「生産性向上」は何故必要なのか
―宮川努著「生産性とは何か 日本経済の活力を問い直す」(ちくま新書)から-

宮川 努
ファカルティフェロー

アベノミクスと「生産性」

最近では少し熱気が冷めたようだが、ここ1、2年「生産性」というのは、注目の経済イシューだった。ただ、そうしたブームが来ると、即席の解釈や定義がもてはやされ、長年にわたって培われた議論が忘れ去られてしまいがちである。特に「生産性向上」という課題は、企業努力面でも政策面でも息の長い課題であるため、飽きることなく地道に適切な対応を続けていかなくてはならない。

本稿では、最近公刊した筆者の「生産性とは何か 日本経済の活を問い直す」(ちくま新書)をベースに、生産性を「原点」から見つめ直して、日本経済における「生産性」の意味を考え直してみたい。

安倍政権は6年に及ぶ長期政権となったが、この長期政権を支えた経済政策として、アベノミクスはこれからも日本経済論の重要な教材になることは間違いない。アベノミクスは、「三本の矢」で構成され、最初の二本は、景気拡張的な財政金融政策として位置づけることができる。この政策評価は、当初宣言したデフレ脱却こそ道半ばになっているが、時間がたつにつれ企業収益の増加や雇用の改善などプラスの側面が評価されるようになっている。しかし、三本目の矢についてはアベノミクス当初から一貫して不十分だという評価が続いている。

三本目の矢というのは「成長戦略」を通して、日本の潜在成長力を上げる政策である。長期的な経済成長は、労働力の増加、資本蓄積、生産性の向上によって達成されるが、このうち労働力の増加は人口減少によって期待できない。したがって資本蓄積や生産性向上に期待がかかり、マスコミもエコノミストもアベノミクスを評価した最後に「生産性の向上が重要である」と締めくくるのだが、その先については言及がない。一方政府も毎年のように「成長戦略」を策定しているのだが、その中にはこれがどうして潜在成長力の上昇につながるのか、首をかしげたくなる政策も散見される。「生産性」という考え方について、包括的にかつ分かりやすく説明する書籍というのはこうした問題を克服するために一定の貢献をするのではないだろうか。

国際的に比較可能な生産性の概念

「生産性とは何か」は、序章+6章で構成されている。序章は上に述べた執筆の動機が、バブル崩壊後の日本経済の推移とともに述べられている。そして第1章では、「生産性」というものが、どのようにして計測されるのかを経済学の考え方に沿って説明している。経済学では、「生産性」にきちんとした定義が与えられている。いろんな「生産性」の解釈があっても良いのではないか、という人もいるかもしれない。しかし、そうした解釈は、他の国、他の産業、他の企業と比べられないものであり、結局独りよがりのものになってしまう。ただ、学問的な定義をストレートに説明しても分かりにくいので、いくつかの事例を挙げながら、現実の経済活動と生産性との対応を説明している。

「生産性」を語る上で重要なことは、その概念が国際的に共有されているということだけでなく、実際に比較可能な形でデータベース化されているということである。第1章では、深尾京司一橋大学教授を中心とした経済産業研究所における生産性のプロジェクトチームが計測した生産性のデータベース(JIPデータベースやR-JIPデータベース)を使っているが、日本経済が低生産性経済であるというのは、こうした国際比較可能なデータベースから導き出されていることなのである。

第2章は、経済学という学問分野で、「生産性」の概念や計測は、どのように発展してきたかを解説する。アダム・スミスの「国富論」の冒頭で紹介される有名なピンの生産例は、まさに「生産性」を説明する格好の事例となっている。しかし現在経済学者が念頭においている生産性の概念は、20世紀半ばからの経済成長論の研究の過程で定着してきたものである。日本では、第2次世界大戦後の復興期から生産性の向上が意識されていたが、長期停滞を克服する方策として研究者が議論をするようになったのは、今世紀に入ってからである。

それでは、何が生産性を向上させるのだろうか。第3章は、この問題を考察している。長らく生産性を向上させる代表的な要因は、研究開発投資による知識の蓄積だと考えられてきた。しかし、1990年代後半からのIT革命は、従来の生産性向上の考え方に変更を迫った。単に研究開発だけでなく、人材や経営組織なども含めた無形資産の蓄積が生産性向上にとって重要だという認識が広まっている。本章では、こうした点を経済産業研究所における生産性のプロジェクトで得られた知見やデータをもとに解説している。

「生産性」の向上要因と政府の役割

第3章までは、主にマクロ・産業レベルでの生産性向上を対象としていた。しかし、多くの人の関心は企業レベルでの生産性向上にある。この分野は主に経営学の担当だが、経済学の分野でも大量の企業レベルのデータを利用することで、企業レベルの生産性向上要因を探る研究が増えている。これらは「企業動学」、「Economics of Management」、「Organizational Economics」ともいわれている。第4章では、こうした企業レベルのデータを使って生産性向上の要因を探る研究を紹介する。企業レベルで生産性向上を考えると、経営能力や経営組織の在り方が重要になる。ここでも経済産業研究所における関連研究の成果が紹介されている。

第5章では、生産性向上に関する政府の役割を議論している。人々は、財政金融政策と同様、政府の成長政策に多くを期待するが、生産性向上はあくまで民間主体で行われるべきものである。また成長政策が成果を出すまでには、長期間を要するため、短期的な成果を求めてモデルチェンジのように政策を変えても十分な成果は期待できない。それでも社会資本の整備、規制緩和、労働市場改革などは生産性の向上に一定の役割を果たしてきたと考えられている。また本章では、何よりも政府自身が技術革新に対応した効率的な組織の在り方を目指すべきであると強調している。

最後の第6章では、生産性の問題を超えて、広く日本経済が直面する課題について述べている。実は生産性をテーマにした一般向け書籍としては、本書は2冊目になる。「失われた10年」を契機に研究者の間では生産性の計測が進み、その成果を分かりやすく説明した「日本の生産性革新」という本を2006年に出版している。しかし、当時ようやく不良債権問題から解放され好況が続いていた日本では、生産性向上への関心は大きくなかった。ここ数年拡張的な財政金融政策にもかかわらず、日本の潜在成長力が上昇しないことから生産性が注目されだしたが、技術革新のスピードが速い現在、生産性向上に対する認識の遅れは停滞脱却への足かせとなっている。

長期停滞脱出のカギ

現在の停滞要因を少子化に求める議論もあるが、本書では人口の若い世代が様々なスポーツの分野で国際的に活躍している事実を挙げている。これは本人の努力も当然だが、それは過去でも同じだろう。やはり違ってきたのは選手のトレーニング方法や育成方法ではないか。その変化を要約すれば、「競争性、合理性、多様性」であり、これらを推進することが今後の生産性向上そして成長のカギになると考えられる。

日本経済は成熟段階に達したので、それにふさわしい体制があるだろうという議論がなされる。「成熟」といえば聞こえは良いのだが、しかし、その裏側には確実な体力の衰えがある。日々の運動など健康維持への努力がなければ、こうした体力の衰えを少しでも抑えて、安心した老後を過ごすことはできないのではないか。生産性向上もこれと同じである。例え成熟社会といえども、市場経済では不断の生産性向上への努力なしでは、安定した経済社会を維持することは難しい。本書をお読みいただいて、「生産性」に対する適切な理解を深めていただき、長期的に安定した日本経済を構築するヒントを得ていただければ幸いである。

2018年11月28日掲載