「市場の規範」で築く繁栄

谷 みどり
上席研究員

偽りの勧誘トークや広告・表示、一酸化炭素や農薬の中毒事故など、消費者取引を巡る問題が近年多く報道されている。それぞれ異なった事情はあるが、共通していえるのは、購入する商品や役務の品質や事業者の信頼性がわかりにくくなっているということだ。

品質や事業者の信頼性を判断するには

一昔前、消費の多くが食品や布地などであった時代、消費者は個々の商品の品質を見極める目を持ちやすかった。新鮮な野菜や魚の選び方、布地の糸を燃して化繊と毛織を見分ける方法など、限られた品目の品質の見分け方は、個人でも覚えられた。

また昔は徒歩で行ける範囲で買い物をし、同じ商品を同じ商店で繰返し購入することが多かった。繰返し購入する客が多ければ、商店も顧客のためを考える。悪いものを売ったりするとすぐ悪評が立ち、客が離れるからだ。

こうして、よい事業者に利益を、悪い事業者に不利益をもたらす仕組みが働いた。もちろん昔は技術も資金も低水準であり、商品の品質も今よりずっと悪いものが多かったが、この仕組みをもつ市場によって、事業者に顧客対応や品質管理や技術進歩の動機付けが行われた。そして、品質の悪い商品は市場で次第に淘汰され、産業の発展がもたらされた。

しかし今は、個人が購入する商品や役務が多様化、複雑化している。たとえば食品では米が減り菓子パンが増えるなど、加工度が増した。家にある家電製品やガス機器の数は増え、機能も高度化した。家計支出の増加が大きい医療サービスや携帯電話料金は、技術進歩などで変化が激しい。このような多様で高度で変化の激しい商品やサービスの品質の見分け方を覚え、買い物のたびに実践するのは、無理だ。

品質が判断できなければ、信頼できる事業者を選ぶか。しかし、国境も越えるインターネット通販も含め、商圏が広い商売では、評判は伝わりにくい。顧客のための努力は報われず、騙し得と思う事業者もありうる。どの事業者を信じるか、判断できないことが多い。

消費者に価格しか見えないことの損害

品質も事業者も信じられなければ、消費者は価格の安さで選ぶしかない。市場がこうなると、よりよい商品や役務を提供する事業者には、報酬はもたらされない。

このような事態は、経済社会全体に悪影響を及ぼす。たとえば、冒頭に挙げた悪質商法の事業者の多くは、嘘の勧誘や宣伝のノウハウについて従業員を教育し、売り上げで評価し動機付けしている。従業員がこのような教育の下でどれほど努力しても、全体の利益にはつながらず、むしろ不利益になる。事故の場合は事業者が故意に起こすわけではないが、もし事故防止の費用を節約していたとしたら、そのような節約努力も、社会に損害を与える。

消費者がよりよい商品・役務と信頼できる事業者を選び、事業者が消費者の希望にこたえて努力するようにするには、どうしたらよいか。

「市場の規範」を築くために

消費者と事業者の協力を支える仕組みが、「市場の規範」である。「市場の規範」には、民法や刑法などの「法で強制する規範」、経済団体の合意やISOの規格などの「経済社会の圧力で守る規範」、規格化されていない社内システムや家訓などの「良心で守る規範」の3種類がある。

この「市場の規範」をうまく築ければ、国全体の利益になる。「市場の規範」は、政府だけでは築けないが、政府の努力がなければ築けない。

たとえば、嘘の勧誘の一部は特定商取引法に基づき違反行為として認定され、処分が出されている (消費生活安心ガイド)。法執行で悪質商法が減少すれば、悪質事業者に支出されなかった家計は、他の事業者のよりよい行為にまわる。また、現在悪質勧誘の成果により評価されて毎日仕事をしている若者が、他の仕事に就いて、より社会のためになる技術やノウハウを学ぶ可能性もある。

製品安全の分野では、重大事故が公表されるようになった (製品安全ガイド)。消費者や事業者が注目すれば、安全な製品の購入や供給を促すことにつながる。

このようにして、社会のためになる仕事をして消費者に評価される事業者とその従業員や団体が増えることは、「市場の規範」構築の基盤となる。ここに消費者やその団体の活動が加わると、「市場の規範」の遵守を促す経済社会の圧力を強化し、適切な立法や法執行を支援する力になる。資本市場の圧力も、「市場の規範」に貢献できる。

こうして「市場の規範」が築かれ定着すると、経済社会全体のためになる行為に人々を向かわせる動機を継続的に提供し、社会の信頼と経済の繁栄をもたらす。日本経済500兆円のうち300兆円を占める個人消費の力は、大きい。

論証できない物語だろうか。しかし、これと似た夢の実現に向けて知恵を絞り、書物を著した人は多い。ゲーム理論や法と経済、社会学、哲学など、古今東西の賢人に共通の思いを感じることがある。これらの成果を消費者問題の現場に引き下ろし、より多くの市場関係者が語り合える言葉にできないか。現在研究中である。

2008年2月12日

2008年2月12日掲載