先々週、国の財政に関する2つのニュースが新聞紙上などを賑わせた。1つは8日に政府より公表された財政健全化に向けた中期の財政政策運営計画、いわゆる中期財政計画についてのニュースである。いまひとつは9日に財務省より公表された債務統計についてのニュースであり、国債をはじめとする国の債務残高(6月末時点)が初めて1000兆円を突破した。
政府債務に関連する最近のニュースを見聞きするうちにその将来を気にしだした読者は少なくないかもしれない。そのような読者が政府の財政再建計画を読むとき、政府債務の過去の動向に見られた特徴について理解を深めておくことは有益かもしれない。
内閣府や財務省など政策現場では実務家が長期の債務データを丹念に収集してきて緻密な分析をおこない、過去の債務動向に見られた特徴をよく理解している。しかしその分析資料は公表されておらず、残念ながら読者はそれを見ることができない(注1)。また読者が自身でデータを収集しようとしても実際にはそれほど容易ではない。
そこでこのコラムでは過去の債務動向の特徴に関心を持つ読者の強いニーズに応えるという動機から、筆者がかつて研究で使用するためにさまざまな資料から収集してきて作製したデータをもとにいくつか興味深い特徴を紹介する。
1世紀以上の長期にわたる政府債務の推移
図1は1885年から2011年までの期間におけるわが国の政府債務残高の対国内総生産(GDP)比の推移を描いている(注2)。政府債務には国が負う債務のみならず地方自治体(都道府県や市区町村)が負う債務も含まれている(注3)。
粗債務比率の動きを眺めると、それは上昇とそれに続く低下を繰り返しながら推移してきた。その比率が顕著に上昇している局面はおもに3つあり、1900年代半ば、1930年代後半から1940年代前半そして1990年代から現在までである。最初の2つの局面における比率の上昇は日露戦争と第2次大戦での膨大な戦費調達による一時的な財政赤字の増加から生じた。
一方、最後の3番目の局面では債務比率はそれら2つの局面ほどではないにしろ急速にかつ持続的に上昇している。これは比率の上昇が一時的な要因というよりむしろ構造的な要因、すなわち慢性化した財政赤字から生じていることを示しており、著しく対照的な特徴である。直近の2011年度における粗債務比率は2.2近くまで達しており、終戦前に最も高かったときの水準(1944年度の1.7)をゆうに超えている。
しかし粗債務を用いて債務規模を評価することについては研究者のあいだで批判的な意見もある。すなわち、一般的に経済主体は負債を抱える一方で現金や預金など金融資産を保有しており、したがって債務規模の評価は粗債務よりむしろそれから金融資産を控除した純債務によりおこなわれるのが望ましい。両者のあいだでどれほど違いがあるかをチェックするため、図では粗債務比率と一緒に純債務比率を描いている。それらの水準は明らかに異なるものの動向は総じて似通っている。
図2は米英両国の粗債務比率を日本のそれと一緒に描いている。どちらの国も2度の大戦期に債務比率は一時的に急上昇し、そのあと時間がかかりながらも(とりわけ第2次大戦後)着実に減少し続け、最終的にほぼ戦前の水準まで戻っている。日本でもそれとよく似た現象は日露戦争後の1900年代後半から1910年代前半までの時期に見られた。しかし第2次大戦のあと日本の債務比率は急落しており、米英両国の数百年以上の歴史でも観察されたことのない特徴である。
債務比率の低下局面で見られる特徴
表1は債務比率の上昇局面と低下局面ごとにその変動を要因分解した結果を示している(注4)。債務比率の顕著な上昇局面(2列目の値が大きなプラス)では明らかに大規模な財政赤字が発生しており、前のところで述べた特徴を裏付けている。さらに表が示す興味深い点は、債務比率が低下するときはいつも財政黒字が生み出されているわけではないことである。むしろそのようなケースはごく稀である。
言うまでもないが、債務比率の引き下げは今後の大きな政策課題である。比率が低下する局面で何が起こっていたかを詳しく知ることにより課題解決のためのヒントが何か得られるかもしれない。図3は表1の数値を利用していくつかの局面で見られる特徴を視覚的に描いている。
