データという第二の遺伝子の編集

成田 悠輔
客員研究員

「利己的なデータ台帳」

奇妙な動画がウェブ上に転がっている。データと人類の未来の関係を描くこの動画は、グーグルの研究開発機関であるXの社内向け資料が流出したものだ。

動画はその名も「利己的な台帳(The Selfish Ledger)」。近寄りがたいこの題名にある「台帳」は、私たちの生活が産み落とす情報が記録されたデータ台帳を意味する。データ台帳は、私たちがどこに住み何を食べ何を語っているかを記録し、つまるところ私たちは何物なのかを暗示する。いわば第二の遺伝子だ。

実際、動画冒頭では一見なんの関係もない進化論の唐突な解説が何分にもわたって延々と語られる。たとえば、史上初の進化論の提唱者と言われるジャン=バティスト・ラマルク。ラマルクは、個体が生きるとともに遺伝子のような何かが変化し、変化した遺伝子のような何かが次の世代に引き継がれるという獲得形質遺伝仮説を説いた(が、のちに実証的に反証されたと考えられる)。

そしてウィリアム・ハミルトンからリチャード・ドーキンスにいたる「利己的な遺伝子」論。遺伝子を個体の部品と見なす常識を超え、死にゆく個体を遺伝子という不死の情報の臨時の乗り物とみなし、生命への見方における主従の逆転を企てた。

ここで、これらの進化論における遺伝子を「データ台帳という第二の遺伝子」に置きかえてみよう。そして儚く消えゆく人間を「終わりなく変化していくデータ台帳のレンタカー」の見なしてみたらどうだろう?

そんな発想から動画ははじまる。

データ主グーグルによる人類の再設計

実際、あらかじめ固定された遺伝子と違い、私たちが生きてデータが溜まるにつれデータ台帳は変化していく。とすれば、特定の利益に沿って人々の行動を誘導することで、データ台帳の中身を利益に叶うように修正することもできるはずだ。

誰にとっての利益か?

データ台帳自体にとって、もっと正直に言えばデータ台帳の占有者たるグーグルにとっての利益だ。

「利己的な台帳」動画では、何世代にもわたってデータ台帳を「利己的に」改変していくことで、種としての人類をグーグルの目的にそって改造していく世界像が語られる。

第二の遺伝子を手中に収めたグーグルによる人類の再設計---しかし、この世界像はグーグルという一組織に収まらない。グーグルに限らず一般に、データがビジネスや政治・政策を変えるなら、ビジネスや政策は人間を変えるので、結局データが人間を変えることになる。

人間がデータを書き換えるだけではない。

データによる人間の書き換えが進行中だ。

架空の例として、高齢化を食い止めるため、年齢と過去の行動データから誰が生き残るべきかを選別し、生き残るべきでないとデータが判断した人々には絶望と自殺へと誘導するサブリミナル情報を流す、といったことさえ可能だろう。

こんな話を聞くと、とりあえず倫理だ規制だと騒ぎたくなるかもしれない。だが、ここで人間を書き換えるプログラムを書いて動かすのは人間というより計算機に乗ったデータそのものである。いったいデータにどんな倫理が問えるのか、データの行動を規制できるのかといった難問が立ち上がる。これが現在の機械学習騒動の立役者の一人Andrej Karpathyの唱えるSoftware2.0の描像であって、その精神は彼の有名なつぶやきに詰まっている。

「ごめん、君より最急降下法の方がコードを書くのがうまいみたいだ。(Gradient descent can write code better than you. I’m sorry.)」

データが書き換える人類の未来

そんな風にデータに書き換えられた未来の人類はどんな恐るべき子供たちだろうか? 彼らを歓待すべきだろうか? あらかじめ抹消すべきだろうか? 是非が騒がれる遺伝子編集の陰で、データという第二の遺伝子の編集はすでに始まっている。

以上の原稿にもとづく寄稿「データで人類を改造する?」は山形新聞(2019年2月15日)、新潟日報(2019年2月17日)、福井新聞(2019年2月17日)などに掲載された。

2019年3月27日掲載

この著者の記事