なぜ日中FTAが必要なのか――国内産業の空洞化を防ぐために

関志雄
上席研究員

対中ビジネスが活気を呈する中で、中国脅威論が急速に退潮し、中国牽引論に取って代わられた。日本企業にとって、拡大し続ける中国の市場にアクセスするためには、大きく分けて、中国で「現地生産し、現地販売する」と「日本で生産し、中国向けに輸出する」という2つの選択肢があるが、生産コストなど、他の条件が一定であれば、後者の方が前者よりもリスクが低い上に、国内に多くの雇用機会を創出することができる。今回の対中輸出ブームが端的に示しているように、機械をはじめとする技術集約型産業において、日本は依然として国際競争力を有しており、国内で生産し、中国に輸出しても利益を得ることは十分可能である。貿易を通じて双方の比較優位が発揮できれば、日本にとって、中国の躍進は決して脅威にならず、むしろウィン・ウィン・ゲームなのである。これを確実なものにするためにも、両国がFTA構築などを通じて貿易を妨げている規制を撤廃しなければならない。

日本企業にとって中国は工場か、それとも市場か

中国の台頭をビジネス・チャンスとして考える際、まず市場としての優位性と生産拠点としての優位性が、それぞれ中国にあるのか、それとも日本にあるのかを見極める必要がある。中国では日本より賃金が遥かに安いからといって、全ての製品が日本より安く作れることを意味しない。現状では、中国は自前のブランドも技術も持たず、競争力を安い労働力に頼らざるを得ない。これに対して、日本は、技術集約型製品に関しては、依然として強い国際競争力を持っている。また、中国は所得水準が急速に上がっているとはいえ、一人当たりGDPがまだ1000ドル前後の発展途上国であり、消費構造は先進国と大きく異なるはずである。従って、中国が「工場」か、それとも「市場」かという問いに対しては、業種によって、答えが違ってくる。

「工場か市場か」を軸に考えれば、日本企業が採るべき戦略は、次の4つのケースに分けて考えることができる(図参照)。第一に、生産の面においては中国が優位を持つが、市場の面では日本が優位を持つ場合、中国で生産し、日本に逆輸入することが得策である。第二に、中国が、生産と市場の両面において優位に立つ場合、日系企業も現地生産・現地販売を目指すべきである。第三に、中国が市場の面のみ優位を持ち、日本が生産の面において優位を持つ場合、日本で生産し中国に輸出した方が有利である。自動車をはじめとする機械産業がこれに当たる。最後に、日本が、生産と市場の両面において優位を持つ場合、日系企業は国内生産・国内販売に専念すべきである。

日系企業の対中ビジネスモデル-工場と市場を軸に-

中間形態があることを十分に認識することである。直接投資の場合、出資比率に比例して、進出企業は自分の経営方針を通すことができるが、リスクもその分だけ高くなる。これに対して、あくまでも1回限りの取引を原則とする貿易の場合、リスクは小さい。従って、中国を工場として捉えるにせよ、市場として捉えるにせよ、必ずしも自ら100%出資し、中国で自前の工場を持つ必要はない。第一と第二のケースのように、日本企業が中国を生産基地として活かそうとする場合、(1)中国企業から直接購入する、(2)中国企業とOEM契約を結び製品を自社ブランドで販売する、(3)中国企業と合弁企業を作って生産を行う、(4)100%出資で直接投資する、などいろいろな選択肢が考えられる。出資を行わない場合であっても、販路を押さえているユニクロのように、市場の優位をバックに、下請け会社に自分の方針をきちんと通すことは十分可能である。また、第二と第三のケースのように、日本企業が中国の市場をターゲットにする場合においても、現地生産だけでなく、日本で生産し中国向けに輸出するというアクセス方法があることも忘れてはいけない。