日露戦後の局面では利子支払いを上回る規模のプライマリー黒字(政府収入と利子支払を除く政府支出との差)が生み出されたことと名目ベースでの持続的な高成長が債務比率を押し下げた。当時の政権は強い財政規律を保持しながら財政政策を運営していた。これは財政改善と経済成長との組み合わせでいくつかあるうちのベストミックスにより債務比率の低下が実現した事例であり、健全な比率低下の1つの例である。
これに対して第2次大戦後の局面では円の通貨価値の下落に伴う激しい物価上昇により名目GDPが大きく伸び、その結果として債務比率が低下した。実質経済成長率の要因は債務比率の上昇に寄与したことが示すとおり、実体経済活動の不活発さは甚大であった。これは比率低下の最悪な事例である。
日露戦後の局面と同様に1980年代後半の局面でも経済成長とプライマリー黒字がともに債務比率を押し下げた。もっとも日露戦後の局面と比べると、プライマリー黒字の規模が小さかったため比率の低下幅は小さい。視線を表に再び向けると、2006年における債務比率の低下はわずかである。プライマリー黒字の規模が小さかったこともさることながら1990年代後半から発生したデフレもその結果をもたらす一因であった。
このように債務GDP比率を変動させる要因は実質経済成長率、物価上昇率そしてプライマリー黒字である。現在の高水準にある債務比率をオーソドックスな方法で引き下げようとするとき、ある程度の規模のプライマリー黒字を地道に継続して生み出していくことから逃げることはどうしてもできない。これは政府債務の歴史に教えられる重要なポイントである。第2次大戦後の米英では政府が長い時間をかけながらも着実にプライマリー黒字を生み出すことで高水準にあった債務比率の引き下げに成功した。
安倍政権は債務比率の変動の要因のうち最初の要因にかかる課題、すなわち実体経済の潜在成長力の増進に対しては第3の矢である成長戦略のもと経済構造改革を強力に推し進めようとしている。2番目の要因にかかる課題、すなわちデフレの脱却に対しては第1の矢である大胆な金融政策による対処が試みられている。最後の3番目の要因にかかる課題については、6月に決められた「経済財政運営と改革の基本方針」、いわゆる骨太の方針のなかでプライマリー赤字を2015年度に2010年度の半分の規模にまで縮小させ、そのあと2020年度にその赤字を解消することが当面の財政政策運営の目標として掲げられた。
債務GDP比率の将来見通し
図4はプライマリー赤字または黒字の動向についていくつか異なる想定を置き、そのもとで算出された債務GDP比率(ここでは純債務に着目)の見通しを示している(注5)。2020年に政府目標が達成されたとしても債務比率は依然として高水準に留まる。しかし上昇ペースはこれまでと比べて大幅に鈍化する。もし財政改善が思うように進まなければ債務比率は2.5を越すかもしれない。
最終的に政府は債務比率の引き下げを目指して財政政策を運営しようとしている。いま政府が2020年に政策運営目標をクリアし、そのあと継続してプライマリー黒字を生み出していくと仮想する。将来の債務比率の水準が債務にかかる利払いの利子率と経済成長率の相対的な大きさの想定により異なることを考慮すると、少なくとも年3.5%のプライマリー黒字(対GDP比)が生み出されたとき債務比率は2060年に2011年の水準を下回ると試算される。さらに債務比率が1まで低下するのは慎重な想定のもとではそれから30年以上も先となる。
しかし市場関係者のあいだでは債務比率引き下げの一里塚である2015年の目標達成すらおぼつかないとの見方もある。プライマリー赤字は経済成長に伴う税の自然増収と増税や支出削減による裁量的な調整によって縮小される。前のところで述べたように、債務の膨張が慢性的な赤字体質による以上、プライマリー赤字の解消には後者のほうが重要な鍵を握る。
先般発表された中期財政計画は、安倍首相が消費税率を来年4月に引き上げるか否かを最終判断した後に改訂が行われ、最終的に仕上げられる見込みである。安倍政権が借金体質を抜本的に改めるための実効性のある具体的な取り組みを書き表した説得力ある財政計画の最終版を作りあげることができるか注目される。