昨年、英国で欧州連合(EU)からの離脱の是非を問う国民投票がおこなわれ、英国のEUからの離脱が決定した。今年から英国とEUとのあいだで離脱交渉が始まる。一方、米国では大統領が8年ぶりに交代した。こうした背景のもと通商政策をめぐる不透明感が強まっているといわれている。このコラムではその点について考えてみたい。
この3カ月ほどの間、世界経済は米国の新政権の政策をめぐる不透明感に覆われている(注1)。新しい大統領は選挙期間中に表明した政策のなかでどれを実行するか、政策変更があるとすればそれはいつかについてはっきりしない。また、新政権の政策により経済がどのような影響を受けるかについても不確かさが大きい。日本企業の経営者は新政権の政策、なかでも財政政策や通商政策に注目している(注2)。
企業経営者が関心を寄せる別なことに欧州の政治情勢もある。今年、EUの要であるドイツとフランスでは連邦議会選挙と大統領選挙がそれぞれおこなわれる。両国では反EUを掲げる政党が勢力を広げつつある。選挙の結果しだいでは政権運営が不安定となり、政策をめぐる不透明感が高まるおそれがある。
たとえば、通商政策の面では、日本とEUとのあいだで経済連携協定(EPA)を締結するための交渉が大詰めを迎えている。たとえ両者が大筋合意できたとしても、EPAの発効にはEU加盟国での批准手続きを経る必要があり、時間がかかる。環太平洋パートナーシップ(TPP)協定がそうであったように、日欧EPAが欧州の政治情勢に左右されかねない。
このように通商政策をめぐっては先行きに不確実性の暗雲が立ち込めている。企業へのアンケート調査からは、通商政策の不確実性が企業経営に影響することが明らかとなっている (Morikawa, 2016)(注3)。企業がおこなうさまざまな経営上の意思決定のうち、設備投資がその影響をもっとも強く受ける。
では、企業の設備投資は通商政策をめぐる不透明性とどう関係するか、製造業と非製造業とで関係性に違いはあるか、さらに通商政策とその他の政策、たとえば財政政策や金融政策とで関係性に違いはあるか。
これらについて知ることは、民間エコノミストはもちろん政策実務家にとっても有益となろう。以下では筆者の最近の研究から得られた結果をよりどころにして、製造業の設備投資は通商政策をめぐる不透明性と負の関係がある一方で非製造業にはそれがないこと、企業の設備投資は通商政策より財政政策や金融政策をめぐる不透明性のほうと関係が強いことを示す。
政策をめぐる不透明性の度合いをどう定量化するか
当然ながら政策をめぐる不透明性は直接観察することができない。この問題に対して考えられる対処法の1つは、その不透明性を間接的に捉えた代理指標を尺度として使い、その度合いを定量化することである。
米シカゴ大学のデイヴィス教授や米スタンフォード大学のブルーム教授らの研究プロジェクトチームは、米国の主要な新聞に掲載された記事を活用して政策の不確実性指数を開発した。新聞記事の活用というアプローチを採る背景には、家計や企業が政策をめぐる不透明感に覆われているとき、新聞紙上ではそのことに関する記事の掲載頻度が高いはずだという考えがある。
それと同様のアプローチにより通商政策をめぐる不透明性指数を作る。具体的には、まず1987年1月以降の各月において、朝日新聞、日本経済新聞、毎日新聞、読売新聞の朝刊と夕刊に掲載された記事のなかから、経済活動に関係する用語、不透明さに関係する用語、政策全般に関わる用語そして通商政策に関連する用語のすべてを含む記事を収集する。記事の収集は発行社が提供している新聞記事データベースを利用しておこなう(注4)。
次にそれぞれの新聞ごとにそれら記事の月間掲載本数を月間総記事数で割り、比率データを算出する。1987年1月から2015年12月までの期間の標準偏差が1となるようにデータを変換する。最後に、各月において4つの系列の数値を合計する。そうして得られた時系列データの1987年1月から2015年12月までの期間の平均値が100となるように水準を調整する。
新聞記事をベースにした通商政策をめぐる不透明性指数
図1は新聞記事をベースにした通商政策をめぐる不透明性指数を描いている。データの頻度は月次である。標本期間は1987年1月から2017年1月までである。

図からは3つの時期に指数が高い水準に達しているのを見て取れる。第1は1990年代前半である。1993年にガット・ウルグアイラウンド交渉が大詰めを迎えた。第2は2010年代初めである。2011年11月に与党民主党内でTPP協定の交渉に参加するかどうかをめぐり激しい対立が起きた。
第3は2016年以降である。2016年6月に英国でEUからの離脱の是非を問う国民投票がおこなわれ、離脱派が過半数の票を得た。このときEUからの離脱交渉をめぐる不透明感が強まった。そして11月の米国大統領選挙では、共和党候補のトランプ氏が次期大統領に選出された。オバマ政権の任期中でのTPP協定の議会承認や新しい政権の通商政策をめぐる不透明感が高まった。先月の指数は700を上回る値を示している。この指数にもとづけば、過去30年で不透明さの度合いはもっとも大きい。
企業の設備投資との関係性
図2は政策をめぐる不透明性の高まりに対する設備投資の動学的な反応を描いている。1行目は通商政策に関して40ポイントの正の不確実性ショックが発生したときのインパルス応答関数(IRF)である(注5)。横軸はショックが発生したあと経過した四半期の数を表す。40ポイントは2009-2010年(TPP交渉の序盤)の平均値と2014-2015年(TPP交渉の終盤)の平均値の差に相当する大きさである。

企業の設備投資はショックが発生したあと減少する(1列目)。その度合いがもっとも大きくなるのはショックの発生から1年が経ったときで-1.4%である。それが主因となって国内総生産(GDP)は0.4%低下する。非製造業の設備投資はショックに対してほとんど反応しない一方、製造業の設備投資は大きく減少する(2-3列目)。
2行目と3行目はそれぞれ財政政策と金融政策に関して正の不確実性ショックが発生したときのIRFである。政策の間での違いを視覚的に捉えやすくするため、各パネルでは通商政策の対応するIRFを一緒に描いている。ショックの大きさは通商政策と同等の規模となるように設定している。したがって設備投資の反応の大きさは直接比較できる。
企業の設備投資はショックが発生したあと1年半にわたって低下する(1列目)。通商政策における1年と比べるとやや長い。企業の設備投資は製造業と非製造業ともに通商政策より財政政策や金融政策をめぐる不透明性のほうと関係が強い(2-3列目)。
以上を要約すれば、通商政策をめぐる不透明性の高まりは企業の設備投資の減少を通じて国全体の経済活動が低下する前兆となる。さきほど述べたように、この3カ月ほどのあいだ通商政策に関する不確実性はかなり高まっている。景気の下押し要因の1つとしてそれに注意を払う必要がある。