良い直接投資・悪い直接投資

日本では、中国の活力を活かす企業が増える一方、対中投資の増加が産業空洞化をもたらすのではないかという懸念がいまだに根強い。本来、市場経済がうまく機能していれば、企業の海外への進出は資源の効率的配分を促進するはずである。それにもかかわらず、空洞化が起こるのであれば、その原因は国内の過剰な規制による高コスト構造に加え、貿易相手国における輸入障壁といった市場への介入に求めるべきである。

日本の対外直接投資は、生産コスト・輸出重視型と貿易障壁・摩擦回避型の2つに大別されるが、前者よりも後者の方が産業の空洞化につながりやすい。生産コスト・輸出重視型の直接投資は、海外で有利な生産要素を確保することで生産コストを削減し、輸出競争力を強化することを目的としている。たとえば、多くの日系企業は、安い労働力を求めて中国に生産拠点を作り、主にその製品を現地で販売するよりも日本や第三国へ輸出している。このような投資は、資源配分の効率性の改善をもたらし、投資国と受入国の双方にとってメリットが大きい。これに対して、貿易障壁・摩擦回避型の直接投資は、日本からの輸出が相手国の輸入制限によって妨げられるため、現地生産を行わざるを得ない状況で行われる。それによって形成される分業体制は、投資する側と受け入れる側の双方の比較優位に反しているため、資源配分が歪められることになる。

貿易障壁・摩擦回避型の典型例として、日系自動車メーカーの対中投資が挙げられる。中国の自動車市場が今後急成長するだろうという点に関して疑うつもりはない。しかし、中国市場へアクセスするためには、中国で現地生産を行うだけではなく、日本から輸出するという選択肢もあるはずである。中国のWTO加盟後、自動車の輸入関税は大幅に引き下げられるが、依然として最終的には25%という高水準が維持される上、日本から中国向けに輸出しようとすると、貿易摩擦が生じやすい。高い関税を乗り越え、また貿易摩擦を回避するために、日本のメーカーは日本で品質のいい車が安く作れるにもかかわらず、中国での現地生産に踏み切らざるを得ないのである。

上述のビジネスモデルの分類に沿っていえば、本来、補完関係を発揮するためには、自動車の場合、「日本で生産し、中国向けに輸出する」ことが得策であるが、貿易障壁が存在するがゆえに、「中国での現地生産、現地販売」に取って代わられてしまうのである。100万台の自動車を日本で生産して中国に輸出できれば、日本の得意分野において国内で多くの雇用機会、しかも賃金の高い「グッド・ジョブ」が創出されることになる。しかし、同じ100万台の自動車の生産を中国に移転してしまえば、仮に一部の部品の生産が日本に残っても、その雇用創出効果は遥かに小さく、機会費用は非常に大きい。

このように、生産コスト・輸出重視型の直接投資が資源の効率的な配分を促進する「良い直接投資」であるのに対し、貿易障壁・摩擦回避型の直接投資は生産効率の低下、ひいては国内産業の空洞化を招きかねない「悪い直接投資」に当たる。しかし、残念なことに、日本における空洞化を巡る議論では、全く逆の認識が主流となっている。すなわち、日本がもはや比較優位を持たない産業の古い工場を畳んで中国に持っていくと、従業員が解雇されるため、深刻な空洞化問題として騒がれる。これに対して、日本がまだ比較優位を持っている自動車などの分野の企業が中国に進出して工場を建てると、逆に市場開拓の努力として評価され、そのため国内において反対する声は皆無なのである。この直接投資の本質に対する誤った認識は、輸入制限などによる衰退産業の保護につながる一方、産業の高度化を遅らせているのである。

良い直接投資を促進し、悪い直接投資を防ぐために、日中間のFTAをお薦めする。輸入関税がなくなれば、両国間の貿易が一層盛んになるであろう。特に、自動車産業をはじめとする日本の基幹産業にとって、直接中国に輸出することが容易になるため、リスクを負いながら中国に進出する必要がなくなる。このように、日中FTAは、日本にとって究極な空洞化対策なのである。

2004年3月23日

2004年3月23日掲載