セイフティ・ネットの誘惑

鶴 光太郎
上席研究員

10月30日に懸案であった不良債権処理加速策とそれを包含する総合デフレ策が決定された。不良債権処理に関するいくつかの検討策への評価については別の機会に論じたので、ここではそれに付随するセイフティ・ネット策と企業再生を担うため新たに設立される「産業再生機構」(仮称)について考えてみたい。

「セイフティ・ネットの充実を!」という主張は正しいか?

竹中PTの中間報告が発表見送りとなった時の表向きの説明は、「不良債権処理加速策だけを発表すると無用な不安・混乱を生むので、安全網対策を含む総合デフレ対策といっしょに発表すべき」というものであった。ドラスティックな不良債権処理対策を行えば行うほど、企業の破綻とそれに伴う失業の増大を覚悟しなければならない。したがって、「万全のセイフティ・ネットを張って、不測の事態に備えるべきだ」という議論はコンセンサスとなっており、与党、政府、有識者の間に目立った異論はないようだ。むしろ、「セイフティ・ネットの充実を!」というのが国家的なスローガンになっているようにもみえる。これは果たして正しいであろうか。

80年代まで不況期でも平均してみれば3%程度の成長を維持し、失業率も先進国の中でも極めて低水準であった日本経済にとって、セイフティ・ネットそのものが問題になることはなかった。その裏返しとして、経済の停滞と構造調整圧力の継続の中で、必要最小限のセイフティ・ネットの充実が現在、喫緊の課題であることは明らかである。しかし、その「必要最小限」という「さじ加減」が実は非常に難しい。なぜなら、セイフティ・ネットは「麻薬」、「モルヒネ」のような魅力を持っているからである。

軽視されがちなモラル・ハザード問題

セイフティ・ネットの問題点といえば、決り文句のようにモラル・ハザードが指摘される。つまり、「安全網」があれば、「失敗」しても安心なため、努力しなくなるという問題である。しかし、切羽詰った状況であれば、そのようなデメリットも軽視されがちである。これはなぜであろうか。セイフティ・ネットの本質は、「失敗」した企業、人を助けるという政策的メリットはすぐ出るが、そのデメリットであるモラル・ハザードの問題は時間をかけて徐々に出てくるという点にある。このような時間軸の政策効果を考えると、将来のコストを無視して近視眼的に行動しやすい政治家や政府はセイフティ・ネットのメリットばかりを強調し、財政コストの問題はあるものの過大なセイフティ・ネット策が決定されることになりやすいのは明らかである。また、一度導入されたセイフティ・ネット策は既得権益者の抵抗で政治的にも縮小させることが非常に難しい。

失業対策は労働流動化策に限定すべきである

たとえば、欧州の経験をみると、70年代のマクロ・ショックを契機に手厚くされた失業給付(水準、期間)がその後、循環的な失業を、長期失業さらには慢性的、構造的高失業に変質させ、政策的転換を図るのに多大な時間とコストを要した。個々の経済主体のセイフティ・ネットのモラル・ハザード効果は強調し過ぎてもし過ぎることはないであろう。また、モラル・ハザードを助長するということは、マクロでみればある部門から放出された資源がより収益性の高い別の部門へ再分配されていくという、構造調整の基本ともいうべき市場メカニズムを遅らせることにもなる。

こうした観点からすれば、失業対策では、雇用保険を手厚くするというのではなく、再教育・訓練、職業紹介などの労働流動化策に限定すべきであり、失業者を雇う企業に補助を出すという政策は労働資源の再配分に支障をきたす恐れがある。金融面では、中小企業の場合、当該企業の情報を独占していたメイン・バンクが破綻すれば、すぐ別の貸し手を見つけることは難しいため、そのような企業に対してセイフティ・ネットを張ることは重要であるが、特別信用保証制度のように広く網をかけてしまう制度はやはり問題が多い。また、ペイオフ全面解禁延期も、預金者からの規律付け(預金者の銀行選別)という市場メカニズムを否定してしまい、銀行業界をリストラクチャリングするための唯一の市場メカニズムを失ってしまった意味合いは大きい。

モラル・ハザードや構造調整の遅れを生む恐れのある「産業再生機構」

一方、最終報告で盛り込まれることになった「産業再生機構」も一種のセイフティ・ネット策の1つとして将来的にモラル・ハザード、構造調整の遅れという問題を生むことが懸念される。「産業再生機構」の設立については、債権回収を柱とするRCCは融資機能を事実上持たず企業再生の役割を十分果たせないため、そのような機能を持つ組織が必要であるためと報道されている。かつては、メイン・バンクが再建可能な企業を再生する役割を担っていた部分もあるが、近年ではその余力がなくなっている中で、他の銀行が問題企業の融資から手を引いて、メイン・バンクの負担がますます重くなるという悪循環が続いてきた。しかし、公的な機関が個別企業の再建の可否を決めるというのは、基本的に市場メカニズムを無視した議論である。企業の生死を決める「閻魔大王」は広い意味での市場でしかないはずだ。むしろ、「大きすぎてつぶせない」問題企業を「政府お墨付き」で助ける方に傾いてしまうのではないか。また、市場経済移行国でみられたソフト・バジェットを地で行くような社会主義的な政策がまかり通るのではないかということが懸念されてならない。また、メイン・バンクの債権は原則として「産業再生機構」の買取り対象とされていないため、その政策効果(不良債権の銀行からの抜本的分離)もあまり期待できない。他の債権者が整理され、メイン・バンクと「産業再生機構」のみになることは融資の再交渉、企業再生を行いやすくすることは確かであるが、政府主導の巨大な「救済機関」が生まれないことを望みたい。

今、不良債権の加速処理に伴う「痛み」だけが注目されているが、それを緩和させるためにセイフティ・ネット策を追加していけば、それは「麻薬」のように取り返しにならないことになる。クラッシュの起きるリスクを避け続けるような政策ではなく、一時的に混乱が起きて経済がダメージを受けたとしても、「スピーディにその混乱を収拾するためにはなにが必要なのか」という時間軸を意識した政策、具体的には、企業の破綻処理の迅速化、人的資本の充実、労働マッチングの改善を意識した労働流動化促進などが求められているといえる。

2002年11月5日

2002年11月5日掲載

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