement 2 December, pp. S266-S286.

2019年10月21日掲載