2007年2月26日、「イノベーション25戦略会議」において2025年までを視野に入れた長期戦略指針を定める中間とりまとめが発表された。人口減少時代を迎える中、技術革新によって生産性を高めていくために、基礎研究の推進などの科学技術政策に加え、イノベーションを生み出す社会環境や教育や人材育成など、実に多岐に渡る政策に言及した内容となっている。中でも特に筆者が注目したい点は、グローバル化の進展を意識して、イノベーションを目指す企業や研究者に“開国”を迫る内容になっていることである。とりわけ企業については、近年R&D活動の国際化が進んでいることから、国際経済学の分野でもその決定要因とインパクトについて実証分析が盛んに行われている。以下、これに関連する実証分析の結果に触れながら、対外開放的なイノベーションシステムの意義について私見を述べたい。
R&Dの国際化とその決定要因とは?
近年、多国籍企業のR&D活動は活発である。OECD諸国では2004年時点において民間R&D支出の平均で16%を多国籍企業の現地法人が担い、ハンガリー、アイルランド、チェコ、英国、オーストラリアでは40%を超える水準を外国企業が支出しているという(OECD, 2006a)。特に、イノベーション戦略にR&Dの支出目標を立てている国にとって、こうした外資企業の旺盛なR&D意欲へ期待する向きは大きいであろう。この多国籍企業の海外での研究開発活動は何を目的としているのか? また、そのR&D活動はどのような要因によって決定されるのだろうか? 従来、多国籍企業のR&D活動は、自社製品の進出先市場への適応を目的としたものであると考えられていた。これは海外に進出した際に、市場規制や消費者の嗜好など現地市場の環境に適応させるよう生産部門をサポートしなければならないためである。一方で、最近は現地の優れた技術知識やR&D資源にアクセスすることで、全く新しい技術知識の生産を目的としたR&D活動を行うケースが増えている(Kumar, 2001; Belderbos, 2001)。
この増加傾向にある後者のタイプのR&D活動は、どのような要因によって決定されるのであろうか。これまでの実証分析によれば、こうしたタイプのR&D拠点の設置は進出先の技術水準など研究開発の潜在性に大きく影響を受けていることが明らかにされている。Ito and Wakasugi (2007)では、日本企業の海外現地法人のデータを利用して、進出先国の技術水準や研究者数、知的財産権制度の整備度合いが、現地の優れた技術知識やR&D資源へのアクセスを目的とした後者のタイプのR&D活動に与える影響を分析している。その結果、1995年から1998年に日本企業の海外研究所は約300から500超へと大幅に増加しており、その増加は技術水準の高い国において特に顕著であることを示唆している。また、R&D拠点の設置が進出先の研究者数や知的財産権の保護水準の高さと有意に正の相関関係があり、生産をサポートするための従来型のR&Dに比べて、現地の優れた技術知識やR&D資源へのアクセスを目的としたR&D活動に与えるインパクトが大きいことを示している。このようにR&Dの国際化は、対象国のR&Dに関する潜在性や制度に大きく依存していることを示している。
イノベーション“開国”のメリットは?
一方、こうした多国籍企業のR&D活動は国内経済に対してどのような経済的インパクトを与えるのだろうか。一般に、知識生産活動には、他者のR&D成果が漏れ伝わり、自らのR&Dの生産性を高めるといったスピルオーバー効果が存在する。この漏れ伝わるルートにはさまざまなチャネルがあるが、たとえば既存の特許の公開による技術知識の移転や、研究者の移動および交流、あるいは財を分解して技術を知ること(reverse-engineering)などがそれである。
このようなことから、高い技術水準と生産性を持つ外資企業の参入も、国内産業にスピルオーバーをもたらす主体であると考えられてきた。実際に、これまでの多くの実証分析が、外資企業のプレゼンスの国内企業の生産性へのプラスの効果を示している。さらに、最近の研究によれば、その効果の源泉は外資企業の生産活動ではなくR&D活動であることが実証分析によって示唆されている。たとえば、日本の企業データを利用したTodo (2006)では、外資企業のR&Dストックが国内企業の生産性へプラスの効果があることを示し、さらにその効果は国内企業のR&Dストックが与える効果よりも大きいと報告している。
一方、海外に進出する自国企業のR&D活動が自国に与える影響はどうであろうか。Branstetter (2006)は、米国に進出している日本企業と米国内の企業との間の特許の引用を国際間のスピルオーバーを示す指標として利用し、直接投資によるR&D活動が両者の間で行われる引用回数を相互に増やすことを示し、海外でのR&D活動の進出先へのスピルオーバー効果と共に、本国へのスピルオーバー効果の存在を示唆している。ただし、多くの先行研究が示唆しているように、スピルオーバーを享受するためには受け手の許容能力が高いという条件が必要となる。漏れ伝わる技術知識を理解し、利用するための吸収力(absorptive capacity)が必要であることに注意しなければならない。
グローバル化とイノベーション政策
このように企業のR&Dの国際化は、知識のスピルオーバー効果によって進出先はもとより、自国にもポジティブな影響をもたらすことが実証研究によって示されている。こうした正のスピルオーバー効果が双方向に存在するのであれば、R&D活動を目的とした多国籍企業を誘致する政策や、国内企業の海外でのR&D活動への支援措置を検討する余地があろう。その一方で、日本に進出している外資企業によるR&D支出は1995年から2003年にかけて倍以上の伸びを示しているものの、対民間R&D支出のシェアの水準で見るとOECD諸国中最下位に位置している(OECD, 2006a)。また、日本企業の海外でのR&D活動に関しても、他国の多国籍企業に比べ低い水準であることが先行研究によって示されている(eg. Belderbos, 2001)。さらに外国との研究コラボレーションの度合いを示す指標として、たとえば特許の共同出願数を見ると、日本はOECD諸国において最も低い水準である(OECD, 2006b)。
国内にスピルオーバーをもたらす多国籍企業のR&D活動の決定要因が、進出先国の人材や技術知識の水準の高さ、知的財産権の保護などの、R&D活動にとって魅力的な制度環境なのであれば、こうした要素を高めることが重要である。したがって、基礎研究の強化や民間R&D活動の促進政策に加え、人材に関する政策など、さまざまな政策事項を統合した上で、“Innovation friendly”な環境を備えた対外開放的なイノベーションシステムを構築することが、グローバル化に応じた政策と位置付けられるであろう。上の指標が日本の場合いずれも低いのは、イノベーション25の中間リポートにも触れられているように、島国である日本の閉鎖的な特性も影響しているのだろう。そういう点では日本はイノベーション活動に関してまだまだ“未開”といえるのかもしれない。高い技術力を持つ日本のイノベーション“開国”に向けた政策議論が具体的に今後どのように進むのか注視していきたい。